こどく
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  > 垣根ができちゃって、
    両者を流れているリビドーが、
    切断されてしまった……。


  《 ・・・
    国語学的にもクニの語原はクネ、
    つまり垣根だそうですから、
    ・・・ 》 などと

  小松和彦氏が 『鬼がつくった国・日本』
  - 写真家・内藤正敏氏との対談 - の中で
  語っておられますが

  「流れ」が断たれることで ヨドミ、腐敗する
  また 「聖」「清」/「悪」「猥」といった
  分化されたおのおのが 飽和し過剰になっていく...

  過剰は退屈をウムものであると 私は思っているのですが
  この「退屈」がとても危険で 長く続くと
  そこにいる人々のなかには 「生気たれながし」状態に
  なってしまう人もある

  そして 人びととはまったく関係なしに
  まるで 『蠱毒』の呪術を ほどこされているように....
  「清」なら「清」 「猥」なら「猥」が 共食いをはじめ
  一番強いものが パワーアップして イキノコル

  人びとの 暗部には 聖も 悪も 清も 猥も 「 * 」も
  ネを張っているといふのに....

  *

  ちなみに

  Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban
  (Revised edition) Shogakukan 1988 - では

  【蠱毒】 こどく

   気づかれないように巧みに毒を盛って、人を害すること。

  ト、説明されていますが
  呪禁道や 陰陽道では,

  おっと 貴女さまにおかれましては 「ひきがえる」
  いな 「ガマガエル」が 苦手なのでしたね

  失礼いたしました

  *


  それではこのたびは このへんで....

  『風姿花伝』 第二物学條々 「神」をもって
  閉じさせていただきます ではでは


   《 神

     およそ、この物まねは、鬼がかりなり。
     何となく怒れる粧ひあれば、
     神體によりて、鬼がかりになるも苦しかるまじ。
     ただし、はたと變れる本意あり。
     神は、舞いがかりの風情によろし。
     鬼には、さらに舞がかりの便りあるまじ。
     神をば、いかにも、神體によろしきやうに出で立ちて、
     〈気高く〉、殊さら、出物〈に〉ならでは、
     神と云ふ事はあるまじければ、
     衣裳を飾りて、衣文をつくろいてすべし。》






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