桂歌丸さんお疲れ様でした(~_~;)
徐々に消えさって行く昭和の時代の光。
平成もあと一年足らずで終了となる。(~_~;)
今の90歳くらいの人は大正、昭和、平成と3つの時代を生き抜いてきたことになる。
さらに次の時代も生きていれば、4つの時代となる(^^;)

歌丸さんは残念ながら昭和と平成の2つの時代だけで終わってしまった。
COPD(慢性閉塞性肺疾患)だったそうな(˘ω˘;)
歌丸さんは日に70-80本タバコを吸っていたらしい(~_~;)
それでも癌化しない人はしないわけで、タバコ=癌という短絡的な考え方は行き過ぎなような気がする。
だが、癌化は無いまでもCOPDになると肺胞が充分な酸素を採り入れられなくなる。 歌丸さんは酸素を補うため鼻にチューブをつけて酸素を供給していたようだ。(~_~;)
ダメになった肺胞は現在の医学では、もとには戻らないということのようだけど、この先、医学の発展により、どうなっていくのかはわからない。(˘ω˘;)

さて、私が歌丸さんを最初に知ったのは司会者が三波伸介さんの時代の笑点。 それ以前の笑点は見ていないです。
この時代の笑点は時間が5時20分から始まる40分番組だった。
小さい頃は落語や演芸といったものよりも他のチャンネルでやってるアニメ番組のほうを見てしまうものです(^^;)
たぶん、そのアニメに興味が無くなったころから笑点へと移行していったのだと思うんです。
この頃は大喜利で三遊亭小圓遊さんと桂歌丸さんの大喜利での なじり合いが面白かったが、小円遊さんは早く亡くなってしまい、代わりに楽太郎(現在の円楽)さんが歌丸さんをいじるようになってきた。

三波伸介さんという人は似顔絵を描いたり金魚すくいしたり器用な人だなと思って見ていた。
残念ながら関連があるのか分からないが番組の大喜利の途中、発言が不適切だったということがあり(百姓発言)それからしばらくして三波伸介さんもお亡くなりになり、司会者が先代の円楽さんに変わった。

円楽さんの時代から番組の時間が短縮されて30分になった。

その後、先代の円楽さんは脳梗塞で司会を退くことになる。

歌丸さんへと司会が変わる。

その後、歌丸さんも体の不調のため、司会を大喜利メンバーで持ち回りでやっていたが、春風亭昇太さんが正式に司会をつとめることになり現在まで続いている。

地上波デジタル放送になってから家ではテレビを見なくなったため、現在は耳から入る大まかな情報です(^^;)多少、記憶違いもあるかもしれません。

歌丸さんの御冥福をお祈りします。

編集 boonyan : この言葉自体は悪く無いのでしょうが、○○でも、やってろ!!的な表現だと完全にアウトになってしまうようです。(~_~;)
編集 ペン : 百姓って言葉があかんかったのでやんすか?「みおたから」このように発音すると記憶しておりますですが・・差別と思うほうが差別してると思いませんですかぁ。歌丸さんは平成と共に旅立ったのかも^^