2023年06月の記事


要らんものを捨てよう!!
小高い山の温泉に行って露天風呂から見える景色は良いところもあれば別に見えても見えなくても、どちらでもいいものもある。
ごちゃごちゃした鉄筋コンクリートのビルの立ち並ぶ街を見ていても何も感動もしない。
この目の前に映るごちゃごちゃがひとつ残らず消え去ってくれたら、どんなに素敵だろう。
戦後間もない時代の写真を見ると、道路は舗装もなく砂利道だらけ建物も少なく、自動車などほとんど走っていない。
何も無いからこそ人々はあれこれ知恵を絞って生活を豊かなものにしようと頑張ってきた。 だけど今はどうだろう。物は溢れかえり余分なものでいっぱいになっている。だから知恵もなく、ただひたすらに金儲けのことしか考えない輩が増えてしまった。そんな輩が権力をもってしまうと、どうなるだろう?! それが今の日本かもしれない。
いや、世界全体がそんなふうになりつつあるのかもしれない。
この先、核戦争の果てに世界中の人類が滅亡の危機に陥ることもありうる。
全ては心のなかで起きること、要らんものは人間となってしまったら、そうなっていくだろう。
催眠術で深いところまでかかった被験者は術者の言葉通りある物が見えなくなったり無いものが見えるようになる。 認知症患者が部屋から出られないと言って泣きわめくことがある。それも一種の催眠状態と似ていてドアがあるはずなのが、その人にはドアが見えなくなっているのだ。そしてドアの前に来るとクルリと向きを変えてしまい、何度も同じところへ戻ってしまい、堂々巡りを繰り返す。
脳は現実に無いものをあるように感じたり、ある物がないように感じてしまう。
この世の中のものが全てあるように感じているだけだとしたら、その人間の脳さえもあるように感じているだけだったら、いったいどこに本体があるのだろう?
今、この文章を書いているのは誰なんだろう。
誰でもなく意識のみだとしたら、その意識とは一体何なのだろう。

現実とはなんだろう?
突き詰めれば突き詰めるほどわからなくなる。
記憶が体が無くなったとしても残っているとしたら、それは一体どういうことなのか?
何千年もの間、人間は無駄な努力をし続けているのかもしれない。

孫悟空がこの世の果てまで筋斗雲に乗って飛んでいった、そこにある大きな柱にオシッコを引っ掛けたところ、それはお釈迦さまの指だった(^^;;
意識の中では大きいもなければ小さいもない。

宇宙にロケットを飛ばして旅行をしたとしても、孫悟空が筋斗雲で飛んで行ってお釈迦様の指にオシッコをかけたのと変わりない。

お釈迦様の掌の上でもがいているだけにすぎない。
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