楽田城(^^;)
昨日は小牧・長久手の戦いの際、羽柴秀吉が陣取っていた犬山市の楽田城(がくでんじょう)のあった場所に行ってきました。
この楽田城は遺老物語という書物に書き記されている話によると垣を作って、その上に矢倉を作り2階の座敷を設けたということで殿守(天守)という言葉が使われだした最初ではないかということらしいです。(^^;)
築城したのは小田井織田家の織田久長

徳川家康はここより7km弱ほど南の小牧山城に陣取り、攻防戦が繰り広げられていたんですにゃ(^^;)

楽田城のあった場所には現在、楽田小学校があります。(^^;)

昔は土塁などが少し残っていたようですが、現在は史跡のみが残っているだけのようです。 学校の中に市民が利用できる図書館があり、最初、学校のどのあたりに史跡があるのか分からず、そちらで尋ねてみましたところ、丁寧に史跡まで案内までしていただきました(^^;)

また図書館の中には、楽田城についての資料などもあるそうなので、またの機会にそれらも拝見しようと思っています。(^^;)

今日はとりあえず城址の写真撮影のみ(˘ω˘;)(--;)

昔も今も、どうもお偉い人達は確信に触れるような文章は残しておかない癖があるようで、僅か500年ほど前の事なのに不明な事が多いんですよね(^^;)

500年前ならいざ知らず、現代に至っては重要な事は電子化するなり何なりと方法があるはずなんですがねぇ〜
捨てたり、改竄したりといい加減なことばかり、挙句の果てには記憶に無いとしらを切る

(˘ω˘;)(--;)冷蔵庫のプリン食っただろ!!

プリンなど一面識もございません(˘ω˘;)(--;)うううぅ〜!!