その1
 気がついたのは、例の井戸端だった。
 魔界に通じるといううわさのある、すべての始まりとなった井戸。
 あの時は桜の花が満開だった。いまはすっかり葉桜である。
 やわらかい日差しが、葉の間を抜けて、彼らの顔を照らしていた。
「……うーん……」
 寝返りを打ったあかねは、草に頬を刺されるちくちくとした感触に目が覚めたのだ。
「此処、何処!?」
 解らなかったのは、記憶にあるこの場所が、満開の桜の中だったからだろう。淡いピンクに囲まれた華やかな場所から一転して、物静かな雰囲気に変わっていたのだ。
「多分、学校裏の井戸」
 すぐそばの巨木の根元には天真が片胡坐で据わっていた。
「私たち、戻れたんだ」
「……ああ」
 あかねは視線をめぐらせた。
 天真がいる。詩紋が、まだ眠ったままでいる。天真のが抱きかかえているのは、やっと連れ戻すことができた妹の蘭。そして。
「……友雅さん……」
「漸くお目覚めかい、姫君」
 木漏れ日の中に立つ、美しい姿。
 柔らかな直衣を着崩した肩には、長い髪がくるくると落ちかかっている。冷たく冴えた美貌は、口元の微笑によって際立てられていた。
「友雅さん……」
 一瞬あかねは混乱し、意味もなくその名を繰り返した。
 徐々に記憶がよみがえる。
 神泉苑での最後の戦い。白龍を呼んだあかねを引き止めた、友雅の真剣な顔。
「君と一緒に行く」
 そうだ、確かにそう言った。
 ……言ったけど……。

 実際こうして校舎の裏に舞い戻ってみたときに、直面せざるを得ない大問題が、ある。

 ……友雅さんを何処に連れて行けばいいの……?

 振り返ってみた天真の顔にあるのがまったく同じ問いかけであることを、あかねははっきりと悟っていた。