バレンタイン特別号1
「おはようございます、友雅さん」
 日曜日。約束の時間にばっちり合わせて、あかねは友雅の住むアパートのドアを叩いた(呼び鈴がない)
 待つほどもなくドアが開き、美貌の長身が現れる。学生御用達の二階建てアパートらしい、シンプルな造りの玄関に、如何にもそぐわない。
 見るたびに、違和感にクラクラする・・・と思いつつも、あかねは微笑んだ。
 こんなに似合わないところにいてくれるのも、私のためなんだ、と思うと、自然に頬が緩んでしまうのである。

 あまりにも違う世界観に、友雅がどれほどのショックを受けたか、あかねは想像することしか出来ない。
 勿論、あかねだって、あの世界に行ったときは相当驚いたのだ。何もかも違う、あかねの常識がまるで通じない。ストレスもあったし、もう嫌だ、と何度も思った。
 けれど、藤姫が守ってくれた。八葉のみんなもいた。それに、使命があった。目の前のことに集中していれば、とにかく日が過ぎていったのだ。
 始めの頃など、何も考える暇がなかった。とにかく無我夢中だった。
 けれど、この世界のあかねには、友雅を守る力などなかった。来た当初の衣食住さえ、どんなに真剣に悩まされたことか。日々の生活、価値観の違い、人との対応一つさえ、京では殿上人として遇されてきた友雅にとっては耐えがたいものだったろう。
 別れたほうが、京に戻った方が友雅のためなのではないかと思ったことは、一度や二度ではない。(←そのうち書きます……多分)

 それでも友雅は、あかねを選んでくれた。此処で、共に生きることを望んでくれた。
 怒涛の半年を乗り越えた証が、今此処で微笑むこの姿なのだ。無印○品のジャケットがアンバランスだろうと、背後に見える流し台が不釣合いだろうとどうでもいい。

「おはよう、神子殿」
 相変わらず、とろっとろに煮詰めた栗きんとんみたいに甘い声♪
 でへへ~~と声に出そうなくらい嬉しくなっている自分に気付き、あかねはなんとか自分を抑える。流石に、そこまで崩れたくない。
「もう、名前で呼んで下さいって、何度も言ってるじゃないですかぁ」
 自分を引き締めるためにも怒って見せるが、それでも語尾は甘えてひっくり返った。我ながら、自
制心が足りない。
「ああ、解っているのだがね。女性の名をむきつけに呼ぶのには、まだ慣れないのだよ。あかね姫、
とは呼ばれたくないだろう?」
「そりゃあ・・・まあ」
 身分詐称はしたくないし、あだ名としての「姫」は、ニュアンスが微妙すぎる。
 だからって、神子殿、というのはどうなんだーとも思うが。姫とあんまり変わらない気がする。
「でも、私はもう神子じゃないですし」
 あかねの言葉に、友雅は一瞬真顔になった。が、直ぐに何時もの微笑に変わり、
「・・・そうだね」
 優しく言って、あかねを抱き寄せた。

 もう、神子じゃない。八葉でもない。
 互いに、何の使命も、義務もない。それでも互いが必要で、大好きだから、此処にいる。それは、
散々すれ違った末に、漸く掴んだ認識だったのだ。

「あかね・・・」
「友雅さん(はぁと)」

「はいはいはいはい、そこまで!」

 夢見るような囁きは、無粋な声に遮られた。
 天真である。

 何故天真がこんなところに出てくるのか、といえば、天真がこのアパートの大家の息子だからだ。戸籍も職業もなかった友雅が、とりあえず住居を確保できたのは、そのおかげなのである。
「友雅、何度も言ったが、この世界では」
「神子殿が18になるまで、何もしてはいけないというんだろう? 今更だと思うがね」
 いいところで邪魔をされた友雅は、些か不機嫌そうに返した。
 これも、怒涛の半年の間に散々問題にされた事柄である。
 友雅には、16歳のあかねが大人ではない(この場合は、成人とみなされない)という認識が、どうにも通用しにくいらしい。
 勿論、16はぎりぎり結婚が認められる下限に達しているが、両親の承諾がいる。そして、今のと
ころ定職のない友雅は、結婚相手として親に見せるのにはちょっと勇気がいる存在だった。紹介した所で、親の承認が得られるとは思えない。
 同級生カップルの中では、そろそろそういう話も聞こえてくる昨今だというのに、相手が成人だと犯罪になるというのは、納得が行かない話ではあるが、当分友雅には我慢していただくより他はない。
 実際には、キスの一つくらい、天真が見て見ぬ振りをすればいいだけなのだが、これくらいの邪魔をしたっていいだろうというのが天真の主張だ。あかねも、敢えて反論はしなかった。
 何処までが良くて、何処からが駄目なのか。それは普通の付き合いだって、微妙な問題なのに、相手は15も年上で、その上平安調の世界でも色好み(平安世界では、悪口ではない)で知られた恋の手練。このくらい許されるべき、の感覚には、天と地ほどの開きがある。
 すべてを許したっていい、とは思う。だけど、何時かは、の前提つきだ。今に。そのうち。もう少し、色々なことが落ち着いたら。
「・・・ごめんね、友雅さん・・・」
 踏ん切りがつかないところを、天真の所為にして、とりあえずこの場をしのいでいる自分のずるさを、あかねは自覚していた。
「構わないよ、神子殿」
 あっという間に「神子殿」に戻ってしまったが、それは仕方ない。きゅっと抱きしめられる腕の強さの心地よさに、しばし、あかねは目を閉じた。