2003年01月の記事
2003 01/31 11:36
Category : 日記
あれはもう10年ぐらい前のこと、まだ2歳だった娘の予防接種に
行った時のことです。開始の時間ギリギリに会場に着いたにも係わら
ず、すでに受付を待つ長い行列が出来てしまっていました。その中に
は、注射が恐いのか?もう泣き出しそうな子もいてかなり騒然とした雰
囲気でしたが、そんな中でも娘はかなりご機嫌でした。下の子が生まれ
てから久しぶりの私と二人だけのお出かけだったからかもしれません。
また私は、長女であった娘の予防接種に関して、計画的に割りと早い
月齢で全て済ませていたので、娘にしたら「注射は痛い」という先入
観もその時はなかったのかも知れません。
しかし、実際に注射が始まると「痛いー」という泣き声や、「やだぁ
ー」と叫ぶ声が会場の外にまで漏れてくるようになりました。(せっか
く機嫌がいいのに、こんな声を聞いて注射をする前から泣かれたら大
変だ)と思った私は、娘に向かって。「あのね、ちょっとチクンってす
るけど、痛くないし、恐くもからね」と言いました。すると娘は、「大
丈夫。私お姉ちゃんだから恐くないもん」と答えていました。
いざ、娘の順番になりました。担当の先生は、若いお医者さんで、いかにも当番だ
から仕方がない、といった態度の人でした。面倒臭そ
うな顔のお医者さんが「ちょっとチクンとするよ」と棒読みのセリフ
を言い終わるか終わらないかの時です。「痛い!イタイ、イタイ、イタ
イ!」と、まるでおばさんのような声がしました、うちの娘の声でし
た。その声に、それまで泣き声で騒然としていた会場も、一瞬シーン。
しかも、若いお医者さんが手を離すと、娘の腕の注射をしたところに、
プクッと小さな血の跡が…。するとあろうことか娘は、ギッとお医者
さんを睨みつけて、「どうしてくれるのよ!血が出たじゃないのよ!」
と食って掛かったのです。面食らったお医者さんは「すいませんでし
た」と一言。
私はその場をどう取り繕って良いのか分からず、ただ平謝りに謝り。
早々に会場を後にしたことは言うまでもありません。
行った時のことです。開始の時間ギリギリに会場に着いたにも係わら
ず、すでに受付を待つ長い行列が出来てしまっていました。その中に
は、注射が恐いのか?もう泣き出しそうな子もいてかなり騒然とした雰
囲気でしたが、そんな中でも娘はかなりご機嫌でした。下の子が生まれ
てから久しぶりの私と二人だけのお出かけだったからかもしれません。
また私は、長女であった娘の予防接種に関して、計画的に割りと早い
月齢で全て済ませていたので、娘にしたら「注射は痛い」という先入
観もその時はなかったのかも知れません。
しかし、実際に注射が始まると「痛いー」という泣き声や、「やだぁ
ー」と叫ぶ声が会場の外にまで漏れてくるようになりました。(せっか
く機嫌がいいのに、こんな声を聞いて注射をする前から泣かれたら大
変だ)と思った私は、娘に向かって。「あのね、ちょっとチクンってす
るけど、痛くないし、恐くもからね」と言いました。すると娘は、「大
丈夫。私お姉ちゃんだから恐くないもん」と答えていました。
いざ、娘の順番になりました。担当の先生は、若いお医者さんで、いかにも当番だ
から仕方がない、といった態度の人でした。面倒臭そ
うな顔のお医者さんが「ちょっとチクンとするよ」と棒読みのセリフ
を言い終わるか終わらないかの時です。「痛い!イタイ、イタイ、イタ
イ!」と、まるでおばさんのような声がしました、うちの娘の声でし
た。その声に、それまで泣き声で騒然としていた会場も、一瞬シーン。
しかも、若いお医者さんが手を離すと、娘の腕の注射をしたところに、
プクッと小さな血の跡が…。するとあろうことか娘は、ギッとお医者
さんを睨みつけて、「どうしてくれるのよ!血が出たじゃないのよ!」
と食って掛かったのです。面食らったお医者さんは「すいませんでし
た」と一言。
私はその場をどう取り繕って良いのか分からず、ただ平謝りに謝り。
早々に会場を後にしたことは言うまでもありません。
2003 01/30 23:26
Category : 日記
モータースポーツの選手にとって、ヘルメットは必需品である。
キッズやジュニアカーターの多くは、有名なドライバーのレプリカをかぶっていることが多いのだが、我家ではいつもオリジナルで彩色したものを使用してきた。
始めは、簡単なラインを入れただけのシンプルなものを使用していた。それこそ、他の子のメットと見分けがつけば良いと思ったからだ。
しかし、「レースに出よう!」ということになってから、デザインや色などに凝るようになってきた。それは、ドライバーにとってヘルメットは「顔」と同じものだからだ。
同じレースにエントリをしている他のチームの選手の、顔は知らなくても、レーシングスーツやヘルメットは知っている、ということも良くある。
ヘルメットの塗装は、主人の担当だ。主人は、子供のころ趣味で、プラモデルに色を塗っていた、その要領で仕上げていく。
始めは、缶のスプレーなどを使っていたのが、デザインに凝り始めてから、道具にも凝り始めるようになってしまった。
ヘルメットは、使っているうちにあちこちぶつけたりして、塗装はすぐに剥げてしまうので、塗りなおすことになる。
するとそのたび、主人は子供達とデザインを相談し、色を決めて、新たなデザインで塗りなおしてきて、昨年から使い始めたデザインで5バージョン目になる。
さすがにそれだけの回数塗りなおしていると、主人の腕前もなかなかになり、始めて子供達のヘルメットを見た人は、プロに頼んで塗ってもらっているのかと思うほどになった。
子供達にしても、自分の好きなデザインや自分で選んだ色で塗ってもらったメットをかぶるのはかなり嬉しいらしく、新しいバージョンがしあがると、ひと通りカート場の知り合いに見せに歩いたりしている。
こう見ると、親が子供と一緒にデザインを決めてヘルメットを塗るなんて、なんてい話しだろう!と思われる方も多いかも知れない。
しかし、いくら道具や腕前が良くなっても、都会のマンション暮らしの我家である、専用の塗装ブースが用意できるわけではなく、主人は、フローリングの居間の片隅に新聞を敷いて塗装をしているのだ。
つまり、作業が始まると、我家の居間はいきなり、ペンキ屋さんの倉庫のような匂いが充満して、フローリングにも所々にペンキが飛ぶのだ。
居間の食卓の上で、つぎのメットのデザインの相談をしている、主人と子供達を見ながら、「1日でも早く、子供達にスポンサーが付くようになって、ヘルメットだけはプロに塗ってもらえる身分になりたいなぁ〜」と、心から願う私だった。
キッズやジュニアカーターの多くは、有名なドライバーのレプリカをかぶっていることが多いのだが、我家ではいつもオリジナルで彩色したものを使用してきた。
始めは、簡単なラインを入れただけのシンプルなものを使用していた。それこそ、他の子のメットと見分けがつけば良いと思ったからだ。
しかし、「レースに出よう!」ということになってから、デザインや色などに凝るようになってきた。それは、ドライバーにとってヘルメットは「顔」と同じものだからだ。
同じレースにエントリをしている他のチームの選手の、顔は知らなくても、レーシングスーツやヘルメットは知っている、ということも良くある。
ヘルメットの塗装は、主人の担当だ。主人は、子供のころ趣味で、プラモデルに色を塗っていた、その要領で仕上げていく。
始めは、缶のスプレーなどを使っていたのが、デザインに凝り始めてから、道具にも凝り始めるようになってしまった。
ヘルメットは、使っているうちにあちこちぶつけたりして、塗装はすぐに剥げてしまうので、塗りなおすことになる。
するとそのたび、主人は子供達とデザインを相談し、色を決めて、新たなデザインで塗りなおしてきて、昨年から使い始めたデザインで5バージョン目になる。
さすがにそれだけの回数塗りなおしていると、主人の腕前もなかなかになり、始めて子供達のヘルメットを見た人は、プロに頼んで塗ってもらっているのかと思うほどになった。
子供達にしても、自分の好きなデザインや自分で選んだ色で塗ってもらったメットをかぶるのはかなり嬉しいらしく、新しいバージョンがしあがると、ひと通りカート場の知り合いに見せに歩いたりしている。
こう見ると、親が子供と一緒にデザインを決めてヘルメットを塗るなんて、なんてい話しだろう!と思われる方も多いかも知れない。
しかし、いくら道具や腕前が良くなっても、都会のマンション暮らしの我家である、専用の塗装ブースが用意できるわけではなく、主人は、フローリングの居間の片隅に新聞を敷いて塗装をしているのだ。
つまり、作業が始まると、我家の居間はいきなり、ペンキ屋さんの倉庫のような匂いが充満して、フローリングにも所々にペンキが飛ぶのだ。
居間の食卓の上で、つぎのメットのデザインの相談をしている、主人と子供達を見ながら、「1日でも早く、子供達にスポンサーが付くようになって、ヘルメットだけはプロに塗ってもらえる身分になりたいなぁ〜」と、心から願う私だった。
2003 01/29 22:40
Category : 日記
今、私は「スポーツライター新人賞」http://www.s-move.jp/writer/index.htmlに応募している。
このサイトでは、スポーツについて書きたい!という意思を持っている人達に、活躍の場を与えるための門戸を開いてくれている
新人賞に応募すると、ルーキーリーグ・マイナー1A・マイナー2A・マイナー3Aという4段階に評価され寸評をしてもらえる。作品の出来によっては、昇格してもらえ、3Aからメジャーに昇格すると、デビューすることが出来るのだ。
ココでの寸評は、時にはかなり手厳しいのだが、その分私の文章に対しての評価が、きちんと把握できる気がするのだ
はっきりってしまえば、私はスポーツライターを目指している訳ではないのだが、今まで書いてきた、レーシングカート参戦記を、もっと充実させたものしていきたい!と思ったのだ。
取り敢えず、今まで書いて来たものから、レースのレポート数点を応募してみた、すると。「この調子で原稿を書いて、送って下さい。家族でレースに臨んでいる姿、カート・レースの現場がぼんやり浮かんできます。正直、まだあと一歩ピンと来ない、書く回数を重ねることでそこは変わってくる気がします。」との寸評を頂いた。
その寸評に、なにかすごく、勇気とやる気をもらったような気がした
そして2回目、最近の練習に行った時のエッセイを応募してみた。すると…。
なんと、1A昇格!やった〜〜!!
「小林さんの原稿は、家族のことを書く内輪の話のようで実は、この新人賞に応募している大半の人たちの原稿にないシャープさを持っています。余計なことを書かず、いきなり本題に入る。それじゃわからんよ、と言われそうだけど、読んでいるとわかっちゃう。そこは大事にして欲しいし、他の応募者のヒントにもなるでしょう。ところが、その小林さんが第三者的なことを書くとこれが崩れてしまう。そこがまた面白いですね。家族のことは主観的なようでいて案外客観的に書いている(安易な感情描写は別として)。他人のことは、客観的なようでいて実に主観的に書いている。これ、指摘している意味、わかりますか? 文章を読み直して検証して見て下さい。」との寸評をもらった
この、「他人のこと」というのは、先日の「ジュニアカーターの課題」について書いた文章のことを言っているのだと思う。
やはり、私はカートの専門家ではなく、ただのモータースポーツ好きのサポーターに過ぎないのだ。でも、きっとそれでいいのだと思う。
私は、私が見た通り、感じた通りを素直に、私なりのやり方で表現して伝えていくことが一番なのだと思った。
これからも、私サイズで頑張って行こう!
それが私にとって、一番の道なんだろうと思う
このサイトでは、スポーツについて書きたい!という意思を持っている人達に、活躍の場を与えるための門戸を開いてくれている
新人賞に応募すると、ルーキーリーグ・マイナー1A・マイナー2A・マイナー3Aという4段階に評価され寸評をしてもらえる。作品の出来によっては、昇格してもらえ、3Aからメジャーに昇格すると、デビューすることが出来るのだ。
ココでの寸評は、時にはかなり手厳しいのだが、その分私の文章に対しての評価が、きちんと把握できる気がするのだ
はっきりってしまえば、私はスポーツライターを目指している訳ではないのだが、今まで書いてきた、レーシングカート参戦記を、もっと充実させたものしていきたい!と思ったのだ。
取り敢えず、今まで書いて来たものから、レースのレポート数点を応募してみた、すると。「この調子で原稿を書いて、送って下さい。家族でレースに臨んでいる姿、カート・レースの現場がぼんやり浮かんできます。正直、まだあと一歩ピンと来ない、書く回数を重ねることでそこは変わってくる気がします。」との寸評を頂いた。
その寸評に、なにかすごく、勇気とやる気をもらったような気がした
そして2回目、最近の練習に行った時のエッセイを応募してみた。すると…。
なんと、1A昇格!やった〜〜!!
「小林さんの原稿は、家族のことを書く内輪の話のようで実は、この新人賞に応募している大半の人たちの原稿にないシャープさを持っています。余計なことを書かず、いきなり本題に入る。それじゃわからんよ、と言われそうだけど、読んでいるとわかっちゃう。そこは大事にして欲しいし、他の応募者のヒントにもなるでしょう。ところが、その小林さんが第三者的なことを書くとこれが崩れてしまう。そこがまた面白いですね。家族のことは主観的なようでいて案外客観的に書いている(安易な感情描写は別として)。他人のことは、客観的なようでいて実に主観的に書いている。これ、指摘している意味、わかりますか? 文章を読み直して検証して見て下さい。」との寸評をもらった
この、「他人のこと」というのは、先日の「ジュニアカーターの課題」について書いた文章のことを言っているのだと思う。
やはり、私はカートの専門家ではなく、ただのモータースポーツ好きのサポーターに過ぎないのだ。でも、きっとそれでいいのだと思う。
私は、私が見た通り、感じた通りを素直に、私なりのやり方で表現して伝えていくことが一番なのだと思った。
これからも、私サイズで頑張って行こう!
それが私にとって、一番の道なんだろうと思う
2003 01/27 22:48
Category : 日記
この前隣りのPITにいたお兄ちゃんの話し。
見たところ高校生のようだった彼、なにやら学校帰りにドラマの撮影現場を通りかかったのだという
「ゴマキに会ったよ〜〜。すっげ〜可愛かった♪」「そっか〜、おれも会いたかったなぁ〜」とショップのおじちゃん
「それからさ、TOKIOの長瀬もいたよ、すげ〜でかかった!」「どうだ?ケンカしたら勝てそうだったか?」とまたおじちゃんが聞いた。
すると、高校生のおにいちゃんはちょっと考えて「ありゃ無理だな!すげ〜でかかったもん」
「そっか〜」相槌を打つおじちゃん
「でもさ、カートに乗ったら、絶対俺の方が早いぜ!」そう言うと、メットをかぶったおにいちゃんはニヤッと笑って親指を立てておじちゃんに見せた。
ショップのおじちゃんも、同じように親指を立てて応えながら「そうだな、その勢いでがんばって来い!」そういって、おにちゃんのカートを押しながらPITに向かって行った。
そうなんだ、「これなら誰にも負けない!」って、そう思えることが一つでもあること。それってすごく大切だって思うんだ。
家の子達もそうらしい。
娘に言わせると、「普段は、”ボケボケの私”なんだけど、カートに乗ると”カッコイイ私”になれるんだよ」
私はこれを頑張っているんだ!って誰にでも胸を張って言える事。それを持っているんだから、きっとこれからも頑張って行かれるよ!
コースインしていく娘のカートを見送りながら、私はそう思った。
見たところ高校生のようだった彼、なにやら学校帰りにドラマの撮影現場を通りかかったのだという
「ゴマキに会ったよ〜〜。すっげ〜可愛かった♪」「そっか〜、おれも会いたかったなぁ〜」とショップのおじちゃん
「それからさ、TOKIOの長瀬もいたよ、すげ〜でかかった!」「どうだ?ケンカしたら勝てそうだったか?」とまたおじちゃんが聞いた。
すると、高校生のおにいちゃんはちょっと考えて「ありゃ無理だな!すげ〜でかかったもん」
「そっか〜」相槌を打つおじちゃん
「でもさ、カートに乗ったら、絶対俺の方が早いぜ!」そう言うと、メットをかぶったおにいちゃんはニヤッと笑って親指を立てておじちゃんに見せた。
ショップのおじちゃんも、同じように親指を立てて応えながら「そうだな、その勢いでがんばって来い!」そういって、おにちゃんのカートを押しながらPITに向かって行った。
そうなんだ、「これなら誰にも負けない!」って、そう思えることが一つでもあること。それってすごく大切だって思うんだ。
家の子達もそうらしい。
娘に言わせると、「普段は、”ボケボケの私”なんだけど、カートに乗ると”カッコイイ私”になれるんだよ」
私はこれを頑張っているんだ!って誰にでも胸を張って言える事。それを持っているんだから、きっとこれからも頑張って行かれるよ!
コースインしていく娘のカートを見送りながら、私はそう思った。
2003 01/27 21:19
Category : 日記
「パーツクリーナーは、何でもクリーナー」
カートのブレーキディスクの掃除などに使う、パーツクリーナー(別名ブレーキクリーナーととも言う)いうスプレーがある。これは、とても揮発性の高いアルコールで、オイルの混ざった頑固な汚れもビックリするほど良く落ちる。
ジュニアカーターの御父さん達は、子供がカートを始めるまで、カートとは無縁の仕事をして来た人が多いせいか、どのお父さんも、このパーツクリーナーの洗浄力のとりこになってしまう人が多い。
最近は、このパーツクリーナーを安売りしていることが多く、スプレー缶もお徳用の、長さ30cmはあろうか?という大きな物が出ているので、ジャバジャバ使ってもお徳だという感じもいいのかもしれない。
そして、なぜかそのお父さん達が、油汚れはなんでもこのパーツクリーナーで掃除したがるようになるのだ。
この前も、隣りのPITのお父さんがメガネクリーナーの変わりに使っていたのを見かけた。
友達の家では、年末の大掃除の時に、台所の油汚れをだんなさんがパーツクリーナーで一気に片づけたとか…。
カート場では、時々子供達がこの缶を持ってうろうろしている時がある。カート場は、山の中などにあることが多く、街中では見たことも無いような、大きなムカデが出て来たりする。すると、子供達は、それぞれのPITからパーツクリーナーの缶を持ってきて、殺虫剤変わりにシューシュー虫に向かってかけていたりする…。
かくいう我家でも…。
先日、私が夕飯の支度をしていて、台所の床に油をこぼしてしまったのだ。すぐに拭けば良かったのだが、端の方だったので、後で拭こうと先に用事を済ませていると、なにやら台所で音がする。
「なにやってるの?」と私が台所に一歩足を踏み入れた途端、スッテーン!と私は滑って転んでしまった。
なんと、私がこぼした油を、だんなが拭きとってくれたのだというのだが、その際にご丁寧にパーツクリーナーで拭いたのだ。
ビニタイルの床にこぼれた、植物性のサラダ油を、なんと鉱物性のパーツクリーナーのスプレーを使って、満遍なく広範囲に広げてくれた結果になっていたのだ。
「なんか変だな?」と首をひねっているだんなの目の前で、私が滑って転んだのである。
「カートのオイルじゃないんだから!そんなのダメに決まっているでしょう!」と憤慨する私を尻目に、だんなは今度は、カート用の洗剤で床を拭こうとしていた。
パーツクリーナーは、万能クリーナーではないのだということを、早く悟ってもらいたいと思う私であった。
カートのブレーキディスクの掃除などに使う、パーツクリーナー(別名ブレーキクリーナーととも言う)いうスプレーがある。これは、とても揮発性の高いアルコールで、オイルの混ざった頑固な汚れもビックリするほど良く落ちる。
ジュニアカーターの御父さん達は、子供がカートを始めるまで、カートとは無縁の仕事をして来た人が多いせいか、どのお父さんも、このパーツクリーナーの洗浄力のとりこになってしまう人が多い。
最近は、このパーツクリーナーを安売りしていることが多く、スプレー缶もお徳用の、長さ30cmはあろうか?という大きな物が出ているので、ジャバジャバ使ってもお徳だという感じもいいのかもしれない。
そして、なぜかそのお父さん達が、油汚れはなんでもこのパーツクリーナーで掃除したがるようになるのだ。
この前も、隣りのPITのお父さんがメガネクリーナーの変わりに使っていたのを見かけた。
友達の家では、年末の大掃除の時に、台所の油汚れをだんなさんがパーツクリーナーで一気に片づけたとか…。
カート場では、時々子供達がこの缶を持ってうろうろしている時がある。カート場は、山の中などにあることが多く、街中では見たことも無いような、大きなムカデが出て来たりする。すると、子供達は、それぞれのPITからパーツクリーナーの缶を持ってきて、殺虫剤変わりにシューシュー虫に向かってかけていたりする…。
かくいう我家でも…。
先日、私が夕飯の支度をしていて、台所の床に油をこぼしてしまったのだ。すぐに拭けば良かったのだが、端の方だったので、後で拭こうと先に用事を済ませていると、なにやら台所で音がする。
「なにやってるの?」と私が台所に一歩足を踏み入れた途端、スッテーン!と私は滑って転んでしまった。
なんと、私がこぼした油を、だんなが拭きとってくれたのだというのだが、その際にご丁寧にパーツクリーナーで拭いたのだ。
ビニタイルの床にこぼれた、植物性のサラダ油を、なんと鉱物性のパーツクリーナーのスプレーを使って、満遍なく広範囲に広げてくれた結果になっていたのだ。
「なんか変だな?」と首をひねっているだんなの目の前で、私が滑って転んだのである。
「カートのオイルじゃないんだから!そんなのダメに決まっているでしょう!」と憤慨する私を尻目に、だんなは今度は、カート用の洗剤で床を拭こうとしていた。
パーツクリーナーは、万能クリーナーではないのだということを、早く悟ってもらいたいと思う私であった。
2003 01/27 11:47
Category : 日記
私の携帯の電波のさきっぽに
あなたの心がぶら下がっている
わずかな風にも、ゆらゆらと揺れる心を持つあなたは
さぞかし不安なことだろう
でもね、心配しなくて大丈夫
私は、あなたとの約束どおり
いつでも、あなたのSOSを受け止められるように
携帯を肌身離さず持ってるからね
ちゃんと首からぶらさげて
いつでもスタンバイOKだからね!
私が、あなたの携帯の電波のさきっぽを
しっかりがっちり握りしめて
離さないように持ってるからね
あなたの心がぶら下がっている
わずかな風にも、ゆらゆらと揺れる心を持つあなたは
さぞかし不安なことだろう
でもね、心配しなくて大丈夫
私は、あなたとの約束どおり
いつでも、あなたのSOSを受け止められるように
携帯を肌身離さず持ってるからね
ちゃんと首からぶらさげて
いつでもスタンバイOKだからね!
私が、あなたの携帯の電波のさきっぽを
しっかりがっちり握りしめて
離さないように持ってるからね
2003 01/25 14:18
Category : 日記
私は、いろいろな事務の仕事に就いてきた。その中では、ワープロなどを使っての仕事も多かったので、仕事をしながら自分のスキルを上げて来て、特に困ったことも無かったので、特に資格を取る必要も無かった。
しかし、資格という公的な証明を持っていないことで、SOHOとして踏み出そうと思った時、自分のスキルをクライアントに示すための目安がなにも無いことに気がついたのだ。
そこで、取り敢えずワープロ検定の3級から取得することにした。そして、今日がその検定の日だった。
出掛ける前に持ち物の点検をしていると、鞄のの中のストップウォッチが目に留まった。
ワープロ検定では、決められた時間の中である程度の字数の文書を入力する、という試験がある。その練習の時、私はこのストップウォッチを使って、入力時間を測っていた。
ストップウォッチのメモリーのスイッチを押すと、先週のカート練習の時の娘の出したタイムが、そのまま残っていた。そう、このストップウォッチは、子供達のラップタイムを測るために使っているものだった。
寒い日も、暑い日も、このストップウォッチは、私の手の中で子供達の頑張りを、ずっと見守ってくれていた。そして先週も…。
実際のワープロ検定の最中はストップウォッチを使うことは無いのだが、娘が体調が悪い中、頑張って走ったタイムが刻まれたままのストップウォッチを、お守り替わりにポケットに入れて、私は検定会場へ向かった。
しかし、資格という公的な証明を持っていないことで、SOHOとして踏み出そうと思った時、自分のスキルをクライアントに示すための目安がなにも無いことに気がついたのだ。
そこで、取り敢えずワープロ検定の3級から取得することにした。そして、今日がその検定の日だった。
出掛ける前に持ち物の点検をしていると、鞄のの中のストップウォッチが目に留まった。
ワープロ検定では、決められた時間の中である程度の字数の文書を入力する、という試験がある。その練習の時、私はこのストップウォッチを使って、入力時間を測っていた。
ストップウォッチのメモリーのスイッチを押すと、先週のカート練習の時の娘の出したタイムが、そのまま残っていた。そう、このストップウォッチは、子供達のラップタイムを測るために使っているものだった。
寒い日も、暑い日も、このストップウォッチは、私の手の中で子供達の頑張りを、ずっと見守ってくれていた。そして先週も…。
実際のワープロ検定の最中はストップウォッチを使うことは無いのだが、娘が体調が悪い中、頑張って走ったタイムが刻まれたままのストップウォッチを、お守り替わりにポケットに入れて、私は検定会場へ向かった。
2003 01/21 23:23
Category : 日記
昨年のカート界の大きな話題は、何と言ってもジュニアと呼ばれる世代の活躍だろう
それは、日本のカートレースの最高峰の3つのクラス(FSA,FA、ICA)のうち、2クラス(FA,ICA)のチャンピオンが15〜6歳のジュニアが占めたからだ。
彼らは約10年前、「15年後の日本人F1チャンピオンを目指して!」というスローガンの元、大宮氏(�鰍qEON代表)の提唱によって始まった、4歳から乗れるキッズカート「REON」からカートを始めた。
その後彼らREON出身者は、ジュニアカート界で活躍するようになる。そして、満12歳を向かえ、大人と同じ舞台でのレースが出来るようになったのだ。
しかし、REON出身のジュニアカーターが、必ずしも彼らと同じように、大人のレースで活躍できるわけではないのが現状だ。
それでは、なぜカートの操縦テクニックも、レース経験も、一般のカーターよりも上回っているはずのジュニアカーターが、初心者のレースで勝つことが出来ないのだろうか?
先日、カートティングテクニックのDVDの解説を担当し、自らも全日本ドライバーであった、山田氏はこう語った。
「ジュニアカーターは、その体格の小ささや、体力のなさから、パワーのあるカートを押さえつけてドライビングするということが難しいのです。また、いわば『ドライビングの英才教育』を受けてきてしまっている、ジュニアは、走り自体がきれいにまとまり過ぎている。つまり、レース自体も、あまり荒れることも少なく、みな整然とレースが行なわれることが多い。しかし、大人のレースはもっとサバイバルな要素が絡んでくる。しかし、それにはあまりにも体力のないジュニアカーターが多すぎます。」
サッカーなどで例えて言えば、それなりに技術のあるJリーグの選手であっても、海外のチームで、その当たりの強さに負けて、自分の技術を発揮できない事があるのと同じような状態なのだ。
また、ジュニアカーターが、セオリー通りのラインどりで速く走れていも、クリアではタイムが出せるが、レースの混戦の中では、思うように走ることが出来ずに結果を残すことが出来ないのだ。
体力とライン、そのどちらも実際に一般のレースに参戦し、もまれて強くなっていくことで、徐々に実力が出せるようになるのだという。
いかに、もまれて相手の当たりにも、カートのパワーにも負けないようにするか。それが、大人の世界へ飛び立ったジュニアカーターの最初の課題になりそうだ。
それは、日本のカートレースの最高峰の3つのクラス(FSA,FA、ICA)のうち、2クラス(FA,ICA)のチャンピオンが15〜6歳のジュニアが占めたからだ。
彼らは約10年前、「15年後の日本人F1チャンピオンを目指して!」というスローガンの元、大宮氏(�鰍qEON代表)の提唱によって始まった、4歳から乗れるキッズカート「REON」からカートを始めた。
その後彼らREON出身者は、ジュニアカート界で活躍するようになる。そして、満12歳を向かえ、大人と同じ舞台でのレースが出来るようになったのだ。
しかし、REON出身のジュニアカーターが、必ずしも彼らと同じように、大人のレースで活躍できるわけではないのが現状だ。
それでは、なぜカートの操縦テクニックも、レース経験も、一般のカーターよりも上回っているはずのジュニアカーターが、初心者のレースで勝つことが出来ないのだろうか?
先日、カートティングテクニックのDVDの解説を担当し、自らも全日本ドライバーであった、山田氏はこう語った。
「ジュニアカーターは、その体格の小ささや、体力のなさから、パワーのあるカートを押さえつけてドライビングするということが難しいのです。また、いわば『ドライビングの英才教育』を受けてきてしまっている、ジュニアは、走り自体がきれいにまとまり過ぎている。つまり、レース自体も、あまり荒れることも少なく、みな整然とレースが行なわれることが多い。しかし、大人のレースはもっとサバイバルな要素が絡んでくる。しかし、それにはあまりにも体力のないジュニアカーターが多すぎます。」
サッカーなどで例えて言えば、それなりに技術のあるJリーグの選手であっても、海外のチームで、その当たりの強さに負けて、自分の技術を発揮できない事があるのと同じような状態なのだ。
また、ジュニアカーターが、セオリー通りのラインどりで速く走れていも、クリアではタイムが出せるが、レースの混戦の中では、思うように走ることが出来ずに結果を残すことが出来ないのだ。
体力とライン、そのどちらも実際に一般のレースに参戦し、もまれて強くなっていくことで、徐々に実力が出せるようになるのだという。
いかに、もまれて相手の当たりにも、カートのパワーにも負けないようにするか。それが、大人の世界へ飛び立ったジュニアカーターの最初の課題になりそうだ。
2003 01/21 22:29
Category : 日記
今年から、本腰をいれてライターとして取り組もうと思い、いろいろライターとしての仕事を探している
しかし、そうそう簡単に仕事が見つかるわけはない
先ず、私自身が、自分の書く文章にどれだけの価値があるのか?ということが客観的に分かっていないのだ
逆を言えば、私の文章の欠点も見えていないことになる
ライター講座などで講評はもらってはいるが、イマイチ、自分のなかではピンと来るものがない。
どれだけの人に受け入れてもらえるのか?それどころか、自分の視点のピントが合っているのかどうかさえ、今は自信がない
しかし、だからといって何もしない、書けないとは言っていられない
そこで私は、感想や寸評がもらえそうなサイトに片っ端から投稿することにした
そんなことをしていても、すぐには仕事がもらえるわけではないし、かえって手厳しい評価を受けることになるかも知れない
しかし、勉強中と言っていられる今だからこそ、このチャレンジは必要なことだと思う
あるサイトで、少しだけ手応えのある評価をもらい、「この調子で書いて欲しい」と言ってもらえた
今は先が見えなくても、今自分が出きることを精一杯していくことで、少しづつ手探りでも進んでいきたい
しかし、そうそう簡単に仕事が見つかるわけはない
先ず、私自身が、自分の書く文章にどれだけの価値があるのか?ということが客観的に分かっていないのだ
逆を言えば、私の文章の欠点も見えていないことになる
ライター講座などで講評はもらってはいるが、イマイチ、自分のなかではピンと来るものがない。
どれだけの人に受け入れてもらえるのか?それどころか、自分の視点のピントが合っているのかどうかさえ、今は自信がない
しかし、だからといって何もしない、書けないとは言っていられない
そこで私は、感想や寸評がもらえそうなサイトに片っ端から投稿することにした
そんなことをしていても、すぐには仕事がもらえるわけではないし、かえって手厳しい評価を受けることになるかも知れない
しかし、勉強中と言っていられる今だからこそ、このチャレンジは必要なことだと思う
あるサイトで、少しだけ手応えのある評価をもらい、「この調子で書いて欲しい」と言ってもらえた
今は先が見えなくても、今自分が出きることを精一杯していくことで、少しづつ手探りでも進んでいきたい
2003 01/21 16:33
Category : 日記
今日は、新東京サーキットで練習。午後から雨が降るという予報にせかさせるようにして、急いで練習を始めた
普段よりも台数も少なく、これなら思いっきり練習できるかな?と思っていた矢先にトラブルが起きた!
サーキットでのトラブルは、大概「サーキットでの基本的なマナーとルール」が守られていないことが原因で起こる。
今回の我家場合もそうだった。
サーキットでの練習走行には、それぞれのレベルに応じて、走ってもいい時間が決められているのだ。
新東京サーキットの場合は、12歳以上でそれなりに走行経験のある人は「一般走行時間」。
始めてカートに乗ったり、そのクラスのエンジンでは始めて走る場合や、12歳未満の人の場合は、お昼休みに当たる11時半から1時までの、初心者&レンタルカート走行時間に走るようになっているのだ
しかし、家の隣りのPITに陣取っていたAというチームの人達が、殆どカートに乗った事がないだろうと思われる人達を何台も、その一般走行の時間に走らせて来たのだ。
コース上には、ラインといって、コースを速く走るために通る道筋のようなものがある。つまり、大概のカートは、いくらコース幅が広くてもそのラインを通って走りぬけようとするのだ。
それなりにカートに乗ったことがある人なら、そのラインが何処なのかということを知っているので、エンジンが慣らしだったり、何らかのトラブルで他のカートと同じように走れない場合は、そのラインを避けて走るのが基本なのだ
しかし、そのチームAのカートは、まるで歩いているような速度で走っているにも係わらず、そのラインを横切るようにして走っているのだ。
つまり、何処を走ったらいいのか分かっていないのだ。普通は、経験のあるショップの人達がそのことは指導するはずなのだが、一向に注意する様子もなくそのまま走らせているので、危なくて仕方がない。
そのうち、交替しようとそこのカートがPITロードに入ってきた。普通は一度エンジンを停止してから交替するのだが、エンジンもかけっぱなし。しかも、カートからの降り方も教えていないらしく、アクセルに足をかけたまま降りようとして、いきなりカートが動き出して、危なく私は轢かれるところだった(怒)
PITの使い方にも、きちんとしたルールがある。先ずPITロードは徐行が原則である。F1などでは、スピードガンで速度を測っていて、ペナルティを課せられてしまうほどである。
そして、PITロードにカートを置きっぱなしにしないこと、やたらとPITロードに人が沢山立たないこと。これは、練習中は、いつPITにカートが入ってくるか分からず危険なので、PITロードには必要最小限のカートと人しか入ってはいけないのだ。そして、PITから出る時には、コースからPITロードに入ってくるカートが来ていないことを、後方を見て確認してコース側の手を上げて入り、徐々に流れに合流すること。どれも、どうしたら安全に練習できるか?と少し考えたらすぐに分かることなのだが…。となりのチームは、何一つ守れていなかった。
そのうち、自分たちのPITの前に、バカ騒ぎする人だかりが陣取っているために、カートがPITに仕舞えず、なんとうちのPITの前にまでカートを置き去りにするようになり、挙句の果てには、断りもなくうちのPITを通ってカートをPITロードに出し入れし始め、その際に使った道具も私達のPITに置きっぱなしにするなど、常識では考えられないことばかりを平然とやってきた。
始めからルールやマナーを知っている人はいないと思うので、同行しているチームの人なり、経験者がそれを注意すべきなのだが、それも一切なされていなかった。
その初心者の人達にしたら、「カート」をしに遊びに来ただけなのかも知れない。しかし、少なくとも他の人達は真剣に練習をしに来ているのだ。そして、それになりにスピードがでて、危険を伴う乗り物だけに、細心の注意を払って練習に臨んでいるのだということが、まるで理解できていないのだ。
カート場は、カートに乗る者にとっては、「公道」なのだ。一般道であれば当然守られるであろうルールは、カート場でも守られるべきものなのだ。あくまでも「カートは遊び」という発想から抜けていないのだと思う。真剣にカートに取り組んでいる者からすれば、「お遊びのカートは、遊園地でどうぞ!」と思ってしまう。
夕方になり、片づけを始めた。カートは2サイクルというガソリンにオイルを混ぜたものを使っているので、どうしても排気にオイルが混じり、そのオイルがカートにこびりつくので、残ったガソリンで洗って掃除する。その際には、ガソリンがこぼれるとアスファルトが溶けてしまうので、出来るだけPITの床などにはこぼさないようにすること、勿論そのガソリンも決められた廃油置き場に捨てること、が原則である。しかし、我家が片づけ終わって帰ろうとした時、信じられない光景を目にしてしまった。
なんと、隣りのチームAの女性人が、自分たちのカートを掃除した時に使った道具を、今まで私達が使っていたPITの床に向かって振って、道具に残ったガソリンを飛ばしていたのだ!さすがに悪いと思ったのか?もう一人の女性が「そんなことしていいの?」とその人に尋ねていたが、その「犯人」の女性は、平然とした顔をして。
「いいの、いいの、家のPITじゃないんだから」(はぁ〜〜?(激怒)
なぜいけないことだと分かっているのにそんなことをするのか?自分のところじゃなければやってもかまわないと思ってしまうのか?もうココまでくると、理解不能である。
「犯人」の女性が抱えていた赤ちゃんが、きちんとした大人に育ってくれることを、奇跡に近い確率で願いたいと思ってしまった。
普段よりも台数も少なく、これなら思いっきり練習できるかな?と思っていた矢先にトラブルが起きた!
サーキットでのトラブルは、大概「サーキットでの基本的なマナーとルール」が守られていないことが原因で起こる。
今回の我家場合もそうだった。
サーキットでの練習走行には、それぞれのレベルに応じて、走ってもいい時間が決められているのだ。
新東京サーキットの場合は、12歳以上でそれなりに走行経験のある人は「一般走行時間」。
始めてカートに乗ったり、そのクラスのエンジンでは始めて走る場合や、12歳未満の人の場合は、お昼休みに当たる11時半から1時までの、初心者&レンタルカート走行時間に走るようになっているのだ
しかし、家の隣りのPITに陣取っていたAというチームの人達が、殆どカートに乗った事がないだろうと思われる人達を何台も、その一般走行の時間に走らせて来たのだ。
コース上には、ラインといって、コースを速く走るために通る道筋のようなものがある。つまり、大概のカートは、いくらコース幅が広くてもそのラインを通って走りぬけようとするのだ。
それなりにカートに乗ったことがある人なら、そのラインが何処なのかということを知っているので、エンジンが慣らしだったり、何らかのトラブルで他のカートと同じように走れない場合は、そのラインを避けて走るのが基本なのだ
しかし、そのチームAのカートは、まるで歩いているような速度で走っているにも係わらず、そのラインを横切るようにして走っているのだ。
つまり、何処を走ったらいいのか分かっていないのだ。普通は、経験のあるショップの人達がそのことは指導するはずなのだが、一向に注意する様子もなくそのまま走らせているので、危なくて仕方がない。
そのうち、交替しようとそこのカートがPITロードに入ってきた。普通は一度エンジンを停止してから交替するのだが、エンジンもかけっぱなし。しかも、カートからの降り方も教えていないらしく、アクセルに足をかけたまま降りようとして、いきなりカートが動き出して、危なく私は轢かれるところだった(怒)
PITの使い方にも、きちんとしたルールがある。先ずPITロードは徐行が原則である。F1などでは、スピードガンで速度を測っていて、ペナルティを課せられてしまうほどである。
そして、PITロードにカートを置きっぱなしにしないこと、やたらとPITロードに人が沢山立たないこと。これは、練習中は、いつPITにカートが入ってくるか分からず危険なので、PITロードには必要最小限のカートと人しか入ってはいけないのだ。そして、PITから出る時には、コースからPITロードに入ってくるカートが来ていないことを、後方を見て確認してコース側の手を上げて入り、徐々に流れに合流すること。どれも、どうしたら安全に練習できるか?と少し考えたらすぐに分かることなのだが…。となりのチームは、何一つ守れていなかった。
そのうち、自分たちのPITの前に、バカ騒ぎする人だかりが陣取っているために、カートがPITに仕舞えず、なんとうちのPITの前にまでカートを置き去りにするようになり、挙句の果てには、断りもなくうちのPITを通ってカートをPITロードに出し入れし始め、その際に使った道具も私達のPITに置きっぱなしにするなど、常識では考えられないことばかりを平然とやってきた。
始めからルールやマナーを知っている人はいないと思うので、同行しているチームの人なり、経験者がそれを注意すべきなのだが、それも一切なされていなかった。
その初心者の人達にしたら、「カート」をしに遊びに来ただけなのかも知れない。しかし、少なくとも他の人達は真剣に練習をしに来ているのだ。そして、それになりにスピードがでて、危険を伴う乗り物だけに、細心の注意を払って練習に臨んでいるのだということが、まるで理解できていないのだ。
カート場は、カートに乗る者にとっては、「公道」なのだ。一般道であれば当然守られるであろうルールは、カート場でも守られるべきものなのだ。あくまでも「カートは遊び」という発想から抜けていないのだと思う。真剣にカートに取り組んでいる者からすれば、「お遊びのカートは、遊園地でどうぞ!」と思ってしまう。
夕方になり、片づけを始めた。カートは2サイクルというガソリンにオイルを混ぜたものを使っているので、どうしても排気にオイルが混じり、そのオイルがカートにこびりつくので、残ったガソリンで洗って掃除する。その際には、ガソリンがこぼれるとアスファルトが溶けてしまうので、出来るだけPITの床などにはこぼさないようにすること、勿論そのガソリンも決められた廃油置き場に捨てること、が原則である。しかし、我家が片づけ終わって帰ろうとした時、信じられない光景を目にしてしまった。
なんと、隣りのチームAの女性人が、自分たちのカートを掃除した時に使った道具を、今まで私達が使っていたPITの床に向かって振って、道具に残ったガソリンを飛ばしていたのだ!さすがに悪いと思ったのか?もう一人の女性が「そんなことしていいの?」とその人に尋ねていたが、その「犯人」の女性は、平然とした顔をして。
「いいの、いいの、家のPITじゃないんだから」(はぁ〜〜?(激怒)
なぜいけないことだと分かっているのにそんなことをするのか?自分のところじゃなければやってもかまわないと思ってしまうのか?もうココまでくると、理解不能である。
「犯人」の女性が抱えていた赤ちゃんが、きちんとした大人に育ってくれることを、奇跡に近い確率で願いたいと思ってしまった。
2003 01/18 01:12
Category : 日記
♪ピポピポ〜ン♪
「業務連絡です」(謎爆)
ご訪問頂きました方々、いつもありがとうございます。
1/18は、また早朝から千葉の新東京サーキットに練習に行って来ます。
そのため、日記更新&レスが遅くなりますことをお詫び申し上げます!
なんか、明日は今日と違ってまた寒くなるとか?
{{(T−T)}}ブルブル・・・さむっっ
風邪引かない様に、頑張って来ますね!ではでは
「業務連絡です」(謎爆)
ご訪問頂きました方々、いつもありがとうございます。
1/18は、また早朝から千葉の新東京サーキットに練習に行って来ます。
そのため、日記更新&レスが遅くなりますことをお詫び申し上げます!
なんか、明日は今日と違ってまた寒くなるとか?
{{(T−T)}}ブルブル・・・さむっっ
風邪引かない様に、頑張って来ますね!ではでは
2003 01/17 12:24
Category : 日記
あるサイトで投稿した私のエッセイを読んだ人が、私にこう問い掛けてきた
「この文章で伝えたいことはなんですか?」
情景を感じてもらって、少しでもホッとしてもらったり、クスッと笑ってもらえたり、共感してもらえたり…
私は、そんなことばかりを考えてエッセイを書いて来たようだと、その言葉を聞いて実感した
「何を伝えたいのか?」と問われたことは、私が伝えたいと思う意図が明確には伝わっていない、ということになる
というより、私自身が、そのことをもっと意識して書くべきだったのだ!という事に気がついたのだ
「伝えたい!」ということがあってはじめて文章は成り立つ
そんな基本的なことをないがしろにして、もっと小手先の技術ばかりを習得しようとしていたようで、とても恥ずかしかった
ライターとしての存在意義、それはやはり
「伝えたいことを、明確に相手に伝えることが出来る」それが絶対条件だと思う
もう一度、ライターとして何を伝えたいのか?何を伝えていくべきなのか?
考え直さなければと思う
こんなことで、本当にライターなんて勤まるのかな?
「この文章で伝えたいことはなんですか?」
情景を感じてもらって、少しでもホッとしてもらったり、クスッと笑ってもらえたり、共感してもらえたり…
私は、そんなことばかりを考えてエッセイを書いて来たようだと、その言葉を聞いて実感した
「何を伝えたいのか?」と問われたことは、私が伝えたいと思う意図が明確には伝わっていない、ということになる
というより、私自身が、そのことをもっと意識して書くべきだったのだ!という事に気がついたのだ
「伝えたい!」ということがあってはじめて文章は成り立つ
そんな基本的なことをないがしろにして、もっと小手先の技術ばかりを習得しようとしていたようで、とても恥ずかしかった
ライターとしての存在意義、それはやはり
「伝えたいことを、明確に相手に伝えることが出来る」それが絶対条件だと思う
もう一度、ライターとして何を伝えたいのか?何を伝えていくべきなのか?
考え直さなければと思う
こんなことで、本当にライターなんて勤まるのかな?
2003 01/16 17:40
Category : 日記
昨年の11月に某童話賞に応募した作品です。
先日、見事落選の通知がきましたが(_ _。)・・・シュン
ま、始めからそんなに甘くないだろうとは思っていましたが…。
良かったら掲示板に感想等お聞かせ下さいね
「あいちゃんのゆびわ」
ある日あいちゃんは、おにわの花だんにチューリップのきゅうこんをうえていました。土をかぶせて、ジョーロで水をまいた時のことです。花だんのよこのくさむらで何か光るものがあるのを見つけました。
「何だろう?」と思ってひろって見ると、それは小さなゆびわでした。金色をしたそれは、かたがわのはばが少し広くなっていて、きれいに光る赤い石が3こついていました。よく見ると、石のまわりにもきれいなかざりがついている、とってもすてきなものでした。「お母さんがおとしたのかな?」そう思ったあいちゃんは、お母さんに聞いてみましたが、それはお母さんのものではありませんでした。
あいちゃんは、ゆびわを自分のたからものにすることにして、小さなほうせきばこに入れてカギをかけて、つくえの引き出しにしまいました。ところがその日の夜から、あいちゃんのへやではふしぎなことがおこるようになったのです。
つぎの日の朝、あいちゃんがおきてみると。ちゃんと引き出しにしまったはずのほうせきばこが、つくえの上に出ていたのです。かぞくのだれもそんなことは知らないと言うのです。(たしかにしまったはずなんだけど? かんちがいだったのかな?)そう思いながら、ほうせきばこを引き出しにしまってから、学校に行きました。
ところが、学校から帰って来ると、またほうせきばこがつくえの上に出ていました。そしてつぎの朝も…。じつはさいきんあいちゃんの家では、だれもいないはずの屋ねうらべやからもの音がしたり、どこかから話しごえのような音が聞こえたり、いろいろあやしいことがおこっていたのです。あいちゃんは、だんだんこわくなってきました。(ゆうれいのしわざだったらどうしよう…)
あいちゃんは、学校で親友のまきちゃんにそうだんしてみることにしました。
「もしかしたら、大ドロボウがそのゆびわをねらっているのかも?」とまきちゃんは言いました。
「えー、大ドロボウ?」
「だとしたら、つかまえたらおおてがらじゃない!」まきちゃんはさいきん、めいたんていホームズにはまっているのです。
「じけんをかいけつするには、まずげんばをよくかんさつするひつようがあるわね。今日あいちゃんのへやで、どうやってつかまえるか、さくせんを立てようよ」とまきちゃんが言いました。
その日の午後、あいちゃんのうちに来たまきちゃんは、さっそくゆびわを見ながら
「本当にきれいね! 大ドロボウにねらわれてもしかたがないわね。」といいました。そして、グルッとへやを見まわしてから、
「それで、このほうせきばこにいれて、つくえの一番上の引き出しにしまったのよね? かんちがいじゃないよね?」と言いました。
「だって、おとといの夜ときのう学校から帰って来た時、それと今朝の3回もかんちがいすると思う?」
「だとしたら、きっとはんにんは、また今夜も来るわね。だからその時、ねたふりをして、つかまえたらどうかな?」とまきちゃんが言いました。
「そうだね、それがいい! さっそく今夜やってみるよ!」
あいちゃんはなんだかワクワクしてきました。
その夜、あいちゃんはつくえの引出しにほうせきばこをしまいながら、どこかにひそんでいるかもしれないドロボウに聞こえるように
「ほうせきばこもしまったし、さてとねよ〜っと」そう言ってふとんにはいりました。
そして、じっとドロボウがあらわれるのをまっていました。あいちゃんはだんだんドキドキしてきました。しんぞうも大きな音を立ててなりだしました。あいちゃんはその音がドロボウに聞こえてしまうんじゃないかと、しんぱいでしかたがありませんでした。それでもあいちゃんは、時どき目をこらして、そっとつくえの方を見てみましたが、ドロボウがあらわれるけはいはありませんでした。(今日は来ないのかな〜?)
はっと気がつくと、朝になっていました。あいちゃんはいつのまにかにねむってしまっていたのです。(あっ!)とつくえの上を見ると、やっぱりほうせきばこは出ていました。
「そっかー、ねちゃったのかぁ〜」
まきちゃんはうでを組んだまま言いました。「ごめ〜ん、今夜はがんばるから」
学校で、あいちゃんは、そう言ってまきちゃんにあやまりました。
するとまきちゃんが、
「わたしあれから考えたんだけど、もしもほんとうに大ドロボウがねらっているんだったら、あんな小さなはこなんだから、もってにげちゃえばいいはずじゃない?」
「そう言われてみればそうだよね?」とあいちゃんもうなずきました。
「だから、もしかしたらはんにんはドロボウじゃないのかも?」
「え?じゃあだれがはんにんなの?」と聞きかえしたあいちゃんのことばには答えずに、まきちゃんは話しをつづけました。
「とにかく、だれかが引出しをあけているわけだから、ココはトラップさくせんでいこう?」
「トラップ?ってなに?」
「わなのことよ。これをほうせきばこといっしょに、引き出しにいれておくのよ」
まきちゃんはとくいげにポケットから何かをとり出すと、それをギュッとにぎりしめてパッと手をひらきました。すると…。
『ピュー』。と大きな音がして、何かがとび出して来ました。
それは、バネがはいったへびの形のおもちゃでした。まきちゃんは、引き出しのなかにそれを入れておいて、開けたらそれがとび出すようにしておけばいいのだと、まためいたんていのような顔をして言いました。
「そっか〜、まきちゃん頭いいね! でもさぁ、ドロボウじゃなかったらだれがほうせきばこをねらっているんだろうね?」あいちゃんが、そのへびのおもちゃをながめながらそういうと
「だれだろう?たとえば、ゆうれいとか…?」「やっ、やっぱり、ゆうれい?」あいちゃんは、れいのあやしいもの音のことを思い出して、こわくなってきました。
「ねえねえまきちゃん、こんばんうちにとまってくれない?」とたのんでみました。
まきちゃんはすこし考えてから、
「そうだね、明日は学校休みだし、わたしもはんにんをつかまえたいし、そうしよう」と言いました。
その夜二人は、じっとはんにんがあらわれるのをまっていました。もちろん、引き出しのなかには、たからばこといっしょにへびのトラップもしかけました。
「ねぇ、まきちゃん。本当にゆうれいじゃないよね〜?」あいちゃんはずっとゆうれいのことが頭からはなれないのです。
「ゆうれいだって、きっとあのへびのトラップでにげ出すよ!」まきちゃんはじしんまんまんに答えました。
明日はまん月です。あいちゃんのへやにも、カーテンのすきまから月明かりがオーロラのようにさしこんできました。すると、何かガサガサと音がしました。つぎに、あいちゃんのつくえの上に、黒いシルエットがうかびました。それから、カタカタと引き出しがあく音がして…
『ピュー』トラップのへびの音と同時に「うわぁ〜!」という小さな声がしました。
「つかまえた!」まきちゃんがさけんでふとんからとび出しました。あわててあいちゃんも、へやのカーテンを開けました。
「なにこれ?」まきちゃんがいいました。なんと、つくえに上にいたのは、なんびきかのねずみたちでした。
ねずみたちはへびのトラップがそうとうこわかったのでしょう。みんなでひとかたまりになってふるえていました。
「あ〜、ゆうれいじゃなくってよかったぁ〜」 あいちゃんはなんだかホッとして床にペタンとすわりこみました。
「はんにんはあなたたちね!」まきちゃんが言いました。でも、ねずみたちは、まだふるえていて、うまく話しができないみたいです。
「おどかしてごめんね。でも、どうしてわたしのたからばこをとろうとしたの?」あいちゃんがそっと聞きました。
すると、いちばん体の大きなねずみが、ポツリポツリと話しはじめました。
「じつは、ほうせきばこをとろうとしたんじゃないんです。そのなかにある、おひめさまの王かんをかえしてほしかったのです」
「王かん?王かんなんてもってないよ?」とあいちゃんはほうせきばこをあけながら言いました。
するとねずみはあいちゃんがひろったゆびわをもち上げて言いました。
「これはうちのおひめさまの王かんなんです。明日の夜ここのおうちのやねうらで、おひめさまのけっこんしきがあるのですが、その時につけるためのものなんです。」
「だから、ときどきやねうらから音がしてたのね」とあいちゃんがいうと。
「これが王かんねー?」とまきちゃんがいいました。
「ええ。でも、おひめさまにとどけるとちゅうで、わたしたちがおとしてしまったんです。おねがいです! おひめさまの王かんをかえしてください、これがないとおひめさまはおよめに行かれなくなってしまうんです!」とねずみたちは二人にあたまをさげながらたのみました。二人は顔を見あわせてうなずくと、
「わかったわ。こんどはおとさないようにね!」そう言って、ねずみたちに王かんをそっとわたしました。ねずみたちは、なんどもなんどもおれいを言うと、だいじそうに王かんをかかえてかえって行きました。
それからというもの、あいちゃんの家では、ほうせきばこがつくえの上に出ていることもあやしいもの音がすることもありませんでした。
あいちゃんは今でも、まんげつを見ると、あのねずみたちは元気にしているかな?と、その夜のことを思い出すのでした。
先日、見事落選の通知がきましたが(_ _。)・・・シュン
ま、始めからそんなに甘くないだろうとは思っていましたが…。
良かったら掲示板に感想等お聞かせ下さいね
「あいちゃんのゆびわ」
ある日あいちゃんは、おにわの花だんにチューリップのきゅうこんをうえていました。土をかぶせて、ジョーロで水をまいた時のことです。花だんのよこのくさむらで何か光るものがあるのを見つけました。
「何だろう?」と思ってひろって見ると、それは小さなゆびわでした。金色をしたそれは、かたがわのはばが少し広くなっていて、きれいに光る赤い石が3こついていました。よく見ると、石のまわりにもきれいなかざりがついている、とってもすてきなものでした。「お母さんがおとしたのかな?」そう思ったあいちゃんは、お母さんに聞いてみましたが、それはお母さんのものではありませんでした。
あいちゃんは、ゆびわを自分のたからものにすることにして、小さなほうせきばこに入れてカギをかけて、つくえの引き出しにしまいました。ところがその日の夜から、あいちゃんのへやではふしぎなことがおこるようになったのです。
つぎの日の朝、あいちゃんがおきてみると。ちゃんと引き出しにしまったはずのほうせきばこが、つくえの上に出ていたのです。かぞくのだれもそんなことは知らないと言うのです。(たしかにしまったはずなんだけど? かんちがいだったのかな?)そう思いながら、ほうせきばこを引き出しにしまってから、学校に行きました。
ところが、学校から帰って来ると、またほうせきばこがつくえの上に出ていました。そしてつぎの朝も…。じつはさいきんあいちゃんの家では、だれもいないはずの屋ねうらべやからもの音がしたり、どこかから話しごえのような音が聞こえたり、いろいろあやしいことがおこっていたのです。あいちゃんは、だんだんこわくなってきました。(ゆうれいのしわざだったらどうしよう…)
あいちゃんは、学校で親友のまきちゃんにそうだんしてみることにしました。
「もしかしたら、大ドロボウがそのゆびわをねらっているのかも?」とまきちゃんは言いました。
「えー、大ドロボウ?」
「だとしたら、つかまえたらおおてがらじゃない!」まきちゃんはさいきん、めいたんていホームズにはまっているのです。
「じけんをかいけつするには、まずげんばをよくかんさつするひつようがあるわね。今日あいちゃんのへやで、どうやってつかまえるか、さくせんを立てようよ」とまきちゃんが言いました。
その日の午後、あいちゃんのうちに来たまきちゃんは、さっそくゆびわを見ながら
「本当にきれいね! 大ドロボウにねらわれてもしかたがないわね。」といいました。そして、グルッとへやを見まわしてから、
「それで、このほうせきばこにいれて、つくえの一番上の引き出しにしまったのよね? かんちがいじゃないよね?」と言いました。
「だって、おとといの夜ときのう学校から帰って来た時、それと今朝の3回もかんちがいすると思う?」
「だとしたら、きっとはんにんは、また今夜も来るわね。だからその時、ねたふりをして、つかまえたらどうかな?」とまきちゃんが言いました。
「そうだね、それがいい! さっそく今夜やってみるよ!」
あいちゃんはなんだかワクワクしてきました。
その夜、あいちゃんはつくえの引出しにほうせきばこをしまいながら、どこかにひそんでいるかもしれないドロボウに聞こえるように
「ほうせきばこもしまったし、さてとねよ〜っと」そう言ってふとんにはいりました。
そして、じっとドロボウがあらわれるのをまっていました。あいちゃんはだんだんドキドキしてきました。しんぞうも大きな音を立ててなりだしました。あいちゃんはその音がドロボウに聞こえてしまうんじゃないかと、しんぱいでしかたがありませんでした。それでもあいちゃんは、時どき目をこらして、そっとつくえの方を見てみましたが、ドロボウがあらわれるけはいはありませんでした。(今日は来ないのかな〜?)
はっと気がつくと、朝になっていました。あいちゃんはいつのまにかにねむってしまっていたのです。(あっ!)とつくえの上を見ると、やっぱりほうせきばこは出ていました。
「そっかー、ねちゃったのかぁ〜」
まきちゃんはうでを組んだまま言いました。「ごめ〜ん、今夜はがんばるから」
学校で、あいちゃんは、そう言ってまきちゃんにあやまりました。
するとまきちゃんが、
「わたしあれから考えたんだけど、もしもほんとうに大ドロボウがねらっているんだったら、あんな小さなはこなんだから、もってにげちゃえばいいはずじゃない?」
「そう言われてみればそうだよね?」とあいちゃんもうなずきました。
「だから、もしかしたらはんにんはドロボウじゃないのかも?」
「え?じゃあだれがはんにんなの?」と聞きかえしたあいちゃんのことばには答えずに、まきちゃんは話しをつづけました。
「とにかく、だれかが引出しをあけているわけだから、ココはトラップさくせんでいこう?」
「トラップ?ってなに?」
「わなのことよ。これをほうせきばこといっしょに、引き出しにいれておくのよ」
まきちゃんはとくいげにポケットから何かをとり出すと、それをギュッとにぎりしめてパッと手をひらきました。すると…。
『ピュー』。と大きな音がして、何かがとび出して来ました。
それは、バネがはいったへびの形のおもちゃでした。まきちゃんは、引き出しのなかにそれを入れておいて、開けたらそれがとび出すようにしておけばいいのだと、まためいたんていのような顔をして言いました。
「そっか〜、まきちゃん頭いいね! でもさぁ、ドロボウじゃなかったらだれがほうせきばこをねらっているんだろうね?」あいちゃんが、そのへびのおもちゃをながめながらそういうと
「だれだろう?たとえば、ゆうれいとか…?」「やっ、やっぱり、ゆうれい?」あいちゃんは、れいのあやしいもの音のことを思い出して、こわくなってきました。
「ねえねえまきちゃん、こんばんうちにとまってくれない?」とたのんでみました。
まきちゃんはすこし考えてから、
「そうだね、明日は学校休みだし、わたしもはんにんをつかまえたいし、そうしよう」と言いました。
その夜二人は、じっとはんにんがあらわれるのをまっていました。もちろん、引き出しのなかには、たからばこといっしょにへびのトラップもしかけました。
「ねぇ、まきちゃん。本当にゆうれいじゃないよね〜?」あいちゃんはずっとゆうれいのことが頭からはなれないのです。
「ゆうれいだって、きっとあのへびのトラップでにげ出すよ!」まきちゃんはじしんまんまんに答えました。
明日はまん月です。あいちゃんのへやにも、カーテンのすきまから月明かりがオーロラのようにさしこんできました。すると、何かガサガサと音がしました。つぎに、あいちゃんのつくえの上に、黒いシルエットがうかびました。それから、カタカタと引き出しがあく音がして…
『ピュー』トラップのへびの音と同時に「うわぁ〜!」という小さな声がしました。
「つかまえた!」まきちゃんがさけんでふとんからとび出しました。あわててあいちゃんも、へやのカーテンを開けました。
「なにこれ?」まきちゃんがいいました。なんと、つくえに上にいたのは、なんびきかのねずみたちでした。
ねずみたちはへびのトラップがそうとうこわかったのでしょう。みんなでひとかたまりになってふるえていました。
「あ〜、ゆうれいじゃなくってよかったぁ〜」 あいちゃんはなんだかホッとして床にペタンとすわりこみました。
「はんにんはあなたたちね!」まきちゃんが言いました。でも、ねずみたちは、まだふるえていて、うまく話しができないみたいです。
「おどかしてごめんね。でも、どうしてわたしのたからばこをとろうとしたの?」あいちゃんがそっと聞きました。
すると、いちばん体の大きなねずみが、ポツリポツリと話しはじめました。
「じつは、ほうせきばこをとろうとしたんじゃないんです。そのなかにある、おひめさまの王かんをかえしてほしかったのです」
「王かん?王かんなんてもってないよ?」とあいちゃんはほうせきばこをあけながら言いました。
するとねずみはあいちゃんがひろったゆびわをもち上げて言いました。
「これはうちのおひめさまの王かんなんです。明日の夜ここのおうちのやねうらで、おひめさまのけっこんしきがあるのですが、その時につけるためのものなんです。」
「だから、ときどきやねうらから音がしてたのね」とあいちゃんがいうと。
「これが王かんねー?」とまきちゃんがいいました。
「ええ。でも、おひめさまにとどけるとちゅうで、わたしたちがおとしてしまったんです。おねがいです! おひめさまの王かんをかえしてください、これがないとおひめさまはおよめに行かれなくなってしまうんです!」とねずみたちは二人にあたまをさげながらたのみました。二人は顔を見あわせてうなずくと、
「わかったわ。こんどはおとさないようにね!」そう言って、ねずみたちに王かんをそっとわたしました。ねずみたちは、なんどもなんどもおれいを言うと、だいじそうに王かんをかかえてかえって行きました。
それからというもの、あいちゃんの家では、ほうせきばこがつくえの上に出ていることもあやしいもの音がすることもありませんでした。
あいちゃんは今でも、まんげつを見ると、あのねずみたちは元気にしているかな?と、その夜のことを思い出すのでした。
2003 01/16 14:15
Category : 日記
雨上がりのなんか肌寒い休日に 突然神様が時間をくれたね
最初は、買い物に行くはずだったんだ
でも、お目当てのものが見つからなくて
2人で途方にくれていたら、君がいきなり
「山下公園に行きたい」って言い出したんだ
君の気まぐれはいつもだけど、私は少しビックリしたよ
それなら、横浜から船に乗って行こう!ってことになって
私も始めて乗ったんだよ、シーバス
道すがら、いろんなことを話したよね
君と会ってからもう8年も経ってしまったっていたね
私は、君と会ってからずっと忙しくて
そんなことにも気付かずにいたよ
それからマリンタワーに上ったね
どこで仕入れてきたのか?
「マリンタワーからアメリカが見えるんだよ!」なんて
大きな声で言うからさ、私は物凄く恥ずかしかったよ
その後、立ち寄ったお店で、お目当ての物がある場所がわかって
慌てて、バスで桜木町に行ったよね
特になんにも決めずに行ったから
行く先々で誰かに話しを聞いて、そのたびに行く先を決めて
なんか、ロールプレイングゲームみたいな感じだったから、私は結構ワクワクしたよ
出かける時に、玄関先で握った君の手は
あまりにも小さい気がしたけど
帰り道、私の前を歩く背中は
なんだか大きく見えたんだ
こんな風に君とゆっくり過ごす時間は
これまでも、そしてきっとこれからも
もうないかもしれないなって
君は今日のことなんて、いつか忘れてしまうんだろうなって
その背中を見ながら思ったよ
でもねママは、神様がくれた8歳の君との今日の出来事を
ずっと覚えているからね
最初は、買い物に行くはずだったんだ
でも、お目当てのものが見つからなくて
2人で途方にくれていたら、君がいきなり
「山下公園に行きたい」って言い出したんだ
君の気まぐれはいつもだけど、私は少しビックリしたよ
それなら、横浜から船に乗って行こう!ってことになって
私も始めて乗ったんだよ、シーバス
道すがら、いろんなことを話したよね
君と会ってからもう8年も経ってしまったっていたね
私は、君と会ってからずっと忙しくて
そんなことにも気付かずにいたよ
それからマリンタワーに上ったね
どこで仕入れてきたのか?
「マリンタワーからアメリカが見えるんだよ!」なんて
大きな声で言うからさ、私は物凄く恥ずかしかったよ
その後、立ち寄ったお店で、お目当ての物がある場所がわかって
慌てて、バスで桜木町に行ったよね
特になんにも決めずに行ったから
行く先々で誰かに話しを聞いて、そのたびに行く先を決めて
なんか、ロールプレイングゲームみたいな感じだったから、私は結構ワクワクしたよ
出かける時に、玄関先で握った君の手は
あまりにも小さい気がしたけど
帰り道、私の前を歩く背中は
なんだか大きく見えたんだ
こんな風に君とゆっくり過ごす時間は
これまでも、そしてきっとこれからも
もうないかもしれないなって
君は今日のことなんて、いつか忘れてしまうんだろうなって
その背中を見ながら思ったよ
でもねママは、神様がくれた8歳の君との今日の出来事を
ずっと覚えているからね
2003 01/15 12:36
Category : 日記
私はもともと、小心者でいつまでもくよくよと引きずって考えてしまう性質だった
しかし、昨年の夏、あることをきっかけに、私はクヨクヨと悩むことを止めることにした
その時私は、派遣社員としてある会社で働いていた。派遣という形で働くのはその会社が初体験であった。
意地っ張りで、負けず嫌いという私の性格と、任された仕事が正社員の人と変わらない物だったため、派遣という立場であっても、「自分の仕事」であるという意識が強かったので、就業時間外であってもいとわずに、一生懸命勤めていた。
職場の上司は、そのことを買ってくれて、規則上2年間まってもらうことになるが、正社員になってもらえないか?との打診も受けていた
あともう少しで働き初めてから2年が過ぎようとしていたある日、一人の営業さんが転勤してきてから、事態がグルッと変わってしまったのだ
三十代半ばの彼は、几帳面では有るのだが融通が利かないところがあり、気分屋で強きに弱く、弱きに強い人だった。
派遣でありながら、正社員同等の仕事を1年以上もやって来ている私対して、始めは調子のいいことを言っいたのだが、いざとなると本人は逃げ腰で、責任を全て私に擦り付けてきた。その上、私が何か彼にいうと「たかが派遣のくせに、いつでも辞めさせてやる!」とまで言い放ったのだ
それから私の苦闘の日々が始まった。
弱きに強い彼は、何気ないミスとも呼べないようなことでも、公衆の面前で平気で私を怒鳴りつける。
機嫌が悪ければ、電話の取次ぎをしても返事もしなければ、顔を上げることさえしない
そのくせ、課長だの部長だのにはヘロヘロと調子のいいことを言い、その人が少しでもそこから離れると、途端に「うっせんだ!クソ爺!」と吐いて捨てるようなことを言う
私はミスをしないように神経を張り詰めて過ごしながらも、何を言っても、批判されるだけの毎日に、すっかりクヨクヨ考えるばかりの毎日を送っていた
そんなある日、ほかの派遣の人から声をかけられた。毎日私が受けている仕打ちを後の席で見聞きしていて、「あまりにも酷くて、見ていられない」といのだ。そして、思いきって上司に相談してみたら?ということだった
かなり限界に近かった私は、上司に相談してみたのだが、上司は皆、営業で出張していることも多かったので、なかなか彼の実態が把握出来ていなかったのと、余りに常識はずれな発言を聞いて、「そんなことを言うはずがないだろう?」と言い、挙句の果てには、「彼は、前任の地で、家庭の事情により独身になったという、心の傷を抱えているので、少しのことは多めに見てやってくれ」という、なんとも情けない言い訳をされて終わってしまった
私は、同じ島の人間が殆どいないという、公然の密室状態の中で、引き続き彼の仕打ちに耐えながらの日々が続くことになった
そしてとうとう、私の胃は悲鳴を上げてしまっい、これ以上仕事をしたら胃に穴が開きますよ!といわれドクターストップが掛かってしまったのだ
私は私なりに、その状況を回避すべく、必死になって考え行動して来たのに…。体調の悪さも手伝って、しばらくの間、落ち込んでいたのだが、ある日パット霧が晴れたようにある考えが浮かんで来た
それが、「もう、クヨクヨするのは良そう!」ということだった。
世の中には、私の悪い頭でクヨクヨ考えた位では、解決できなかったり、答えが出なかったりすることが沢山あるのだ
だとしたら、クヨクヨと考えている分だけ時間が無駄だという事になる。それよりも、起きてしまった現象に対して能動的に行動してして行くことの方が大切なのだ。自分の範疇を超えたことをどうこうするのではなく、柔軟にそれを受け入れて対処して、より良い道を探って動けばいいのだ
ダメだといわれたら直せばいい、直すというチャンスがまだそこに転がっているのだと思えばいいのだ
発想を少し変えただけで、今まで見ないものが見えて来た気がした
クヨクヨしない、それは難しいことだけど、限りある人生を、少しでも楽しく生きていかなきゃ勿体無いのだ、私にも出来たのだから、きっと誰にだって出来ることなのだと私は思う
しかし、昨年の夏、あることをきっかけに、私はクヨクヨと悩むことを止めることにした
その時私は、派遣社員としてある会社で働いていた。派遣という形で働くのはその会社が初体験であった。
意地っ張りで、負けず嫌いという私の性格と、任された仕事が正社員の人と変わらない物だったため、派遣という立場であっても、「自分の仕事」であるという意識が強かったので、就業時間外であってもいとわずに、一生懸命勤めていた。
職場の上司は、そのことを買ってくれて、規則上2年間まってもらうことになるが、正社員になってもらえないか?との打診も受けていた
あともう少しで働き初めてから2年が過ぎようとしていたある日、一人の営業さんが転勤してきてから、事態がグルッと変わってしまったのだ
三十代半ばの彼は、几帳面では有るのだが融通が利かないところがあり、気分屋で強きに弱く、弱きに強い人だった。
派遣でありながら、正社員同等の仕事を1年以上もやって来ている私対して、始めは調子のいいことを言っいたのだが、いざとなると本人は逃げ腰で、責任を全て私に擦り付けてきた。その上、私が何か彼にいうと「たかが派遣のくせに、いつでも辞めさせてやる!」とまで言い放ったのだ
それから私の苦闘の日々が始まった。
弱きに強い彼は、何気ないミスとも呼べないようなことでも、公衆の面前で平気で私を怒鳴りつける。
機嫌が悪ければ、電話の取次ぎをしても返事もしなければ、顔を上げることさえしない
そのくせ、課長だの部長だのにはヘロヘロと調子のいいことを言い、その人が少しでもそこから離れると、途端に「うっせんだ!クソ爺!」と吐いて捨てるようなことを言う
私はミスをしないように神経を張り詰めて過ごしながらも、何を言っても、批判されるだけの毎日に、すっかりクヨクヨ考えるばかりの毎日を送っていた
そんなある日、ほかの派遣の人から声をかけられた。毎日私が受けている仕打ちを後の席で見聞きしていて、「あまりにも酷くて、見ていられない」といのだ。そして、思いきって上司に相談してみたら?ということだった
かなり限界に近かった私は、上司に相談してみたのだが、上司は皆、営業で出張していることも多かったので、なかなか彼の実態が把握出来ていなかったのと、余りに常識はずれな発言を聞いて、「そんなことを言うはずがないだろう?」と言い、挙句の果てには、「彼は、前任の地で、家庭の事情により独身になったという、心の傷を抱えているので、少しのことは多めに見てやってくれ」という、なんとも情けない言い訳をされて終わってしまった
私は、同じ島の人間が殆どいないという、公然の密室状態の中で、引き続き彼の仕打ちに耐えながらの日々が続くことになった
そしてとうとう、私の胃は悲鳴を上げてしまっい、これ以上仕事をしたら胃に穴が開きますよ!といわれドクターストップが掛かってしまったのだ
私は私なりに、その状況を回避すべく、必死になって考え行動して来たのに…。体調の悪さも手伝って、しばらくの間、落ち込んでいたのだが、ある日パット霧が晴れたようにある考えが浮かんで来た
それが、「もう、クヨクヨするのは良そう!」ということだった。
世の中には、私の悪い頭でクヨクヨ考えた位では、解決できなかったり、答えが出なかったりすることが沢山あるのだ
だとしたら、クヨクヨと考えている分だけ時間が無駄だという事になる。それよりも、起きてしまった現象に対して能動的に行動してして行くことの方が大切なのだ。自分の範疇を超えたことをどうこうするのではなく、柔軟にそれを受け入れて対処して、より良い道を探って動けばいいのだ
ダメだといわれたら直せばいい、直すというチャンスがまだそこに転がっているのだと思えばいいのだ
発想を少し変えただけで、今まで見ないものが見えて来た気がした
クヨクヨしない、それは難しいことだけど、限りある人生を、少しでも楽しく生きていかなきゃ勿体無いのだ、私にも出来たのだから、きっと誰にだって出来ることなのだと私は思う
2003 01/13 23:50
Category : 日記
今日は、朝から快晴の新東京サーキットで練習。風も余り無く中々のコンディションだった。
今日は、同じチームの同い年の男の子が、娘と同じ大人用のエンジンでの練習を始めた
昨年余り練習やレースに出られなかった娘と違い、去年一年間きちんとレースに出ていた彼は最初からそれなりにタイムを出していた
娘の方がそれなりのカートを操れていた。しかし、彼は大人の人との練習は初めてで、まだ恐さを知らないので、スピンしたり、コースアウトする回数も多かったが、ガンガン突っ込んでいけるので、タイムは彼の方が少し上回っていた。
その上、お昼のジュニアタイムでも、いい感じに乗れている息子に、自分とあまり変わらないタイムまで出されてしまったのだ
自分の方が早くはじめているのに!という思いがあるのだろう。娘はその状況にちょっと落ち込んでいるようだった
だんなが「あそこのコーナーもう少し(アクセルを)踏んで行かれないか?」などと聞いても、落ち込んでシュンとするばかりだった
あまりにグズグズ言っている娘の態度に、だんなはちょっと切れ気味で、「聞いてることに答えろよ!セットが出せないだろう!」と大きな声を出し始める。するとその声に、また娘の顔はうつむいてしまうばかりだった。
「これはヤバイな〜」そう思った私は、娘と話しをすることにした。
「今さ、落ち込んでてダメな所を指摘されるいやだと思うけどさ、今はダメでも良いんだよ?」「???」と不思議そうな顔で私を見る娘
「いい?今ダメな所とか、出来てないところを探して、一つづつ直していってさ、来月のレースまでにちょっとでも出来るようになればいいんだよ」きちんと出来るようになる自信がないのか?まだ落ち込んでいる様子の娘
「だからさ、全てがダメって言っているわけじゃないんだよ?今以上に上手くなるために、ダメな所を今ワザと探しているんだから、落ち込むこと無いんだよ!そのために練習に来ているんだからさ」
すると、しばらく黙って考えていた娘は、「そうだね!ちょっとづつ直せば良いんだよね?」
と言って、やっと笑顔を見せた
日が傾き始めると、急に気温が下がって来た
「今日はタイム更新は無理かな〜?」だんながポツリとそう言った時、私がだんなをつついた
格上のクラスのカートを相手に、娘が必死に食らいついて行こうと頑張っていたのだ
数台の集団の中で、もまれながら、抜かれても抜かれても諦めず、一つ一つのコーナで、今までアドバイスされたことを確かめるように丁寧に走りながらも、焦点をしっかり前のカートに定めて走っていた
その走りを見ていたショップのお兄さんが、私のところに駆けよって来て「今何秒出てる?」と聞く。とっさにストップウォッチを見せると
「OK、あともう一歩だな!」そう言って、目の前を駆けぬけて行く娘に向かって、頑張れのサインを出す
かなり気温が下がってきて、路面のグリップも落ちて来たせいか?掲示板に表示されるほかのカートのタイムが落ちてきているにも係わらず、娘は少しづつタイムを上げて来ていた
そして、最後の走行時間に、どうにか今回の目標タイムに載せてきた
練習を終えて戻って来た娘は、ずっと混戦状態で走っていたので、かなり手が痛いらしくすぐにグローブをはずすことも出来なかったが、「やっとタイム出たよ!頑張ったね〜!」と言うと、「ウン♪」とすごく嬉しそうだった
片づけが終わったころ、またショップのお兄さんが「最終的に何秒だった?」と聞きに来たので、取り敢えず目標をクリアしたと告げると
「毎週練習に来る度に、一歩づつ成長していってるから良いよね!ほんと頑張ってるよ!」と安心したように笑って娘を誉めてくれた
私が親バカなせいかも知れないが、他のコよりもタイムが遅くても、下手っぴでも良いのだ。
娘と息子のそれぞれの目標に向かって、二人が頑張ってくれていること、そしてそれがほんの少しづつでもクリアして行けている、それで良いのだと思う。
私達は、レースに勝つためでも、子供の将来を決めつけてしまうためでも、誰のためでもない、私達は自分たちの為にカートをやっているのだ。
いつものお店で、家族で夕飯を食べながら、今日はああだった、こうだったといいながら、「二人とも練習頑張って、偉かったね!」といえることが、とても嬉しくてなんて幸せなんだろうと子供達の真赤なほっぺたを見ながら思った
今日は、同じチームの同い年の男の子が、娘と同じ大人用のエンジンでの練習を始めた
昨年余り練習やレースに出られなかった娘と違い、去年一年間きちんとレースに出ていた彼は最初からそれなりにタイムを出していた
娘の方がそれなりのカートを操れていた。しかし、彼は大人の人との練習は初めてで、まだ恐さを知らないので、スピンしたり、コースアウトする回数も多かったが、ガンガン突っ込んでいけるので、タイムは彼の方が少し上回っていた。
その上、お昼のジュニアタイムでも、いい感じに乗れている息子に、自分とあまり変わらないタイムまで出されてしまったのだ
自分の方が早くはじめているのに!という思いがあるのだろう。娘はその状況にちょっと落ち込んでいるようだった
だんなが「あそこのコーナーもう少し(アクセルを)踏んで行かれないか?」などと聞いても、落ち込んでシュンとするばかりだった
あまりにグズグズ言っている娘の態度に、だんなはちょっと切れ気味で、「聞いてることに答えろよ!セットが出せないだろう!」と大きな声を出し始める。するとその声に、また娘の顔はうつむいてしまうばかりだった。
「これはヤバイな〜」そう思った私は、娘と話しをすることにした。
「今さ、落ち込んでてダメな所を指摘されるいやだと思うけどさ、今はダメでも良いんだよ?」「???」と不思議そうな顔で私を見る娘
「いい?今ダメな所とか、出来てないところを探して、一つづつ直していってさ、来月のレースまでにちょっとでも出来るようになればいいんだよ」きちんと出来るようになる自信がないのか?まだ落ち込んでいる様子の娘
「だからさ、全てがダメって言っているわけじゃないんだよ?今以上に上手くなるために、ダメな所を今ワザと探しているんだから、落ち込むこと無いんだよ!そのために練習に来ているんだからさ」
すると、しばらく黙って考えていた娘は、「そうだね!ちょっとづつ直せば良いんだよね?」
と言って、やっと笑顔を見せた
日が傾き始めると、急に気温が下がって来た
「今日はタイム更新は無理かな〜?」だんながポツリとそう言った時、私がだんなをつついた
格上のクラスのカートを相手に、娘が必死に食らいついて行こうと頑張っていたのだ
数台の集団の中で、もまれながら、抜かれても抜かれても諦めず、一つ一つのコーナで、今までアドバイスされたことを確かめるように丁寧に走りながらも、焦点をしっかり前のカートに定めて走っていた
その走りを見ていたショップのお兄さんが、私のところに駆けよって来て「今何秒出てる?」と聞く。とっさにストップウォッチを見せると
「OK、あともう一歩だな!」そう言って、目の前を駆けぬけて行く娘に向かって、頑張れのサインを出す
かなり気温が下がってきて、路面のグリップも落ちて来たせいか?掲示板に表示されるほかのカートのタイムが落ちてきているにも係わらず、娘は少しづつタイムを上げて来ていた
そして、最後の走行時間に、どうにか今回の目標タイムに載せてきた
練習を終えて戻って来た娘は、ずっと混戦状態で走っていたので、かなり手が痛いらしくすぐにグローブをはずすことも出来なかったが、「やっとタイム出たよ!頑張ったね〜!」と言うと、「ウン♪」とすごく嬉しそうだった
片づけが終わったころ、またショップのお兄さんが「最終的に何秒だった?」と聞きに来たので、取り敢えず目標をクリアしたと告げると
「毎週練習に来る度に、一歩づつ成長していってるから良いよね!ほんと頑張ってるよ!」と安心したように笑って娘を誉めてくれた
私が親バカなせいかも知れないが、他のコよりもタイムが遅くても、下手っぴでも良いのだ。
娘と息子のそれぞれの目標に向かって、二人が頑張ってくれていること、そしてそれがほんの少しづつでもクリアして行けている、それで良いのだと思う。
私達は、レースに勝つためでも、子供の将来を決めつけてしまうためでも、誰のためでもない、私達は自分たちの為にカートをやっているのだ。
いつものお店で、家族で夕飯を食べながら、今日はああだった、こうだったといいながら、「二人とも練習頑張って、偉かったね!」といえることが、とても嬉しくてなんて幸せなんだろうと子供達の真赤なほっぺたを見ながら思った
2003 01/10 11:46
Category : 日記
私の母は、「お産するとき以外は入院したことがない」が自慢の人だった。
決して丈夫な人ではなかったけれど、入院や手術ばかりを繰り返していた父のことを皮肉って、よくそう言っていたのだ。
初孫だった娘の事もこよなく愛してくれていた。初節句のお雛様を買いに出かけた時も、腱鞘炎で手が痛いと言いながらも、母はずっと娘を抱っこして離さず、私は空のベビーカーに荷物をのせて押していたくらいだった。
だがその直後、母は風邪で寝込んでしまた。私は、娘がまだ半年の乳飲み子だったため、私は看病にも行けずにいた。そうこうしているうちに、母は熱が収まらず、とうとう入院する
ことになった。母も出席するはずだった、娘の初節句のお祝いの日だった。
風邪だと思っていた母の病いは、なんと白血病で余命3ヶ月と診断された。
それから私は、母の看病に通うことになった。しかし、病院ということもあって、乳飲み子の娘を連れていくことが出来ず、母乳しか飲まない娘を長い時間人に預けることも出来ず。目の回るような忙しい思いをすることになったが、何よりも母に娘の顔を見せて上げられないことの方が、私には心苦しかった。
最初は大部屋にいた母だったが、病状が進み3月の中旬過ぎに、抗がん剤の治療で無菌状態
にする為の個室に移った。しかしその病室は殺風景そのものだった。外部からは何も持ち込むことが出来なくなったからだ。そんな病室の中で母は、窓から見える桜の蕾が大きくなるのだけを楽しみにしていた。きっと、桜の蕾と娘の姿を重ねていたに違いない。そして、桜が咲く頃にはきっと自分も退院できると信じていたのだ。
しかし、入院してからわずか一ヶ月。順調だと思われていた最初の抗がん剤の治療が終わるか終わらないかという時、病状が急変し危篤状態になってしまった。慌てて病院にかけつけた私は、枕元で母と約束をした。
「色々後の事が心配だと思うけど、私ももう母親だから大丈夫。一人でも、娘はちゃんと育てて行くって約束するから。後のことは心配しないで、ゆっくり休んでいいよ」
1秒でも母に長生きして欲しい!という気持ちは強かったのだが、抗がん剤の副作用で苦しい思いをしている母を、少しでも早く楽にしてあげたいとも思ったのだ。
その時母は、すでに意識は無かった。でもきっと私の言葉が届いたのだろう。私が約束をして
から間もなく、母は眠るように静かに息を引きとった。おりしもその日は、桜の開花予想日だったが、寒の戻りの寒い日で、桜が咲く事はなかった。
それから私は、母との約束を胸に日々を過ごして来た。
そして、母の13回忌を向かえる今年の春、娘は中学生になる。あの時私が母とした約束は、きちんと守れているだろうか?天国の母に聞いてみたい気がする。
決して丈夫な人ではなかったけれど、入院や手術ばかりを繰り返していた父のことを皮肉って、よくそう言っていたのだ。
初孫だった娘の事もこよなく愛してくれていた。初節句のお雛様を買いに出かけた時も、腱鞘炎で手が痛いと言いながらも、母はずっと娘を抱っこして離さず、私は空のベビーカーに荷物をのせて押していたくらいだった。
だがその直後、母は風邪で寝込んでしまた。私は、娘がまだ半年の乳飲み子だったため、私は看病にも行けずにいた。そうこうしているうちに、母は熱が収まらず、とうとう入院する
ことになった。母も出席するはずだった、娘の初節句のお祝いの日だった。
風邪だと思っていた母の病いは、なんと白血病で余命3ヶ月と診断された。
それから私は、母の看病に通うことになった。しかし、病院ということもあって、乳飲み子の娘を連れていくことが出来ず、母乳しか飲まない娘を長い時間人に預けることも出来ず。目の回るような忙しい思いをすることになったが、何よりも母に娘の顔を見せて上げられないことの方が、私には心苦しかった。
最初は大部屋にいた母だったが、病状が進み3月の中旬過ぎに、抗がん剤の治療で無菌状態
にする為の個室に移った。しかしその病室は殺風景そのものだった。外部からは何も持ち込むことが出来なくなったからだ。そんな病室の中で母は、窓から見える桜の蕾が大きくなるのだけを楽しみにしていた。きっと、桜の蕾と娘の姿を重ねていたに違いない。そして、桜が咲く頃にはきっと自分も退院できると信じていたのだ。
しかし、入院してからわずか一ヶ月。順調だと思われていた最初の抗がん剤の治療が終わるか終わらないかという時、病状が急変し危篤状態になってしまった。慌てて病院にかけつけた私は、枕元で母と約束をした。
「色々後の事が心配だと思うけど、私ももう母親だから大丈夫。一人でも、娘はちゃんと育てて行くって約束するから。後のことは心配しないで、ゆっくり休んでいいよ」
1秒でも母に長生きして欲しい!という気持ちは強かったのだが、抗がん剤の副作用で苦しい思いをしている母を、少しでも早く楽にしてあげたいとも思ったのだ。
その時母は、すでに意識は無かった。でもきっと私の言葉が届いたのだろう。私が約束をして
から間もなく、母は眠るように静かに息を引きとった。おりしもその日は、桜の開花予想日だったが、寒の戻りの寒い日で、桜が咲く事はなかった。
それから私は、母との約束を胸に日々を過ごして来た。
そして、母の13回忌を向かえる今年の春、娘は中学生になる。あの時私が母とした約束は、きちんと守れているだろうか?天国の母に聞いてみたい気がする。
2003 01/09 23:16
Category : 日記
子供達が、新学期を向かえるに当たって新しい雑巾が
いるというので、ふだん使っているタオルの中から、使い古した
物何枚か抜き出して、雑巾に縫って持たせた。
すると始業式の日、学校から帰って来た息子は、私が持たせた雑巾を
そのまま持って帰って来て、私にこう言った。
「これじゃあダメだって。新しいのを持って来てくださいって、先生が」
「え?これ新しい雑巾だよ?」
「あのね、新しいタオルを使って作るんだって。みんな、新しいタオル
だったよ!」友達になにか言われたのか?息子は少々機嫌が悪かった。
雑巾としてだけでなく、台布巾として使う場合もあるのできれいなタ
オルで作って欲しいのだという。最近は、市販の雑巾を持ってくる子が
多いせいか?家庭で使い古したタオルを雑巾にしたのでは、新しい雑巾
とは言えないようだ。
「使い古しのタオルの方が、水を良く吸って良いんだよ?」と息子には
言ったのだが、仕方なく新しいタオルを下ろして雑巾に仕立てたものを
翌日子供達に持たせる事にして、お古のタオルの雑巾は我家で使うこと
にした。
今のように「リサイクル」を声高に掲げる前から、日本にはお古を活
用するという文化があったはずなのだ。例えば、着古した浴衣でおむつ
を縫ったり、古着の着物を布団側にしたり。
息子の学校でも去年授業で「リサイクル」に付いて勉強したはずなの
にと、なにか解せない気持ちで息子から受け取った、お古のタオルで縫っ
た雑巾を眺めていた。
いるというので、ふだん使っているタオルの中から、使い古した
物何枚か抜き出して、雑巾に縫って持たせた。
すると始業式の日、学校から帰って来た息子は、私が持たせた雑巾を
そのまま持って帰って来て、私にこう言った。
「これじゃあダメだって。新しいのを持って来てくださいって、先生が」
「え?これ新しい雑巾だよ?」
「あのね、新しいタオルを使って作るんだって。みんな、新しいタオル
だったよ!」友達になにか言われたのか?息子は少々機嫌が悪かった。
雑巾としてだけでなく、台布巾として使う場合もあるのできれいなタ
オルで作って欲しいのだという。最近は、市販の雑巾を持ってくる子が
多いせいか?家庭で使い古したタオルを雑巾にしたのでは、新しい雑巾
とは言えないようだ。
「使い古しのタオルの方が、水を良く吸って良いんだよ?」と息子には
言ったのだが、仕方なく新しいタオルを下ろして雑巾に仕立てたものを
翌日子供達に持たせる事にして、お古のタオルの雑巾は我家で使うこと
にした。
今のように「リサイクル」を声高に掲げる前から、日本にはお古を活
用するという文化があったはずなのだ。例えば、着古した浴衣でおむつ
を縫ったり、古着の着物を布団側にしたり。
息子の学校でも去年授業で「リサイクル」に付いて勉強したはずなの
にと、なにか解せない気持ちで息子から受け取った、お古のタオルで縫っ
た雑巾を眺めていた。
2003 01/08 23:11
Category : 日記
先日、弟と両親の法事の話しをしていた。今年は、母の13回忌と父の7回忌が重なっているのだ。
弟とそんな話しをしていたら、昔のことが思い返してきた
今は私よりも30cmも身長が高くなり、いっぱしのサラリーマンをやっている弟だが、小さい頃は私にべったりくっついて離れない子だった
世話焼きの私は、ウザッタイな〜と頭の中では思いながらも、一生懸命お姉さんをやっていた
弟の電話を切ったあと、ふと目の前で遊んでいる子供達が、昔の私と弟に見えて来た
そう、娘も私と同じように二つ違いの弟を持つ長女なのだ
そう思って子供達を見直して見ると、やはり娘はその頃の私と良く似ているし、息子も弟と良く似てる
それから、何かにつけてそのことが頭の片隅に張りついていた
そう、こうして私が子供達と過ごしている時間は、私と弟と母の時間だったかも知れないのだ
すると娘がいきなりこんなことを言った。
「ママのお料理っておばあちゃんの味なのかな?」「そう言えばそうかな〜?」私が答えると
「私も、子供が生まれたら、ママに育ててもらったように子供を育てて、ママの味のお料理を作るんだね」そういって娘は笑った
私は「うん」と頷いた。気がつかないうちに、私もきっと母がしてくれたように子供達を育てているんだろう。そして、娘もそれを感じながら、育ってくれているんだと思うと、とても嬉しかった
遠い時間を超えて繰り返される歴史の中に、私も身を置いているのだということを実感した気がした
弟とそんな話しをしていたら、昔のことが思い返してきた
今は私よりも30cmも身長が高くなり、いっぱしのサラリーマンをやっている弟だが、小さい頃は私にべったりくっついて離れない子だった
世話焼きの私は、ウザッタイな〜と頭の中では思いながらも、一生懸命お姉さんをやっていた
弟の電話を切ったあと、ふと目の前で遊んでいる子供達が、昔の私と弟に見えて来た
そう、娘も私と同じように二つ違いの弟を持つ長女なのだ
そう思って子供達を見直して見ると、やはり娘はその頃の私と良く似ているし、息子も弟と良く似てる
それから、何かにつけてそのことが頭の片隅に張りついていた
そう、こうして私が子供達と過ごしている時間は、私と弟と母の時間だったかも知れないのだ
すると娘がいきなりこんなことを言った。
「ママのお料理っておばあちゃんの味なのかな?」「そう言えばそうかな〜?」私が答えると
「私も、子供が生まれたら、ママに育ててもらったように子供を育てて、ママの味のお料理を作るんだね」そういって娘は笑った
私は「うん」と頷いた。気がつかないうちに、私もきっと母がしてくれたように子供達を育てているんだろう。そして、娘もそれを感じながら、育ってくれているんだと思うと、とても嬉しかった
遠い時間を超えて繰り返される歴史の中に、私も身を置いているのだということを実感した気がした
2003 01/07 13:54
Category : 日記
今日から、またカートの練習が始まった
場所は、先月娘が雨の中五位入賞を果たした
千葉県の市原にある「新東京サーキット」だ。いつものように、まだ明け切らぬ空の下自宅を出る。しかし、昨日降った雪の影響で、首都高速は何処も路面凍結の為に入り口が封鎖されていた。
仕方が無く、かろうじて通行できたアクアラインを使って市原へ向かう
かなりの強風で、高速は何処も速度規制が張られていた
8時現地到着!風は収まるどころか強くなっていた
コースは、凍結まではしていなかったが、ビショビショでフルウエットコンディションなので、取り敢えずはレインタイヤをつけて走らせる
カート仲間から「雨女」の異名を取る娘は、ウエットの走りは得意だ。滑る路面でも上手くカートを操り、水しぶきを上げながら走っていた
お昼休みに入り、今度は息子の練習走行が始まる。今年から息子は、ジュニアのエンジンから大人用のエンジンにステップアップすることにした。しかし新東京サーキットでは、満12歳になるまでは、いかに上手いドライバーでも、一般と一緒に走ることは出来ない。ココでは一般のお昼休みが、レンタルカートとジュニア&初心者の走行時間に当てられている。つまり、まだ10歳の息子はこの時間帯での練習になる。
今日は、息子と同い年のカート仲間が、息子の大人用のカートを試乗しに来ていた。彼と息子は大の親友であり、良きライバルでもある。そして彼は今、ジュニア用の60ccのエンジンのエキスパートクラスでレースをして、大人用の100ccのエンジンは初体験になる。
息子にとっても、大人用のエンジンは久しぶりですこし様子を見ながら乗っているようだったが、息子に変わって仲間が乗り始めたら途端、息子よりも早いタイムを出してきた!すると、普段は慎重派の息子も、俄然奮起し始めた。大人用のエンジンに関しては、少しデビューが早かった息子としては、負けられない!と思ったのだろう。最初とはまるで別人のような気合の入った走りを見せる。かなり楽しく乗ることが出来たらしい、帰宅してから見てみたら、シートにかかる加重のために背中にあざが出来て下のだが、本人は気がつかなかったらしい
午後に入りまた一般の練習が始まる。完全に路面もドライになるが、午前よりも風がかなり強くなり、コースコンディションはかなり悪くなる。
娘と同じクラスの初心者用のエンジンで走っている人は殆どおらず、みなエキスパートクラスの力のあるエンジンを載せたカートばかりだった。それでも、娘は果敢にコースにチャレンジしていく。
次第に風は強くなってきて、なんと、コース上にスポンジバリアや、剥がれた看板が飛んでくるようになっていまった。PITに帰って来た娘も、他のカーターの人も、風に煽られて、コーナーでカートが横に飛びそうになるという。あまりにも危険になってきたので途中で練習を終わらせることにした。
しかし、そんな悪いコンディションの中でも、娘は着実にタイムを上げて来て、エキスパートクラスよりも約2秒落ち。という、初心者クラスのエンジでは中々のタイムを出して来ていた。
次のレースまで約一ヶ月、少しづつ調子を上げて、前回よりもう少しでも上の走りができたらと思う
場所は、先月娘が雨の中五位入賞を果たした
千葉県の市原にある「新東京サーキット」だ。いつものように、まだ明け切らぬ空の下自宅を出る。しかし、昨日降った雪の影響で、首都高速は何処も路面凍結の為に入り口が封鎖されていた。
仕方が無く、かろうじて通行できたアクアラインを使って市原へ向かう
かなりの強風で、高速は何処も速度規制が張られていた
8時現地到着!風は収まるどころか強くなっていた
コースは、凍結まではしていなかったが、ビショビショでフルウエットコンディションなので、取り敢えずはレインタイヤをつけて走らせる
カート仲間から「雨女」の異名を取る娘は、ウエットの走りは得意だ。滑る路面でも上手くカートを操り、水しぶきを上げながら走っていた
お昼休みに入り、今度は息子の練習走行が始まる。今年から息子は、ジュニアのエンジンから大人用のエンジンにステップアップすることにした。しかし新東京サーキットでは、満12歳になるまでは、いかに上手いドライバーでも、一般と一緒に走ることは出来ない。ココでは一般のお昼休みが、レンタルカートとジュニア&初心者の走行時間に当てられている。つまり、まだ10歳の息子はこの時間帯での練習になる。
今日は、息子と同い年のカート仲間が、息子の大人用のカートを試乗しに来ていた。彼と息子は大の親友であり、良きライバルでもある。そして彼は今、ジュニア用の60ccのエンジンのエキスパートクラスでレースをして、大人用の100ccのエンジンは初体験になる。
息子にとっても、大人用のエンジンは久しぶりですこし様子を見ながら乗っているようだったが、息子に変わって仲間が乗り始めたら途端、息子よりも早いタイムを出してきた!すると、普段は慎重派の息子も、俄然奮起し始めた。大人用のエンジンに関しては、少しデビューが早かった息子としては、負けられない!と思ったのだろう。最初とはまるで別人のような気合の入った走りを見せる。かなり楽しく乗ることが出来たらしい、帰宅してから見てみたら、シートにかかる加重のために背中にあざが出来て下のだが、本人は気がつかなかったらしい
午後に入りまた一般の練習が始まる。完全に路面もドライになるが、午前よりも風がかなり強くなり、コースコンディションはかなり悪くなる。
娘と同じクラスの初心者用のエンジンで走っている人は殆どおらず、みなエキスパートクラスの力のあるエンジンを載せたカートばかりだった。それでも、娘は果敢にコースにチャレンジしていく。
次第に風は強くなってきて、なんと、コース上にスポンジバリアや、剥がれた看板が飛んでくるようになっていまった。PITに帰って来た娘も、他のカーターの人も、風に煽られて、コーナーでカートが横に飛びそうになるという。あまりにも危険になってきたので途中で練習を終わらせることにした。
しかし、そんな悪いコンディションの中でも、娘は着実にタイムを上げて来て、エキスパートクラスよりも約2秒落ち。という、初心者クラスのエンジでは中々のタイムを出して来ていた。
次のレースまで約一ヶ月、少しづつ調子を上げて、前回よりもう少しでも上の走りができたらと思う