2003 01/10 11:46
Category : 日記
私の母は、「お産するとき以外は入院したことがない」が自慢の人だった。
決して丈夫な人ではなかったけれど、入院や手術ばかりを繰り返していた父のことを皮肉って、よくそう言っていたのだ。
初孫だった娘の事もこよなく愛してくれていた。初節句のお雛様を買いに出かけた時も、腱鞘炎で手が痛いと言いながらも、母はずっと娘を抱っこして離さず、私は空のベビーカーに荷物をのせて押していたくらいだった。
だがその直後、母は風邪で寝込んでしまた。私は、娘がまだ半年の乳飲み子だったため、私は看病にも行けずにいた。そうこうしているうちに、母は熱が収まらず、とうとう入院する
ことになった。母も出席するはずだった、娘の初節句のお祝いの日だった。
風邪だと思っていた母の病いは、なんと白血病で余命3ヶ月と診断された。
それから私は、母の看病に通うことになった。しかし、病院ということもあって、乳飲み子の娘を連れていくことが出来ず、母乳しか飲まない娘を長い時間人に預けることも出来ず。目の回るような忙しい思いをすることになったが、何よりも母に娘の顔を見せて上げられないことの方が、私には心苦しかった。
最初は大部屋にいた母だったが、病状が進み3月の中旬過ぎに、抗がん剤の治療で無菌状態
にする為の個室に移った。しかしその病室は殺風景そのものだった。外部からは何も持ち込むことが出来なくなったからだ。そんな病室の中で母は、窓から見える桜の蕾が大きくなるのだけを楽しみにしていた。きっと、桜の蕾と娘の姿を重ねていたに違いない。そして、桜が咲く頃にはきっと自分も退院できると信じていたのだ。
しかし、入院してからわずか一ヶ月。順調だと思われていた最初の抗がん剤の治療が終わるか終わらないかという時、病状が急変し危篤状態になってしまった。慌てて病院にかけつけた私は、枕元で母と約束をした。
「色々後の事が心配だと思うけど、私ももう母親だから大丈夫。一人でも、娘はちゃんと育てて行くって約束するから。後のことは心配しないで、ゆっくり休んでいいよ」
1秒でも母に長生きして欲しい!という気持ちは強かったのだが、抗がん剤の副作用で苦しい思いをしている母を、少しでも早く楽にしてあげたいとも思ったのだ。
その時母は、すでに意識は無かった。でもきっと私の言葉が届いたのだろう。私が約束をして
から間もなく、母は眠るように静かに息を引きとった。おりしもその日は、桜の開花予想日だったが、寒の戻りの寒い日で、桜が咲く事はなかった。
それから私は、母との約束を胸に日々を過ごして来た。
そして、母の13回忌を向かえる今年の春、娘は中学生になる。あの時私が母とした約束は、きちんと守れているだろうか?天国の母に聞いてみたい気がする。
決して丈夫な人ではなかったけれど、入院や手術ばかりを繰り返していた父のことを皮肉って、よくそう言っていたのだ。
初孫だった娘の事もこよなく愛してくれていた。初節句のお雛様を買いに出かけた時も、腱鞘炎で手が痛いと言いながらも、母はずっと娘を抱っこして離さず、私は空のベビーカーに荷物をのせて押していたくらいだった。
だがその直後、母は風邪で寝込んでしまた。私は、娘がまだ半年の乳飲み子だったため、私は看病にも行けずにいた。そうこうしているうちに、母は熱が収まらず、とうとう入院する
ことになった。母も出席するはずだった、娘の初節句のお祝いの日だった。
風邪だと思っていた母の病いは、なんと白血病で余命3ヶ月と診断された。
それから私は、母の看病に通うことになった。しかし、病院ということもあって、乳飲み子の娘を連れていくことが出来ず、母乳しか飲まない娘を長い時間人に預けることも出来ず。目の回るような忙しい思いをすることになったが、何よりも母に娘の顔を見せて上げられないことの方が、私には心苦しかった。
最初は大部屋にいた母だったが、病状が進み3月の中旬過ぎに、抗がん剤の治療で無菌状態
にする為の個室に移った。しかしその病室は殺風景そのものだった。外部からは何も持ち込むことが出来なくなったからだ。そんな病室の中で母は、窓から見える桜の蕾が大きくなるのだけを楽しみにしていた。きっと、桜の蕾と娘の姿を重ねていたに違いない。そして、桜が咲く頃にはきっと自分も退院できると信じていたのだ。
しかし、入院してからわずか一ヶ月。順調だと思われていた最初の抗がん剤の治療が終わるか終わらないかという時、病状が急変し危篤状態になってしまった。慌てて病院にかけつけた私は、枕元で母と約束をした。
「色々後の事が心配だと思うけど、私ももう母親だから大丈夫。一人でも、娘はちゃんと育てて行くって約束するから。後のことは心配しないで、ゆっくり休んでいいよ」
1秒でも母に長生きして欲しい!という気持ちは強かったのだが、抗がん剤の副作用で苦しい思いをしている母を、少しでも早く楽にしてあげたいとも思ったのだ。
その時母は、すでに意識は無かった。でもきっと私の言葉が届いたのだろう。私が約束をして
から間もなく、母は眠るように静かに息を引きとった。おりしもその日は、桜の開花予想日だったが、寒の戻りの寒い日で、桜が咲く事はなかった。
それから私は、母との約束を胸に日々を過ごして来た。
そして、母の13回忌を向かえる今年の春、娘は中学生になる。あの時私が母とした約束は、きちんと守れているだろうか?天国の母に聞いてみたい気がする。