2003 01/15 12:36
Category : 日記
私はもともと、小心者でいつまでもくよくよと引きずって考えてしまう性質だった
しかし、昨年の夏、あることをきっかけに、私はクヨクヨと悩むことを止めることにした
その時私は、派遣社員としてある会社で働いていた。派遣という形で働くのはその会社が初体験であった。
意地っ張りで、負けず嫌いという私の性格と、任された仕事が正社員の人と変わらない物だったため、派遣という立場であっても、「自分の仕事」であるという意識が強かったので、就業時間外であってもいとわずに、一生懸命勤めていた。
職場の上司は、そのことを買ってくれて、規則上2年間まってもらうことになるが、正社員になってもらえないか?との打診も受けていた
あともう少しで働き初めてから2年が過ぎようとしていたある日、一人の営業さんが転勤してきてから、事態がグルッと変わってしまったのだ
三十代半ばの彼は、几帳面では有るのだが融通が利かないところがあり、気分屋で強きに弱く、弱きに強い人だった。
派遣でありながら、正社員同等の仕事を1年以上もやって来ている私対して、始めは調子のいいことを言っいたのだが、いざとなると本人は逃げ腰で、責任を全て私に擦り付けてきた。その上、私が何か彼にいうと「たかが派遣のくせに、いつでも辞めさせてやる!」とまで言い放ったのだ
それから私の苦闘の日々が始まった。
弱きに強い彼は、何気ないミスとも呼べないようなことでも、公衆の面前で平気で私を怒鳴りつける。
機嫌が悪ければ、電話の取次ぎをしても返事もしなければ、顔を上げることさえしない
そのくせ、課長だの部長だのにはヘロヘロと調子のいいことを言い、その人が少しでもそこから離れると、途端に「うっせんだ!クソ爺!」と吐いて捨てるようなことを言う
私はミスをしないように神経を張り詰めて過ごしながらも、何を言っても、批判されるだけの毎日に、すっかりクヨクヨ考えるばかりの毎日を送っていた
そんなある日、ほかの派遣の人から声をかけられた。毎日私が受けている仕打ちを後の席で見聞きしていて、「あまりにも酷くて、見ていられない」といのだ。そして、思いきって上司に相談してみたら?ということだった
かなり限界に近かった私は、上司に相談してみたのだが、上司は皆、営業で出張していることも多かったので、なかなか彼の実態が把握出来ていなかったのと、余りに常識はずれな発言を聞いて、「そんなことを言うはずがないだろう?」と言い、挙句の果てには、「彼は、前任の地で、家庭の事情により独身になったという、心の傷を抱えているので、少しのことは多めに見てやってくれ」という、なんとも情けない言い訳をされて終わってしまった
私は、同じ島の人間が殆どいないという、公然の密室状態の中で、引き続き彼の仕打ちに耐えながらの日々が続くことになった
そしてとうとう、私の胃は悲鳴を上げてしまっい、これ以上仕事をしたら胃に穴が開きますよ!といわれドクターストップが掛かってしまったのだ
私は私なりに、その状況を回避すべく、必死になって考え行動して来たのに…。体調の悪さも手伝って、しばらくの間、落ち込んでいたのだが、ある日パット霧が晴れたようにある考えが浮かんで来た
それが、「もう、クヨクヨするのは良そう!」ということだった。
世の中には、私の悪い頭でクヨクヨ考えた位では、解決できなかったり、答えが出なかったりすることが沢山あるのだ
だとしたら、クヨクヨと考えている分だけ時間が無駄だという事になる。それよりも、起きてしまった現象に対して能動的に行動してして行くことの方が大切なのだ。自分の範疇を超えたことをどうこうするのではなく、柔軟にそれを受け入れて対処して、より良い道を探って動けばいいのだ
ダメだといわれたら直せばいい、直すというチャンスがまだそこに転がっているのだと思えばいいのだ
発想を少し変えただけで、今まで見ないものが見えて来た気がした
クヨクヨしない、それは難しいことだけど、限りある人生を、少しでも楽しく生きていかなきゃ勿体無いのだ、私にも出来たのだから、きっと誰にだって出来ることなのだと私は思う
しかし、昨年の夏、あることをきっかけに、私はクヨクヨと悩むことを止めることにした
その時私は、派遣社員としてある会社で働いていた。派遣という形で働くのはその会社が初体験であった。
意地っ張りで、負けず嫌いという私の性格と、任された仕事が正社員の人と変わらない物だったため、派遣という立場であっても、「自分の仕事」であるという意識が強かったので、就業時間外であってもいとわずに、一生懸命勤めていた。
職場の上司は、そのことを買ってくれて、規則上2年間まってもらうことになるが、正社員になってもらえないか?との打診も受けていた
あともう少しで働き初めてから2年が過ぎようとしていたある日、一人の営業さんが転勤してきてから、事態がグルッと変わってしまったのだ
三十代半ばの彼は、几帳面では有るのだが融通が利かないところがあり、気分屋で強きに弱く、弱きに強い人だった。
派遣でありながら、正社員同等の仕事を1年以上もやって来ている私対して、始めは調子のいいことを言っいたのだが、いざとなると本人は逃げ腰で、責任を全て私に擦り付けてきた。その上、私が何か彼にいうと「たかが派遣のくせに、いつでも辞めさせてやる!」とまで言い放ったのだ
それから私の苦闘の日々が始まった。
弱きに強い彼は、何気ないミスとも呼べないようなことでも、公衆の面前で平気で私を怒鳴りつける。
機嫌が悪ければ、電話の取次ぎをしても返事もしなければ、顔を上げることさえしない
そのくせ、課長だの部長だのにはヘロヘロと調子のいいことを言い、その人が少しでもそこから離れると、途端に「うっせんだ!クソ爺!」と吐いて捨てるようなことを言う
私はミスをしないように神経を張り詰めて過ごしながらも、何を言っても、批判されるだけの毎日に、すっかりクヨクヨ考えるばかりの毎日を送っていた
そんなある日、ほかの派遣の人から声をかけられた。毎日私が受けている仕打ちを後の席で見聞きしていて、「あまりにも酷くて、見ていられない」といのだ。そして、思いきって上司に相談してみたら?ということだった
かなり限界に近かった私は、上司に相談してみたのだが、上司は皆、営業で出張していることも多かったので、なかなか彼の実態が把握出来ていなかったのと、余りに常識はずれな発言を聞いて、「そんなことを言うはずがないだろう?」と言い、挙句の果てには、「彼は、前任の地で、家庭の事情により独身になったという、心の傷を抱えているので、少しのことは多めに見てやってくれ」という、なんとも情けない言い訳をされて終わってしまった
私は、同じ島の人間が殆どいないという、公然の密室状態の中で、引き続き彼の仕打ちに耐えながらの日々が続くことになった
そしてとうとう、私の胃は悲鳴を上げてしまっい、これ以上仕事をしたら胃に穴が開きますよ!といわれドクターストップが掛かってしまったのだ
私は私なりに、その状況を回避すべく、必死になって考え行動して来たのに…。体調の悪さも手伝って、しばらくの間、落ち込んでいたのだが、ある日パット霧が晴れたようにある考えが浮かんで来た
それが、「もう、クヨクヨするのは良そう!」ということだった。
世の中には、私の悪い頭でクヨクヨ考えた位では、解決できなかったり、答えが出なかったりすることが沢山あるのだ
だとしたら、クヨクヨと考えている分だけ時間が無駄だという事になる。それよりも、起きてしまった現象に対して能動的に行動してして行くことの方が大切なのだ。自分の範疇を超えたことをどうこうするのではなく、柔軟にそれを受け入れて対処して、より良い道を探って動けばいいのだ
ダメだといわれたら直せばいい、直すというチャンスがまだそこに転がっているのだと思えばいいのだ
発想を少し変えただけで、今まで見ないものが見えて来た気がした
クヨクヨしない、それは難しいことだけど、限りある人生を、少しでも楽しく生きていかなきゃ勿体無いのだ、私にも出来たのだから、きっと誰にだって出来ることなのだと私は思う