「深く習熟非常に熟練」も「衰退が始まる兆候」か 物語に爛熟250912
 「深く習熟非常に熟練」も「衰退が始まる兆候」か 物語に爛熟250912

 「らんじゅく 爛熟」を辞書で引くに、三点の記載。
 1)熟しすぎること: 果実などが熟しすぎて、腐敗し始める状態。
 2)物事の極限までの発達: 社会や文化などが最大限に発展し、これ以上は成長しない、   あるいは衰退が始まる兆候が見える状態。
 3)物事を深く理解し熟達すること: ある分野において、深く習熟し、非常に熟練している状態。

鎌倉仏教の範疇で創始者の一人は師釈=祖師方の論釈を<自身独自の読み>で、印度哲学を成長から爛熟に止揚した。
 仏事で読まれる回向 えこう 句=「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」文は、論釈の代表者たる中国唐代、善導「観経四帖疏‐玄義分」の一文。
 通釈は「願」の主体が自身にあると解し、「願はくはこの功徳をもつて、平等に一切に施し、同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん」、と。

 そこを祖師は、「願」の主体は「阿弥陀仏」として、読み替える。

 「阿弥陀如来が、永い修行の結果、あらゆるものを浄土に往生させて仏とするための手段、すなわち念仏を私たちにお与えくださった」
 「みなでその教えに出逢って、阿弥陀如来のはたらきにおまかせして、浄土に往生させていただき、さとりを得させていただきましょう」。

 その意味に読み替え、立論している。
 1224年を主著執筆から800年。後継者は日本有数というより、本邦歳台の教団組織に誘導した・
 「らんじゅく 爛熟」=3)物事を深く理解し熟達すること: ある分野において、深く習熟し、非常に熟練している状態。そこに誘因。

 が、近年の聞法同行の高齢化と後継者に難点。やはり、次の点に注目するや。
 「らんじゅく 爛熟」=2)物事の極限までの発達: 社会や文化などが最大限に発展し、これ以上は成長しない、あるいは衰退が始まる兆候が見える状態。