このあいだ
仕事からの帰り道に、ラジオを聴いていたら、尾崎豊の曲がかかりました。
リクエストした人は、「この曲を聴くと、自分が何のために生まれたのか考えてしまう」らしい。

私は、尾崎豊が大好きです。最早私の躰の一部になっている、と言っていいほど好き。何しろ、尾崎の声を聞くと、躰中の神経が耳になる気がする。砂漠化していた躰の中が潤うような感じです。
だから、尾崎の歌を聴いて、人生とはなんぞや、と考えたりしていないみたい。私には、私にとって「こうありたい私のかたち」というのが既にあって、それは、まあ、司馬遼太郎とかサイボーグ009とか(笑) 尾崎とか筒井百々子とか、その他色々のたっくさんの要素が絡み合って仕上がっているもので、大体はもう変更の仕様がないものなので、今更尾崎を聞いて、「私は何のために生まれてきたのか」とか、「何のために生きているのか」とかは考えないのですけど。
ただ、そこへ行く道の途中で、まだ途中にいて、うだうだやっている自分が、時々物凄く情けなくなります。

道草食い過ぎている。辿り着いた、そこに何があるのかを見届けるのが怖いだけなのでしょう;^^)A 何かがあったら、それで自分が変わるのかというと、変わり様はないんじゃないかと思うのだけど――。

尾崎の声を聞くと、自分の細胞が活性化されて、ザワザワと起き上がっていくようなきがします(ちょっと怖いが;^^)A) 起きあがれ〜〜突っ走れ〜〜。いい加減、道草止めろ〜〜覚悟を決めろ〜〜>私!!!

そして、中島みゆきを聞くと、寝る(笑)
悪い意味では全くないけど。いや、中島みゆきでも目覚めるんだけど、中島みゆきで目覚める細胞は、もっと老成しているみたい(笑)

ちなみに、バリのホテルのベランダから、外を眺めていたとき、外では柳茹(字が違うかな;^^)A)みたいなものが舞っていた。それ見ててぽやぽや〜〜っとして、頭に浮かんだのは「east asia」ずーっとそれを歌っていた。

とても遙かな世界を包める、大きな風呂敷に、私はなりたい(笑)