悟りってさ……。
「ファンシィ・ダンス」と云う漫画が、禅宗のお坊さんを主人公にした漫画で、その中の知識と「鉄鼠の檻」の中の知識が重複してて、(当たり前なのだが)結構考えてしまいました。
「ファンシィ〜」の主人公、陽平が、こう云ったことがあります。「そのうち、修業に馴れてくれば、何もかんがえずとも躰を動かせるようになる。掃除の時は掃除の脳、作務の時には作務の脳を使えるようになる」(本見ながらじゃないから、印象だけだけど……こんな様なことを)
で、思ったんだけど、悟りって、必要なことを必要なときにぽんぽん取り出せる状態なのかなぁ。
つまりさ、私たちの脳は、生きるために必要なことは、本当は大概知っているはずなんじゃないのかな。遺伝子が獲得記憶をも伝えられるものなら、私たちの全身に持っている情報量は凄く大量で、脳は本当は、その凡てを網羅できるのじゃないかしら。
だけど、人間の知識は、ガンガン増えてって、それを一々統合させなきゃいけなくて、それで、何時もアクセス不良状態になる。
だけど、訓練すると、条件反射とかの場合、情報が脳まで行かなくても、脊髄当たりで戻ってきて、相応しい行動がとれるわけでしょ?
だから、悟りが成った状態ってのは、脳と躰がとても上手にリンクできてる状態ってことではないのかな?

必要なことを必要なときにするためには、色々な雑念は邪魔になる。欲とか、甘えとか。こうしたくない、こうなりたくないって感情とか。でも、そう言うものを排除して、ちゃんと通りの良い状態になったら、私たちは何時だって、本当に必要なことが出来るようになるはずなのじゃないのかな。

まぁ、そうなるのは、すっごく難しいのだろうけど;^^)A