2026年03月の記事


記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシチャシ館跡之図」(大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)
 記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシチャシ館跡之図」(大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)

 大内余庵(おおうち よあん 余は本来、旧漢字表記)は、大内桐斎(おおうち とうさい)の別号。
 三河(愛知県)吉田藩主松平(大河内)信古(のぶひさ)につかえ,江戸詰めの侍医に。
 領主大名家の命で、安政3 1856年から3年間東蝦夷地・アツケシに勤務。

 『蝦夷地医家人名字彙」の「大内余庵」の項目があり、箱館奉行所医師として赴任。
 在勤中に見聞の風俗・地理・伝説らを集めて記した板本(刊行物)が『東蝦夷夜話』。 上・中・下の全3冊で構成Ⅷされ、1861(文久元)年に江戸の文苑閣から出版された。

 図名「メンカクシチャシ」は、モシリヤチャシ跡(国指定史跡内の名称)は築造者名を付している。
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記録に残るモシリヤチャシ跡 「チャシ図」(村上島之丞筆『蝦夷嶋奇観』所収)
 記録に残るモシリヤチャシ跡 「チャシ図」(村上島之丞筆『蝦夷嶋奇観』所収)

 村上島之丞(本名 秦檍麿 はた あわぎまろ)筆 が制作したアイヌ風俗画。
 アイヌ民族文化に対する深い理解と精緻な観察に基づき、伝説・儀礼・家屋、狩猟等を記録。
 北海道、アイヌの歴史、文化研究上に貴重。(「文化遺産オンライン」)。

 村上は宝暦10 1760年に伊勢国宇治山田(現三重県伊勢市)に生まれ、1799-1800年に幕府調査で択捉、得撫島に渡る。
 1806年に没するも、本図掲載の『蝦夷嶋奇観』は文政6 1823年 遺構を養子の村上貞助がまとめあげ、刊行した。
 間宮林蔵の師匠としても知られる。
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琵琶湖一望し“水物語”読める「仰木の棚田」 「美の壺 いにしえの息吹伝える 琵琶湖」250423nhk4K
 琵琶湖一望し“水物語”読める「仰木の棚田」 「美の壺 いにしえの息吹伝える 琵琶湖」250423nhk4K

 森→水→ヒト→棚田→琵琶湖 琵琶湖を一望し“水物語”体現する「仰木の棚田」。 写真家の今森光彦氏が幼いころからシャッターを切り続けてきた「仰木の棚田 おおぎのたなだ」。
 氏は「琵琶湖を一望できる1200年続くこの棚田は琵琶湖を象徴する風景」と言い切る。

 「山と湖の距離が短い琵琶湖は水の流れがよくわかる」「水の物語を感じる」。
 そう、続けているのだ。そればまりではない。
 春先の時節。「全層循環 ぜんそうじゅんかん」という現象が起きるのだそうだ。

 自然の営為。そこをもう少し、聞いてみたい。全層循環とは。
 「春が近づくと山から流れる雪どけの水が湖の表面を覆う」、と。
 「この時、湖底の水との間に寒暖の差が生まれ、冷たい水は下へ、湖底の水は上へと大きく循環」。

 結果、「表層の酸素を多く含んだ水が湖底まで行き渡る」ため。
 「底生生物の生存環境が改善され、琵琶湖の生態系が維持される」。
 琵琶湖を知る人の間で「琵琶湖の深呼吸」と受け止められている現象。

 水深が深く冬は雪が多いため、季節の変わり目におこる。
 冬から春に向かう現象なのだそうだ。湖水にみられる現象、そこが端的に示される琵琶湖のダイナミズム。

 市民が身近にある湖畔で湖面を見つめる視線も、今ひとつ、豊かになること請け合いではないだろうか。
 「美の壺 いにしえの息吹伝える 琵琶湖」初回放送日NHK BSプレミアム4K2025年4月23日(水)午後7:30。
 https://www.web.nhk/tv/an/tsubo/pl/series-tep-3LWMJVY79P/ep/7JRV9Y62L9
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地産地消・土産土法・医食同源 地域で産する食資源、その多様な意味
 その土地で収穫されたものを、その土地の昔ながらの食べ方で味わう「土産土法(どさんどほう)」。
 nhkBS4K「にっぽん百低山 低山と日本人の食」。この番組で、主唱者の土井善晴氏が語る。
 「土産土法 土井善晴」で検索すると「龍郷町民フェアで土井さん講演 2026年2月16日」 
  https://amamishimbun.co.jp/2026/02/16/60590/ に、出あった(写真)。
 「そう言えば」。1980―85年ころ、通勤列車の車中読み耽っていた、沖縄の地域振興の本・¥。その中野の一節が念頭に浮かび上がった。

 話は沖縄のもすく。都内に出荷するも、都民の口に、合わなかった。「おいしいと思わない」の悪評。
 それを問いただした沖縄県民は、「その食べ方ではダメだ」「沖縄県民が食べている料理方法でなければ」。
 この話。実に今日、土井氏の「土産土法」が沖縄で注目を集め、新聞社の講演会に招かれるのも実に、理にかなった、背景があったのではないか。
 地産地消・土産土法・医食同源 地域で産する食資源、その多様な意味。自然と一体化した人間が、同じ環境で育つ食材を「生かす知恵」では。

 「土地で収穫されたものを、その土地の昔ながらの食べ方で味わう」は、ピタリ。
 1980年代前半には「土産土法」が、強く意識されることはなかったけれども。
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生息環境・栄養組成・漁獲時季のみでなく アユの旨さの仕掛け260324
 生息環境・栄養組成・漁獲時季のみでなく アユの旨さの仕掛け260324

 アユがおいしいか、どうか。それは上流の植物相に寄るそうです。
 森から流れてくる水。それが栄養豊富なので、上流に育つ藻も良質になる。
 アユはその藻を食するので、自ずと、おいしいアユが育つのです。

 川べりにすむアユ漁に長く生きる生産者の説明。
 これまで、なぜ、四万十川のアユは、おいしいか。
 藻を食べて栄養が体に行きたり、<排便>を済ませた頃合いを見計らい、漁獲して食卓に。

 肴に<脂がのった>の形容があるも、本当の美味しさ、本来の旨さ。
 その確保の秘密は、生育環境・栄養組成だけでは、なかった。
 <排便>を済ませた頃合い。絶妙ともいえる、漁獲のタイミング+新鮮度合い。

 永年の経験と知恵が生み出した世界。「頭から身体ごと」の背景にある世界。
「ワイルドライフSP 知られざる日本の自然 第2集 深山に生きる」nhkBS4K260324
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大国首脳は傾聴を「誰も無言『攻撃したのは私』と」。 勝田茅生&エリザベート・ルー2603134
 大国の首脳は傾聴せよ「それは誰も言わず『先に攻撃したのは私』と、・・・」。 勝田茅生は聞く、F博士の弟子:エリザベート・ルー2603134

そもそも「先に攻撃したのは私です」と言う人はいません。
 それは国家間でも同じです。でも誰が争いを始めたかは問題ではないのです。
 争いをやめ、同じ仕打ちをやり返さない人こそが「英雄』なのです。

 「大国の首脳は傾聴せよ」。記載者はかく、メッセージを届けたい。
 取材する日本ロゴセラピスト協会 会長:勝田茅生氏に語りかける、フランクル博士・直弟子と紹介のエリザベート・ルーのメッセージを。
 260314放送「こころの時代― ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」の最終場面。

 3月19日、日本の首相はUSA大統領と首脳会談。各国期待のなか「日本の外交姿勢」を説明できたか。
 朝HBCでコメンテーター。「法律でできることできないことある」は、換言すれば「“法律を変えて”読めると」と。
夕STVでは「憲法改正に一石を投じることになった首脳会談では」と男性アンカーマン。
 衆院議席300余を背景にした、女性首相の妙なる自信かな。
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「苦悩は成熟、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるように」 V.E.フランクル『苦悩する人間』260322
 「苦悩は成熟、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるように」 V.E.フランクル『苦悩する人間』260322

 苦悩する人はもはや運命を外面的に変えられることはできなくなっています。
 けれども、その人はまさに苦悩によって、運命を内面的に克服することができるのです。 苦悩は成長です。また苦悩は成熟でもあります。

 苦悩は人間にものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるようにします。
 苦悩への勇気。これこそ重要なのです。(ヴィクトール・E・フランクル『HOMO PATTENS 苦悩する人間』)。

 NHKETV「こころの時代―宗教・人生―こころの時代〜宗教・人生〜 ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」。
 シリーズ最終回にあたる6thは「人生の中の出逢(あ)い」。
 冒頭、『HOMO PATTENS 苦悩と人間』の一節が読み上げられた。

 オーストリアの精神科医にして心理学者のヴィクトール・E・フランクル(1905~97年)は、1944年10月にアウシュビッツに送られた。
 両親・妻を失うも、テュルクハイムへの移送を経て45年4月にアメリカ軍により解放、と。
 孫に「しばしばアウシュヴィツを思い出す」と語る。

 その語りを承け、孫が回想。
 「誰にでもそれぞれのアウシュビッツがあり」「簡単には解決できない苦しみがある」。
 「それは本人にとっては絶望的な状況なんだ」と言い及んでいた。
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事業や生活領域が生み出す環境影響を“我が事”で理解 もう一つの視覚で環境を学ぶ講座260320
 調査―水の経路図で、わかったこと 熊本水俣=世界に類例みない産業公害発生の地から。
 1)集落は、水俣川の支流域を生活の舞台とする支流域生態系の村だった。
 2)支流域を生活の場としている集落の人たちが、支流域の水を保全していく責任がある。
 
 3)人工林化などで森の水保全機能が低下し、となりの川や支流を水源としている集落が増かしていた。
 4)森は推量を豊かにし、人の毛細血管のように水めぐりをよくしていた。
 5)水をきれいにしていく知恵と技術があった。
 6)川や川べりは水を浄化し、鳥・魚が居て人が自然にふれる場所だった。

 ここまでで<自然・ヒト・地域・集落>は“水でつながって居た”を確認。
1)~8)での確認から、「調査結果を考える」に展開。
 
 7)「森林伐採や開発により水が出やすくなった」ことのほかに、
 8)宅地、畑、それに鉄道、道路などが川に近づきすぎ、 (自然の)元にもどろうとする力=自浄能力を超えることに。
 9)環境影響が発生するのは、事業が人(生活領域)や自然に近づきすぎるとき、つまり自浄能力の臨界値を超えるとき。
 10)環境影響が発生するのは、(事業のみならず)生活領域自体が自然環境の領域に近づきすぎるときにも。

 「.水の経路図づくりでわかったこと」「調査結果からわかったこと」=吉本哲郎著『地元学をはじめよう』(岩波書店 2016年)99~109p所収) 
掲載図は、永野三智(ながの みち)「【No.85】水俣で生まれ育ったということ|女性100名山(第20号)」 2022年3月25日
 NPO法人「JKSK女性の活力を社会の活力に」Empowering Women Empowering Society

 事業や生活領域が生み出す環境影響を“我が事”で理解 もう一つの視覚で環境を学ぶ講座260320
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「(第4回までの驚歎)砂漠掘削堀割り設ク」 21歳正名のフランス公費生留学記260719
 「(第4回までの驚歎)砂漠掘削堀割り設ク」 21歳正名のフランス公費生留学記260719

 1869=明治2年、21歳の前田正名は船旅の寄港地で5個の<驚き>を記載。
 旅は香港を出て、サイゴン‐セイロン‐アーデン‐スエズと続く。それぞれ柴棍、錫蘭島、亜丁、蘇士を宛てる。

 ちなみに「柴棍=表記柴昆 ベトナムの都市であるホーチミン市の旧称」、
 「錫蘭島 現スリランカの旧国名」、
 「亜丁 四川省甘孜チベット族自治州稻城県にある標高2900~6032メートルに広がる広大な自然保護区」、
 「蘇士 エジプト北東部の港湾都市」にあたる。

 第一 柴棍 文明的規模の洪大なること。
 第二 錫蘭島 印度の亡国となりしは偶然にあらず。
 第三 亜丁 皆、岩石と砂のみにして青き物をとては一物もなし、岩石の下には水槽を設け降下せる雨水は一滴も空しくせず。
   (つまり)高山は悉く岩石にして一点の青を見ざる。
 第四 蘇士 沙漠を堀割て地中海に通ぜんとする仕掛けの洪大なること。
   (「自叙伝 下」 『国家と社会』p90~91) 
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「(第五回の驚歎を発り)修築港湾絶無」 21歳正名のフランス公費生留学記260718
 「(第五回の驚歎を発り)修築港湾絶無」 21歳正名のフランス公費生留学記260718

 1869=明治2年6月 明治新政府のフランス公使書記生でフランスに留学した前田正名。
 横浜―香港‐セイロン‐スエズ運河らを経由してフランス国マルセイユ港で、西欧らしき修築港湾に接する。
 その感慨を実に「第五回の驚歎」と『自叙伝』に記載。

 内容。「元来、天然の防波堤と云ふべきもの有せず、普通の平海岸に人工を施せるに過ぎず(略)。数百千の大小船が安穏に碇泊することを得るは」。
 そう書き出して、さらに続ける。「全く人力の結果(略)乗客に対して、最も危険を感ぜしむるものは港にして」、と。
 「その完成と否とは国家の利害に非常の影響(略)帝国の設備なく国家の耻辱、国家の損失これより大なるはなし」。
            (「前田正名自叙伝」 『社会と国家』 九二頁)

 我が国。永い鎖国体制下にあり、全く国内向けに偏し、外国船入港の受入れ体制脆弱を指摘。
 「小舟は安全に坑内に碇泊し居れり」。「而かも大船は直に税関の横岸に近寄り、船中より直に馬車に乗り移ることを得るなり」。
 本邦港湾の課題を指摘。

 「(第五回の驚歎を発り)マルセイユの地たるや、元来天然の防波堤というべきものを有せず」。
 正名は「乗客に対して、最も危険を感ぜしむるものは港にして」と課題を指摘。

 急ぐ施策。
 それは「その完成と否とは国家の利害に非常の影響(略)帝国の設備なく国家の耻辱、国家の損失これより大なるはなし」。
 そこまで、言い切る。でわ、第一から第㈣までの驚嘆とわ。
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  人と自然が一体となって暮らす 大和路のシカ  「知られざる日本の自然 第1集 古の都」260317nhk4K
人と自然が一体となって暮らす 大和路のシカ  「知られざる日本の自然 第1集 古の都」260317nhk4K

京都・法然院を軸に、ワールドライフSP.
 法然が草案をもうけ、「六夜礼賛」を修した。そこのところを「法然が修行した」とまとめる、も。
 貫主は、器に水を。カエルの受精卵をあつめ、種族持続の支援。「共に生きている、生かされている」を刻む。

 転じて奈良・大和路。マチなかのシカは、社寺仏閣の庭から横断歩道をわたって、市街地に。
 好物を求めて腹こしらいに、余念なし。人々は気にすることもなく、静かに見守る。
 「ワイルドライフ スペシャル Hidden Japan  知られざる日本の自然 第1集 古の都 縁が生み出した命の聖域」=ナレーターの弁。

 「シカがマチなかにあらわれても、(人々は)気にしない」「そこにあるのは信仰」。
 「遠い昔、神様がシカに乗ってやってきた、以来、シカは神様の<お使い>として」
 「ヒトと自然が一体となって暮らし、神社や寺に生きものが住みつく」。

 2018年の大晦日。厳島神社では除夜と新年にむけ、市民があつまり、準備に大わらわ。 シカの群れが10頭。悠然とマチナカを歩いていたが。
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食糧基地を背負いながら 協同組合経済の規模とシェア260316
 食糧基地を背負いながら 協同組合経済の規模とシェア260316

 このところ<協同組合経済 その規模とシェア>ということを、考え続けている。
 1985年台、地域で漁業史研究に取り組みお方から、「協同組合経済というものがあり、地域にとって極めて重要だ」。
 言われた往時、筆者も「その通り」の思いを抱いていた、が。

 2025年4月。地域の短期大学が学生募集を停止、と。
 その報を耳にして、あらためて「愛と奉仕」と建学の精神を掲げた短期高等教育機関の最近四半世紀の軌跡を思い巡らしていた。
 近隣の公共団体と提携し、国際的な食糧基地を背景にもつ教育機関は、海陸の食資源を背景に食育と食文化、その普及・定着に貢献をめざした時期がある。

 その教育機関が「学生募集停止」を打ち出した時、<協同組合へのアポロ―チが欠落>。その思いを抱き、あらためて<協同組合経済 その規模とシェア>ということ。
 それは現在の学会や、農協・漁協・生活協同組合らで、どれほど相互共有しているものか。

 今、そんな思いにとらえられ、データ収集の方法を模索する。先行事例は限られているようだ。
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和製漢語「医食同源」後に薬膳&釧路型薬膳料理 もう一つの視点で環境学習260315
和製漢語「医食同源」後に薬膳&釧路型薬膳料理 もう一つの視点で環境学習260315

 薬膳の用例は『後漢書』列女伝の程文矩妻の一節に初出。煎薬を配膳する意味。そこにとどまる、と。
 現在の意味で使用した最初は、北京中医薬大学の翁維健氏が八二年に出版した『薬膳食譜集錦』だったと本人が述べる。そう紹介。
 でわ、「薬膳=現在の意味」とは。そこは、おいて置き。

 掲載図は、「釧路型薬膳料理」と「一般的な薬膳料理」
平成8年4月22日 釧路市農村都市交流センター(山花温泉リフレ)がオープンし、そのレストランは「薬膳料理」を提供。
「釧路型薬膳料理=地産地消にこだわり、釧路産・道産の食材をベースにした体に優しく、 美味しくヘルシー」と流布されている。
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和製漢語「医食同源」に至る前に食事専門医&五味・五臓 もう一つの視点で環境学習260314
和製漢語「医食同源」に至る前に食事専門医&五味・五臓 もう一つの視点で環境学習260314

 でわ、「薬食同源」もしくは「食薬同源」の単語。それを詳述した概念があったかと言うに、どうもそうではなかった、ようだ。
 1970年代、本邦の高度経済成長が転換期を迎え飲食に弊害が指摘される時、わが国の英知。知恵で中国思想の受容が果たされた。
『漢書』に見る「民意食為天」の後代に、「食医」とされる食事専門医の存在があった。

3)「食医」は、『周礼』天官に定める医師四種の筆頭に位置する食医。
王の食事を調理するに「春に酸を多く、夏に苦を多く、秋に辛を多く、冬に鹹を多く、調えるに甘滑」と五味を重視する。それを進める職階があった、ということ。
以下。疾医(内科医)、瘍医(外科医)、第四番目=獣医と定める。
しかし、獣医には全く触れないが、疾医&傷医に、五味、五薬、五毒を「以てこれを節す」と。

「節す」も現代に多用される意味ではなく、「ほどよくする」の用例と読んで置く。
因みに「五味=酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味(かんみ:塩からい)」の5種類」。
五味(五種の薬剤)=草、木、虫、石、穀。
五毒=ムカデ、サソリ、トカゲ、ガマ、ヘビのことで、強い精力をもった恐るべき存在。

 「五味・五穀・五薬を以てその病を養う」の思想に加え、「薬に酸鹹甘苦辛の五味あり」(『神農本草経』序録 刊行時期=一世紀)と時代を重ね。
以後も<食事で病を治療。食事こそ重要で病に至らぬ>は伝統思想となっていたようだ。

4)そこのところを承け、わが国では<食事で病を治療。食事こそ重要で病に至らぬ>をシンプルな語で、と。
 「薬食同源」「食薬同源」などが例示されたが、それでは<薬と聴くと化学薬品>を連想させ「生薬 しょうやく」には思いつかのでは。
 新宿クッキングアカデミーの新居裕久校長は以上を主唱し、「医食同根」を造語したようだ。
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和製漢語か「医食同源」あわせて「薬膳」 もう一つの視点で環境学習260313
和製漢語か「医食同源」あわせて「薬膳」 もう一つの視点で環境学習260313

耳にする「医食同源 いしょくどうげん」は和製漢語か。それとも薬食同源か。そもそも出典はいずこに、なんぞや。あわせて「薬膳」の語も。
そう思いついて、早速、調べてみることに。ここは辞書よりもネットで、と。
「AIに聞く」は未使用ながら、どうも「これ信憑性がありそうだ」。そんな箇所にであった。

今,信憑性とは「なんぞや?」は、さておきだ。そこのところを真柳誠「医食同源の思想-成立と展開」(『しにか』9巻10号72-77頁、1998年10月)に、依拠してみる。
https://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper04/sinica98_10.htm
1)まず「医食同源」は新宿クッキングアカデミー校長の新居裕久氏の造語、と。

 新居裕久氏は一九七二年のNHK『きょうの料理』九月号で、中国の薬食同源を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、薬を医に変え医食同源を造語したと述懐のだ。
 背景に真柳氏は、1972年は高度成長期の後半で、飮食にも各種弊害が出現したため、この造語が急速に普及したと、述べる。

2)そもそも「薬食同源」が先にあり、それは中国の文献に出典が求められている。
 『漢書』にある名言「民意食為天」で、読みは「民は食を以て王者は天となす」。
 転じて「民衆にとって『食』はまさに天であり」「民衆を食わせられない天子はその資格を失う」
 『三重大学生物資源学部紀要 30号』に大原,興太郎・王,初文氏が「医食同源・薬食同源に関する歴史的考察」(p. 69-87 2003年3月)を発表している。
 ( https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010671318 260313 )
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東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212
 東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212

「もう一つの視点で環境学習」。その第二段には「未病 みびょう」について。
 北里大学東洋医学総合研究所は「未病」について、以下の三点を示す。
 https://www.kitasato-u.ac.jp/toui-ken/kampo/index.html 「未病とわ」

 1)「胃腸の調子すぐれない、疲れやすいなどの身体的・精神的不調を感じる」状態を漢方医学的には未病、と、
 2)(言葉を換えると)まだ病気にはなっていないが、放っておくと病気になる可能性がある状態、であって。
 3)(西洋医学の健康診断・人間ドックに対し)漢方は疾病予防に病気になる前の段階=未病状態を検知し対処するを、有用かつ得意分野。

 加えて前述の研究所では、「概要 かんぽうと現在」で、あらためて■点
 4)漢方は古代中国の医学を基本とするも、「日本人に合うように独自に発展してきた日本の伝統医学」
 5)明治時代初期まで漢方が日本医学の主流で、診断過程は専門家以外にはわかりにくく<暗黙知>で伝承。
 6)漢方薬を構成する生薬ですが、日本で使用している生薬の約8割を海外(主に中国)からの輸入、に依存であった。

 記憶をよみがえらせるに。「副作用は西洋薬が3%なのに対して東洋薬(漢方)は1%」。
 阿寒摩周国立公園で観光振興の副作用。その振興過程ではオーバーツーリズムやマナーの低下は、副作用の1%にあたるのかも。
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人口減少&高齢化、設備維持財負担に、遠いコミュニティ復活 東日本大震災15周年朝260311 
人口減少&高齢化、設備維持財負担に、遠いコミュニティ復活 東日本大震災15周年朝260311 

2011年3月11日14時46分から、今日で満15年。
公共放送R1は午前7時台のニュース冒頭。
そこで、次の項目。

 1)インフラ整備は、ほぼ終了。
 2)しかし人口減少と市民の高齢化はいっそう進み、長期的視野が必要。
 3)また、整備されたインフラのメンテナンスが財政負担になり。
 4)崩壊したコミュニティの再建は、今後の課題。

 聴いていて、「世界に類例を見ない産業公害のマチ」で伝わる水俣市民の地域再興の、ひたむきと言える地域再興に思いをはせた。
 1)は公共のできる重要な役割。しかし、市民間に生じた偏見・中傷・差別の対立は永く溶けることがなかった。
 市民は立ち上がる。「もやい直し」「自分を変える」「自身で調べ、考える」「課題解決では間に合わない、付加価値創造の力を」。

 カネ、防災設備、新開団地。それだのみでは、また、あらたな課題。
 持続力の高い暮らしは、なかなか困難。そうした中、当事者にあの時の記憶は生々しく、しかし確実に高齢化はすすむ。
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東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212
 東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212

「もう一つの視点で環境学習」。その手始めに「東洋医学と西洋医学の違い」を。
 まずは東洋医学。それはなにか。
 そこのところを長野県で開業医を営む診療所のHPから。(かくた内科クリニック 長野市三輪 内科 リハビリテーション科)

 1)東洋医学は病気を診るのではなく、病人の身体全体を総合的に診て治していく
 2)東洋医学は「農耕」と例えれば、その“違い”がわかりやすい=カラダ全体を見て、自然治癒力に着目。「人そのものに着目をする」のだ。
 3)、農耕は種や苗を植え植物(体)を育てることを示し、植物を栽培するため必要な食料を持続的に得ることができ、じっくりと時間をかけて土台(体)を作り上げていく。
 4)ために、時間はかかりますが、持続性があるためカラダを体質から改善。
 
 つまり東洋医学は「時間はかかりるも、持続性があるためカラダを体質から改善」の特質。
 対して西洋医学。
 5)西洋医学は具合の悪い方を経過や検査で判断、その病気に対して治療する。ということは「西洋医学は病気に着目をする」ことに。
 6)発病してから症状と進行状態で投薬・手術・放射線などの治療方法を選ぶ。
 7)狩猟に似て、獲物(病気)を見つけたら、すぐに治療し病気そのものを治す。
 8)ただし「狩猟」には持続性がなく、症状が現れたらまた狩り(治療)に出る。

 まずはここまで。掲載図版は北里大学東洋医学総合研究所「日本漢方がすべての世代の健康をサポートできる社会をめざして かんぽうのみらい」で。
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付加価値を産み出した明太子、年商1200億円 「博多 中洲界隈(わい)」nhkBS4K260308
 付加価値を産み出した明太子、年商1200億円 「博多 中洲界隈(わい)」nhkBS4K260308

現会長の子息が語る。「『惣菜だもの」と特許、商標登録しない父」。
 戦後、朝鮮半島から福岡中州の一角で食料品店ふくやを創業した夫妻は、「売れる商品を見つけて仕入れても、他の業者にすぐまねされる」。
 オリジナル商品、手づくり商品に思い入れた、と。その「明太子 めんたいこ」も今や国内で年商1200億円のマーケット。

 契機は夫人の一言。「(夫妻が生まれ暮らした釜山)そこで食べた『辛いたらこ』の食品を作れないか」」と俊夫氏に話したのが、きっかけだそうで。
 1949年1月に明太子の原型となる商品を発売するも、全く売れなかった。

 やたら辛すぎ、たらこを生で食べる習慣がまだなかったためだ。 
 夫は諦めず、食べやすくしようと10年ほどかけてあれこれ工夫した。
 「辛みを抑えるために氷砂糖や蜂蜜を加えたこともありました」

 子息は回想する。「父母が食べたのはたぶん『明卵漬(ミョンランジョ)』という塩辛みたいな発酵食品だと思います」。
 売れなかった明太子はそもそもが発酵食品。タラコに唐辛子を添えて、出来る食品ではないらしいことを。後年、後進地のタラコ産地では実感する。そんな出来事もあった。
 発酵の技術と生成環境に加え、氷砂糖や蜂蜜を加味する試み、それが10年余であった。

 完成して人気が高まるにつれ、近隣の商店から「卸して、ウチでも売らせて」
 しかし、創業者は断るも、子息は回想する。
 「自分たちがおいしいと思って作っても、口に合わない人もいる」。
 「ならばいろんな味があったほうがいい」
 「それで明太子をおいしいと食べてくれる人が増えればいいという考えです」。

  創業者は「自分で作ったらどうか」と勧め、作り方から材料の仕入れ先まで教えた。
  「ふくやと違う味にしなさい」。つまり、さまざまな味があって、良いと。
  そこを一語でくくると、明太子には様々な味があって、良い。惣菜だもの、皆がつくる。故に特許や商標登録はしない。

 結果、「いまや明太子は年商1200億円」。
 新日本風土記 「博多 中洲界隈(わい)」初回放送日NHK BSプレミアム4K3月2日(月)午後9:00
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「生きヅラさの中を・・・」Here & Nowで 「あなたは今を生きている 精神科医・蟻塚亮二」nhk
 「生きヅラさの中を・・・」Here & NowにThere & Then から 「あなたは今を生きている 精神科医・蟻塚亮二」nhk

今ここでの体験、今ここでの感情が、過去の映像ではなくて、<今の自分>の方に意識を転換する。=(それが)Hire and Nowに気持ちを引っ張り込む

 Hire and Now. に気持ちを引っ張り込む。
 あなたの人生を生きていくために、Hire and Now.をたいせつにしている。

 (東日本大震災)震災から(すでに)何年とは言えない。
 (被害を受けた人にとってはその時と)地続き(状態にあり)メンタル面で言うと震災から地続きで

 <震災後のいろいろ>がトラウマになって=過去の記憶が続いている。
 (まだ)「夫は津波で死んだ」「(妻にとって)サヨナラの言えない別れがもたらす不条理」を、今も引きずり続けている。
 涙という感情はHere and Now。泣くことで現在=今の姿に、すなわち<今の私>が泣いているわけ。

 他人は「何年もまえのことだから諦めている」と言うが、当人にとっては過去の記憶が現実のなかに飛び込んでくる。だから<諦めている>と否定されると、それは(当人の)泣く権利も奪ってしまい、そのフラッシュバックがPTSD。

 トラウマ=過去の記憶。それが現実に飛び込んでくるのがフラッシュバック。(本人にとってはさまざまな事象・事柄が)過去形に成り切れずに、現在進行形で続く、わけ。
 There & Then.=あの時、あそこでの過去の出来事になってします。今、この瞬間に集中することで、トラウマから開放される。
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 《いま=今を1)悦べる、2)意味もてる、3)満足できる》か、Here & NowにThere
 《いま=今を1)悦べる、2)意味もてる、3)満足できる》か、Here & NowにThere & Then から 「こころの時代 あなたは今を生きている 精神科医・蟻塚亮二」nhk

沖縄で戦争被災体験の患者と向き合っていた精神科医が、2013年に本拠地を福島に写した。
 非妊時は月に400人に満たなかった患者が、今は900人を超えるのだ、と。
 その背景を、過去が過去形にならずに今も尾を引き、現在進行形で引きづって居る。

 精神科医・蟻塚亮二氏は永年取材を続けてきたディレクターの問いに答える。
 「Here and Nowを一言で言うと?」の問いに、医師は「今ここでの体験、今ここでの感情」と切り出す。
 つづけて「あなたの人生を生きていくために、Hire and Now.をたいせつにしている」とも。

 涙という感情はHere and Now。 
 泣くことで現在=今の姿に、すなわち<今の私>が泣いているわけ。
 そこで対極にと写真の板書、here and now 「今ここで」⇔⇒ there and then あの時あそこで。

 ここまでを、以下に受け止めてみたのふぁが。
 《いま=今を1)悦べる、2)意味もてる、3)満足できる》か、Here & NowにThere & Then か
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「高校講座 歴史総合」 26年3月6日朝5時台のテーマは「石油危機とアジアの経済発展」。
 「高校講座 歴史総合」 26年3月6日朝5時台のテーマは「石油危機とアジアの経済発展」。
 
 毎回定番、テーマのソウルフードは「沖縄を代表するソウルフード=ポークたまご」。
 代表的な旨味のモトは「ポークランチョンミート」と呼ばれる「豚肉に香辛料で味付けした缶詰」ということ。
 戦後、沖縄の食糧事情改善のため、USAが援助した物資の一にして、いまや国内で全都道府県中、第一位の消費量と。

 そこでネット検索欄に「沖縄 県民 男 平均余命 推移」と挿入。
 イの一番に「AIが回答を生成」と。
 見守るに、次のコメントが。

 「沖縄県男性の平均余命(平均寿命)は、かつて全国1位でしたが、2020年には80.73歳で全国43位にまで順位を下げています」。
 「順位低下の主な原因は、20代から60代の働き盛り世代の死亡率が高いことにあるとされています」。
 そかそか。

 続けて。「平均寿命の推移と現状」を。
 「沖縄県の男性平均寿命は、1990年以降順位を下げ続け、2020年には全国43位」りま 「かつて『長寿県』として知られた沖縄にとって危機的な状況と認識」。
 そうだ、そうだ、聞いていたぞ。その先に、<(要因は)USAの持ち込んだ食事の洋風化、(接待などで)外食の多い、男性寿命が全国平均を下回ることに」と聞いた、ぞ。

 続けて、(ご希望ならば、と)「順位低下の背景」。そこを以下、項目のみで。
 ■働き盛り世代の死亡率
 ■生活習慣病と肥満
 ■市町村別の状況(2020年)。少々、本音をハグラカされた気持ちでもあるが。
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割れの形=笑いと開花を象徴する縁起物&砂糖+油+揚げ物 琉球銘菓 サーターアンダギー260305
 割れの形=笑いと開花を象徴する縁起物&砂糖+油+揚げ物 琉球銘菓 サーターアンダギー260305

量販店のコーナーに、「サーターアンダギー」が特売価格で。
 先に店に顔を出した時、「沖縄フェア」の催事があった。並ぶオリオンビール缶を手に、しばし考えたが、それだけで済ませた。
 ところがところが。一度食して相当に魅かれた銘菓が並んで居るではないか。買い求めた。

 この名称。なかなか記憶できずに、その「お気に入りの味」のみを記憶していた。
 調べてみるに、沖縄の方言では、沖縄の方言で「サーター」は砂糖、「アンダ」は油、「アギ」は揚げ。そこから「アンダ+アギー」で「油で揚げたもの」という意味、と。
 (出典:【あの人にも届けたい、沖縄のソウルフード】)。

 でわ、その意味とルーツは?。砂糖+油+揚げ物の言葉を繋げ、「サーターアンダギー」の名。地元では「砂糖てんぷら」と。
 中国に「開口笑」と呼ばれる似た形の揚げ菓子があり、「琉球国時代にそのレシピが伝わったものが起源」が一説。(前掲出典)。
 製法は小麦粉、卵、砂糖を練り、球状に油で揚げたお菓子。そうではあるも「調理技術を学んだ宮中の料理人たちが帰国して作ったお菓子」との伝承もあるそうだ。

 形は中国の「開口笑(かいこうしょう)」と呼ばれる揚げ菓子に似て、その割れた形は笑ったような、花がパッと咲いたように見え、『幸せの象徴』『福を呼び込む』の由縁。
 その地では「お祝いの席に出す風習」とあわせ、「福を呼ぶ」縁起の良いお菓子として昔からお祝い事、年中行事、記念日などに使われてきたと、言う事。
 初めてクチにしたときの、あの忘れがたいウマミ。その源泉は長い伝統と格式に裏打ちされたものなのだ。
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香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303
 (承前)ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)

 曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
 そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・

そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
 記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
 故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載がある。
 https://yousakana.jp/kagawa/ 
【1888年】12月3日は香川県の独立記念日 – December 3rd is Independence Day of Kagawa pref. | 物語を届けるしごと
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香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303
 香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303

前日朮の「離れて居ても同じ県で不都合が多い」は、たちまち「置県後の統廃合」を促すことになったか。
 1873年2月 高松県、丸亀県、倉敷県、津山県域=「旧(第一次)香川県か」は「(明治4=71年11月、名東 めいとう 県=阿波と淡路の合併)と改称済の徳島県に1875=明治7年9月まで編入される。
 https://www.pref.tokushima.lg.jp/japanese/about/history/
 つまり名東県が管轄した時期は明治4=71年11月~同7=75年9月まで。75年9月には名東県が分離され、「旧(第2次)香川県」が成立する。

 でわ1875=明治7年9月からの県名は旧高松県の中央、香川郡を県名にしたものながら、明治9=1876年■月、今度は愛媛県に編入される。
 この判断を『愛媛県史 地誌Ⅰ』(総論)(昭和58年3月31日発行)は、「明治政府の地方行政策のうえで、四国が面積的に広く、二県に統合することが合理的だと考えられたにすぎない」とする。
 ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)

 曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
 そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・

そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
 記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
 故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載もあるほどなのだ。
 https://yousakana.jp/kagawa/ 
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香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260302
 香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260302

 『興業意見』総目録で「巻二十四 地方十」の「南海道」は和歌山県、徳島県、愛媛県、高知県で、香川県がない。
 『興業意見』の編さんは1980年に始まり、84年末に出版されている。
 その間に、香川県の母体である讃岐国は、時代の推移に揺れた。

 江戸末期。讃岐国に高松、丸亀多度津の大名家領、さらに津山の飛び地と天領があった。
 明治4年7月14日 廃藩置県が施行され、旧大名家領=廃藩に、府県が設置=置県された。
 讃岐国
  高松    →高松県
  丸亀    →丸亀県
  多度津   →倉敷県
  天領    →倉敷県
  津山飛地  →津山健
 結果、「北海道に1使、東京・大阪・京都に3府、そして全国に302県が置かれた。
 ために、飛地であった旧大名家領がそのまま新しい県となり、離れて居ても同じ県で不都合が多い、とされた。
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この文化、北海道にあるや? 「(鳥取県)ふるさとキャリア教育」260227NHKG
 この文化、北海道にあるや? 「(鳥取県)ふるさとキャリア教育」260227NHKG

 令和7年が三度目にあたる「ふるさとキャリア教育フェスティバル~子どもの学び 発信・発見!~」が、開かれたと。
 なかで、三朝小学校の発表した「日本一危険な国宝~国宝投入堂~」の30秒CMが、「CM賞」授与された。
 そんなニュースに接し「あの国宝」のことだ。そこと即座に結合した。

 「三徳山三佛寺投入堂」。実に<断崖絶壁に建つ御堂>なのだ。
 「どう建てた?」「どう管理?」「なんのために?」。次々、疑問が過る。
 験者が往昔から修行で詣でる。「活きておる」。

 ところで「ふるさとキャリア教育」とは、なにか。県のHPに三項目が記載。
 1)ふるさとに誇りと愛着持ち、鳥取をさらに発展させていく意欲・意志を持った人材育成を目指す取組、
 2)発達段階に応じ地域に根差した学びを実践。
 3)学びを通じ、将来どこにいても心にふるさと鳥取を抱き、自分らしい生き方を確立していけることを目指す。
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