2016年05月の記事


05月31日のJavascript


ここをクリックすると日替わりJavz作品へ跳びます


今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ポルトはワイン積み出し港(その2) です。ポルトはポルトガル北部にある港町で、人口26万人ほどのリスボンに次ぐ第2の都市です。大西洋に注ぐドウロ川(Rio Douro)河口近くの北岸の丘陵地に市街があります。ローマ時代からこの地に王国が成立し、ポルトガルの語源にもなっています。13世紀末にイングランドと同盟が結ばれた後、当地の名産ワインがイングランドに多く輸出され、英語でポート・ワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれるようになりました。




今 日 の 一 枚

ポルトはワイン積み出し港

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05月30日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ポルトはワイン積み出し港(その1) です。ポルトはポルトガル北部にある港町で、人口26万人ほどのリスボンに次ぐ第2の都市です。大西洋に注ぐドウロ川(Rio Douro)河口近くの北岸の丘陵地に市街があります。ローマ時代からこの地に王国が成立し、ポルトガルの語源にもなっています。13世紀末にイングランドと同盟が結ばれた後、当地の名産ワインがイングランドに多く輸出され、英語でポート・ワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれるようになりました。




今 日 の 一 枚

ポルトはワイン積み出し港

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05月29日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、宗教都市「ブラガ」です。ブラガは、ポルトの北北東50kmの町。紀元前2世紀からの歴史を持ち、11~12世紀に大司教座が置かれて「祈りのブラガ」と呼ばれる国内随一の宗教都市となりました。
 街にはカテドラルや多くの教会があり、ヨーロッパの聖地の一つとして多くの巡礼者が訪れています。ブラガ市内を散策しました。




今 日 の 一 枚

エンリケ航海王子の像

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05月28日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、宗教都市「ブラガ」です。ブラガは、ポルトの北北東50kmの町。紀元前2世紀からの歴史を持ち、11~12世紀に大司教座が置かれて「祈りのブラガ」と呼ばれる国内随一の宗教都市となりました。
 街にはカテドラルや多くの教会があり、ヨーロッパの聖地の一つとして多くの巡礼者が訪れています。ブラガ市内を散策しました。




今 日 の 一 枚

宗教都市「ブラガ」

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05月27日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はスライドショウで、手法はzoom-in。ほぼ画面いっぱいの大きさから、本来の大きさに縮小されて切り替わります。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第一日目(その5) です。ポルトはポルトガル北部にある港町で、人口26万人ほどのリスボンに次ぐ第2の都市です。大西洋に注ぐドウロ川(Rio Douro)河口近くの北岸の丘陵地に市街があります。ローマ時代からこの地に王国が成立し、ポルトガルの語源にもなっています。13世紀末にイングランドと同盟が結ばれた後、当地の名産ワインがイングランドに多く輸出され、英語でポート・ワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれるようになりました。ドウロ川沿いの街並みには中世からの歴史的建造物が多く、地区全体が世界遺産になっています。なお”ポルト”自体は”港”の意味のため、特に町を特定して区別する場合は冠詞をつけて”オポルト(Oporto)”と言います。




今 日 の 一 枚

世界遺産ポルト

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05月26日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はスライドショウで、手法はzoom-up。ズームアップしながら画像が切り替わります。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第一日目(その4) です。ポルトはポルトガル北部にある港町で、人口26万人ほどのリスボンに次ぐ第2の都市です。大西洋に注ぐドウロ川(Rio Douro)河口近くの北岸の丘陵地に市街があります。ローマ時代からこの地に王国が成立し、ポルトガルの語源にもなっています。13世紀末にイングランドと同盟が結ばれた後、当地の名産ワインがイングランドに多く輸出され、英語でポート・ワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれるようになりました。ドウロ川沿いの街並みには中世からの歴史的建造物が多く、地区全体が世界遺産になっています。なお”ポルト”自体は”港”の意味のため、特に町を特定して区別する場合は冠詞をつけて”オポルト(Oporto)”と言います。




今 日 の 一 枚

世界遺産ポルト

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05月25日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はスライドショウで、手法はfade。ふわぁーとした感じで画面が切り替わります。

使用した写真はポルトガルの旅 第一日目(その3) です。ブラガは、ポルトの北北東50kmの町。紀元前2世紀からの歴史を持ち、11~12世紀に大司教座が置かれて「祈りのブラガ」と呼ばれる国内随一の宗教都市となりました。
 街にはカテドラルや多くの教会があり、ヨーロッパの聖地の一つとして多くの巡礼者が訪れています。ブラガ市内を散策しました。




今 日 の 一 枚

ブラガ市内散策

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05月24日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ボン・ジェズス教会の庭園(その3) です。ブラガの街にはカテドラルや多くの教会があり、ヨーロッパの聖地の一つとして多くの巡礼者が訪れています。特に市街東5kmの丘にある「ボン・ジェズス教会(Santuario do Bom Jesus do Monte)」は、1811年に造られたネオ・クラシック様式の教会で、麓から教会までを「5感の階段」と「3徳の階段」という合計250段の美しい装飾階段が有名です。教会の中庭には綺麗な花園がありました。




今 日 の 一 枚

ボン・ジェズス教会の庭園

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05月23日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ボン・ジェズス教会の庭園(その2) です。ブラガの街にはカテドラルや多くの教会があり、ヨーロッパの聖地の一つとして多くの巡礼者が訪れています。特に市街東5kmの丘にある「ボン・ジェズス教会(Santuario do Bom Jesus do Monte)」は、1811年に造られたネオ・クラシック様式の教会で、麓から教会までを「5感の階段」と「3徳の階段」という合計250段の美しい装飾階段が有名です。教会の中庭には綺麗な花園がありました。




今 日 の 一 枚

ボン・ジェズス教会の庭園

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05月22日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ボン・ジェズス教会の庭園(その1) です。ブラガの街にはカテドラルや多くの教会があり、ヨーロッパの聖地の一つとして多くの巡礼者が訪れています。特に市街東5kmの丘にある「ボン・ジェズス教会(Santuario do Bom Jesus do Monte)」は、1811年に造られたネオ・クラシック様式の教会で、麓から教会までを「5感の階段」と「3徳の階段」という合計250段の美しい装飾階段が有名です。教会の中庭には綺麗な花園がありました。




今 日 の 一 枚

ボン・ジェズス教会の庭園

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05月21日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はballon。画像の中をフワフワといくつもの風船が舞い上がっていきます。

使用した写真は、ボン・ジェズス教会の階段(その3) です。ボン・ジェズス教会はブラガの郊外六キロのところにあり、緑にすっぽり囲まれた標高410mの斜面にあり、壮大華麗な階段が続きます。1811年に建てられたネオクラシック様式の教会。バロック形式の美しい階段の途中には礼拝堂があり、その一つ一つに祈りながら巡礼者達は上がって行きます。実は階段そのものが、信仰の深さを確認させる対象になっているそうです。下が五感の階段(視覚 聴覚 嗅覚 味覚 触覚)、上が三徳の階段(信仰 希望 博愛)です。




今 日 の 一 枚

ボン・ジェズス教会の階段

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05月20日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、画像を色々な方向にスクロールさせます。画像の端にマウスを置いてみて下さい。マウスの位置の方向に画像が移動します。八方向が設定してあります。
 移動を停止するには、STOPボタンをクリックして下さい。画像にマウスオンすると、また移動します。
 その横の紫色のボタンは画像の拡大ボタンです。大きなボタンを押すと拡大し、小さなボタンを押すと縮小します。

使用した写真は、ボン・ジェズス教会の階段(その2) です。ボン・ジェズス教会はブラガの郊外六キロのところにあり、緑にすっぽり囲まれた標高410mの斜面にあり、壮大華麗な階段が続きます。1811年に建てられたネオクラシック様式の教会。バロック形式の美しい階段の途中には礼拝堂があり、その一つ一つに祈りながら巡礼者達は上がって行きます。実は階段そのものが、信仰の深さを確認させる対象になっているそうです。下が五感の階段(視覚 聴覚 嗅覚 味覚 触覚)、上が三徳の階段(信仰 希望 博愛)です。




今 日 の 一 枚

ボン・ジェズス教会の階段

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05月19日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ボン・ジェズス教会の階段(その1) です。ボン・ジェズス教会はブラガの郊外六キロのところにあり、緑にすっぽり囲まれた標高410mの斜面にあり、壮大華麗な階段が続きます。1811年に建てられたネオクラシック様式の教会。バロック形式の美しい階段の途中には礼拝堂があり、その一つ一つに祈りながら巡礼者達は上がって行きます。実は階段そのものが、信仰の深さを確認させる対象になっているそうです。下が五感の階段(視覚 聴覚 嗅覚 味覚 触覚)、上が三徳の階段(信仰 希望 博愛)です。




今 日 の 一 枚

ボン・ジェズス教会の階段

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05月18日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第一日目(その2) です。 ブラガは、ポルトの北北東50kmの町。紀元前2世紀からの歴史を持ち、11~12世紀に大司教座が置かれて「祈りのブラガ」と呼ばれる国内随一の宗教都市となりました。
 街にはカテドラルや多くの教会があり、ヨーロッパの聖地の一つとして多くの巡礼者が訪れています。特に市街東5kmの丘にある「ボン・ジェズス教会」は、1811年に造られたネオ・クラシック様式の教会で、麓から教会までを「5感の階段」と「3徳の階段」という合計250段の美しい装飾階段が有名です。




今 日 の 一 枚

ボン・ジェズス教会

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05月17日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ブラガンサ公爵館からギラマンエスを望む です。ギラマンエスは初代ボルトカルの王、アフオンソ・エンリケスが生まれた地として、また、ポルトガル誕生の地としても有名。2001年に世界遺産に登録された町の入り口には”Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する)”と刻まれている。
 ブラガンサ公爵館は、1401年に初代ブラガンサの公爵、ドン・アフォンソ1世によって建てられた宮殿。小高い丘の上に立つ、39本ものレンガの煙突が特徴的な石造りの建物だ。中庭を取り囲むように作られた建物内の各部屋はとても広く、天井が木製で壁が石でできている。16世紀にブラガンサ侯爵家がヴィラ ヴィソーザに移ってからは廃墟となっていたが、現在は政府の公館として、国賓の接待の場などに使われている。




今 日 の 一 枚

ブラガンサ公爵館からギラマンエスを望む

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05月16日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はbublle。画像の中をフワフワといくつもの泡が舞い上がっていきます。

使用した写真は、ギラマンエスのブラガンサ公爵館(その3) です。ギラマンエスは初代ボルトカルの王、アフオンソ・エンリケスが生まれた地として、また、ポルトガル誕生の地としても有名。2001年に世界遺産に登録された町の入り口には”Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する)”と刻まれている。
 ブラガンサ公爵館は、1401年に初代ブラガンサの公爵、ドン・アフォンソ1世によって建てられた宮殿。小高い丘の上に立つ、39本ものレンガの煙突が特徴的な石造りの建物だ。中庭を取り囲むように作られた建物内の各部屋はとても広く、天井が木製で壁が石でできている。16世紀にブラガンサ侯爵家がヴィラ ヴィソーザに移ってからは廃墟となっていたが、現在は政府の公館として、国賓の接待の場などに使われている。




今 日 の 一 枚

ギラマンエスのブラガンサ公爵館

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05月15日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、画像を色々な方向にスクロールさせます。画像の端にマウスを置いてみて下さい。マウスの位置の方向に画像が移動します。八方向が設定してあります。
 移動を停止するには、STOPボタンをクリックして下さい。画像にマウスオンすると、また移動します。
 その横の紫色のボタンは画像の拡大ボタンです。大きなボタンを押すと拡大し、小さなボタンを押すと縮小します。

使用した写真は、ギラマンエスのブラガンサ公爵館(その2) です。ギラマンエスは初代ボルトカルの王、アフオンソ・エンリケスが生まれた地として、また、ポルトガル誕生の地としても有名。2001年に世界遺産に登録された町の入り口には”Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する)”と刻まれている。
 ブラガンサ公爵館は、1401年に初代ブラガンサの公爵、ドン・アフォンソ1世によって建てられた宮殿。小高い丘の上に立つ、39本ものレンガの煙突が特徴的な石造りの建物だ。中庭を取り囲むように作られた建物内の各部屋はとても広く、天井が木製で壁が石でできている。16世紀にブラガンサ侯爵家がヴィラ ヴィソーザに移ってからは廃墟となっていたが、現在は政府の公館として、国賓の接待の場などに使われている。




今 日 の 一 枚

ギラマンエスのブラガンサ公爵館

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05月14日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、ギラマンエスのブラガンサ公爵館(その1) です。ギラマンエスは初代ボルトカルの王、アフオンソ・エンリケスが生まれた地として、また、ポルトガル誕生の地としても有名。2001年に世界遺産に登録された町の入り口には”Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する)”と刻まれている。
 ブラガンサ公爵館は、1401年に初代ブラガンサの公爵、ドン・アフォンソ1世によって建てられた宮殿。小高い丘の上に立つ、39本ものレンガの煙突が特徴的な石造りの建物だ。中庭を取り囲むように作られた建物内の各部屋はとても広く、天井が木製で壁が石でできている。16世紀にブラガンサ侯爵家がヴィラ ヴィソーザに移ってからは廃墟となっていたが、現在は政府の公館として、国賓の接待の場などに使われている。




今 日 の 一 枚

ギラマンエスのブラガンサ公爵館

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05月13日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する) です。
 使用した写真は、ポルトガルの旅 第一日目(その1) です。ギラマンエスは、初代ボルトカルの王、アフオンソ・エンリケスが生まれた地として、また、ポルトガル誕生の地としても有名。2001年に世界遺産に登録された町の入り口には”Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する)”と刻まれている。




今 日 の 一 枚

Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する)

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05月12日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第一日目(その1) です。ギラマンエスは、初代ボルトカルの王、アフオンソ・エンリケスが生まれた地として、また、ポルトガル誕生の地としても有名。2001年に世界遺産に登録された町の入り口には”Auui Nasceu Portugal(ここにポルトガル誕生する)”と刻まれている。

 ブラガンサ公爵館は、1401年に初代ブラガンサの公爵、ドン・アフォンソ1世によって建てられた宮殿。小高い丘の上に立つ、39本ものレンガの煙突が特徴的な石造りの建物だ。中庭を取り囲むように作られた建物内の各部屋はとても広く、天井が木製で壁が石でできている。




今 日 の 一 枚

ギラマンエスのブラガンサ公爵館

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05月11日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はballon。画像の中をフワフワといくつもの風船が舞い上がっていきます。

使用した写真は、イスタンブールのアヤソフィア大聖堂(その2) です。
 ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目、午前、空路、トルコの経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。今日紹介するアヤソフィア大聖堂は、西暦360年ローマ皇帝のコンスタンティヌス2世によって建造され、現在の建物は537年にユスティニアヌス1世によって再建されたものです。ギリシャ正教の総本山となり、歴代のビザンチン帝国皇帝がここで戴冠式を行いました。
 1453年にビザンチン帝国がオスマン・トルコに征服され首都のコンスタンチノープルがイスタンブールと改名されるとともにアヤソフィアもイスラム教のモスクに変わりました。
 その結果、キリスト教の十字架がイスラムの三日月になり、4本のミナレットが作られました。また、キリストのモザイク像などは漆喰で隠されてしまいました。
 トルコ共和国誕生後、初代大統領アタテュルクはアヤソフィアを博物館として開放。1931年にモザイク画が再発見されています。




今 日 の 一 枚

イスタンブールのアヤソフィア大聖堂

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05月10日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はbublle。画像の中をフワフワといくつもの泡が舞い上がっていきます。

使用した写真は、イスタンブールのブルーモスク(その3) です。
 ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目、午前、空路、トルコの経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。今日紹介するブルーモスクは、トルコのイスタンブルを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブルの歴史地区の歴史的建造物群のひとつ。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。設計はメフメト・アー。『世界で最も美しいモスク』と評される。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。夏には音と光のショーも催され、幻想的にライトアップされた夜の姿も楽しむことができる。




今 日 の 一 枚

イスタンブールのブルーモスク

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05月09日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はballon。画像の中をフワフワといくつもの風船が舞い上がっていきます。

使用した写真は、エジプトから移築したオベリスク(その2) です。
 ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目、午前、空路、トルコのイスタンブール経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。今日紹介するオベリスクは、古代エジプト期に製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種です。近代および現代においては、エジプトに拠らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設され、その地域を象徴する記念碑でもあります。古代オベリスクの起源は、太陽信仰のヘリオポリスのベンベンを模式化したものと考えられています。側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされました。後の時代にローマ帝国がエジプトに侵攻すると、オベリスクは戦利品として頻繁に略奪された。4世紀に首都となったコンスタンティノポリスの競馬場にも略奪したオベリスクが運ばれ、現在のイスタンブルにも残っています。以降の時代も欧州諸国からの略奪は続き、それらの国の公園や広場の装飾品に用いられました。フランスのコンコルド広場や、バチカンのサン・ピエトロ広場にあるオベリスクはよく知られています。そのため、現代エジプト国内に残されたオベリスクはカルナック神殿やルクソール神殿などにわずかに残るのみとなってしまいました。エジプトのオベリスクはその多くが花崗岩で制作されていましたが、20世紀以降に南米で制作されたオベリスクの中には鉄筋コンクリート製のものもあります。




今 日 の 一 枚

エジプトから移築したオベリスク

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05月08日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、イスタンブールのアヤソフィア大聖堂 です。
 ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目、午前、空路、トルコの経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。今日紹介するアヤソフィア大聖堂は、西暦360年ローマ皇帝のコンスタンティヌス2世によって建造され、現在の建物は537年にユスティニアヌス1世によって再建されたものです。ギリシャ正教の総本山となり、歴代のビザンチン帝国皇帝がここで戴冠式を行いました。
 1453年にビザンチン帝国がオスマン・トルコに征服され首都のコンスタンチノープルがイスタンブールと改名されるとともにアヤソフィアもイスラム教のモスクに変わりました。
 その結果、キリスト教の十字架がイスラムの三日月になり、4本のミナレットが作られました。また、キリストのモザイク像などは漆喰で隠されてしまいました。
 トルコ共和国誕生後、初代大統領アタテュルクはアヤソフィアを博物館として開放。1931年にモザイク画が再発見されています。




今 日 の 一 枚

イスタンブールのアヤソフィア大聖堂

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05月07日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、画像を色々な方向にスクロールさせます。画像の端にマウスを置いてみて下さい。マウスの位置の方向に画像が移動します。八方向が設定してあります。
 移動を停止するには、STOPボタンをクリックして下さい。画像にマウスオンすると、また移動します。
 その横の紫色のボタンは画像の拡大ボタンです。大きなボタンを押すと拡大し、小さなボタンを押すと縮小します。

使用した写真は、イスタンブールのブルーモスク(その2) です。
 ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目、午前、空路、トルコの経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。今日紹介するブルーモスクは、トルコのイスタンブルを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブルの歴史地区の歴史的建造物群のひとつ。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。設計はメフメト・アー。『世界で最も美しいモスク』と評される。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。夏には音と光のショーも催され、幻想的にライトアップされた夜の姿も楽しむことができる。




今 日 の 一 枚

イスタンブールのブルーモスク

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05月06日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、イスタンブールのブルーモスク です。
 ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目、午前、空路、トルコの経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。今日紹介するブルーモスクは、トルコのイスタンブルを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブルの歴史地区の歴史的建造物群のひとつ。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。設計はメフメト・アー。『世界で最も美しいモスク』と評される。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。夏には音と光のショーも催され、幻想的にライトアップされた夜の姿も楽しむことができる。




今 日 の 一 枚

イスタンブールのブルーモスク

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05月05日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、エジプトから移築したオベリスク です。
 ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目、午前、空路、トルコのイスタンブール経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。今日紹介するオベリスクは、古代エジプト期に製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種です。近代および現代においては、エジプトに拠らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設され、その地域を象徴する記念碑でもあります。古代オベリスクの起源は、太陽信仰のヘリオポリスのベンベンを模式化したものと考えられています。側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされました。後の時代にローマ帝国がエジプトに侵攻すると、オベリスクは戦利品として頻繁に略奪された。4世紀に首都となったコンスタンティノポリスの競馬場にも略奪したオベリスクが運ばれ、現在のイスタンブルにも残っています。以降の時代も欧州諸国からの略奪は続き、それらの国の公園や広場の装飾品に用いられました。フランスのコンコルド広場や、バチカンのサン・ピエトロ広場にあるオベリスクはよく知られています。そのため、現代エジプト国内に残されたオベリスクはカルナック神殿やルクソール神殿などにわずかに残るのみとなってしまいました。エジプトのオベリスクはその多くが花崗岩で制作されていましたが、20世紀以降に南米で制作されたオベリスクの中には鉄筋コンクリート製のものもあります。





今 日 の 一 枚

エジプトから移築したオベリスク

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今日の日替わりJavz作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第十二日目 です。午前、空路、トルコのイスタンブール経由で帰国の途へ。経由地の首都イスタンブールで、市内のショート観光をする。エジプトから移築したオベリスク(碑)、ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂を見学した。




今 日 の 一 枚

エジプトから移築したオベリスク

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05月03日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第十一日目 (その3) です。ルーマニア滞在最終日、首都ブカレストへ戻る。終日首都ブカレストの市内観光。夜はレストランに出かけ、民族舞踊のディナーショウでルーマニア最後の夜を楽しむ。




今 日 の 一 枚

民族舞踊のディナーショウ

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05月02日のJavascript


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今日の日替わりJavz作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。

使用した写真は、首都ブカレストの「国民の館」 です。
 ルーマニア滞在最終日、途中、吸血鬼ドラキュラのモデルになったルーマニア王ブラド・ツェペシュの父王の居城ブラン城に立ち寄った後、首都ブカレストに戻る。
 ブカレスト到着後、ブカレスト市内観光をし、革命広場、旧共産党本部、チャウシェスク夫妻の野望の象徴「国民の館」などを見学した。「国民の館」の正式名称は「議事堂宮殿」であり、別名に「議会宮殿」、「人民の館」、「人民宮殿」などがある。正式名称は チャウシェスク政権崩壊後に改めて名付けられたものであるが、ルーマニア人は「国民の館」という旧呼称を一般的に用いている。建設中の「国民の館」は1983年に着工。昼夜を問わず建設が進められ、しばしばチャウシェスク大統領が現場を視察し、進行状況のチェックなど指示を下したという。1989年のルーマニア革命でチャウシェスク政権が倒されたのを機に、建設計画の7割程度の完成をもって建設が一時中断された。その後建設が再開し、エレベーターなどが増築された。現在、完工に近い状態とされている。独裁者チャウシェスクが巨費を投じて造らせた宮殿が「国民の館」などという名前を付けられているのは、皮肉以外の何者でもない。この建物のために費やした税金はあまりにも莫大で、それによってルーマニア経済はひっ迫し、国民が困窮を強いられたというのだから。
豪華な装飾のホールや、廊下など建物の一部は有料で一般公開されており、国内外から多くの観光客を集めている。一部しか公開できないのは、現在部屋数が3,000を超え、あまりに大規模で管理ができないためである。ブカレストの中心に聳える「国民の館」は、超現実的なほど巨大な宮殿である。なにしろ床面積が世界中の宮殿や政府機関の建物の中でもアメリカ国防総省ペンタゴンに継ぎ2番目の大きさだというのである。これと言った産業のないルーマニアという国の象徴としては、あまりにも巨大な建物である。よくこれだけ大きな建物をさしたる目的もなく造ったものだと感心してしまう。




今 日 の 一 枚

首都ブカレストの「国民の館」

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05月01日のJavascript


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使用した写真は、首都ブカレストの凱旋門 です。
 ルーマニア滞在最終日、途中、吸血鬼ドラキュラのモデルになったルーマニア王ブラド・ツェペシュの父王の居城ブラン城に立ち寄った後、首都ブカレストに戻る。
 ブカレスト到着後、ブカレスト市内観光をした。ブカレストの凱旋門は、第一次世界大戦にルーマニアを守って死んだ兵士達の石造の記念碑で、1922年建設。ブカレストの北部にあり、パリの凱旋門と似ています。




今 日 の 一 枚

首都ブカレストの凱旋門

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