2008年06月の記事


06月30日のアプレット
今日の日替わりアプレットは、ビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、サプンツァ村の死者の顔や生前の絵姿などが彫られている「陽気な墓」です。ここサプンツァ村には、木彫りで絵入りの陽気で明るいお墓が建ち並んでいる。この墓の創始者はスタン・イオン・パトラッシュという木彫り職人。彼は生と死の間の「門」としての墓碑銘が楽しいものであるように、そして残された家族や友人の悲しみが少しでも癒されるようにと、このような墓を作り始めたのだそうです。現在ここには、350もの墓があります。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今日のアプレットの原画

サプンツァ村の「陽気な墓」


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06月29日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 八日目(その1)です。 今日もマラムレシュ地方の観光。最初にサプンツァ村の死者の顔や生前の絵姿などが彫られている「陽気な墓」を見学。
 ここサプンツァ村には、木彫りで絵入りの陽気で明るいお墓が建ち並んでいる。この墓の創始者はスタン・イオン・パトラッシュという木彫り職人。彼は生と死の間の「門」としての墓碑銘が楽しいものであるように、そして残された家族や友人の悲しみが少しでも癒されるようにと、このような墓を作り始めたのだそうです。現在ここには、350もの墓があります。 また、ここでは羊毛の「チェルジ(織物)」の生産が最も盛んで、村の女性たちは、一年中織機に向かって、ベッドカバーや絨毯を作っています。家の垣根にはチェルジと呼ばれる羊毛の織物が架けられている。道端ではその羊毛を紡いでいた。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

サプンツァ村の「陽気な墓」


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06月28日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 七日目(その2)です。 中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の観光をしました。
 ボグダン・ヴォーダの月曜の動物市、木の教会、イエウドの木の教会、ロザヴレアの木の教会を見学しました。今日はその後半の紹介です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

イエウドの木の教会


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06月27日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 七日目(その1)です。 中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の観光をしました。
 ボグダン・ヴォーダの月曜の動物市、木の教会、イエウドの木の教会、ロザヴレアの木の教会を見学しました。今日はその前半の紹介です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

ボグダン・ヴォーダの月曜の動物市


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06月26日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 六日目(その3)です。 中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の町バイアマーレに向かう。
 途中、ハンガリー人の伝統が息づくヴィシュテア村に立ち寄り、この地方の家庭を訪問する。民族衣装を着て、歓待していただきました。その後、この村を散策する。中世にタイムスリップしたかのような、昔ながらの伝統が息づく村でした。
昼食後、ハンガリー人が多く住むクルージ・ナポカに立ち寄り、町の中心を歩いて見学。
 その後、シク村を訪れ、ハンガリー人の一家を訪問、村の子どもたちが庭の舞台で民族舞踊を披露してくれました。今日はシク村の紹介です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

ハンガリー人のデャック・マルテァンさん宅訪問(庭の舞台で民族舞踊披露)


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06月25日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 六日目(その1)です。 中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の町バイアマーレに向かう。
 途中、ハンガリー人の伝統が息づくヴィシュテア村に立ち寄り、この地方の家庭を訪問する。民族衣装を着て、歓待していただきました。その後、この村を散策する。中世にタイムスリップしたかのような、昔ながらの伝統が息づく村でした。
昼食後、ハンガリー人が多く住むクルージ・ナポカに立ち寄り、町の中心を歩いて見学。
 その後、シク村を訪れ、ハンガリー人の一家を訪問、村の子どもたちが庭の舞台で民族舞踊を披露してくれました。今日はヴィシュテア村でハンガリー人のレヴェンテさん宅訪問(民族衣装でお出迎え)とその村の様子です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

クルージ・ナポカ市内散策


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06月24日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 六日目(その1)です。 中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の町バイアマーレに向かう。
 途中、ハンガリー人の伝統が息づくヴィシュテア村に立ち寄り、この地方の家庭を訪問する。民族衣装を着て、歓待していただきました。その後、この村を散策する。中世にタイムスリップしたかのような、昔ながらの伝統が息づく村でした。
昼食後、ハンガリー人が多く住むクルージ・ナポカに立ち寄り、町の中心を歩いて見学。
 その後、シク村を訪れ、ハンガリー人の一家を訪問、村の子どもたちが庭の舞台で民族舞踊を披露してくれました。今日はヴィシュテア村でハンガリー人のレヴェンテさん宅訪問(民族衣装でお出迎え)とその村の様子です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

ハンガリー人のレヴェンテさん宅訪問(民族衣装でお出迎え)


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06月23日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 五日目(その2)です。 ルーマニアでの初日は、中世の佇まいを色濃く残すトランシルバニア地方の町々を訪れました。午前中に、シナイアにある僧院とカロル1世の華燭な夏の離宮ペレシュ城、その後、ビエルダンにある要塞聖堂を見学しました。午後には、シギショアラにあるブラド・ドラキュラの生家と時計塔のある小さな城下町を散策。ブラド・ドラキュラの生家はレストランになっていました。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

ドラキュラの生家現在はレストランになっている


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06月22日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 五日目(その1)です。 ルーマニアでの初日は、中世の佇まいを色濃く残すトランシルバニア地方の町々を訪れました。午前中に、シナイアにある僧院とカロル1世の華燭な夏の離宮ペレシュ城、その後、ビエルダンにある要塞聖堂を見学しました。午後には、シギショアラにあるブラド・ドラキュラの生家と時計塔のある小さな城下町を散策。ブラド・ドラキュラの生家はレストランになっていました。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

シナイアの僧院


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06月21日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 四日目です。 バルナはソフィア、プロヴディフに次ぐブルガリア第三の都市で夏の首都とも言われ、黒海沿岸人口30万人の中核都市である。また世界とブルガリアを繋ぐ海の窓口でもある。
 聖母マリア大聖堂・バルナの黒海沿岸のビーチ・ローマ浴場跡・考古学博物館を見た後、マダラ遺跡の「マダラの騎士」のレリーフを見に行く。崩落が激しくよく見えない。修復中とのこと。それにしても黒海での海水浴を見られるとは思いもしなかった。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

バルナの黒海沿岸のビーチ


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06月20日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 三日目(その3)です。 国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈の東部にある、人口7万弱の地方都市。ブルガリア入にも人気の観光地だ。 森に包まれたいくつもの丘と、その周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立ったものだ。 どこを歩いても違う表情を見せてくれて、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的。自然と中世の町並みが鮮やかに溶け込んでいる。町の人からは「タルノヴォ」という愛称で呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都でもある。 イヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲をおさえ、タルノヴォで勉学を修するためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。しかし、その帝国もアッセンi三死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との3ヵ月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが再び脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年になってから。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。 どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら、町が刻んできた歴史のつひとつが味わえる。 ベリコ・タルノヴォノアの後、アルバナシ村やシューメンのトンブルモスクに立ち寄る。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

タルノヴォ旧市街散策(職人街)


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06月19日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 三日目(その2)です。 国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈の東部にある、人口7万弱の地方都市。ブルガリア入にも人気の観光地だ。 森に包まれたいくつもの丘と、その周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立ったものだ。 どこを歩いても違う表情を見せてくれて、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的。自然と中世の町並みが鮮やかに溶け込んでいる。町の人からは「タルノヴォ」という愛称で呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都でもある。 イヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲をおさえ、タルノヴォで勉学を修するためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。しかし、その帝国もアッセンi三死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との3ヵ月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが再び脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年になってから。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。 どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら、町が刻んできた歴史のつひとつが味わえる。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

ベリコ・タルノヴォ市街散策(ツァレヴェッツの丘)


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06月18日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、いろいろな切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ブルガリア・ルーマニアの旅 三日目(その1)です。 国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈の東部にある、人口7万弱の地方都市。ブルガリア入にも人気の観光地だ。 森に包まれたいくつもの丘と、その周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立ったものだ。 どこを歩いても違う表情を見せてくれて、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的。自然と中世の町並みが鮮やかに溶け込んでいる。町の人からは「タルノヴォ」という愛称で呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都でもある。 イヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲をおさえ、タルノヴォで勉学を修するためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。しかし、その帝国もアッセンi三死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との3ヵ月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが再び脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年になってから。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。 どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら、町が刻んできた歴史のつひとつが味わえる。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

ベリコ・タルノヴォ市街散策<br />
(ツァレヴェッツの丘)


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06月17日のアプレット
今日の日替わりアプレットは窓と雪、窓の開け閉め、雪の動きを止めるにはマウス操作で行って下さい。BGMはグルノーブルオリンピックのテーマソング「白い恋人たち」です。

使用した写真は、リラの僧院です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

使用したclassファイルはsnow_m.classです。

今日のアプレットの原画

リラの僧院


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06月16日のアプレット
今日の日替わりアプレットは雪のアプレットです。

使用した写真は、リラの僧院です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

使用したclassファイルはansnow.classです。

今日のアプレットの原画

リラの僧院


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06月15日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、色々な切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅(第二日目)です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

リラの僧院


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06月14日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、色々な切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第一日目(その2)です。
成田空港よりイスタンブールを経由してブルガリアの首都ソフィアへ着く。着後、ソフィア市内観光。アレキサンドル・ネフスキー寺院と寺院内にあるヨーロッパ最大のイコンコレクションを誇るイコン博物館、聖ペトカ地下教会と聖ゲオルギ教会を見学。途中、大統領官邸で、衛兵の交代式に遭遇する。夕食は、民族舞踊とブルガリア料理でした。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

聖ペトカ地下教会


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06月13日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はsupper、色々な切り替わり方をお楽しみ頂けます。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第一日目(その1)です。
成田空港よりイスタンブールを経由してブルガリアの首都ソフィアへ着く。着後、ソフィア市内観光。アレキサンドル・ネフスキー寺院と寺院内にあるヨーロッパ最大のイコンコレクションを誇るイコン博物館、聖ペトカ地下教会と聖ゲオルギ教会を見学する。夕食は、民族舞踊とブルガリア料理でした。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

聖ニコライ・ロシア教会


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06月12日のアプレット
今日の日替わりアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、イエメン門からの俯瞰の写真です。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今日のアプレットの原画

イエメン門からの俯瞰写真


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06月11日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はbrush、刷毛で拭うようにして次の画像に切り替わります。

使用した写真はイエメンの旅10日目(その2)、 イエメン最後の日、空港へ行くまでの僅かな時間サナア市街を散策し、別れを惜しみました。イエメン門からの俯瞰の写真を最後に撮りました。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

夕暮れのサナア


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06月10日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はbrush、刷毛で拭うようにして次の画像に切り替わります。

使用した写真はイエメンの旅10日目(その1)、イエメン滞在最後の夕方と朝に、名残を惜しみサナア市内を散策いました。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今日のアプレットの原画

夕暮れのサナア


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06月09日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はroll(絨毯)で、何枚も重ねた絨毯を巻き上げると次の画像に切り替わります。マウスは画像の外に出しておいて下さい。入れると絨毯は巻き戻ります。

使用した写真はイエメンの旅9日目(その6)、シバームからメインロードを離れ、10分ほど山を登ると、ごつごつとした岩の固まりのような村の前に到着する。長い間、部族間の争いと他民族支配への抵抗を続けてぎた山岳部族の村の典型的な形を、ここでは目にすることができる。 スーラは小高い丘の上に造られた村で、山を背に東側の斜面にある。周りは段々畑が広がり、その内側には城壁がある。この構造は戦略的に大変優れたもので、昔の人々の知恵に感心しないではいられない。まず丘の上にあり敵を発見しやすい。そして村の背は目然の要塞に守られているので、前方から来る敵を防げばよい。そして段々畑と城壁に囲まれているために、敵は攻めにくい。16世紀、強大なオスマン・トルコがイエメンを支配していたとぎも、この村は独立を保っていたというから驚きだ。もちろん今は敵に攻められることはないが、生ぎた歴史を学ぶには絶好の場所だ。 岩山に向かって城壁に沿って左に歩くと重厚な門がある。門をくぐるとすぐ右側にはモスクのドーム、正面には石造りの家が密集している。細い路地に入っていくと、大昔にタイムトリップしたかのよう。何百年も変わらない家々は細かい装飾が施されて、窓の形も丸いものもあれば四角のものあり、実にバラエティに富んでいる。窓に木の枠がはめられ、中が見えないようになっているのは女性の部屋。注意して観察するといろいろな発見がある。歩き回るだけで楽しい。

使用したclassファイルはDS_Roll.classです。

今日のアプレットの原画

上の町コーカバン


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06月08日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はroll(絨毯)で、何枚も重ねた絨毯を巻き上げると次の画像に切り替わります。マウスは画像の外に出しておいて下さい。入れると絨毯は巻き戻ります。

使用した写真はイエメンの旅9日目(その5)、サナアから北西に約54km、よく整備された道路を1時間ほど行くと、珍しい町がある。350mの岩壁の上と下に同じ民族が暮らすユニークな双子都市、シバームとコーカバンだ。山岳地の部族は、1ヵ所に集団で暮らしているのが普通だが、ここは同じ部族が同じ時期に、違う場所に町を築いた珍しい例。そして1000年にもわたり、それぞれの役割を決めて山の上と下で助け合って生ぎてきたのである。下にあるシバーム(標高約2500m)は農業と商業の町、周辺には耕地が広がり、町なかを大きな道路が走る。一方、岩壁の上の町コーカバンは軍事を担当する。常に敵の接近を監視し、シバームが外敵に襲われると、人々は山を駆け登りコーカバンの人々に助けを求める。このふたつの町の住人は、1年に一度集まり、互いの無事を確認しあう。この行事は今でも祭りとして続いており、ふたつの町は大変な熱気に包まれる。ぷたつの町の標高差は約350m、1994年,ドイツの援助により、このぶたつの町をつなぐ舗装道路か完成した。今日は上の町コーカバンの紹介です。

使用したclassファイルはDS_Roll.classです。

今日のアプレットの原画

上の町コーカバン


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06月07日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はripple、波紋の中から画像が現れ消えていきます。マウスは画像の外に出しておいて下さい。入れるとスライドショウは停止します。

使用した写真はイエメンの旅9日目(その4)、サナアから北西に約54km、よく整備された道路を1時間ほど行くと、珍しい町がある。350mの岩壁の上と下に同じ民族が暮らすユニークな双子都市、シバームとコーカバンだ。山岳地の部族は、1ヵ所に集団で暮らしているのが普通だが、ここは同じ部族が同じ時期に、違う場所に町を築いた珍しい例。そして1000年にもわたり、それぞれの役割を決めて山の上と下で助け合って生ぎてきたのである。下にあるシバーム(標高約2500m)は農業と商業の町、周辺には耕地が広がり、町なかを大きな道路が走る。一方、岩壁の上の町コーカバンは軍事を担当する。常に敵の接近を監視し、シバームが外敵に襲われると、人々は山を駆け登りコーカバンの人々に助けを求める。このふたつの町の住人は、1年に一度集まり、互いの無事を確認しあう。この行事は今でも祭りとして続いており、ふたつの町は大変な熱気に包まれる。ぷたつの町の標高差は約350m、1994年,ドイツの援助により、このぶたつの町をつなぐ舗装道路か完成した。> 今日は下の町シバームの紹介です。

使用したclassファイルはDS_CrossRipple.classです。

今日のアプレットの原画

下の町シバーム


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06月06日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はripple、波紋の中から画像が現れ消えていきます。マウスは画像の外に出しておいて下さい。入れるとスライドショウは停止します。

使用した写真はイエメンの旅9日目(その3)で、ワディ・ダハールのロック・パレスを観光した後、ワディダハールの山の上で、ジャンビーアダンスを見学しました。途中陽気なイエメン人に誘われて踊りの輪の中に入りました。

使用したclassファイルはDS_CrossRipple.classです。

今日のアプレットの原画

ワディ・ダハールでのジャンビーダンス


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06月05日のアプレット
今日の日替わりアプレットはズーム機能を使ってビデオ撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真はイエメンの旅9日目で、ワディ・ダハールのロック・パレスです。サナア近郊で一番の見どころといえば、ロック・パレスRockPalaceで知られた、北西約15kmの所にあるワディ・ダハールが挙げられる。乾いた赤茶色の岩山に囲まれた小さな盆地は、緑にあふれ、周囲の山の上から見るとみずみずしいオアシスのようだ。 豊かな緑の中を走っていくと、巨大な岩壁を背景にした町並みが見えてくる。この町はアル・カビールAlQabil周りの岩山に溶け込んでいるかのような石造りの建物が美しい。 ここの一番の見どころは、小さな丘の上に建つロック・パレスRockPalace(DarAlHajar)。岩壁の端に立って見ると不安定な印象を受けるこの建物は、1930年代にイエメンを支配していたイマームlrnanYahyaの夏の別荘だった所。もともとここには有史以前に造られた建物の遺跡があり、現在もその井戸は健在だという。5階建ての建物は現在政府が所有しており、内部を見学することができる。

使用したclassファイルはzoompan.classです。

今日のアプレットの原画

ワディ・ダハールのロック・パレス


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06月04日のアプレット
今日の日替わりアプレットはアクロバット飛行をしている軽飛行機の中から、地上を眺めて見えいるように思えるアプレットです。

使用した写真はイエメンの旅9日目で、ワディ・ダハールのロック・パレスです。サナア近郊で一番の見どころといえば、ロック・パレスRockPalaceで知られた、北西約15kmの所にあるワディ・ダハールが挙げられる。乾いた赤茶色の岩山に囲まれた小さな盆地は、緑にあふれ、周囲の山の上から見るとみずみずしいオアシスのようだ。 豊かな緑の中を走っていくと、巨大な岩壁を背景にした町並みが見えてくる。この町はアル・カビールAlQabil周りの岩山に溶け込んでいるかのような石造りの建物が美しい。 ここの一番の見どころは、小さな丘の上に建つロック・パレスRockPalace(DarAlHajar)。岩壁の端に立って見ると不安定な印象を受けるこの建物は、1930年代にイエメンを支配していたイマームlrnanYahyaの夏の別荘だった所。もともとここには有史以前に造られた建物の遺跡があり、現在もその井戸は健在だという。5階建ての建物は現在政府が所有しており、内部を見学することができる。

使用したclassファイルはZoomer.classです。

今日のアプレットの原画

ワディ・ダハールのロック・パレス


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06月03日のアプレット
今日の日替わりアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真はイエメンの旅9日目で、ワディ・ダハールのロック・パレスです。サナア近郊で一番の見どころといえば、ロック・パレスRockPalaceで知られた、北西約15kmの所にあるワディ・ダハールが挙げられる。乾いた赤茶色の岩山に囲まれた小さな盆地は、緑にあふれ、周囲の山の上から見るとみずみずしいオアシスのようだ。 豊かな緑の中を走っていくと、巨大な岩壁を背景にした町並みが見えてくる。この町はアル・カビールAlQabil周りの岩山に溶け込んでいるかのような石造りの建物が美しい。 ここの一番の見どころは、小さな丘の上に建つロック・パレスRockPalace(DarAlHajar)。岩壁の端に立って見ると不安定な印象を受けるこの建物は、1930年代にイエメンを支配していたイマームlrnanYahyaの夏の別荘だった所。もともとここには有史以前に造られた建物の遺跡があり、現在もその井戸は健在だという。5階建ての建物は現在政府が所有しており、内部を見学することができる。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今日のアプレットの原画

ワディ・ダハールのロック・パレス


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06月02日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はfadeです。

使用した写真はイエメンの旅9日目(その2)で、ワディ・ダハールのロック・パレスです。サナア近郊で一番の見どころといえば、ロック・パレスRockPalaceで知られた、北西約15kmの所にあるワディ・ダハールが挙げられる。乾いた赤茶色の岩山に囲まれた小さな盆地は、緑にあふれ、周囲の山の上から見るとみずみずしいオアシスのようだ。 豊かな緑の中を走っていくと、巨大な岩壁を背景にした町並みが見えてくる。この町はアル・カビールAlQabil周りの岩山に溶け込んでいるかのような石造りの建物が美しい。 ここの一番の見どころは、小さな丘の上に建つロック・パレスRockPalace(DarAlHajar)。岩壁の端に立って見ると不安定な印象を受けるこの建物は、1930年代にイエメンを支配していたイマームlrnanYahyaの夏の別荘だった所。もともとここには有史以前に造られた建物の遺跡があり、現在もその井戸は健在だという。5階建ての建物は現在政府が所有しており、内部を見学することができる。

使用したclassファイルはAnFade.classです。

今日のアプレットの原画

ワディ・ダハールのロック・パレス


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06月01日のアプレット
今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はfadeです。

使用した写真はイエメンの旅9日目(その1)で、ワディ・ダハールのロック・パレスです。サナア近郊で一番の見どころといえば、ロック・パレスRockPalaceで知られた、北西約15kmの所にあるワディ・ダハールが挙げられる。乾いた赤茶色の岩山に囲まれた小さな盆地は、緑にあふれ、周囲の山の上から見るとみずみずしいオアシスのようだ。 豊かな緑の中を走っていくと、巨大な岩壁を背景にした町並みが見えてくる。この町はアル・カビールAlQabil周りの岩山に溶け込んでいるかのような石造りの建物が美しい。 ここの一番の見どころは、小さな丘の上に建つロック・パレスRockPalace(DarAlHajar)。岩壁の端に立って見ると不安定な印象を受けるこの建物は、1930年代にイエメンを支配していたイマームlrnanYahyaの夏の別荘だった所。もともとここには有史以前に造られた建物の遺跡があり、現在もその井戸は健在だという。5階建ての建物は現在政府が所有しており、内部を見学することができる。

使用したclassファイルはmosaic.classです。

今日のアプレットの原画

ワディ・ダハールのロック・パレス


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