郷愁
おべんとう…
それは、俺にとって特別心に響く詞(ことば)だ

俺が高校生になって間もなく、母親が死んだ
俺は自分で弁当を作って持って行くしかなかった
オヤジはもちろん作れねーし、カネはねーし
当時バイトはしていたが、すべて楽器とタバコに消え
パンも買えなかったからだ

ある日、教室で俺が弁当を食っていると、横から覗き見た同級生の女の子が言った
「わあ ○○チャンのおべんと、美味しそう! 誰が作ってくれたの? ××チャンかな?」
○○は俺のこと、××は当時俺とウワサのあった娘
いいがかりをつけられた××も迷惑だろうが、俺はもっとメイワクだった
余計なお世話だ!
おめー、女の癖に、母親に弁当作ってもらってんのかよ!
自分で作りやがれ!

やりきれなくなり、俺は弁当を作って持っていくのをやめた
なんか恥ずかしかったし、みっともなかった
高校生の頃って、そんなもんだ

後日、その女の子は、人からウチの事情を聞いたらしく
「私ダイエットしてるの お弁当食べてね」
などと弁当をくれるようになった
人ン家の弁当って、旨いんだな これが
女の子向けだから量は物足りなかったけれど
その後、いろんな女の子がお弁当をくれた

でも、そんなこと長くは続くワケがない
それに愛情で弁当をくれるのならともかく、同情で貰いたくはなかった
同級生達が旨そうに弁当を食っている昼食時間は、教室にも部室にも、俺の居場所はない
近くの神社で、銜えタバコで一人ギターを弾くのが日課だった
思えばこの頃から、一日一食だったんだな

結婚して田舎に戻って、久しぶりに弁当生活に入った
『愛妻弁当』という、決してお金では買えない尊い宝物
その気持ちは、きっと誰にもわからない

やがて子供も大きくなり、なかなか作れなくはなったけど
妻も大変だから、俺は恨む気持ちなんか一つも無い
今はカップラーメンという、強い味方がいるからだ
一個¥100円だし、必要なのはお湯と割りばしだけだし、15分で完食だし

俺は、弁当と名の付くものは、一切残さず食べる
不味かろうが、量が多かろうが、古かろうが、全部食べる
で、「旨かった」と必ず添える
かつて、一、二度だけ妻の作ったお弁当を残したことがあるが
ソレは体調不良だったとき
食う時間がない時でも、家へ持って帰ってちゃんと食べた
それが俺流の「おべんとう」に対する姿勢だ
作ってくれた人への礼儀だ

おべんとう…
それは、俺にとって特別心に響く詞(ことば)なんだな

うん