愛なんてモンは、50億人いれば50億通りの考え方があるから、言及すること自体ナンセンスか?その1
ココロの愛について:

「愛」とはなんぞや?

結論からいこう
「その人のために死ねること」
というのが、今のところ俺の出した答えだ

相手の腎臓が悪ければ、自分の腹をかっさばいて
自分の腎臓を一個あげる
目がダメならば、自分の目玉を一つプレゼントする
では、その人の心臓がダメだったら
自分の一個しかない心臓をあげることができるか?
現実は、まだそういったことは認められていないが・・・
うまくいえないが要するに「コクーン」という映画があるが
あれが端的に現している
ジジイとババアしか出てこないSF映画だけど
ジジイがババアの命を救うため、自分が身代わりになる
でも、遺されたババアの悲しみはどうするんだ?

心は邪魔だという人もいる
確かに人はウワキするし、心変わりもある
DVもあるし、酒癖とか、ギャンブルとかに
心を奪われる場合もある
そういう人の中には、お人形やダッチワイフしか信じられなくなる人もいる

心や性格、気持ちといったものは、カタチを持たないので
手で触ったり、目で確認することはできない
だから、人は不安になって「愛の証」を求める
その求める証は人それぞれだろうけれども

中には、何一つ求めない無償の愛なんてのもある
与えるだけの愛
下心のない愛
見返りを求めない愛
ま、稀有ではあるけれども

積み重ねる愛もあるだろう
年月を重ねるごとに、相手が必要不可欠な存在になってゆく
最初はお見合いなどで、相手のこともよく知らず結ばれ
でも
やがて死の床の中で自分の一生を振り返る時
そのことに気づく

う〜ん
テーマが重い
書き足りんが、書くとキリない

言い訳しておこう
今日は、伏線なんだ