2025年11月の記事


4)作家・原田康子作品の舞台&創出地 目梨<menash 東方>文学・舞台・作家群=釧路の街の魅力240217
4)作家・原田康子作品の舞台&創出地 目梨<menash 東方>文学・舞台・作家群=釧路の街の魅力ABCD26題―2-240217

 本日は「釧路の街の魅力」と題してお話をさせていただいています。
スライドの二枚目には、「Ⅲ.目梨<menash 東方>文学・舞台・作家群」と書いて置きました。釧路港を軸にした港マチで、三つ目の柱に据えた物語の世界に目をむかます。キーワードは、世に「北方文学」とか、「文学の北方性」と申す領域があります。
そこを<少しナナメ>に構えることになりますが、そこは「日いずる地=日の本」領域で、少し冒険をしてみたい。そのように考えました。
根室国の知床半島の付け根に羅臼町という自治体があります。このマチは「目梨郡」、つまり「アイヌ語 メナシ menash 東の」に、「目梨」の漢字をあてています。

●スライド2は「<日出る港マチ>の文化・知恵・物語」=「物語」に注目します。
私は釧路観光コンベンション協会さんの「観光講座」にもお付き合いさせてもらっています。2015年の観光講座では「24)佐賀県人脈と原田文学」という話をしてみました。
原田康子さんの代表作『挽歌』については、永田秀郎さんに『「北海文学」の航跡 作家原田康子「挽歌」のナビゲーション』(言海書房 2003年)があります。また盛厚三さんに『挽歌物語<作家原田康子とその時代>』(釧路市 2011年)が発表されています。
そこで私は、原田さんの晩年の作品になってしまった『海霧 Umigiri』(新潮社 2002年)に注目しています。

●スライド2にある「24)佐賀県人脈と原田文学」の話です。「海霧」で愉しむ方法?。
原田さんの『海霧』では、一番、最初に釧路駅に集合してもらいました。『海霧 Umigiri』の最終章に、「」。
まだ、幼かった康子さんが東京から釧路に初めて帰ってきた時の一節が記載されています。それで「お帰りなさい、康子さん」というわけで、私たちは旧釧路停車場跡に迎えに行きました、ですよ。その足で、川上町にあった原田留五郎宅に向かいました。
川上町の旧旭小学校前にあったお宅こそ、原田さんの実家。そこから「教育大学釧路校の位置へ通学したんだよネ~」、と。「釧路ぶぶる1st 原田康子作品の舞台&創出地 220714」


●原田康子作『海霧 Umigiri』を手にしながら、マチなかを歩く。そんな試みを。
ハイハイ。彼女が学んだ釧路市立高等女学校へは、その時は出来上がって間もない「初代久寿里橋を渡った、はず」。とかなんとか、そこはそれぞれ勝手に想像しながら、歩くのですよ。そんなこと試みてみました。2022年7月14日午前のことです。
なんでまたそんな、突飛なことを。実は前段があるのです。その年、6月4日に釧路市立中央図書館で木村浩章さんと私で、小松伸六さんに因む講演会がありまして。そこで私から、「地域に文学マップ」や「映画のロケーション地」を紹介する図面は、発行されている。しかし、その図面は観光客向けと決め込んでいて、市民はさっぱり利用しない。そういうお話を私はさせていただいたのです。
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5)釧路駅へ厚内駅付近で終章『海霧』 目梨<menash  東方>文学・舞台・作家群=釧路の街の魅力240217
5)釧路駅へ厚内駅付近で終章『海霧』 目梨<menash 東方>文学・舞台・作家群=釧路の街の魅力ABCD26題―2-240217

●22年6月4日の講演会に来ていた市民有志が「地図と本を手にマチ歩き」始めました。
催し事業は「ぶぶるファースト」という名前です。マチを歩くの歩くを「遊ぶ」に置き換えて、「遊ぶの末尾も<ぶ>」。「本から学ぶの末尾で<ぶ>」。最後は「よく遊び、よく学ぶ自身に最大級の褒めるの<る>」。
皆さんに言われます。「文化、文化というだけでは、サッパリ経済効果がない」。そうお叱りを受けますから、遊び、学ぶのあとはもう、盛大に自身を褒めるための経済投資で盛大に「御馳走をたべましょう」「おカネを惜しむな」というわけですね。

●そうして23年11月16日に「ぶぶる11th」を迎えました。この時、どこ歩いた?。
23年11月16日午前、米町公園駐車場に集合して南大通八丁目、七丁目と10人ほどでまわりました。お目あては『海霧 Umigiri』上巻です。そこに登場する平出幸吉 ひらいでこうきち、島義勇 しまぎゆう、武富善吉 たけどみぜんきち らの事績をたどるツアーです。
釧路市には「明治四二年 電話帳」が記録に残っています。『海霧 Umigiri』上巻の主人公たる平出幸吉を模す原田惣吉の名は電話帳には出てきません。しかし、佐賀県人脈につらなる福富甚吉 ふくどみじんきち 武富善吉らの住まい地は記録があります。

●観光講座2024.今は「釧路の街の魅力」中「24)佐賀県人脈と原田文学」の話です
『明治四二年 電話帳』にはまた、前述の武富家が経営し釧路銀行の所在地は判明します。電話帳には住所の記載があります。そこでその細かな住宅所在地の地番を、こんどは町名と地番を記載した地図を取り出して、一つずつその位置を現在の街並みのなかで記録していく作業を現地ですすめました。
南大通八丁目に「武富小路」、その先に「武富私道碑」があります。そこで『海霧 Umigiri』に登場する「北洋商会」。実体は広業商会 こうぎょうしょうかい という会社のお話をさせていただくのです。


●昨年11月実施の『海霧』上巻の舞台を歩くツアー。作品鑑賞と対象地点の見聞した。
 最後は弥生二丁目の本行寺まで足を伸ばし、そこで福富甚吉 ふくとみじんきち 家の話をさせてもらいました。小説を読んだだけでは、たどりつくことのできないポイントを確認し、現在はなにも標識やサイン置かれていない地点に、目印を付す基礎をなす作業。そうしたことを市民参加で取り組んで見る。小さな実験が、今、始まった。そういうことではないでしょうか。
 釧路の街に、そしてその周辺に築きあげられてきた、さまざまな物語。そこに移住者から定住者に成長し、しかも財をなした足跡をたどってみる愉しみ。地域に名所をつくる作業として拡大してまいりたい。私はそう考えているところです。
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6)牡蠣・無化肥牛乳・青魚 クール産み出す〝本来の旨さ、本当のおいしさ”=釧路の街の魅力―3-240217
●6)牡蠣・無化肥牛乳・青魚 東国のクール産み出す〝本来の旨さ、本当のおいしさ”=釧路の街の魅力ABCD26題―3-240217

●スライド3rdは「Ⅱ.寒暖差育む本来の旨さ、本当の美味しさ」です。食観光の話題。

 ここでは、地域食材について誰でもが「本当のおいしさ、本来の旨さを」説明できるようになりたいものです。生産者を励ましつづけ、消費者が付加価値を活かすことができるように、味覚を鍛えたいモノと考えます。

 野付郡別海町尾岱沼の「ホッカイエビ」は今や、北海道東部を代表するブランド品になりました。旬の時期に<新鮮な非冷凍で>。我が家はそんな恵まれたことはできず、釧路和商さんにあるお店で冷凍品を買ったことがあります。
 広島から家族でやってきていた<娘夫婦一家をもてなす>ためでした。鮮やかな北海エビをみて、娘の連れ合いと息子は、飽きずにたべて「旨いと独り占め」です。
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風帆船漁でアマモと共生 ホッカイシマエビ 〝本来の旨さ、本当のおいしさ”=釧路の街の魅力 240217 
●7)風帆船漁でアマモと共生 ホッカイシマエビ 東国のクール産み出す〝本来の旨さ、本当のおいしさ”=釧路の街の魅力ABCD26題―3-240217

●野付のホッカイエビ。風帆船で引く網とあわせ、確かにブランド化した点は悦ばしい。
そのことに味をしめたか、慶ぶ風情に誘われて、連れ合いは翌年の暮れにも同じ店で「(今度は)厚岸産 ホッカイエビ」を贈りましたですよ。ところが、娘から連絡が来ました。「釧路で食べた時の、味がしない」。
当時、野付産ホッカイエビと他産地のホッカイエビでは、500円の価格差があり、野付産に高い評価がありました(同じ規格のパッケージでほぼ同じ重量でも、野付産は500円高価であった、そういうことです)
割安品を贈った拙宅連れ合いは、以後、贈ることやめています。ホンの一個人の感想ですが・・・・・。

●この時間は「寒暖差育む本来の旨さ、本当の美味しさ」です。寒暖差と旨みの関係を。
ここで考えてみましょう。このところ、旨みの根源について明示すことが試みられるようになりました。地域食材の生き残りをかけて、独自の取り組みがすすみます。
24年2月24日朝の放送です。京都郊外、大原の里で「大原野菜」の旨みを、日本料理の専門家が中東久雄さん次のように述べていました。
「(大原野菜は)うるおいがあって、乾燥しすぎず野菜にとって過ごしやすい環境」で、育つ。と。それで「寒暖差があることで、肥料にまさる旨味さが育つ」と伝えています。
「本来の旨さ、本当のおいしさ」。そこのところを消費者は求め、生産者も心がける。それにとどまらず、「本当においしく食べる、食べさせる知恵」もまた、重要なカギを握っています。
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8)腐植土の効用 東国のクール産み出す〝本来の旨さ、本当のおいしさ”=釧路の街の魅力ABCD26題―3-240217 
8)腐植土の効用 東国のクール産み出す〝本来の旨さ、本当のおいしさ”=釧路の街の魅力ABCD26題―3-240217

 スライド3rdには、「腐植土の効用」のタイトルで囲み記載が紹介されています。
 そこで注目されるのが植物プランクトンや発酵微生物の働きではないでしょうか。
 その囲み記載の内容は、気仙沼市で牡蠣養殖業を営む畠山重篤さんという方が『森は海の恋人』本から抜き出しています。赤太字の記載に注目しておきましょう。

 「植物プランクトンは、基本的には二酸化炭素、水、太陽の光で増えるが、その他にチッソ、リンなどの養分が必要である。
特にチッソは、たんぱく質を作るのに欠かすことができない養分である。ところが、植物プランクトンは、先に鉄を体内に入れておかないと、チッソを取り込めない構造になっている。さらに鉄は、クロロフィルなどの光合成色素の生成に深く関わっているというのだ。

 スライド3rd「腐植土の効用」を読み続けてみます。どんな点が見えてくるのか。

 では、鉄はどこから、どのように供給されているのだろうか。沿岸域の鉄の供給源は森である。鉄が海に届くには水に溶けなければならない。ここで森の腐葉土が重要な役割を担っている。腐葉土はそれ自体植物にとって最良の肥料であるが、山の岩石や土に含まれている鉄を水に溶かし、植物プランクトンが吸収しやすい形に変える役目をしているというのである。

 私たちが「本当のおいしさ、本来の旨さ」を説明できることに努めませんか。加えて、来訪のお客様には地域に戻り、伝えてほしい点です。それは、暮らしのなかで<森と川と海が水でつながるモノ>で、あることです。そのうえで「地球の再生に役立てていただくこと」も、喫緊の課題であると考えているのです。
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9)折合哲学 財政難下の政権事業 域内定期Prog  釧路の街の魅力ABCD26題―4-240217
●9)折合哲学 財政難下の政権Projec 域内定期Prog  不可能、可能にしたプロジェクト=釧路の街の魅力ABCD26題―4-240217

●スライド4枚目は「Ⅰ.不可能を可能に<地域の知恵>集積」となっています。ここからの話題は?。
 この時間、「釧路の街の魅力」を考え、提案させていただいています。
 釧路の魅力を「目に見える形では、『“英国Scotland”似の景観&風土』」と示しました。
 また、「そこに込められた意味を『<日出る港マチ>の文化・知恵・物語』」と考えました。

 そのうで、「《魅力》の表現をアルファベット26文字に等しい26項目を考えました」。そのように申しあげています。
 加えてその《26項目》を三つの体系に位置づけてみたところです。
 そこで最後の提案は、わが地域には、「不可能を可能に<地域の知恵>集積」、つまり先輩たちの貴重な、また、ひたむきな努力と提案と投資があって、今日の<釧路の魅力>が組み建てられてきた。
 そこのところに、焦点=フォーカスを宛ててみる。そこを結びの話題にします。

●スライド4枚目は「不可能を可能に<地域の知恵>集積」。そこに11項目あります。
 昨年は釧路湿原をツアーで歩かれると聞き、「5)地域発展を期待、土砂除去せず新釧路川開削」の話をさせていただきました。
 本年は1934年=昭和9年12月、「阿寒摩周国立公園」指定されて90周年にあたります。

 そこで今回、ここからは「3)「阿寒を帝国公園に」請願、前田正名の構想力」という話をさせていただきます。
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10)阿寒の帝国公園化 不可能、可能にしたプロジェクト=釧路の街の魅力ABCD26題―5-240217  
 10)阿寒の帝国公園化 不可能、可能にしたプロジェクト=釧路の街の魅力ABCD26題―5-240217

ここからはスライド5枚目を取り上げます。
かつて『阿寒国立公園の三恩人』という本を書かれた種市佐改 たねいちさかい さんは、「「(阿寒国立公園の恩人に)前田正名は当然にふれねばならない」「しかし今つの日にかどなたかの手で」。そのように記載されています。

1●2024年は阿寒摩周国立公園が指定後90周年を迎える、と。昭和9年12月に指定。
 地域では「阿寒国立公園の指定に前田正名が貢献している」と、伝えられています。また前田家が「(阿寒は)伐る山ではなく観る山だ」と語り伝えらえてきた。そのように聴いている市民は実に多いのだと考えます。
 そこで私は、いろいろと調べてみました。その結果は、年度末には出版物になります。今日はその一部を申しあげておきます。
 前田正名は1921年=大正10年8月11日に福岡で死去します。その年の5月かと思うのです。衆議院記録を精査中ですが、前田は「阿寒を帝国公園となす」という題名で衆議院に請願書を提出しています。
2●当時の阿寒国立公園指定にむけ前田正名は帝国議会に「請願」という形で陳情をした。
前田は最終段階で、「阿寒を帝国公園となす」という題名で請願書を帝国議会に送った。そしてその後に亡くなっている。この点を私は、中国の思想家・孟子 もうし の語になぞらえて、「阿寒を次世代に残すため」に発するべき、「天の時」来 きたる るの思いで、あった。そう考えてみました。
 その「天の時」を発するにあたり、時の政府に「ノ―」と言わせぬためには、三つの要件が必要ではなかった、か。前田はそう考えたのではないかと思うのです。その三点です。
3●前田は議会に請願するが、政権や議会にノ―と言わせぬために考えた三カ条。
 一に「A)国際的視野に立ち提案」すること。二に「B)学問的見地で根拠・評価を獲得」しておくこと。三に「C)“神々の神威”と『神々怒らせず、愉しませる』神域、つまり=人知を超えた“折り合い聖域”に、阿寒湖及びその周囲の湖畔林を位置づける。
 どうしてそこまで考えをおよぼしたか。特に、若き日の前田にとって、自身の人生や哲学・思想や、自身が立案し、提案した政策について<政権のノー><エリートの壁>を実感というよりも、もっと強く<はねつけられた>人生&生涯であった。

 
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11)阿寒の帝国公園化 不可能、可能に=前田正名の構想力 釧路の街の魅力ABCD26題―5-
●11)阿寒の帝国公園化 不可能、可能に=前田正名の構想力 釧路の街の魅力ABCD26題―5-240217

●釧路川大洪水は何が原因で発生したのか。今、どんなことが指摘されていますか。
釧路川大洪水には二つの要因があります。
一に森林をくまなく皆伐した結果としての<大地の保水力低下>、二つ目に<開発の行き過ぎと追いつかない治水未整備>が被害を発生させてしまいました。
この時、正名は東京に居たわけです。が、釧路川流域や阿寒川流域で起きていたこと。しかも釧路川に流れ込んでいた阿寒川が独立した河川となったことも含めて、聞かされていたはずです。正名ここに及び、改めて「自然の威力」。その凄まじさに接したと言うことです。

●話を「阿寒を帝国公園」請願、正名の構想力と題してすすめてもらっています。
 ここまで阿寒が帝国公園、のちの国立公園に指定をうけるその一歩は、正名の請願にあったのだとお伝えしてきました。
 前田正名翁の語録。その第一は「阿寒を帝国公園となす」になります。
 ところがこの語以上に著名なのキャッチフレーズがあります。それを正名の語録第二とします。それは「(阿寒の山は)伐る山ではなく、観る山」の家訓です。
 そして正名の語録第三は、「人為による開発を制限して将来世代も同じ感動を楽しむ」なのです。ひょっとして、このキャッチコピーは、おなじみでないかも知れません。
 正名の語録第四は、「前田家の財産はすべて公共事業の財産とす」です。
●「伐る山ではなく、観る山」も「財産はすべて公共事業の財産」も耳にする語句です。
前田正名翁は時に満70歳。古希の年齢で、永年にわたり思いめぐらしてきたであろう、四つの語録は「おぼろげながらの「発意」が「確信」に転ずる」満70歳。
そう申しあげて良いのではないか。しかも、自身はこれまで『今の日本を豊かにする』施策」に努めてきました。しかし、今は違う!!。「未来の日本のために<次世代にも感動を楽しませる>に転換」する決断。先の四つの語録にくわえ、最後の<未来の日本のために>の転換」こそ、重要です。この項目を含めて大正9年=永年の「発意」が「確信」に転した時。そのように整理をさせていただきました。
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11)阿寒の帝国公園化 大正5年春採公園計画=発意、確信に 釧路の街の魅力ABCD26題―6-240217 
 11)阿寒の帝国公園化 大正5年春採公園計画=発意、確信に 釧路の街の魅力ABCD26題―6-240217

 ●大正9年~同10年にかけ、自身70歳から71歳の<齢 よわい>に至り、到達した心境。まず、そのように推測することから話を始めておきます。
 請願書を提出するに至る「国際的にも、学問的にも阿寒の自然は尊く」「次世代を楽しませるためには国民に<神様の領域>を意識」してもらわねば。
 それは<強い決意であった>のですが、その確信と決断は、スライド6に示す「大正9=1920年」に起きた、三つの出来ごとにより、決定的となりました。
 そこに書かれている点は、前田家がすすめてきた<開発事業の見直し>であることが第一点。二点目に、「(自身が)善かれとすすめてきた『今の日本を豊かにする』施策」よりも、『未来の日本のために<次世代にも感動を楽しませる>に転換』する決断です。
●大正9年8月に釧路川大洪水があり、ほかに阿寒川で水力発電開始等重要事項が。
 ご指摘の二点。どちらも深く関係しています。
 大正9年は一に水力発電がはじまりました。太平洋炭礦=坑内掘炭や、冨士製紙釧路工場=製紙業が操業を開始しました。発電でモーターを動かし、軌道輸送=交通の近代化で製品を運ぶ大きな変化です。
また、阿寒湖畔や釧路川の木材主産地→斜里・樺太移転、木材輸送は流送から軌道交通に転じました。釧路地方で永く続いた「木材ブーム」が終わります。さらにはご指摘の「釧路川大洪水」。
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12)阿寒の帝国公園化 治山・治水から「伐る森」離陸 釧路の街の魅力ABCD26題―6-240217 
12)阿寒の帝国公園化 治山・治水から「伐る森」離陸 釧路の街の魅力ABCD26題―6-240217
 
●釧路川大洪水は何が原因で発生したのか。今、どんなことが指摘されていますか。
釧路川大洪水には二つの要因があります。一に森林をくまなく皆伐した結果としての<大地の保水力低下>、二つ目に<開発の行き過ぎと追いつかない治水未整備>が被害を発生させてしまいました。
この時、正名は東京に居たわけです。が、釧路川流域や阿寒川流域で起きていたこと。しかも釧路川に流れ込んでいた阿寒川が独立した河川となったことも含めて、聞かされていたはずです。正名ここに及び、改めて「自然の威力」。その凄まじさに接したと言うことです。
●話を「阿寒を帝国公園」請願、正名の構想力と題してすすめてもらっています。
 ここまで阿寒が帝国公園、のちの国立公園に指定をうけるその一歩は、正名の請願にあったのだとお伝えしてきました。
 前田正名翁の語録。その第一は「阿寒を帝国公園となす」になります。
 ところがこの語以上に著名なのキャッチフレーズがあります。それを正名の語録第二とします。それは「(阿寒の山は)伐る山ではなく、観る山」の家訓です。
 そして正名の語録第三は、「人為による開発を制限して将来世代も同じ感動を楽しむ」なのです。ひょっとして、このキャッチコピーは、おなじみでないかも知れません。
 正名の語録第四は、「前田家の財産はすべて公共事業の財産とす」です。
●「伐る山ではなく、観る山」も「財産はすべて公共事業の財産」も耳にする語句です。
前田正名翁は時に満70歳。古希の年齢で、永年にわたり思いめぐらしてきたであろう、四つの語録は「おぼろげながらの「発意」が「確信」に転ずる」満70歳。
そう申しあげて良いのではないか。しかも、自身はこれまで『今の日本を豊かにする』施策」に努めてきました。しかし、今は違う!!。「未来の日本のために<次世代にも感動を楽しませる>に転換」する決断。先の四つの語録にくわえ、最後の<未来の日本のために>の転換」こそ、重要です。この項目を含めて大正9年=永年の「発意」が「確信」に転した時。そのように整理をさせていただきました。
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政権にノー言わせぬ政策提言 釧路の街の魅力ABCD26題―7-240217 by 佐藤宥紹  
 ●14)民有地含む領域の帝国公園化 国際的視野&学問的見地に自然神 政権にノー言わせぬ政策提言 釧路の街の魅力ABCD26題―7-240217 by 佐藤宥紹

●そうですか。そこで前田は考え始めるわけですね。やはり次も3点ありますが。
 そうですね。春採湖畔で「民有地、国有地、両用の地権下」にあった点を阿寒湖畔では、「将来世代を楽しませる」ために帝国公園に指定と決断します。
二に大隈重信総理と本多博士の間である論争が起きます。前田はその経緯を踏まえ<国際的視野&学問的見地>不可欠と受け止めます。
そして最後に、政権には正論より<力を引き出し活用する>の発意へと発想をかえることになります。
●あわせて他にも前田は、本多静六博士の業績を「阿寒を帝国公園に」で活かすことに。
まず、「人為による開発を制限して将来世代も同じ感動を楽しむ」ことを発意します。政権に対しては正論を述べることより、その力を引き出して、活用することではないかと考え方を変えます。
さらにここまで実感してきた「自然の威力」には、二つの姿勢で立ちむかっています。一つは地域が伝統のなかでつちかった、「地域の知恵」に根差すことです。最後は、大きな「自然の威力」を「地の利に換える」と良い。そう確信したことです。
 でわ前田が釧路で展開した二つの事業。前田製紙合名会社を起こしたことや、湖畔に3900ヘクタールの土地払下げをうけ、事業を展開した点。そこは本書=『阿寒の三恩人+(プラス)」(凸凹出版舎 2024年3月)を読んでくださっては、いかがでしょうか。
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5)自ら調べ、故に理解、〝考える″で創造力できる 釧路の街の魅力ABCD26題―8-240217 by 佐藤宥紹
 15)自ら調べ、故に理解、〝考える″で創造力できる 釧路の街の魅力ABCD26題―8-240217 by 佐藤宥紹

●最後にスライド8です。これからの私たち、観光ガイドのめざすコト。考えを述べて。
 私は思うのです。釧路市民のみなさん、「私たちは地域の事象や自然、そして文化について、強く、たくましくなりませんか」。そう、呼びかけさせていただきます。
 スライドには3点を記載してあります。
 A.<我が事>として調べる。
 B.ヘタで良い、自身で調べ初めて理解。
 C.<考える力>深化で創造力育つ

●このことについて、思い至る事柄が私にはありました。
 それは熊本県水俣市で市民が一様に体験して、思い至った点です。なぜ、私たちのマチで「世界に類例をみない産業公害が発生したか」。
 そして自然環境は復元したが、市民の中に生じた偏見・中傷・差別が産み出したモノ、そして対立の深刻であったこと。

 水俣の市民は気がつきました。
 「水俣病のことはたくさんの報告や記載がある」
 「しかしどれを読んでも理解できなかった」
 「自分で調べてみて、初めてわかった」
 「下手でも良い、自分で調べてみよう」「自分でしらべてみて、水俣が初めて理解できた」。

●担当者の感慨です。
 「私たちは地域の事象や自然、そして文化について、強く、たくましくなりませんか」。
 そう呼びかけさせていただき、この拙い話を、結びます。
 みなさま、勝手を申して申し訳けありませんでした。
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香りなくただショッパイ 職人醤油と工業製品醤油 「風と生きる ~広島県 大崎上島~」251108BS4K
 香りないうえ、ただショッパイだけ 職人醤油と工業製品?醤油 「小さな旅 風と生きる ~広島県 大崎上島~」251108BS4K

「香りがまったく無いうえ、ただしょっぱいだけ」「”あたりまえ”が、あたりまえでなかったことに気がついた」。
 広島市大崎上島 「岡本醤油醸造」のネーム入り半纏をまとった、醸造主が語る。
 家業の継職をどするか、迷いつつ送りはじめた大学生活で味わった<都会の醤油>に抱いた感慨。

 大阪のコーヒー焙煎メーカーの社長さんと珈琲を飲んだことがあった。社長は申した。
 「瓶詰も、量販店で陳列のコーヒーも、コンビニの<100円コーヒー>も、みな『工業製品』」。
 「ウチの焙煎コーヒーとは、まったく、違う」。

 そう申して豆の選択、温度の選択、煎り方の濃淡など、そのノウハウを聴かせてもらったのであるが。
 往時、老舗菓子屋の店頭に現れたセールスが、店主に機械化、量産化、薄利多売を説く姿。
 目にする一方、「乗れない」と、断固断る姿を目にしてきた。

 焙煎コーヒー社長さんの談義を承ってから、工業製品に対する伝統的製法をなんと称するや。
 思い巡らしたいた時に、紹介の番組をネットで探り、番組に登場の会社。そのホームページに次のタイトル・
 「職人醤油」= https://s-shoyu.com/kura/okamoto/  のページ。

 番組は「風と生きる ~広島県大崎上島~」のタイトル。広島市大崎上島には「風待ちの島」の異称があるそうで。
 夜も眠らずに仕込んだ醤油。寝かせてからは、3日に一度攪拌。あとは醸造蔵の窓、全部開放して「あとは、風まかせ」と。
 香り、風味、とろみ、旨味の源泉は、実に<職人醤油>。

 何を選ぶか。消費者が賢明になり、汗する老舗職人を・・・・・支援しなければ、。
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麻布&木綿糸刺繍 津軽こぎん、身心温める女性の知恵「美の壺 青森の手仕事」251110ETV
 麻布&木綿糸刺繍 津軽こぎん、身心温める女性の知恵「美の壺 青森の手仕事」251110ETV

 番組のエピローグ。草刈正雄が手にしていた「型紙 作業指示書」というか、一枚の図案に目が奪われた。
 縦糸と横糸。その通し方。順序を数次で示し、奇数箇所を紡ぐ幾何学模様。
 そうしたくくりであったかと、思う。映像を紹介出来ぬ点が惜しまれるも。

 出演の服飾デザイナー 堀畑 裕之氏は語る。「こぎん刺しの本来の目的は二つ」。
 「一つは農作業のときなどに、津軽の風を防ぐ“防寒”」。
 「もう一つは身近な家族を飾るための装飾」。

 「そういう二つの役割をもう一度取り戻せたら良い、と」「現代のデザインに落とし込みました」。
 
 畿内で庶民に木綿着用が行き渡る。はるかに北の寒冷地で暮らす津軽の人は、麻布を常陽。
 そこにせめて「木綿糸」。刺繍で保温性と装飾性をデザインして、家族に着せた。
 長い冬。農閑期の女性の「組み合わせは無限にある、連続性の命のつながり」たる「津軽こぎんの装飾」。

 ナレーター伝える。「津軽の女たちが苦心してデザインした」。
 「奇数で拾ってゆくというキマリがある」。
 「その繋がりの中にどれだけ柄を作ってゆくか」「組み合わせは無限」「命のつながり、その連続性というものをまとっている」。

 「見てくれ」で価値を判断しがちな今の時代、仕上がりに込められた意味&意義。
 それ以上に、厳しさ克服、生み出した<地域の知恵>と<その源泉>を解きあかす。
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道東中核都市も釧根中心都市に向かい 都市銀行支店の帯広市統合 みずほ銀行釧路支店移転閉鎖251114
道東中核都市も釧根中心都市に向かい 都市銀行支店の帯広市統合 みずほ銀行釧路支店移転閉鎖251114
 
道内配布紙報道によると「みずほ銀行 釧路に拠点126年 11月、帯広支店内に移転『残念』 釧根管内唯一の都銀」(2025年3月4日)、と。

 支店統合の表向きは「ゼロ金利政策後に支店統廃合をすすめた経営合理化」。 
 しかし、釧路支店を帯広支店に統合する釧路港への影響は、釧路市にとってむしろ大きな意味をもつ。

 みずほ銀行の前身である安田銀行は、第一次世界大戦後の世界的不況の中で経営難に陥った北海道内の11地方銀行を救済するために、各銀行の経営を引き継ぎました。
 その中の一つが、根室銀行であったわけです。

 今日、信用金庫や信用組合を含め、地域金融機関が成熟した時代に、都市銀行の果たす役割に代替機能も充実した。
 そうした時代背景が、明確になったと判断された。それが支店撤退の第一かと、考えます。

 また、釧路市ではこれまで大平洋炭礦の閉山、日本製紙釧路工場で紙の生産停止が行われています。
 つまり大型投資先の相次ぐ撤退。このことも、みずほ銀行釧路支店が帯広支店に統合される要員の一と考えられます。
 
 これにより、釧路市は道東の中核都市から根室、釧路の中心都市に性格変化するのか、予断を許さぬ時代に入っているのかも。
 そうした局面にあるのか。うかがわせて、くれる点ではないでしょうか。

 一方で、今回のみずほ銀北海道東部地域で、釧路港の占める比重が、少しずつ帯広に重心を移す動きに繋がります。
 みずほ銀行の母体は旧安田財閥です。
 旧安田財閥は釧路国内の川湯硫黄山で硫黄採掘事業を立ち上げました。ために石炭を掘る炭鉱を開発しました。しかし、その後継炭鉱が閉山した。

 また、硫黄、石炭を獲得出来ることから本道初の紙パルプ工場も安田財閥は育てるのです。
 先に紹介の日本製紙はその後継となる会社です。
 二つの企業が撤退した点は、旧安田財閥の釧路港で果たした役割に、区切りをつけることになった。そうした視点も見落とせません。
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WarⅡの犠牲者7千万人 今はここまで伝える高校の現代史 「世界史探求 冷戦」
 WarⅡの犠牲者7千万人 今はここまで伝える高校の現代史 「世界史探求 冷戦」

 戦時が日常化にあるとわ?。戦中・戦後を知らぬ世代にその実態を伝える。
 「戦中・戦後を知る世代」が、「知っている人の生きている時は心配ないが」。
 その懸念が特に、政治家の世界に波及しているの、感。

 このところ、日本史と世界史の高校講座を努めて受信。
 251112の午前5時50分の「NHK高校講座 世界史探究 冷戦構造の成立と展開」。
 注目は掲載の図。人間自然科学研究所HP掲載図の「第二次世界大戦の国別犠牲者数」。

 表はUSSR=ソ連邦が2,060万人。中国1,321万人に日本は310万人。
 USAは統計にあらわれず。「兵力・経済力とも世界第一位、国土が戦禍にさらされていない」との評に。
 ドイツとの戦ったソ連。日本の戦闘国・中国。そこに多数の犠牲者を出させ、USSR=「計画経済を進めてわずか20年、 対ドイツ戦の人的・物的損害も甚大」。

 戦後、国際社会に大きな影を、描く。東西冷戦構造。
 番組は「冷戦体制の成立」「冷戦の展開」「米ソの核兵器開発競争」の3部で構成。
 WarⅡの犠牲者7千万人 今はここまで伝える高校の現代史 「世界史探求 冷戦」
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安田財閥―道内で唯一根室銀行 「根室銀行等安田系11行大合同」背景 北海道東部近代化の指標システム―5―
安田財閥―道内で唯一根室銀行 「根室銀行等安田系11行大合同」背景 北海道東部近代化の指標システム―5―

 『釧路市統合年表』で、大正12年11月1日に「根室銀行等安田系11行大合同」の内容。
 釧路市南大通の旧ナショナル東北海道支店となっていたポイントのに設置の旧安田銀行。
 その背景が(株)安田銀行『安田銀行六十年誌』(1940年09月刊)で、判明した。

 大正12年(1923)4月18日
 株式会社安田銀行、
株式会社第三銀行、
株式会社明治商業銀行、
株式会社信濃銀行、
株式会社京都銀行、
株式会社百三十銀行、
株式会社日本商業銀行、
株式会社二十二銀行、
株式会社肥後銀行、
株式会社根室銀行
株式会社神奈川銀行の十一行
合併内協議調ひ株式会社保善銀行創立発起人会開催。

 6月 1 日  株式会社保善銀行外十一行間に合併契約成立。
 7月25日 株式会社安田銀行外十行は同時に株主総会を開き株式会社保善銀行に合併の件を附議原案通り可決。
 9月 20 日 関東大震災に困る合併延期追加契約当事者間に於いて締結。
 10月 8 日 合併並に商号変更認可せらる。
 
 10月16日 合同十一銀行本支店の業務継承準備の為存続すべき各行本支店内百六十箇の支店を設置せるに付登記申請。
 11月1日 保善銀行外十一行の合同実施、
  同時に商号を株式会社安田銀行と変更す。被合併銀行本支店並に出張所の中百五十三支店、五十六出張所を新銀行支店出張所に継承。

 ちなみに旧安田銀行釧路支店は、財閥解体で富士銀行釧路支店。翌々年。
 昭和26年10月29日 富士銀行釧路支店が北大通に移転・新築される。
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ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-4-
ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-4-

 出陳のデータ。A4判の第4ページ目。その構成を思案するも、最終的には。
 2021年6月18日、市内在住の井上 智彦さんがブログで紹介して下さった内容の半分を転載させて頂くことに、した。 = くしろCOTO 子育て・教育・カルチャー。
 https://culture.kushirocoto.com/2021/06/18/kushiroshinsho/
 「『釧路新書』を読んで釧路の魅力を再発見しよう!」を。

 関係されるお方の、許諾を頂かなくてわ。早速、ご快諾いただいた。時の要請内容。
 「ネットで共有させていただくと良いのですが、そこ、依然果たしておりませんで」。
 「いろいろ考えました」。しかし、地域社会が・・・・・・。
 
 3)『釧路新書』はささやかな些事ながら、地方公共団体が「地域に付加価値創設を呼びかけ」ながらも、自身で「身銭を切っても手にしなければ」の価値を創ろうとしない。
 
 4)市民感情が、知で自身を鍛えることを取り組まず、他者に押し付け、いつまでたっても企業誘致で地域経済を拡張深化させた気風から、抜け出せずにいること。
 
 5)往時は『読書人』(図書館)や『博物館新聞』『北海文学』などに投稿の10枚前後の業績を、励ましつづけて叢書一冊にまとめさせた、育てる力の脆弱を結果していると、見つめていること。

 たいへん勝手ながらも、
 3)~5)を克服する点で、御至稿は貴重な一石を投ずる位置にある。読者の一人として判断させていただいたこと。

「第34回 釧路市生涯学習フェステバル まなとぴあ2025」が、11月8日、9日の両日、釧路市生涯学習センター〝まなぼっと幣舞″で開かれる。
 ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-4-
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ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th 開催第2日
ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th 開催第2日
 
 釧路市生涯学習フェスティバルが、始まっていまーす。
 昨日は、「くしろ魅力・それぞれ発信し隊」の研志代表は「初日で350人の登録者が」、と。歓迎していました。
 はじめに、先ほど午前10時30分頃の、展示コーナーを、紹介しま

「地域への思い入れを形に表現できる」。展示を通じ、その貴重な経験がスミズミに発揮されていて、大変に力強く、頼もしく、受け止めさせてもらいました。 
 展示ようにラミネートしてくださったり立体化の見せ方など、配慮と投資を惜しまなかった点は、他の団体には見られない、心遣いです。

 出来ること、出来るときに、無理なく出来る方法で、ご参加くださーい。
 会場で役割分担を果たしてくたさって、地域の土の香り=地元の声と、風の匂い=訪問者の目線に接して下さって、これからの活動の中でご提案くださーい。
 閉会まであと一息。ご健闘くださーい。2025年11月9日 13時50分筆。
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ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-2&3-
 ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-2&3-

  第15講座のテーマ=「釧路のおススメ 私のBest3」。7人の参加があった。
  蓋を開けてみるに、三題の領域で提案があった。
 「釧路のおススメSpot」「釧路のおススメグルメ」「釧路のおススメFamous store」。

 名物料理は「グルメ=Gourmet」では、何がなんだか判らくなるような気がして、まず「グルメ」と。
 最後のお店。年寄りなら「老舗」「銘店」、文字通り「おススメの店」。
 しかしそれでは、おいで頂くお方のセンスを刺激すること、難しかろう。

 「魅力」と申して、「一目惚れ」の「一過性をおススメする気持ち」は毛頭ない。
 しかし、気の利いた表現でまとめてみたい。乞う、idea.

「第34回 釧路市生涯学習フェステバル まなとぴあ2025」が、11月8日、9日の両日、釧路市生涯学習センター〝まなぼっと幣舞″で開かれる。
 ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-2&3-
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ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th 251108-09 -1-
 ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th 251108-09 -1-

 「第34回 釧路市生涯学習フェステバル まなとぴあ2025」が、11月8日、9日の両日、釧路市生涯学習センター〝まなぼっと幣舞″で開かれる。
 22年7月から活動を続けている「 釧路ぶぶる/北大通を歩く」も、第19回目の講座を、この催事に参加することで「原田康子&桜木紫乃 作品舞台周遊」に置き換える。
 世話人の方の提案を、集う皆さんが賛同した。

その一人として、25年1月11日、新年の船魂祭 ふなだまさい 当日、幣舞橋下流で満艦飾漁船に敬意を表しつつ、釧路フィッシャーマンズMOOで開催。第15講座のテーマ=「釧路のおススメ 私のBest3」の内容を、公開してみることに。
A3判 見開き4ページの冊子体で表現させてもらい、その一ページを考えてみた、ところ。
「釧路の夕映え 三景」に「2001年放送 永禄助のニッポン夕焼け紀行」(NHKBS)から、番組前半で紹介された10ケ所のタイトルを紹介。
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「消費者・生産者の組織化」「生産者組織と消費者組織の提携」と 協同組合に衝撃レイドロー著『西暦2000年の協同組合』
 「消費者・生産者の組織化」「生産者組織と消費者組織の提携」と 協同組合に衝撃レイドロー著『西暦2000年の協同組合』 日本経済評論社 1989年

 株価高騰、アベノミクスの余波でマクロ経済が話題を呼び、資本主義的企業とは異なる協同組合経済の変革を見通す書として、広く話題になっていたようだ。
 「世界の飢餓間題の解決」「財の生産とサービスの提供でワーカーズコープを重視し普及」。
 「流通、消費の分野で消費生協が持続可能な社会を確立」「各種協同組合のネットワークで<地域コミュニティの再建>を。

 以上、四点の課題解決に、「ワーカーズコープ」。
 すなわち、<当事者と共に地域に必要な仕事をおこし、事業を通じ安心して働き暮らせる地域づくりを目指す非営利の協同組合>が不可欠とする。
 危機はエネルギー、食糧、水のみではない。孤立・孤独化も深刻。

 そこを、「協同組合組織と労働者との間に新しい関係」のもと、「経営も労働者を組織のよきパートナーと考え始めるべき」とし。
 「協同組合を活用した都市集団、隣保集団、地域集団としての地域社会を建設」する、と。
 本書は、1980年のICA(国際協同組合連盟)モスクワ大会に提出した報告書。協同組合運動の「転換」と「再構築」のための指針を提供することが目的、とされる。
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廃屋壁に写真、 常設「歩いて巡る屋外写真展 白老か」 地域の支持力2-『読売新聞オンライン』221006
 廃屋壁に写真、 常設「歩いて巡る屋外写真展 白老か」 地域の支持力2-『読売新聞オンライン』221006

定かではないが公共放送のローカルニュースで、胆振国白老町の話題。
 水辺の倉庫、その壁に大きな写真。地域の着想力、発想力を示すものとして画面に目を奪われた。
 今、「白老 倉庫 壁画」のキーワードで検索し、まずは二点の情報にアクセス。

 「廃屋の壁に昭和30~40年代の巨大写真、歩いて巡る写真展」 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220930-OYT1T50247/ 2022/10/06 16:05
 「大漁に沸く浜・遊ぶ子どもたち」のサブタイトルも添えられてある。

 さらに一点。こちらは『号外NET 苫小牧市』で。
 「白老町虎杖浜で開催されている「歩いて巡る屋外写真展」に行ってみました」
 https://tomakomai.goguynet.jp/2021/10/03/ayoro/

 掲載写真は後者から拝借。二つの記事の記載年月はそれぞれ異なる。
 まずは近隣、苫小牧市出身の写真家、その作品が60数点あった、そうで。
 写真に注目した女性美術作家がアドバイスし、うち約20点。
 それを「空き家や倉庫などの壁面に写真が貼り付け」。各所を、歩いて巡回、に。

 TVニュースで見たとき、そのまま、常設になるのかと。
 貼り付けることを認めた経営が、デザインや写真代、貼付経費を各自負担、かも。
 地域の属性、昭和30-40年代の時代性、世代をつなぐ生涯学習資源。

 そうだとするに、「貼り付認めた経営、各自のコスト負担」。それが出来たとすると、そこは地域の、支持力・投資力に、来訪者を愉しませる<おもてなし>と、考えた。
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