2003年04月の記事


潮干狩り
今日は、親友一家と横浜の海の公園に潮干狩りに行ってきた

思わぬすがすがしい晴天に恵まれた海は、物凄い人だった

海の公園では、千貝を巻くようなことはしていないというのだが、ちょっと掘るとざくざく出てくる

しかし、なかなか大きな物は採れない

中には「家の子蜆好きだから小さくても大丈夫よ!」なんて言って採ってるおばさんまでいる。(おいおい、いくら小さいのが多いって言ったって、ココは海。蜆は淡水に住む貝だってば!)

それでも、2〜3時間粘って採るとそれなりの量がとれた。

アサリ、シオフキは小粒が多いが、バカガイ、カガミガイはそれなりの大きさのものもあった

家に帰ってから、持ってきた海水に入れて早速砂抜きを始めると、採ってきたばかりのせいか、勢い良く水を吹く

余り貝など見たことのない子供達は、おおしゃぎでワイワイ言いながら眺めている。

直径25cmくらいの透明なボールに入れた貝は、ごそごそと動いては水をピュ―ッと吹く。大きな貝が水を吹くと、かなりの距離まで水が飛ぶ。そのたびに、子供達がキャーキャー騒ぐのだ。

ちょっと砂抜きをしたら、夕飯のおかずにするつもりだったのだが…

アサリ以外の貝をどう食べていいのかもわからず、どれ位砂抜きをすれば良いかも分からないので、取りあえず今晩のおかずにするのは見合わせる事にする。

夕飯の支度をしている私の傍らで、命拾いした貝を子供達は飽きずに眺めていた。するとそのうち…

「この元気が良い子は、私が採ったヤツだよ!」とか、
「こっちはオレが採ったやつ。良く遊んでて可愛いな〜」(は?可愛い?)

人間とは変な生き物で、どんなものに対してでも、しばらく接していると情が映ってくるらしい。

そのうち娘が
「ママ、こんな狭いところじゃ窒息しちゃうかも?空気をブクブクしてやってよ!」と言い出した。

息子ときたら「こいつら飼おうかな〜?」だって!

「海に住む貝なんて、飼うことなんか出来ないよ!海水もそれだけしかないし。餌も砂もないんだから!」「そっか〜」と、かなり残念そうな息子

明日になって、「この貝を調理して食べる」なんて言ったら。子供達に白い目で見られそうな気がしてきた。かといって、ボール一杯分の海水ではそう長生きをするはずもなく…

一体どうすれば良いのだろうか?と頭を悩ましている私だった。
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過ぎたるは…
ココのところ川崎では、ハッキリしない天気が続いている。

今日もそうだった。朝方は雨が降っていたのだが、昼近くには止んでいた。しかし、いぜんと雲が低く垂れ込めて、今にもまた降ってきそうだった。

最近出不精な私としては、あまり出掛けたくない天気だったのだが、そうとばかりは言っていられないので、一応傘を持って出掛けることにした

歩き出してしばらくして、鞄がやけに重いことに気がついた。覗いてみると、鞄の底に折りたたみ傘が入っていた。

そう言えば、昨日の夜用心の為に入れたのをすっかり忘れていたのだ

相変わらず空では雲が私を睨み付けている。しかし一向に雨は降ってこない。それどころか、用事が終わって建物を出ると、雲間から陽がさしていた。

結局私は1日中、重い鞄を肩にかけながら、無用の長物と化してしまった傘を邪魔にしながらブラブラと持ち運ぶ事になってしまった。

もともと私は用心深い方だ。
と言っても、これは持ち物に限ってと言ってもいいのだが。なにか起こった時に必要なものが揃わない、ということが嫌なのだ。

その性格のために、いつも大きな荷物を持ち歩くことになるのだ。

カートに行く時も、例外ではない。子どもがちょっと怪我をした時用の傷薬から、解熱剤、胃薬、湿布薬。爪きり、ソーイングセットetc.

そのため、カート仲間からは「よろず屋」などというあだ名ももらってしまった。

もちろん、我家の押し入れの中にも、いつかきっと出番があるだろうと捨てられずにいる品々が眠っている。(主人曰く、「きっと永遠に眠りについていると思うけど?」)

「過ぎたるは及ばざるが如し」
このことわざは、私にとっては人生の教訓なのだろう。
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早過ぎる死
20日に、モトGP世界選手権に参戦中の、加藤大治郎選手が帰らぬ人となった。

6日に、鈴鹿サーキットで行なわれた、モトGPのレース中の事故で、頭部を強打し意識不明の重体に陥っていたのだが、懸命の治療も届かず、帰らぬ人になってしまった。

私は、昔バイク乗りだった。2歳違いの弟が、学生時代にバイクのレースをやっていて、そのレースサポートにも良く出掛けていた。
そのせいか、子供にカートをやらせているにも係わらず、私の心は今でもライダーだった。

私は結婚して、やむなくバイクを降りてしまったが、それからもずっとGPのレースを欠かさずチェックしてきた。

加藤選手も、デビューした時からのFANだった。

162cmの小柄な体格、まだあどけなさが残るマスク。何処にでもいるバイク小僧といった感じの選手だったが、そのライディングセンスには光るものがあり、瞬く間に「天才ライダー」の名を与えられることになった。

250ccクラスでチャンピオンになり、昨年から最高峰であるモトGPクラスで990ccという、モンスターマシンを扱うことになる。

ライダーには、小柄な選手が多いとはいえ、あの体格であの大きなマシンを扱うのは、かなり大変だったと思う。

確かに、250の時とは違って、そのレース運びにも苦労の跡が伺われた。

それでも、彼の天性のセンスで結果を出し始め、今年は頂点をも狙えるのでは?という期待を持って臨んだ年だった。

モータースポーツにはどうしても危険がともなう。
いかに安全対策を施してあるサーキットでも、事故は起き、その結果ライダーやドライバーが命を散らすことになる。

だからこそ、公道でレースまがいの行為をする事などもってのほかだと私は思う。

それは、モータースポーツを甘く見ることになり、サーキットで限界に挑んで命を散らしてしまった偉大なる英雄達を侮辱することにもなると思う。

加藤大治郎選手のご冥福を、心からお祈りします。
だいちゃん、ご苦労様でした。
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挾間
中学生になった娘が、カートを辞めるかどうかで迷っている

中学になると、部活が始まる。
一般的な、部活にもあるようなスポーツをやっている子は、そのまま中学の運動部に入るのだが、公立の中学にカートクラブがあるわけはない。

娘の中学は、吹奏楽部が有名で、神奈川県大会で優勝したりしていて、なかなか人気だ。
娘の友達も多く入部するらしく、娘も誘われたらしいのだ

もともと、楽器を弾くのが好きだった娘には、憧れの楽器に触れることができるチャンスでも有るのだ

しかも、高校受験を控え、部活の参加の有無が内申書にも書かれるという

しかし、吹奏楽に入ってしまうと、土日の練習や大会がある。何かの楽器を担当してしまえば、簡単に休む訳には行かなくなる

今まで、カート、カートとやってきたが、他のこともやりたいという娘の気持ちもわかるし、カートだけに縛ってしまうのも可哀想かな?とも思う

カートが好きだと言う娘の気持ちも確かだとは思う。

その気持ちの挾間でゆれながらも、新しい楽器に触れられたことを、目をキラキラさせながら話す娘を見ていると

なにやら複雑な気持ちだった
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春の目覚める時
日本のように四季がある国に住んでいれば、毎年春はやってくる

でも、その年によって春の訪れ方が違うのだ

今年の春はいつもより少し寝坊だった。
お彼岸が過ぎてもまだコートが手放せない日が続き、桜の開花予想日も先に延ばされた

仕事が込んでいた私は、その寒さを口実に、あまり表に出ることもなく過ごしていた。

そんなある朝のこと、公園の片隅の木蓮の花がひっそりと咲いた

その白く気高く凛とした大きな花を目にした日の午後、突然春がやって来たのだ

朝方の寒さはどこにもなく、暖かくてキラキラとした春の日差しが街を包み、こぼれんばかりに膨らんだ桜やゆきやなぎが一斉に咲き始めたのだ

それはまるで、木蓮が咲くの待っていたかのようだった

まるで、自然の織り成すイリュージョンを見せられたような気持ちだった

もしかしたら、あの木蓮の花の中に春の女神が眠っていたのかもしれない

最近はなにかと気忙しく過ごしていて、いつのまにか季節が変わってしまっていることが多かったのだが、春が目覚める瞬間に立ち会えたことが、私はすごく嬉しかった
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お弁当シュミレーション
娘が中学に上がり、お弁当を持って行くようになったので、私は、朝今までより30分早く起きてお弁当を作るようになった。

お弁当に野菜を入れようとおおうと、どうしても煮物にするようになる。しかし、朝の短い時間ではなかなか作れないので、毎日夕飯以外の時間に、まるで内職でもするようにお弁当用の煮物を作るようにした

その煮物を作りながら、娘がはじめてお弁当を持っていく頃のことを思い出していた。

小さい頃、娘は偏食で小食だった。今思い返してみて、一体なにを食べさせていたんだっけ?と思うほど、食べられるものが少なかったのだ

幼稚園に行けばお弁当になる。しかし、その頃の娘に食べられるもので、お弁当に入れられるものが殆どなかったのだ。

仕方なく私は、お弁当のシュミレーションをすることにした。

入園の数ヶ月前から、毎日お弁当を作ることにしたのだ。そうすることによって、娘が食べられないものを把握したり、逆に食べられるように工夫して克服させるようにしようと思ったのだ。
もちろん、私の練習の意味もあった

毎朝、お弁当を持って、近所の公園へ出掛け、娘と息子と私の3人で食べるのだ

時には、公園で会ったお友達のお家で食べたり、雨が降って何処へも行かれず、居間に敷物を敷いてピクニック気分で食べることもあった。

そうしていくうちに、おかずが冷めた時の味気なさを私も知ることができ、娘が食べられるもの増えて行った

今でも、あの頃の小さなお弁当箱を見ると、お弁当シュミレーションをしていた頃の事を思い出す。
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担当は「性教育はじめの一歩」のコーナーです。

最近、お年頃(?)の子供達を抱える母親として、我家での取り組みなども含めて、いろいろ観点で記事を書いて行きたいと思います

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2ヶ月ぶりの練習
今日2ヶ月ぶりに新東京サーキットに練習に行ってきた。

本来カートにはオフシーズンはないのだが、我家は主人の仕事の関係で、毎年2・3月は練習に行かれないのだ

つまり、毎年4月から我家のカートの新年度が始まるのだ

前回走った時はかなり寒かったのだが、今日は初夏のような陽気だった。

当然、路面のグリップやエンジンの調子も違う。しかも娘は、新規格であるYRA-1というタイヤを始めて履いての練習になった

このYRA-1というタイヤは、今年からSL83というタイヤに変わって使用されることになったタイヤである。ドライで使用するタイヤは、殆どがスリックと言って溝が切られていないものがほとんどなのだが、これにはF1のタイヤのように数本の溝が刻まれているのが大きな特徴だ。

今までの83タイヤよりもグリップは高いらしいのだが、耐久性は落ちているらしい。

すでに3月から、レースにも使用されているのだが、練習に来られなかった我家は今日始めてのテストとなった。

タイヤのグリップの違いは、走りに大きく影響してくる。出来るだけタイヤをグリップさせて走るというカート本来の走り方が出来ているドライバーには有利なタイヤなのかも知れないのだが、娘はどちらかというと少しリアを流し気味に走るくせが有る。つまりタイヤがグリップしすぎると、カートの回頭性が足りずに動きがぎこちなくなってしまうのだ

そこで今回我家では、フロントのセットを変えて、コーナーでのフロントの入りを良くすることで、カートの回頭性を上げるようなセッティングにした

2ヶ月のブランク、新しいタイヤ、操作性の違うカート、これを娘がいかに操れるか様子を見ながらの練習になった。

慣らし走行が終わって徐々にペースを上げさせてみる。やはり、フロントの動きがスムーズでステアリングの動きにクイックに対応するせいか、ステアリングを切るタイミングが合わないのだろう。コーナーの入り口で、カートが少し曲がり過ぎている。慌てて少し切りもどすために、入り口でふらついているように見える。

エンジンのセットも合っていなかったのか?いまいちコーナーの立ちあがりでも勢いに欠ける。

エンジンのセットを変え、本人にはステアリングのタイミングを変えるように指示してまた走らせてみる。

来週、この新東京サーキットでフレッシュマンレースが開催されるせいか、今日は走っている台数が多かった。

娘の練習時間は、娘のクラスと一つ上のクラスのカートが混走になる。タイヤにもカートにも慣れていない娘は、まだいまいち流れに乗って走れていなかった。

それでも、このセットに慣れてもらうしか今はないので、少し我慢して走らせることにする。

初夏のような陽気で、ヘルメットの中はサウナのような状態らしい。PITでヘルメットを脱がせると、汗をびっしょりとかいている。しかも、カートを降りてからしばらく咳き込んでいた。

充分に水分補給をさせ、体には冷やしたエビアン水の霧を吹いてから冷たいお絞りで体を拭き、日陰で休ませる。

それでも、走り始めると10分で喉がカラカラに乾いてきて、喉が貼り付いたようになり、カートの振動も手伝って咳き込みが止まらなくなるのだという。

久しぶりの練習ということもあるので、少し休憩時間を多めに取ってから、また走らせることにする。

1時間後、練習再開。
少しづつ慣れてきたのか、カートの動きがスムーズになり、それなりに流れに乗って走れるまでになった。

これからレースまでに、どれだけセットと走りを詰めて行くことができるか、まだまだ課題は山積である。
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ママは名探偵
2年程前のこと。仕事を終えて帰宅すると、娘が
「ゴメンナサイ。お留守番の間にガラスのコップを割っちゃったの」と言った。

見てみると、流し台の横にセロハンテープで元通りに張り付けられたガラスのコップが載っていた。

それはまるで、発掘された土器を再現したかの様にきれいに修復されていた。

「欠片を拾う時に怪我しなかった?他の欠片は?」と聞くと、「大丈夫、ちゃんと掃除機も掛けたから」と娘。

しかし、その様子が少し変だったので、私は
もう一度娘の目を見た。そして、「これ、お姉ちゃんが割ったんじゃなくて、 リョウヤ(息子)の友達が割ったんでしょう!」と言うと。

「なんで嘘だって分 かったの?」娘は驚き、そして不思議そうに私に尋ねて来た。

「アンタが自分で割ったらちゃんと言うでしょ?リョウヤをかばったとしたら、こんな風にわざわざテープで直さないでしょ?これは、リョウヤの友達がやったから、テープで直して、それを隠すために嘘もつくことにしたんでしょ?」

子供達は「ママ、名探偵みたい」と言って、今度は素直に謝った。

「ママに嘘を付いても無駄だって分かった?」と聞くと、子供達は、大きく頷いていた。
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3年目のイチゴ
我家の庭では、今イチゴが満開である

白くて小さな花が、鮮やかな緑色の葉の中で輝く様に咲いている。

このイチゴは、3年前のクリスマスの日。
私がケーキの飾りにしようと思って買ってきたものの中で、箱の底でつぶれてしまっていたものから芽吹いたものだ

2年近くの間、イチゴは庭先でただの観葉植物と化していた。

とにかく花が咲かなかったのだ。

水が足りないのかしら?とこまめに水遣りを気にし。
日当たりが悪いのかしら?と、我家の庭で一番陽が良くあたる一等地を提供し。
肥料が足りないのでは?と、近くのお花屋さんにいって、いろいろと買いこんで来ては与え。
植物は生き物だから、話しかけてやらなくちゃいけないのだ、という話を聞いて、庭先で一目をしのんでは、ブツブツとイチゴに向かって話しかけ…。

苦節3年(そんなオーバーな!)やっと、今年の初めから花が咲き始めた。やった!と喜んだのもつかの間、花はジャンジャン咲いているのだが、中々実が成らない

そう、受粉するための虫がいないのだ!

今度は、どうやって虫を呼び寄せるか?と密かに作戦を練ってる私だった。
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息子を取り巻く微妙な関係
息子が5年生に進級し、クラス替えがあったせいか、朝息子を迎えにくる子の顔ぶれが少し変わった

今迎えに来てくれる子は、1・2年生の時に一緒だった息子の悪友である

我家は、マンションが5棟ほど隣接する地域に住んでいるので、友達には事欠かないのだが、あまりに見事に入れ替わったので少しビックリした。

つい先月まで仲良く遊んでいた子達とはもう遊ばないのだろうか?と気になって息子に聞いてみると…

迎えに来てくれるA君と、先月まで遊びに来ていたB君とは馬が合わないのだという

「あとね、オレはどっちとも遊ぶけど、○○君と○○君も絶対に遊ばないんだよ」と息子

「やっぱり馬が合わないの?」と聞いたら、
「ううん、2年の時に母さん同士が大喧嘩したんだってさ」「……。」これには絶句してしまった。

言われて見れば、話に上がったどの子も我家に遊びにくるのだが、それぞれのグループ毎に遊びに来ているようだった。

「でさ、A君はアンタがB君と遊んでも嫌な顔はしないわけ?」と聞くと

「だからオレは苦労してるんじゃン。みんないいヤツなんだけどさ、一緒には遊べないからさ、その辺を上手くいろいろ調整してるんだよ」

「ふ〜ん、そっか。いろいろあるわけね」
「まあね、じゃあオレ遊びに行ってくるから」

さすがに5年生にもなると、いろいろと人間関係も複雑になってくるらしい。

それにしても、息子がそんな風に気を使いながら、それぞれの友達を大事にしているのだということを聞いて、アイツも少しは大人になったんだなと、息子を見送りながら思った。
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成長の証し?
  先日、中学生になる娘からいきなりこんなことを聞かれた
「ねえねえ、ママとパパってさ。何回SEXしたの?」
ひぇ〜^^^、いったいなんつう事を聞くのかこの娘は!
と思った。

でも、こんな時にへんに動揺して答えたり、お茶を濁したりしては、かえって子どもの為にならないのではないか?とか考えた私は、取り敢えず冷静を装って

「なんでそんなことを聞くの?」と言ってみた。すると娘は、
「ねえ、2回はしたんだよね?だって子どもが二人いるんだもん」(おいおい、数えるなよそんなこと((--;A ...アセアセ)

仕方がない、大きく深呼吸をして、しっかりと娘の目を見て
「あのね、回数はともかくとしてさ。ママはね、パパのことが大好きだったの。だから、いつも一緒にいたかったのね。だから結婚したんだし、すごくすごく一緒にいたかったから、SEXもしたんだよ。そうしたら、あなた達が生まれて来てくれたの。だから、赤ちゃんが欲しくてSEXしたんじゃないんだよ。だから君達は、そのおまけみたいなものかな?」(笑)

すると娘は「え〜?私達はおまけなの?」

「そうね〜。ママがパパといて楽しかったから、神様が、『家族が増えたらもっと楽しいよ!』って、ママにくれたのかもね?」「ふう〜ん」というと娘は自分の部屋に行ってしまった。

いったいどうして娘が急にそんなことを聞いてきたのか、果たして私の答えで納得できたのかは不明のままなのだが…。

子どもが成長して来ると、確かにそれなりの知識は必要だと思う。しかし、その知識をどう受けとめていくのか?という知恵は、性教育という形だけを教えるものでは補えないと思う。

普段の生活の中で、人生の先輩として親が何らかの道を示して行くことで、子供達なりに感じたり、考えたりして始めて生まれてくるものなのではないかと思う。

これからさき、また突然襲撃を受けたときには、どうやって答えようかな?とちょっとドキドキしている私だった。
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新たなる出発
昨日、娘の中学校の入学式を無事終えることができた。

その娘は、中学入学に際して、通信添削をやりたいと言い出した。私が、中学に上がって授業が始まってから考えたら?というと

新学期が始める前に申し込みをすると、特典としてしろいろな教材がついてくるので今のうちに申し込みをしたいのだという

娘曰く、その教材の中にある、現在の自分の学力を診断してくれるテストを受けたいのだというのだ

その言葉を聞いて私は少し驚いた。

今まで、私が声を掛けなければ宿題だってなかなかやろうとしなかった娘の口から、そんな言葉が出るとは思っても見なかったからだ

小学校の卒業式を控えたある日、教室で誰が何処の中学に行くのか話題になったらしいのだ。

我家は当然地元の中学に行くのだが、クラスの中の数人が受験して私立の中学に行くという話を聞いてきたらしい

実際に医療機関で診察を受けたわけではないので、はっきりしたことは分からないが、娘には軽度の学習障害があった。

数の概念や、算数がどうしても分からなかったのだ。そのために、小学校の低学年で算数の授業で出遅れてしまい、かなり苦労をした。

そのことが原因でいじめをうけた事もあった。

娘なりに必死に努力して、小学校の卒業までにどうにか自分の学年レベルに追い付くことが出来たのだ。

その事もあってか、娘は中学では出遅れたくないのだという。

果たして、通信添削なんていつまで続くのかしら?と思っていたが、教材が届いてからずっと、私がなにも言わなくても机に向かって勉強していることが多くなった。

コンプレックスを抱くということは、本来ならあまりプラスなイメージではない。

しかし、そのコンプレックスをバネにして、次のステップに向かうことも可能なのだ。

常に前に向かおうという気持ちがあれば、それは可能なのだということを、娘に教えてもらったような気がした。
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なたね梅雨
春の女神のご機嫌は実に気まぐれなもので、桜の花が見頃を向かえるこの時期になると、必ずと言って良いほど雨を降らせる

昔の人は、この時期の雨が多いことを「なたね梅雨」と呼んだそうだが、やはり私にとっては「花散らしの雨」という印象が強い

もう2年程前の事、我家の子供達が始めて雨でのレースを体験したのが、この時期だったからかもしれない

キッズカート時代には、雨で走ることは殆どなかったのだが、ジュニアに上がると雨でも当然のようにレースがある

雨になれば、路面の状態も然る事ながら、エンジンのご機嫌も、シャーシのセットも違ってくる。

つまり雨できちんと走ることが出来なければ、当然上を狙うことは出来ないのだ

しかし、娘が始めてJカデットに上がったその年は、レギュレーションの変更があり、アドバンのタイヤを使うことになったのだ

当時供給が間に合わず、レースにでて始めてそのタイヤを買うことが出来るという状態だった
。つまり、レースで使うはずのレインタイヤを一回も使うことが出来ずに、雨での練習をすることが出来なかった

始めてのジュニアのレースを向かえる前日は、そこそこいい天気であったにも係わらず、レース本番では、徐々に天気が悪くなり午後からは完全なウエット状態になってしまった

つまり娘は、始めてのレースを、始めてレインタイヤをつけて望むことになったのだ

今でこそ、雨女の異名を取るほどになり、雨での走りにはそれなりのものになったが、その始めて尽くしに親も子もかなり困惑した

結果は、思ったよりはよくビリになる事もなかったが、見事に夢を散らしてくれたあの日の雨を、私はいつまでも忘れないだろう。

そして、明日今年の東日本ジュニアの第1戦を控えた今日も、「花散らしの雨」が降っている

この雨が、恵の雨をなるか、花散らしの雨になるのか?

それは勝利の女神しか知ることはないのかもしれない
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