2003年02月の記事


新しい試み
今子どもたちの間で、根強い人気を誇るゲームソフトに、ポケットモンスター(ポケモン)というのがある

ゲームの中を旅しながら、モンスターを捕まえて仲間を増やしていき、いろいろな冒険をしてゲームをクリアしていくというものなのだ。主人公に自分の名前を付けたり出来るので、プレーヤーは、ゲームの主人公に自分の姿と重ね合わせて、丸で自分がゲーム世界を冒険しているような共感を覚える。そのせいか、我家の子どもたちも熱中している。

先日も、友達を我家に呼んで息子がそのゲームで遊んでいたのだが、ゲーム機を横においてみんなでなにやら紙に書いている。

「何やってるの?」と聞くと、「これで暗号を解いてるの」と見せられた説明書には、点字がびっしりと書いてあった。

よく読むと、それは実際に使われている点字で、ゲームの中でそれがモンスターを捕まえるための暗号として使われているのだ。

説明書の最後に、日本点字図書館の理事長さんによる、点字についての解説が載っていて、ゲームをすることによって、少しでも点字のこともわかって欲しいということが書かれていた。

子どもたちは、学校で福祉について学びながら、点字のことも教えてもらったりはしているのだが、やはりそれだけでは身近に感じることは難しいように思えた。

しかし、子ども達にとって一番身近な存在である「ゲーム」にそれを取り入れることによって、点字がより身近なことに感じられると思う。

現にわがやの子どもたちも、駅などで点字を見かけた時の反応が、明らかに違って来ているのだ。

このポケモンに、点字が取り入れられていることは、あまり世間には知られていないように思えるが、このことをきっかけとして、きっとそのゲームをした子ども達の中には、なにかを残してくれると思う。

また将来、ゲーム機の表面が、デコボコを出っ張ったりして、目の見えない子ども達にもゲームの楽しさを教えてあげることが出来たり、目が見えるこも見えない子も関係なく、一緒に遊ぶことが出来るようになるかも知れない。

今回の任天堂の新しい試みが、いずれ大きな実になることを、願って止まないのであった。
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母になるということ
今私の友人が、心の病で悩んでいる。

彼女は、私と同い年で腕の良い美容師さんで、女手一つで二人の娘さんを育ててきた。

お店も持つことができ、かなり繁盛していた。

しかし、ずっと全力疾走してきた彼女が、心のオアシスとして求めた関係に裏切られてしまい。過労から、彼女の持病も悪化してしまい、結果的に彼女は心に病を抱えるようになってしまったのだ。

治療もしているのだが、なかなかよくならずに悩んでいたのだ。

ところが、彼女の心の病の一番の原因が、意外なところに潜んでいたことが最近発覚した。

それは、彼女が同居している、彼女の実の母親だった。

彼女は、いくら悩んで辛い思いをしていても、母親にそれを打ち明けることが出来なかった。

そのことは、私も前から聞いていたので、もう少し理解があるといいね、とは話していたのだが…。

先日、ひょんな事から、彼女の病気のことが母親に分かってしまったのだ。

だいたい、一緒に暮らしていながら、いかに成人した娘だったとしても、心に病を負っていることになぜ気がつかないのか? 私は不思議で仕方がなかったのだ。

病気が発覚したことがきっかけで、母親を伴って出掛けた、病院のカウンセリングの席で、彼女の母親は、一言も彼女の病気に対して、自分が何をしたらいいのか?という言葉を口にしなかったのだという。

そして、母親の口からは「自分は今まで、きちんとやって来た」とか、現在彼女が無職に近いにもかかわらず、「一緒に住んでいるけど、食費を何ヶ月も入れていない」というようなことを、お医者さんに主張するばかりだったという。

これには、彼女ばかりか担当のお医者さんもかなり驚いたらしい。彼女ははっきりと「あなたの母親が、『母親』ではないので。一緒にいるとあなたの病状が悪くなるばかりだと思うから、出きれば別居しなさい」といわれたのだという。

泣きながら話す彼女の言葉を聞いていて、私のほうが切なく辛かった。

実の親子だというのに、彼女のお母さんが彼女に対して取る言動すべてが、まるでテレビドラマに出てくる鬼姑のようなのだ。

いつ頃から、何処でどうしてそうなってしまったのか? 詳しいことは分からないが、どうやら、彼女が母親の理想とする娘像とは違う方向に成長してしまったことが、母親としてどうしても許せなないということのようだった。

泣きじゃくる彼女に、「病気の治療のためとはいえ、年老いた実の母親を一人にして、家を出るのは辛いと思うけど。お母さんがそういう態度を取る方が、別居は相手のためでもあるんだと思えて、楽じゃない」と言った

もっと気の利いたことは言えないのだろうか?と自分でも思ったが、他に言葉が浮かばなかった。

電話を切ってから、自分はどうだろうか?と考えていた。

私は、本当の意味で子供に対して母親だといえるのだろうか?

子供を産んだ瞬間に、すぐに「母親」になれる人はいないだろう。

物理的には母親になれても、本当の意味で「母親になるには、子供の成長とともに、親も成長していくことが必要なのだ。

彼女の泣き声が、将来の私達の子供達の泣き声にならないように気をつけて、これからも子供達に接して行こうと思った。
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子育て回想記 1
最近、オムツの宣伝で、「ハイハイ赤ちゃんのオムツ替えに苦労したことのある人!」というキャッチコピーがある。

家でも、ハイハイをする時期のオムツ替えで、とんでもないことがあったのだ。

あれは、もう10年くらい前のこと。息子がちょうどハイハイをはじめた頃のことだった。

家の主人は、育児も家事も殆ど手伝ってくれたことがなかった。

そのため娘の育児は、お風呂もなにもかも私一人でこなしていた。

しかし、2年後息子が産まれ、ようやく子供をお風呂に入れてくれるようになったのだった。

ところがある時主人が風邪を引いてしまって、お風呂に入れないので、私が二人の子供をお風呂に入れることになり、お風呂から上がった子供を受けとってもらうことにした。

息子はその頃、お風呂ではまだきちんと座っていられなかったので、取り敢えず先に息子を洗って、入れ替わりに娘をお風呂に入る。

すると、居間の方から…。
「ああ〜、こら〜〜」という主人の悲鳴に近い叫び声と、息子の鳴き声がして来た。

「どうしたの?」と私が、お風呂場のドアを開けて顔を出そうとした。当時は、狭い団地に住んでいたので、お風呂から顔を出せばすぐ横の居間が見えたのだ。

すると、今出したばかりの息子を抱えた主人が飛んできて。
「ごめん、もう一度こいつからだ洗ってやって。オレが「良い」って言うまで、お風呂から出てこないで!」と息子を押し付けるようにして行ってしまった。

泣きじゃくる息子。いったいなにが?

しばらくして、そろそろ上がらないと、湯当たりしてしまいそうになった頃、ようやく主人から許可がでた。

「いったいなにがあったの?」と聞くと。

私から受け取った息子の体を拭いて、オムツをさせようと寝かしたのだが、普段オムツを替えたことがないだんなは、手際が悪く、なかなか上手くオムツが付けられないでいると、息子がおしっこをしてしまったのだという。

慌てた主人が、思わず言った「ああ〜、こら〜」という声に驚いたム息子は、泣き出して、そのままおしっこをしながら、ハイハイして、居間を逃げ廻ったのだという。それで、居間の床も用意しておいたパジャマも、みなおしっこがかかってしまったらしい。

そのため、主人は一人で居間の床を掃除して、着替えを用意したのだという。

赤ん坊は、泣くとお腹に力が入るので、それだけで、おしっこがでてしまうときがある。ましてやその状況では、床はかなりビショビショだったらしくて、一面新聞紙が敷き詰めてあった。

今のように、パンツ型のオムツが普及していなかった時代の生んだ悲劇だった。

主人もも時々、オムツの宣伝が流れるとその話を思い出すらしい。「ほんと、あの時は参ったよな〜」と苦笑しながら言っていた。
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プロはやっぱり甘くない!
先日日記に書いた、スポーツライター新人賞の、担当の方から。今日メールを頂きました。

> 「独立リーグ」の件ですが、
> S−moveではかねてより、スポーツライター新人賞のランクを
> ルーキー →1A→2A→3Aの縦割り方式だけでなく、
> 特定のテーマを持って取り組んでおられるかたたち向けの
> ディビジョンの策定を検討していました。
>
> 小林様の作品は「カート」という一つのジャンルを確立されており、
> 「独立リーグ」の趣旨に当てはまる初めてのケースとなりうるとの判断で
> 小林信也寸評で「独立リーグ」への移行をお知らせした次第です。
>
> S−moveのいちコーナーを担当していただくとか、仰々しいお話ではなく、
> 従来どおり、新人賞のカテゴリのひとつとして、設けさせ頂くものです。
> 寸評の方は、これまで通り、つけさせていただきます。
>
> 新人賞の魅力が、ただ縦割りの賞レースに留まらないようにとの
> 願いを込めての「独立リーグ」なのです。
>


ということで、「私のページ」なんていうことではありませんでした。

とんだ勘違いで、恥ずかしいです〜〜。^^^^
取り敢えず、お騒がせしてしまった皆さんゴメンナサイ



でも、この話を目にした時。

デビュー出きるかも?という嬉しさよりも、

「一人で出来るもんならやって見なさい」って突き放されたようで…

実は、不安で不安で仕方がありませんでした。

なので、内心はホッとしてます。

こんなことでは、いつまでたってもプロになんてなれませんよね?(反省)

でも、「初めてのケース」ということで、ノミートされたわけですから

期待にこたえるべく、これからも頑張って行こうと思います。
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紫のバラの花
食卓の上で、花瓶にいけられた、きれいな紫色をしたバラの花が揺れている

私にとっては、この紫色のバラの花は、思い出の花なんだ。

今から、15年前の今日。私は、25本の紫色のバラの花束と一緒に、ある言葉をもらったんだ

「オレと一緒になってくれる?」

そう。あの日、主人はこの花と一緒に、プロポーズの言葉をくれた

それから、15年。

本当にいろいろなことがあって…

あの日、この花を受けとってしまったことを、心の底から、後悔した日もあった

でも、今日。またこの花を見ることが出来て。

諦めずに、頑張って来てよかったな!って、思う。

主人は今朝、「お誕生日オメデトウ」という言葉も

なにも言わずに、なんか、そっけなく出掛けて行った

もう、お誕生日だからといって、大騒ぎして喜ぶ年ではないけれど

「おめでとう」の言葉もない、お誕生日の朝を送りだして

「なんか淋しいな」と思っていた

そして、仕事や家事でいつものように慌しく時間が過ぎて

夕飯の支度をするために台所にいた私の横に

主人が、黙ってそっと差し出してくれたのが

この紫色のバラの花束だった

私は一瞬、何も言葉が出なかった

「覚えていてくれたんだ」と思っただけで、嬉しかった

少し遅れて「ありがとう」と言う私に向かって

「あの時とは違って、お金がなくて、4本だけしか買えなかったけどね」と、

苦笑いしながら主人が言った

そっか、あの15年前の日のことも、ちゃんと覚えてくれていたんだ…

暖房を焚いた部屋の中では、バラはすぐに散ってしまうだろう…

そうしたら、散った花びらを集めて、押し花にでもしようかな?

夜更けの居間で、一人でバラを眺めながら、ニヤニヤとしている私だった
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14610日の軌跡
私がこの世に誕生してから、今日で14610日になる

別にわざわざ数えたわけではない。

今日、たまたま、あるサイトを訪れたら、そう表示してあったのだ。

そして、その14610日目は、私の誕生日だった。

この数字を見て、正直な最初の感想は「それだけしか経っていないのか?」だった。

それでも、この14610日という、時間の一つ一つに、泣いたり笑ったりして来た、私の軌跡が刻まれていて、今の私がここにいるのだ。

そして今、私はエッセイストを目指そうとしている。

エッセイストという仕事は、14610日という時間と経験の積み重ね全てを、そこに注ぎ込み活かすことの出来る仕事だと思う。

だから、私はこれから先も。私に起こる、一つ一つの事を大事にして

その積み重ねの中で、私の心に映った風景を、エッセイにして伝えていきたいと思う。
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私が生まれた日
私が生まれた日は、すごく寒くてみぞれが降っていたそうだ。私の誕生日には、必ずといって良いほど、雪が降るのだ。

うちの父は、男尊女卑を絵に描いたような人だったから、私が生まれた時、「なんだ女か〜」と言って、すぐに病院にこなかったそうだ

母は随分後になってからも、そのことをブチブチ言っていた

でも、私が大人になってから、偶然、私が生まれた日に父と一緒にいた人の話を聞く機会があった

その人が言うには、父は、「女のこが生まれたんだよ〜」と言いながら、そのお店のコースーターをひっくり返して、その裏に赤ん坊の私の似顔絵を嬉しそうに書いてその人に見せたそうだ

父はとても絵が上手だった、広告美術の1級を持っていて、昔は大きな映画の看板を描く仕事もしていた時があったくらい

だから、絵がうまかった父にちなんで、私の名前には「絵」という字が入っているのだ

今になって、きっと照れ屋の父は、すぐにくることも。嬉しいと口に出すこともうまく出来なかったんだと思えるようになってきた

そう、何年も前のある寒い晩に、あるお店で一人の男の人が、コースーターの裏に絵を描いてたという、お話でした
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取り急ぎ、ご報告!
なんと、スポーツライター新人賞のサイトhttp://www.s-move.jp/writer/index.htmlで、
私のカート日記のページをつくってもらえるかも知れないことになりました!

今日、先日応募した分の寸評を見に行ったら
「いつも応募ありがとうございます。すでに小林さんは、他の新人賞候補とは別の地平で激走している感があります。新人賞ではかねてから、『独立リーグ』の新設を予定していました。詳細は別のページで近日中に発表しますが、そのコーナーに、小林さんのカート日記を掲載させて頂きたいと考えています。」

と載っていました。

まだ、詳細はなにも聞いていなくて、自分でもなにがなんだかわからないのでですが…

これって、デビュー??

わ〜〜、ちょっとどうすれば良いんだか分かりません!

はっきり言って、パニック状態の私です
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頑張ろう!っと
いつも私の、サイト紹介の記事を載せてくれているメルマガに、私の「バレンタインディの思い出」のエッセイが掲載された。

なんの連絡もなく、いきなりの掲載だったので。見た時はかなり驚いたが、すごく嬉しかった!

来週発行の分にも、私の書いたサイト紹介の記事が載る事が決まった

今、私自身全く仕事らしい仕事が無いので、ただただ、書いては応募するという日々が続き、少し落ち込み気味のところだったのだが…

なんか、エールを送られたような気がして、「また頑張ろう!」という気持ちになれた。

いつか、私の書いたエッセイをもっと沢山の人に読んでもらえるひが来るまで

まだ、道は長いと思うけど。これを心の糧にして、また頑張って行こうと思った。
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ある少女の横顔
ここに12歳の女のこがいる

丸くてちょっと下膨れな顔に奥二重の目、ぽっちゃり系の体格、肩にかかる長い髪

運動神経も良い方ではなく、球技も得意ではない

読書と編物と絵や詩を書くことが好きで

小さな子や、動物の世話も好きなのだが、少しお節介なところもある

お化けや、暴力シーンが出てくるTVが苦手で、そういう場面が出てくると、いつもはケンカをしている二つ違いの弟の後ろに隠れてしまう

何処にでもいる、普通の小学六年生の女の子である、私の娘だ。

でも、彼女がレーシングスーツに身を包み、ヘルメットとグローブをつけてカートに乗ると、大人顔負けの走りをするのだ

彼女の学校生活だけしか知らない人は、きっと彼女がカート場で、親子ほども年の違う大人を相手に

息を呑むようなレースを繰り広げていることなど、きっと知る義も無いだろう

でも私は、編物をしている時の彼女の横顔も、ヘルメット越しの彼女の横顔も

どちらも抱きしめてあげたいくらい大好きだ

それは彼女が、どんなことに対しても、いつも真っ直ぐ前を見て、一生懸命に取り組んでいるからだと思う

だから私は、いつまでもその横顔を支えていきたいと思っている。
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2003年第1回ウイークエンドレース@新東京サーキット
ここの所の真冬の気候とは、うって変わったうららかな晴天のもと
2003年第1回ウイークエンドレースが、新東京サーキットで開催された。

今日の新東京は、まぶしいほどの春の陽射しが朝から溢れていて風もなく、
温かいというよりも、暑いくらいだった。

当然の事ながら、路面温度も高く、コースはかなりグリップするようだった。
しかし娘は、今年に入ってから、ずっとグリップの低い路面で練習してきてしまったので。
少しでもグリップ稼ぐようなセッティングになってしまっていた。しかも、今回のレースには
更にグリップが稼げるようにと、新しいタイヤまで履かせて臨んでしまったのだ。
このレース当日の、あまりにも突然の春の気候は、我家にとって手痛い計算違いになってしまった。

午前9時10分 公式練習開始。
先週までの気温なら、コースの所々が凍結していたような時間帯なのに、すでに路面の温度が
上がっているらしく、グリップがかなり高いらしい。
滑る路面でばかり練習してきてしまった娘は、コーナーの出口カートが引っかかるような動きを
見せ、思うようにカートを操れていないようだ。グリップの高さにパワーを食われて、動きがぎこちなく
なっているのだ。もう少し、カートを押さえ付けるパワーや技量を持ったドライバーならばクリア出来るの
だが、今の娘では乗りこなせない。練習終了後、慌ててグリップを逃がす方向でセッティングを変える
ことにする。

午前10時30分 タイムアタック開始。
娘がエントリしたSクラスは、前回、前々回のレースでは、13台が1組で2組に分けてレースが
行なわれたのだが、今回のレースは26台が出走する。
PITロードの端から端まで、びっしりと26台のカートが並び、コースに近い方から順に、押しがけして
コースインしていく様は、圧巻の一言に尽きた。
大人と混じってのレース三戦目の娘にとっても、26台もの台数に始めは少し気後れしていたようだったが、
コースに入って走り始めると、集団の中で必死に前のカートに食らいつく感じで走っている。
セッティングを変更したせいか、カートの動きも練習よりはスムーズになっていた。
しかし抜くことが苦手な娘は、明らかにタイムの遅い前のカートを抜くのにてこずってしまい、
19位/26台というタイムに終わった。

午前11時10分 予選第1ヒート開始。
先ずは、コース上の暫定グリッドに、タイムアタックの順位順にカートを並べる。
そして、スタートの合図とともに押しがけし、フォーメーションラップと呼ばれる
フリー走行状態に入る。その後、最終コーナーの手前のコース上で、走りながら
隊列を組む。隊列が最終コーナーにさしかかったころ、コントロールライン(スタートライン)
に用意された日の丸が振り下ろされると、ローリングスタートと呼ばれる、最終コーナーからスピードを
上げた隊列が、コントロールラインを駆けぬけ、レーススタートになる。
隊列を組んだままコントロールライン通過後、隊列はくずれ、物凄いスピードのまま
集団になって1コーナーに突入していく。
娘は、中々のスタートを見せ、スタート直後の集団の中で、数台順位を上げてきた。
「今、何位になった?」と誰かに聞かれる。振りむくと、なんと今回のレースに参加した
ドライバーもクルーも、うちのチームの全員がPIT前に勢揃いして、娘を応援してくれていた。
隣りにいた、違うクラスに出るドライバーさんが、「14位まで上がったよ!」と
娘の順位を教えてくれた。
 4〜5台の集団の中で、必死に前のカートを追いかける娘の姿に、皆の応援にも力が入る。
しかし、コーナー手前でのブレーキングの課題がクリアできていない娘は、2コーナーで苦戦を
しいられる。
また、カートの動きのぎこちなさも若干残っているせいか、ストレートでの伸びがいまいち甘いように思えた。
少しずつ、前のカートにアタックし始めた時、娘の2コーナーのブレーキングミスにより、後のカート2台に抜かれて
しまってゴールを向かえ、16位でフィニッシュになる。

午後1時 予選第2ヒート開始。
またもやスタートで1台抜き、常に前のカートにアクションを掛けるが、なかなかうまく決まらない。
コーナーの入り口で一瞬並びかけるのだが、気持ちばかりが前に行ってしまっている感じで、
冷静なブレーキングが思うように出来ない。結果、コーナーを大廻してしまい上手く抜くことが出来ないのだ。
そのうち、2コーナーのブレーキングのへたな娘が、2コーナーでの新たなコーナリングラインを編み出し始める。
2コーナーの侵入で抜かれてしまっても、ブレーキの甘い娘は、少し大廻気味ながらそのままのスピードを保って
コーナーを立ちあがる。その結果、ラインをクロスする形で、2コーナー出口で抜かれたカートの前に出るのだ。
この走りは、チームメイトから「大外狩り」等というニックネームまで付けられてしまったが、レースのバトル中には
中々効果的なラインだった。
PIT前に並んだチームメイトは、2コーナーで娘が抜かれそうになるたびに、「あ〜!」っと声を上げ。
娘が「大外狩り」で抜き返すと、また「お〜!」と声を上げていた。
10週の予選を終え、結果的に15位でフィニッシュ。総合16位で決勝に臨むことになった。

午後14時10分 Sクラス決勝スタート
娘はまた、スタートで2〜3台のカートを抜いていた。やった、そのまま頑張れ!と思った瞬間。
数台前のカートが、3コーナーでクラッシュ。娘は、直接巻き込まれることなく上手く3コーナーを
抜けられると思った時、直接巻き込まれたカートが、他のカートに弾き飛ばされる形で、娘の前に
飛び出してきて娘は追突してしまう。取り敢えずエンジンが止まることは無かったのだが、
一瞬エンジンの調子が悪くなり、ノロノロとしか進めなくなってしまい立て続けに6〜7台集団に抜かれて、
置いていかれてしまった。
しかし、娘は諦めなかった。必死にアクセルを踏み、エンジンの調子を回復させると、猛然と前のカートを追走し始めた。
追突してから6〜7週目に、当然追いつけないと思われた前のカートに追い付いた。
それから、何度もコーナーでアタックを掛けていたが、絶好のチャンスを上手く物に出来ず、
19位でフィニッシュを迎えることになった。

レース後娘は、抜けるチャンスを物にできなかった自分の走りに不満な様子で、すこし落ち込んでいるようだった。
確かに、残念なアクシデントに巻きこまれたり、クリアすべき課題は山積ではあるが、今回のレースでの娘の走りは、
今までのものよりも評価出きる物だと思った。

チームメイトの人達も、そう思ってくれたらしく。常に、集中力を欠くことなく、前のカートに食らいついて走っていた
娘に対して、チーム全員が大きな拍手で向かえてくれた。

この次のレースは、5月である。3月1日より、Sクラスはレギュレーションが変わり、現行のSL83タイヤから、YRA-1
というタイヤに変更されることになる。
この使用タイヤの変更が、どれだけ影響が出るのか、現時点では分からないが今回のレースでの課題を一つ
一つクリアしていく形で、また次のレースに臨みたいと思う。
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明日は、新東京サーキットでレース!
明日はまた、新東京サーキットで、娘のレースが行なわれます。

前回五位に入賞してしまったので、他のチームからチェックが入っているらしいので、今回はどこまで行かれるかわかりませんが、がんばって来ますね!

そうそう、明日、娘のところにジャパンカートというカート専門雑誌のレディースカーターのページの取材が入ることになりました。

担当のフリーライターの方が、見えるそうです。
私が、フリーライターの人の仕事を、逆取材しちゃおうかしら?なんてね。

ではでは、明日も4時起きで行って来ますので、皆様へのレスが遅れることをお許し下さい。

出きれば、掲示板に途中経過を入れる予定です!

ではでは〜〜、おやすみなさい
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やっぱりショック(_ _。)・・・シュン
先日、在宅での入力の仕事の募集が新聞広告に載っていたので、応募して来た。

書籍やパンフレットなどの、印刷用の版下の原稿を入力する仕事なのだが、辞書などの、細かいものを印刷するためのタグを組みこんでの入力など、仕事はかなり細かそうだった。

スキルチェックと筆記試験があったが。印刷用の専門用語がかなり出てきて、ちんぷんかんぷんでだったので、内心ダメだろうと思ってはいたが

実際に、「不採用」の通知をもらうとかなりショックが大きかった。

そこでは、PCのスクールを開催しているらしかった。かなり規模が小さかったが、教室もあり、応募の時に、スクール希望の人だけは、後まで残されていた。

もしかしたら、そのスクールを募集するための求人広告だったのかも知れないとは思うのだが

今、仕事がないことだけは、歴然とした事実なのだ。

自分が、社会から必要とされていないような錯覚までが、脳裏に浮かんで来た。

こんなことではいけないのだ、これは神様がライターとして頑張って行くようにと、道を示してくれたのだ!などといきまいてはみたが…

空元気はむなしいだけだった。

明日は、娘のレースである。だから、私も落ち込んでいる暇は無い。

娘は、先日の練習で調子が良く、ストレートのスピードがかなり乗っていた。

その様子を見ていた、他のチームの人達が、うちのチームのお兄さんに、「あの子、ストレートが、すごく早いけど、なにかエンジンに仕掛けしてるの?」と聞きに来たのだという

勿論、そんな仕掛けはなにも無い。貧乏カーターの我家には、もともとエンジンも1基しかないので、前のレースからずっと使っているものだ。

そんなこんなもあるせいか?チームのお兄さんは、今回かなり期待しているらしい。

しかし、そんなに娘にプレッシャーをかけてもいけないと思うので。私も主人も「オマエが思うように、楽しく走れば良いからね」と娘には言っている。

我家は、主人の仕事の関係で、2月の頭のレースの後は、3月の半ば過ぎまでカートの練習には行かれない。つまり、今回のレースは、我家にとっては、カートの年度末を締めくくるレースになるのだ。

娘にリラックスしてもらうために、明日一緒にレースに出る、同じチームのお兄さん達や娘のボーイフレンドに渡すためのチョコレートをつくる事になっている。

泣いても、笑っても決戦は明日なのだ。
今は、明日のことだけを考えて行こう!
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目の付け所が違う母
先日、子供達と一緒に料理番組を見ていた時のこと

本格イタリアンが家庭で作れるということで、一流レストランのシェフが、解説しながら料理をしていた。

画面を見ていた、私と子供達から「お、お〜〜っ!」と、感嘆の声が上がり、その次に続いた言葉は…

「なぁ〜んて良く切れる包丁なんだろう!」(私)
「なんて美味しそうなんだろう!」(子供達)

ん?子供達と、私とで一瞬顔を見合わせた。

「なんで、料理番組みてて包丁の切れ味に感心してるんだよ!通販じゃないんだぞ!」と息子。

「ねえねえ、ママ〜〜。今日の夕飯にあれ作ってよ!」と娘。

「え〜、やだぁ〜〜。あんな、何処に売ってるのかも分からない野菜と香辛料使って作る料理なんて、作りたくないよ!それより、あの包丁良く切れるよね〜、何処に売っているんだろう?」

すると、呆れ顔の息子は「それこそ、何処に売ってるのかなんて知らないよ!」とお冠だ

「料理番組見てて、そんなこと思うのママぐらいだよ?」説いて聞かせるように娘が言う。

「やっぱ、ママは目の付け所が違うでしょ!」

「それ、なんか違うと思う…」とボソッと娘は言い放つと、足早に自分の部屋に行ってしまった。

「う〜〜、それにしてもあの包丁、良く切れてたよな〜〜。」子供達に呆れられても、あくまでも切れ味の良い包丁が欲しい私であった。
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課題はブレーキ!
翌週にレースを控えて、今日は新東京サーキットへ最終調整のための練習にきた。

始めは、明日練習に来る予定だったのだが、明日は天気が午後から崩れるという予報だったので、急遽1日繰り上げたのだ。

レース直前の練習は、レースのセッティングを出すためのシュミレーション的な意味合いを持つ。アウトドアで行なわれるスポーツは、どうしてもコンディションが天候に左右されてしまう。特にカートの場合は、気温によってシャーシのセットが、湿度によってエンジンのセットが決まるので、出来るだけレース当日の天候に近いコンディションで練習したいのだ。

チームメイトから、雨女の異名を取る娘は、今まで散々雨で練習をしてきた。そのおかげでウエットでの走りは師匠のお墨付きをもらっているのだが、晴れて乾いた日の走りにはまだ甘さがあり、なかなか結果が出せていない。

その弱点を克服する意味もこめて、雨の降る可能性が低い今日、練習にきたのだ。

それにしても、今日の新東京は寒かった。それなりに陽射しは温かいのだが、風が冷たくて強かった。そのため、路面温度が上がりにくく、またコース内にホコリが多くて滑りやすいようだった。

やはり娘のタイムも上がって来ない。娘の走りをじっと見ていたメカニック担当の主人が、少しでもグリップを稼せごうと、リアの剛性を低くしてみると、予感的中!少しづつタイムをあげてくる。

娘は娘で、先日見た師匠が解説しているDVDの走りを、頭の中で自分の走りと重ねあわせながら、少しづつブレーキングの位置やラインを自分で調整していた。

娘の走りを見ていた、師匠のお兄さんがまた私にタイムを聞いてくる。各上のカートに混じりながらも、あまり遜色のない走りを見せていたからだ。

「大人と一緒に走り始めて、まだ3ヶ月なのに、随分上手くなったよね」とお兄さん。確かに、タイムが出せるコンディションではないのに、廻りの大人と見劣りすることなく走りぬいている。

「2コーナーのブレーキがあともう少し強く踏めるようになれば、0.5秒は上がる。そうしたら、かなりいいとこにいけるんだけどね」

ジュニアのシャーシに比べて、大人のシャーシはブレーキがかなり重いのだ。まだ小学生で、大人に比べて非力な娘がそれをきちんとブレーキングするには、少し無理があるのだ。

しかし、同じレースにエントリした以上、小学生だからとか、女の子だからとかは言ってはいられない。課題であるブレーキングが、どれだけクリアできるか分からないが、来週のレースでは、ドライコンディションでの入賞を目指したい。
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マンションに鬼が来る
我家にも、数年前まで節分に鬼が来ていた。

これは、子供達が通っていた学童ホールのOB・OGの保護者の方が、有志で節分に鬼の格好で訪問してくれていたのだった。

始めは、もう10年前くらいのことらしいが、その当時学童に通っていた子供達の家を廻っていたらしい。子供達が学童ホールを卒室しても、有志の鬼は廻っていた。もう年中行事と化していたのだ。

かなり派手な自前のお鬼の衣装で、街中の学童の子供達の家を廻っていたため、途中で交番のおまわりさんに呼びとめられたことも何度もあったという。

しかし、そのうち”鬼”の子供達が成長し、行く先々で、まるでマシンガンのような豆攻撃に遭うようになり、その度に鬼は泣いたり逃げ出したり…。一時は、もう止めようかと思ったこともあったらしい。

我家の子供達が学童ホールに入室したのは、丁度そんなころだったらしくい。鬼担当の御父さんから、「もし良かったら、鬼が廻っているんだけど、どう?」と声を掛けられた。

鬼にとっては年中行事と化しているのに、肝心の廻る先が無いのだという。当時内の娘が1年生、息子は保育園だったので、喜んで鬼にきてもらった。そうして、鬼は、自分の子供達の後輩達の家に廻るようになった。

玄関から、大きな掛け声と共に乱入してくる”鬼”に向かって、子供達はちょっとビクビクしながらも、一生懸命豆を投げる。すると”鬼”はその勢いに降参して、最後には降参した証拠に一緒に写真を撮って仲直りする。というストーリである。

当時保育園に通っていた息子は、鬼が来るまでは、元気良く「やっつけてやるんだ!」などと言っていたにも係わらず、鬼が来た途端に、泣きながら押入れに逃げ込んでしまって、鬼がいくら声を掛けても最後まで出てこなかった。

それから数年が経ち、学区内に大きなマンションが数棟建った。すると、鬼は引っ張りだこになり、各家庭には廻り切れなくなってしまったために、マンションの集会室を借りて、合同豆まき会が開かれるようになった。

今年も鬼は、自前の派手な衣装で、おまわりさんにうさんくさい顔をされながらも、意気揚揚とマンションの集会室に、子供達にやっつけられにやってくる。
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バレンタインディの思い出
 バレンタインディと聞くと、今は亡き父のことを思い出す。なぜなら、父の誕生
日がバレンタインディの2月14日だったからだ。
 父が若かった頃には、バレンタインディと言うものはなかったそうで、チョ
コレートで告白されることも無かったらしい。そのくせ、子供達からのバース
ディプレゼントはいつも、お手ごろなチョコレートで済まされてしまっていた
ので、「俺は、バレンタインは嫌いだ!」と良く言っていた。
 しかし私が成人してから、「バランタイン」とうウイスキーがあることを知り、
そのウイスキーを父の誕生日に贈ったことがあった。
 普段は照れ屋で、嬉しそうな顔を見せたことのない父だったが、その時
父は、とても喜んでくれた。若い頃良くそのウイスキーを飲んでいたのだとい
う。「バランタインっていう名前が、なんか自分の分身のような気がしたんだ」
そう言って懐かしそうに眺めながら、「オマエも俺にウイスキーを買ってくる
ような年になったんだなぁ〜、ありがとう」と私に言った。その言葉は、娘に
向かって、めったにお礼を言わなかった父の、貴重な「ありがとう」だった。
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