母になるということ
今私の友人が、心の病で悩んでいる。

彼女は、私と同い年で腕の良い美容師さんで、女手一つで二人の娘さんを育ててきた。

お店も持つことができ、かなり繁盛していた。

しかし、ずっと全力疾走してきた彼女が、心のオアシスとして求めた関係に裏切られてしまい。過労から、彼女の持病も悪化してしまい、結果的に彼女は心に病を抱えるようになってしまったのだ。

治療もしているのだが、なかなかよくならずに悩んでいたのだ。

ところが、彼女の心の病の一番の原因が、意外なところに潜んでいたことが最近発覚した。

それは、彼女が同居している、彼女の実の母親だった。

彼女は、いくら悩んで辛い思いをしていても、母親にそれを打ち明けることが出来なかった。

そのことは、私も前から聞いていたので、もう少し理解があるといいね、とは話していたのだが…。

先日、ひょんな事から、彼女の病気のことが母親に分かってしまったのだ。

だいたい、一緒に暮らしていながら、いかに成人した娘だったとしても、心に病を負っていることになぜ気がつかないのか? 私は不思議で仕方がなかったのだ。

病気が発覚したことがきっかけで、母親を伴って出掛けた、病院のカウンセリングの席で、彼女の母親は、一言も彼女の病気に対して、自分が何をしたらいいのか?という言葉を口にしなかったのだという。

そして、母親の口からは「自分は今まで、きちんとやって来た」とか、現在彼女が無職に近いにもかかわらず、「一緒に住んでいるけど、食費を何ヶ月も入れていない」というようなことを、お医者さんに主張するばかりだったという。

これには、彼女ばかりか担当のお医者さんもかなり驚いたらしい。彼女ははっきりと「あなたの母親が、『母親』ではないので。一緒にいるとあなたの病状が悪くなるばかりだと思うから、出きれば別居しなさい」といわれたのだという。

泣きながら話す彼女の言葉を聞いていて、私のほうが切なく辛かった。

実の親子だというのに、彼女のお母さんが彼女に対して取る言動すべてが、まるでテレビドラマに出てくる鬼姑のようなのだ。

いつ頃から、何処でどうしてそうなってしまったのか? 詳しいことは分からないが、どうやら、彼女が母親の理想とする娘像とは違う方向に成長してしまったことが、母親としてどうしても許せなないということのようだった。

泣きじゃくる彼女に、「病気の治療のためとはいえ、年老いた実の母親を一人にして、家を出るのは辛いと思うけど。お母さんがそういう態度を取る方が、別居は相手のためでもあるんだと思えて、楽じゃない」と言った

もっと気の利いたことは言えないのだろうか?と自分でも思ったが、他に言葉が浮かばなかった。

電話を切ってから、自分はどうだろうか?と考えていた。

私は、本当の意味で子供に対して母親だといえるのだろうか?

子供を産んだ瞬間に、すぐに「母親」になれる人はいないだろう。

物理的には母親になれても、本当の意味で「母親になるには、子供の成長とともに、親も成長していくことが必要なのだ。

彼女の泣き声が、将来の私達の子供達の泣き声にならないように気をつけて、これからも子供達に接して行こうと思った。