2003 02/12 12:48
Category : 日記
ここの所の真冬の気候とは、うって変わったうららかな晴天のもと
2003年第1回ウイークエンドレースが、新東京サーキットで開催された。
今日の新東京は、まぶしいほどの春の陽射しが朝から溢れていて風もなく、
温かいというよりも、暑いくらいだった。
当然の事ながら、路面温度も高く、コースはかなりグリップするようだった。
しかし娘は、今年に入ってから、ずっとグリップの低い路面で練習してきてしまったので。
少しでもグリップ稼ぐようなセッティングになってしまっていた。しかも、今回のレースには
更にグリップが稼げるようにと、新しいタイヤまで履かせて臨んでしまったのだ。
このレース当日の、あまりにも突然の春の気候は、我家にとって手痛い計算違いになってしまった。
午前9時10分 公式練習開始。
先週までの気温なら、コースの所々が凍結していたような時間帯なのに、すでに路面の温度が
上がっているらしく、グリップがかなり高いらしい。
滑る路面でばかり練習してきてしまった娘は、コーナーの出口カートが引っかかるような動きを
見せ、思うようにカートを操れていないようだ。グリップの高さにパワーを食われて、動きがぎこちなく
なっているのだ。もう少し、カートを押さえ付けるパワーや技量を持ったドライバーならばクリア出来るの
だが、今の娘では乗りこなせない。練習終了後、慌ててグリップを逃がす方向でセッティングを変える
ことにする。
午前10時30分 タイムアタック開始。
娘がエントリしたSクラスは、前回、前々回のレースでは、13台が1組で2組に分けてレースが
行なわれたのだが、今回のレースは26台が出走する。
PITロードの端から端まで、びっしりと26台のカートが並び、コースに近い方から順に、押しがけして
コースインしていく様は、圧巻の一言に尽きた。
大人と混じってのレース三戦目の娘にとっても、26台もの台数に始めは少し気後れしていたようだったが、
コースに入って走り始めると、集団の中で必死に前のカートに食らいつく感じで走っている。
セッティングを変更したせいか、カートの動きも練習よりはスムーズになっていた。
しかし抜くことが苦手な娘は、明らかにタイムの遅い前のカートを抜くのにてこずってしまい、
19位/26台というタイムに終わった。
午前11時10分 予選第1ヒート開始。
先ずは、コース上の暫定グリッドに、タイムアタックの順位順にカートを並べる。
そして、スタートの合図とともに押しがけし、フォーメーションラップと呼ばれる
フリー走行状態に入る。その後、最終コーナーの手前のコース上で、走りながら
隊列を組む。隊列が最終コーナーにさしかかったころ、コントロールライン(スタートライン)
に用意された日の丸が振り下ろされると、ローリングスタートと呼ばれる、最終コーナーからスピードを
上げた隊列が、コントロールラインを駆けぬけ、レーススタートになる。
隊列を組んだままコントロールライン通過後、隊列はくずれ、物凄いスピードのまま
集団になって1コーナーに突入していく。
娘は、中々のスタートを見せ、スタート直後の集団の中で、数台順位を上げてきた。
「今、何位になった?」と誰かに聞かれる。振りむくと、なんと今回のレースに参加した
ドライバーもクルーも、うちのチームの全員がPIT前に勢揃いして、娘を応援してくれていた。
隣りにいた、違うクラスに出るドライバーさんが、「14位まで上がったよ!」と
娘の順位を教えてくれた。
4〜5台の集団の中で、必死に前のカートを追いかける娘の姿に、皆の応援にも力が入る。
しかし、コーナー手前でのブレーキングの課題がクリアできていない娘は、2コーナーで苦戦を
しいられる。
また、カートの動きのぎこちなさも若干残っているせいか、ストレートでの伸びがいまいち甘いように思えた。
少しずつ、前のカートにアタックし始めた時、娘の2コーナーのブレーキングミスにより、後のカート2台に抜かれて
しまってゴールを向かえ、16位でフィニッシュになる。
午後1時 予選第2ヒート開始。
またもやスタートで1台抜き、常に前のカートにアクションを掛けるが、なかなかうまく決まらない。
コーナーの入り口で一瞬並びかけるのだが、気持ちばかりが前に行ってしまっている感じで、
冷静なブレーキングが思うように出来ない。結果、コーナーを大廻してしまい上手く抜くことが出来ないのだ。
そのうち、2コーナーのブレーキングのへたな娘が、2コーナーでの新たなコーナリングラインを編み出し始める。
2コーナーの侵入で抜かれてしまっても、ブレーキの甘い娘は、少し大廻気味ながらそのままのスピードを保って
コーナーを立ちあがる。その結果、ラインをクロスする形で、2コーナー出口で抜かれたカートの前に出るのだ。
この走りは、チームメイトから「大外狩り」等というニックネームまで付けられてしまったが、レースのバトル中には
中々効果的なラインだった。
PIT前に並んだチームメイトは、2コーナーで娘が抜かれそうになるたびに、「あ〜!」っと声を上げ。
娘が「大外狩り」で抜き返すと、また「お〜!」と声を上げていた。
10週の予選を終え、結果的に15位でフィニッシュ。総合16位で決勝に臨むことになった。
午後14時10分 Sクラス決勝スタート
娘はまた、スタートで2〜3台のカートを抜いていた。やった、そのまま頑張れ!と思った瞬間。
数台前のカートが、3コーナーでクラッシュ。娘は、直接巻き込まれることなく上手く3コーナーを
抜けられると思った時、直接巻き込まれたカートが、他のカートに弾き飛ばされる形で、娘の前に
飛び出してきて娘は追突してしまう。取り敢えずエンジンが止まることは無かったのだが、
一瞬エンジンの調子が悪くなり、ノロノロとしか進めなくなってしまい立て続けに6〜7台集団に抜かれて、
置いていかれてしまった。
しかし、娘は諦めなかった。必死にアクセルを踏み、エンジンの調子を回復させると、猛然と前のカートを追走し始めた。
追突してから6〜7週目に、当然追いつけないと思われた前のカートに追い付いた。
それから、何度もコーナーでアタックを掛けていたが、絶好のチャンスを上手く物に出来ず、
19位でフィニッシュを迎えることになった。
レース後娘は、抜けるチャンスを物にできなかった自分の走りに不満な様子で、すこし落ち込んでいるようだった。
確かに、残念なアクシデントに巻きこまれたり、クリアすべき課題は山積ではあるが、今回のレースでの娘の走りは、
今までのものよりも評価出きる物だと思った。
チームメイトの人達も、そう思ってくれたらしく。常に、集中力を欠くことなく、前のカートに食らいついて走っていた
娘に対して、チーム全員が大きな拍手で向かえてくれた。
この次のレースは、5月である。3月1日より、Sクラスはレギュレーションが変わり、現行のSL83タイヤから、YRA-1
というタイヤに変更されることになる。
この使用タイヤの変更が、どれだけ影響が出るのか、現時点では分からないが今回のレースでの課題を一つ
一つクリアしていく形で、また次のレースに臨みたいと思う。
2003年第1回ウイークエンドレースが、新東京サーキットで開催された。
今日の新東京は、まぶしいほどの春の陽射しが朝から溢れていて風もなく、
温かいというよりも、暑いくらいだった。
当然の事ながら、路面温度も高く、コースはかなりグリップするようだった。
しかし娘は、今年に入ってから、ずっとグリップの低い路面で練習してきてしまったので。
少しでもグリップ稼ぐようなセッティングになってしまっていた。しかも、今回のレースには
更にグリップが稼げるようにと、新しいタイヤまで履かせて臨んでしまったのだ。
このレース当日の、あまりにも突然の春の気候は、我家にとって手痛い計算違いになってしまった。
午前9時10分 公式練習開始。
先週までの気温なら、コースの所々が凍結していたような時間帯なのに、すでに路面の温度が
上がっているらしく、グリップがかなり高いらしい。
滑る路面でばかり練習してきてしまった娘は、コーナーの出口カートが引っかかるような動きを
見せ、思うようにカートを操れていないようだ。グリップの高さにパワーを食われて、動きがぎこちなく
なっているのだ。もう少し、カートを押さえ付けるパワーや技量を持ったドライバーならばクリア出来るの
だが、今の娘では乗りこなせない。練習終了後、慌ててグリップを逃がす方向でセッティングを変える
ことにする。
午前10時30分 タイムアタック開始。
娘がエントリしたSクラスは、前回、前々回のレースでは、13台が1組で2組に分けてレースが
行なわれたのだが、今回のレースは26台が出走する。
PITロードの端から端まで、びっしりと26台のカートが並び、コースに近い方から順に、押しがけして
コースインしていく様は、圧巻の一言に尽きた。
大人と混じってのレース三戦目の娘にとっても、26台もの台数に始めは少し気後れしていたようだったが、
コースに入って走り始めると、集団の中で必死に前のカートに食らいつく感じで走っている。
セッティングを変更したせいか、カートの動きも練習よりはスムーズになっていた。
しかし抜くことが苦手な娘は、明らかにタイムの遅い前のカートを抜くのにてこずってしまい、
19位/26台というタイムに終わった。
午前11時10分 予選第1ヒート開始。
先ずは、コース上の暫定グリッドに、タイムアタックの順位順にカートを並べる。
そして、スタートの合図とともに押しがけし、フォーメーションラップと呼ばれる
フリー走行状態に入る。その後、最終コーナーの手前のコース上で、走りながら
隊列を組む。隊列が最終コーナーにさしかかったころ、コントロールライン(スタートライン)
に用意された日の丸が振り下ろされると、ローリングスタートと呼ばれる、最終コーナーからスピードを
上げた隊列が、コントロールラインを駆けぬけ、レーススタートになる。
隊列を組んだままコントロールライン通過後、隊列はくずれ、物凄いスピードのまま
集団になって1コーナーに突入していく。
娘は、中々のスタートを見せ、スタート直後の集団の中で、数台順位を上げてきた。
「今、何位になった?」と誰かに聞かれる。振りむくと、なんと今回のレースに参加した
ドライバーもクルーも、うちのチームの全員がPIT前に勢揃いして、娘を応援してくれていた。
隣りにいた、違うクラスに出るドライバーさんが、「14位まで上がったよ!」と
娘の順位を教えてくれた。
4〜5台の集団の中で、必死に前のカートを追いかける娘の姿に、皆の応援にも力が入る。
しかし、コーナー手前でのブレーキングの課題がクリアできていない娘は、2コーナーで苦戦を
しいられる。
また、カートの動きのぎこちなさも若干残っているせいか、ストレートでの伸びがいまいち甘いように思えた。
少しずつ、前のカートにアタックし始めた時、娘の2コーナーのブレーキングミスにより、後のカート2台に抜かれて
しまってゴールを向かえ、16位でフィニッシュになる。
午後1時 予選第2ヒート開始。
またもやスタートで1台抜き、常に前のカートにアクションを掛けるが、なかなかうまく決まらない。
コーナーの入り口で一瞬並びかけるのだが、気持ちばかりが前に行ってしまっている感じで、
冷静なブレーキングが思うように出来ない。結果、コーナーを大廻してしまい上手く抜くことが出来ないのだ。
そのうち、2コーナーのブレーキングのへたな娘が、2コーナーでの新たなコーナリングラインを編み出し始める。
2コーナーの侵入で抜かれてしまっても、ブレーキの甘い娘は、少し大廻気味ながらそのままのスピードを保って
コーナーを立ちあがる。その結果、ラインをクロスする形で、2コーナー出口で抜かれたカートの前に出るのだ。
この走りは、チームメイトから「大外狩り」等というニックネームまで付けられてしまったが、レースのバトル中には
中々効果的なラインだった。
PIT前に並んだチームメイトは、2コーナーで娘が抜かれそうになるたびに、「あ〜!」っと声を上げ。
娘が「大外狩り」で抜き返すと、また「お〜!」と声を上げていた。
10週の予選を終え、結果的に15位でフィニッシュ。総合16位で決勝に臨むことになった。
午後14時10分 Sクラス決勝スタート
娘はまた、スタートで2〜3台のカートを抜いていた。やった、そのまま頑張れ!と思った瞬間。
数台前のカートが、3コーナーでクラッシュ。娘は、直接巻き込まれることなく上手く3コーナーを
抜けられると思った時、直接巻き込まれたカートが、他のカートに弾き飛ばされる形で、娘の前に
飛び出してきて娘は追突してしまう。取り敢えずエンジンが止まることは無かったのだが、
一瞬エンジンの調子が悪くなり、ノロノロとしか進めなくなってしまい立て続けに6〜7台集団に抜かれて、
置いていかれてしまった。
しかし、娘は諦めなかった。必死にアクセルを踏み、エンジンの調子を回復させると、猛然と前のカートを追走し始めた。
追突してから6〜7週目に、当然追いつけないと思われた前のカートに追い付いた。
それから、何度もコーナーでアタックを掛けていたが、絶好のチャンスを上手く物に出来ず、
19位でフィニッシュを迎えることになった。
レース後娘は、抜けるチャンスを物にできなかった自分の走りに不満な様子で、すこし落ち込んでいるようだった。
確かに、残念なアクシデントに巻きこまれたり、クリアすべき課題は山積ではあるが、今回のレースでの娘の走りは、
今までのものよりも評価出きる物だと思った。
チームメイトの人達も、そう思ってくれたらしく。常に、集中力を欠くことなく、前のカートに食らいついて走っていた
娘に対して、チーム全員が大きな拍手で向かえてくれた。
この次のレースは、5月である。3月1日より、Sクラスはレギュレーションが変わり、現行のSL83タイヤから、YRA-1
というタイヤに変更されることになる。
この使用タイヤの変更が、どれだけ影響が出るのか、現時点では分からないが今回のレースでの課題を一つ
一つクリアしていく形で、また次のレースに臨みたいと思う。