2003年06月の記事
2003 06/29 00:59
Category : 日記
私は今、メルマガで性教育のコーナーを担当しているので、その関連のいろいろな取材をしている。
大概のところでは、快く取材を引き受けていたけている。また、現状では、私がボランティアでこの記事の連載をしていることから、無償でデータ―や関連図書の提供を申し出てくれる方も多い。
そんな中、文部科学省にも取材の依頼の電話を入れたのだが。
いきなり「ご期待に添えるようなお話はなにもないと思います」という答え。
私はただ、学校で行われる性教育の授業に、学校毎にあまりにも対応や時期の差があり、そのことに困惑している保護者も多いので、文部科学省として、どういう指導や指示をしているのかを知りたかっただけなのだが。「学習指導要領に記載してあるだけです」という。
他になにか研修のようなものは行っていないのですか?という問いに、一応配ったハンドブックがあることや、その業者のことは教えてくれたのだが…。その次に出てきた言葉に唖然とした。
「もし、文部科学省で発行した有償の刊行物に記載されていることを、あなたが発行する書籍に引用なさるとしたら、著作権料をお支払い頂かなくてはなりません」はぁ〜?
引用って、ほんの数行しか記載されていないので、引用のしようもないって感じなのに?
確かに著作権は発生することは分かるけど、殆どこちらの質問にまともに答えてくれていなくて、しかも取材も拒否されて、いきなり著作権料の話し?
それは無いんじゃない?文部科学省さん!
こんなところに、教育を任せておいて大丈夫なんだろうか?やっぱり自分の子どもは自分たちできちんと躾て教育していかなくちゃだめだって事だよね?
文部科学省は、反面教師のためにあるのか?
大概のところでは、快く取材を引き受けていたけている。また、現状では、私がボランティアでこの記事の連載をしていることから、無償でデータ―や関連図書の提供を申し出てくれる方も多い。
そんな中、文部科学省にも取材の依頼の電話を入れたのだが。
いきなり「ご期待に添えるようなお話はなにもないと思います」という答え。
私はただ、学校で行われる性教育の授業に、学校毎にあまりにも対応や時期の差があり、そのことに困惑している保護者も多いので、文部科学省として、どういう指導や指示をしているのかを知りたかっただけなのだが。「学習指導要領に記載してあるだけです」という。
他になにか研修のようなものは行っていないのですか?という問いに、一応配ったハンドブックがあることや、その業者のことは教えてくれたのだが…。その次に出てきた言葉に唖然とした。
「もし、文部科学省で発行した有償の刊行物に記載されていることを、あなたが発行する書籍に引用なさるとしたら、著作権料をお支払い頂かなくてはなりません」はぁ〜?
引用って、ほんの数行しか記載されていないので、引用のしようもないって感じなのに?
確かに著作権は発生することは分かるけど、殆どこちらの質問にまともに答えてくれていなくて、しかも取材も拒否されて、いきなり著作権料の話し?
それは無いんじゃない?文部科学省さん!
こんなところに、教育を任せておいて大丈夫なんだろうか?やっぱり自分の子どもは自分たちできちんと躾て教育していかなくちゃだめだって事だよね?
文部科学省は、反面教師のためにあるのか?
2003 06/29 00:36
Category : 日記
月曜日から、自然教室に2泊3日で行く息子のための荷造りをした。
そう言えば、娘は幼稚園のお泊り保育、
2年生の時の町内会のドッヂボールの合宿、
5年生の自然教室と6年生の修学旅行と
何度も泊りがけで家を空けているのだが
最初から保育園に通った息子は、お泊り保育もなく、
カートしかやったことが無いので合宿の経験もない。
つまり、息子にとっては初めての荷造りになった。
娘の時とは違って、なんだか荷造りがはかどらない。というか、本人の協力が殆ど得られないくせに、
着る物にうるさいので、何を持っていくかが決まらないのだ。
仕方が無く、私がこれとこれを着なさい!と強引に決めて、積め込んでしまった。
積め終わってみると、娘の時とは違ってやけに荷物がこじんまりしている。もう一度中身を確認したのだが、忘れ物は無いようだ。
はて〜?この差はなんなんだろう?と考えて見ると。息子は、自然教室に向けて床屋に行って、刈り上げてもらったのだが、娘は髪の毛が長かったので、タオルの枚数が違うのだ。
しかも、髪の毛の寝癖や絡みをとるためのスプレー(八ヶ岳では、シャンプーもリンスも使えないので、娘のように髪の長い子は、朝、寝癖用のスプレーをしないと、髪の毛がガチガチに絡んでしまうので)も必要がなく、持っていくのはくし1本だけ。
予定より少しあきが出来たので、その分余計に着替えを持たせることにした。
息子は、普段は偉そうな事を言っているくせに、結構、姉にべったりの甘えん坊だ。2泊3日の自然教室から帰って来たら、少しはその辺が変わるかしら?とちょっと期待している、私だった。
そう言えば、娘は幼稚園のお泊り保育、
2年生の時の町内会のドッヂボールの合宿、
5年生の自然教室と6年生の修学旅行と
何度も泊りがけで家を空けているのだが
最初から保育園に通った息子は、お泊り保育もなく、
カートしかやったことが無いので合宿の経験もない。
つまり、息子にとっては初めての荷造りになった。
娘の時とは違って、なんだか荷造りがはかどらない。というか、本人の協力が殆ど得られないくせに、
着る物にうるさいので、何を持っていくかが決まらないのだ。
仕方が無く、私がこれとこれを着なさい!と強引に決めて、積め込んでしまった。
積め終わってみると、娘の時とは違ってやけに荷物がこじんまりしている。もう一度中身を確認したのだが、忘れ物は無いようだ。
はて〜?この差はなんなんだろう?と考えて見ると。息子は、自然教室に向けて床屋に行って、刈り上げてもらったのだが、娘は髪の毛が長かったので、タオルの枚数が違うのだ。
しかも、髪の毛の寝癖や絡みをとるためのスプレー(八ヶ岳では、シャンプーもリンスも使えないので、娘のように髪の長い子は、朝、寝癖用のスプレーをしないと、髪の毛がガチガチに絡んでしまうので)も必要がなく、持っていくのはくし1本だけ。
予定より少しあきが出来たので、その分余計に着替えを持たせることにした。
息子は、普段は偉そうな事を言っているくせに、結構、姉にべったりの甘えん坊だ。2泊3日の自然教室から帰って来たら、少しはその辺が変わるかしら?とちょっと期待している、私だった。
2003 06/27 20:32
Category : 日記
ここのところ、主人の仕事が忙しいことや、子どもの学校の行事が入ったりして、カートの練習に行かれない。
5月のレース以来、一回行っただけで、明日もまた行かれない。
どうやら来週は練習に行かれそうだが、もうその次の土曜にはレース当日になってしまう。
それでも、娘は中学に入ってから、カートに対する姿勢がすこし違ってきたせいか?前回の反省点をきちんと踏まえた走りをし、タイムも更新した。
月に一回しか練習に行かれないという状況が、かえって緊張感を与え、充実した練習内容になっていること。部活が始まって、平日は部活にどっぷり浸かっている娘にとって、以前と違って、カートを心から楽しんでリラックスして臨むことが出来ているからなのかもしれない。
取り合えず、あと一回の練習を有効に使って、次のレースを、娘と一緒に楽しみたいと思っている。
5月のレース以来、一回行っただけで、明日もまた行かれない。
どうやら来週は練習に行かれそうだが、もうその次の土曜にはレース当日になってしまう。
それでも、娘は中学に入ってから、カートに対する姿勢がすこし違ってきたせいか?前回の反省点をきちんと踏まえた走りをし、タイムも更新した。
月に一回しか練習に行かれないという状況が、かえって緊張感を与え、充実した練習内容になっていること。部活が始まって、平日は部活にどっぷり浸かっている娘にとって、以前と違って、カートを心から楽しんでリラックスして臨むことが出来ているからなのかもしれない。
取り合えず、あと一回の練習を有効に使って、次のレースを、娘と一緒に楽しみたいと思っている。
2003 06/25 22:22
Category : 日記
自分の身近なところで生命の誕生に触れる事等をきっかけにして、子どもが
「赤ちゃんはどこから産まれてくるの?」と、問いかけてくることがある。
年令の低いの子どもの場合は、赤ちゃんはどこからやってくるのか? と言
った意味合いで聞いている場合が多い。いつの間にママのお腹の中に入った
のか、などを純粋に不思議だと思って聞いてくるのだ。それが、小学校に上
るくらいの子どもになると、お母さんのお腹から具体的にどうやって赤ちゃ
んが表に出てくるのか、を聞いてくる場合が多くなる。どちらのケースにし
ても、その質問を受けた親は、恥ずかしがらずにきちんと答えて欲しいと思
う。それは、なぜ子ども達がそんな質問をしてくるのかを知って欲しいから
だ。
質問をしてくる子ども達は、性別も年令も興味も様々である。しかし、殆ど
の子が同じような質問を投げかけているのはなぜだろう、単に興味が湧いた
からなのだろうか。それは、子ども達が新しく産まれてくる命に、自分達の
姿を重ねているのだ。子ども達は或る時「自分」という存在に気づく。つま
り自我の目覚めである。そして、「赤ちゃんはどこから産まれてくるの
か?」という疑問に、今まで在ることが当然だった自分という存在はどうや
ってこの世に産まれてきたのかという疑問を重ね合わせることで、自分探し
の第一歩を踏み出そうとしているのだ。(「こどもが性とであうとき」より
浅野富美枝著 生活思想社)性教育には、子ども達に自分のルーツをきち
んと伝えるという重要な役目があるのだ。
だからこそ、その質問に対して、親は胸を張って答えてあげて欲しい。それ
は、始めは望まない妊娠だった場合でも、産むと決めた時からその子は望ま
れてこの世に産まれて来るのだ。もし今、両親が一緒に暮らしていない状況
であっても、子ども達に「お母さんとお父さんは愛し合いその結果、君達は
望まれてこの世に産まれて来たのだ」と。
「赤ちゃんはどこから産まれてくるの?」と、問いかけてくることがある。
年令の低いの子どもの場合は、赤ちゃんはどこからやってくるのか? と言
った意味合いで聞いている場合が多い。いつの間にママのお腹の中に入った
のか、などを純粋に不思議だと思って聞いてくるのだ。それが、小学校に上
るくらいの子どもになると、お母さんのお腹から具体的にどうやって赤ちゃ
んが表に出てくるのか、を聞いてくる場合が多くなる。どちらのケースにし
ても、その質問を受けた親は、恥ずかしがらずにきちんと答えて欲しいと思
う。それは、なぜ子ども達がそんな質問をしてくるのかを知って欲しいから
だ。
質問をしてくる子ども達は、性別も年令も興味も様々である。しかし、殆ど
の子が同じような質問を投げかけているのはなぜだろう、単に興味が湧いた
からなのだろうか。それは、子ども達が新しく産まれてくる命に、自分達の
姿を重ねているのだ。子ども達は或る時「自分」という存在に気づく。つま
り自我の目覚めである。そして、「赤ちゃんはどこから産まれてくるの
か?」という疑問に、今まで在ることが当然だった自分という存在はどうや
ってこの世に産まれてきたのかという疑問を重ね合わせることで、自分探し
の第一歩を踏み出そうとしているのだ。(「こどもが性とであうとき」より
浅野富美枝著 生活思想社)性教育には、子ども達に自分のルーツをきち
んと伝えるという重要な役目があるのだ。
だからこそ、その質問に対して、親は胸を張って答えてあげて欲しい。それ
は、始めは望まない妊娠だった場合でも、産むと決めた時からその子は望ま
れてこの世に産まれて来るのだ。もし今、両親が一緒に暮らしていない状況
であっても、子ども達に「お母さんとお父さんは愛し合いその結果、君達は
望まれてこの世に産まれて来たのだ」と。
2003 06/25 10:43
Category : 日記
世の中いろいろあるなって思う。
初対面で、ウマが合わないんじゃないか?って予感がある人って、その思いがついつい付きまとってしまうせいかも知れないけど、当たってることが多くって。あ〜やっぱりとかって思ってしまう。
そうなってくると、「坊主にくけりゃ袈裟までも…」って、その人に関わること全てが気に入らなくなってくる…。
私は心が狭いんだな。って思うんだけど。
やっぱり、ダメだなと思う。
でも、きっと相手はわかってないんだよね?この場合
う〜〜、出きればあまり係わりたくない〜〜!
>ちなみに、このぼやきは、ここのサイトを覗いてくれている人達とは全く関係ない所の人のことだから、皆のことじゃないので、誤解しないでね。
初対面で、ウマが合わないんじゃないか?って予感がある人って、その思いがついつい付きまとってしまうせいかも知れないけど、当たってることが多くって。あ〜やっぱりとかって思ってしまう。
そうなってくると、「坊主にくけりゃ袈裟までも…」って、その人に関わること全てが気に入らなくなってくる…。
私は心が狭いんだな。って思うんだけど。
やっぱり、ダメだなと思う。
でも、きっと相手はわかってないんだよね?この場合
う〜〜、出きればあまり係わりたくない〜〜!
>ちなみに、このぼやきは、ここのサイトを覗いてくれている人達とは全く関係ない所の人のことだから、皆のことじゃないので、誤解しないでね。
2003 06/24 15:14
Category : 日記
今、子育てガイドブックの作成に関わっている
まだまだ、仕事なんて呼べるものはなにも出来ていないけど
でも、今は出きることから頑張って行こうと思う。
同じガイドブックを作っている、先輩ライターさんに、「始めて半年は辛いけど、でもきっと大丈夫だから」と声を掛けてもらった
メルマガを書くために、毎日新聞を隅々までチェックして、引っかかることはすぐにしらべる
出来るだけ今は、自分の中にストックが欲しい
知らないという事は、恥ずかしいことじゃなくて、知らないことを自覚して努力していけばいいんだ
知っているということは、ひけらかす事じゃなくて、それを次に伝える責任を負っているんだと自覚する必要があるんだ
先輩ライターさんは私にこう言った。
ライターは専門家にはなれないけど、専門家が使う難しい言葉を、出来るだけ分かりやすく伝えることが出来る。それがライターなんだって
だから私は、出来るだけ分かりやすく伝えていけるように、今は知りたいことが沢山あって、それを調べて、いろんな取材も沢山やって、自分の中にストックを沢山ためこんでいるんだ。
そう、回り道かも知れないけれど、それが今の私に出きること。今の私がやるべきことなんだと思う
そして、そのストックと経験が抱えこめなくなるくらい一杯になったら、エッセイを書こうと思ってる。
早くエッセイが書けるようになったらいいな。今はそんなふうに思ってる
まだまだ、仕事なんて呼べるものはなにも出来ていないけど
でも、今は出きることから頑張って行こうと思う。
同じガイドブックを作っている、先輩ライターさんに、「始めて半年は辛いけど、でもきっと大丈夫だから」と声を掛けてもらった
メルマガを書くために、毎日新聞を隅々までチェックして、引っかかることはすぐにしらべる
出来るだけ今は、自分の中にストックが欲しい
知らないという事は、恥ずかしいことじゃなくて、知らないことを自覚して努力していけばいいんだ
知っているということは、ひけらかす事じゃなくて、それを次に伝える責任を負っているんだと自覚する必要があるんだ
先輩ライターさんは私にこう言った。
ライターは専門家にはなれないけど、専門家が使う難しい言葉を、出来るだけ分かりやすく伝えることが出来る。それがライターなんだって
だから私は、出来るだけ分かりやすく伝えていけるように、今は知りたいことが沢山あって、それを調べて、いろんな取材も沢山やって、自分の中にストックを沢山ためこんでいるんだ。
そう、回り道かも知れないけれど、それが今の私に出きること。今の私がやるべきことなんだと思う
そして、そのストックと経験が抱えこめなくなるくらい一杯になったら、エッセイを書こうと思ってる。
早くエッセイが書けるようになったらいいな。今はそんなふうに思ってる
2003 06/24 15:12
Category : 日記
自分でメルマガを出してみようかな〜ってそんな風に思っている。
じゃあ、なんのメルマガをだすの?といわれたら、出したいテーマはいろいろあるんだけど、取り合えずはカートかな?
現在の取り組みは、カート日記に随時書いているけど、そうじゃなくて。
なんで、我家がこんなにカートにはまってしまったか?っていうところを、連載していこうかな?と思っています。
それを読んでくれた人が、少しでもモータースポーツや、カートについての認識や興味を持ってくれたらいいなと思う。
それを読んだら、今のカート参戦記ももっと楽しく読んでもらえるような気がするんだ。
最初の話しから書くから、内容がカート参戦記をダブルとこをも出てくると思うけど。
きっと、カートの隅々まで分かってもらえる気がするし、カートをやることによって、少しづつ変わっていった、我家の有り方とか絆とかも見えてくると思うんだ。
う〜〜ん、どうしようかな〜〜?
でも、そんなメルマガ読んでくれる人いるだろうか?
じゃあ、なんのメルマガをだすの?といわれたら、出したいテーマはいろいろあるんだけど、取り合えずはカートかな?
現在の取り組みは、カート日記に随時書いているけど、そうじゃなくて。
なんで、我家がこんなにカートにはまってしまったか?っていうところを、連載していこうかな?と思っています。
それを読んでくれた人が、少しでもモータースポーツや、カートについての認識や興味を持ってくれたらいいなと思う。
それを読んだら、今のカート参戦記ももっと楽しく読んでもらえるような気がするんだ。
最初の話しから書くから、内容がカート参戦記をダブルとこをも出てくると思うけど。
きっと、カートの隅々まで分かってもらえる気がするし、カートをやることによって、少しづつ変わっていった、我家の有り方とか絆とかも見えてくると思うんだ。
う〜〜ん、どうしようかな〜〜?
でも、そんなメルマガ読んでくれる人いるだろうか?
2003 06/19 18:12
Category : 日記
我家の子ども達は、レーシングカートをやっている。レーシングカートとは、
エンジンつきのゴーカートでレースをするもので、今活躍中のF1ドライバー
はカート出身者が多い。モータースポーツであるカートは、コースを一周する
タイムによって予選順位を競う。カートに限らず、タイムを競うスポーツをす
る者にとって、タイム=時は壁である。日常の中では、あっという間に通り過
ぎてしまう数十秒の時間で、いかに自分のベストを出し尽くし少しでも前に行
くことができるか、時という見えない壁を追いかけ、五感を研ぎ澄まし、全身
の神経を集中させ、捕らえどころのない百分の1秒をめがけて必死にタイムト
ライアルをしていく。ところが決勝が始まると、時の壁は形を変えて迫ってく
ることになる。それは、前を追う立場になれば、残り時間の壁を追いかけ、越
えることが出来るかが勝負になり、後から追われる立場になれば、残りの時間
の壁から逃げきれるかが勝負になるからだ。15分足らずの時間の中で、ギリ
ギリの攻防を終え、時の壁を乗り越えられた者だけに、勝利の女神は微笑むの
だ。
エンジンつきのゴーカートでレースをするもので、今活躍中のF1ドライバー
はカート出身者が多い。モータースポーツであるカートは、コースを一周する
タイムによって予選順位を競う。カートに限らず、タイムを競うスポーツをす
る者にとって、タイム=時は壁である。日常の中では、あっという間に通り過
ぎてしまう数十秒の時間で、いかに自分のベストを出し尽くし少しでも前に行
くことができるか、時という見えない壁を追いかけ、五感を研ぎ澄まし、全身
の神経を集中させ、捕らえどころのない百分の1秒をめがけて必死にタイムト
ライアルをしていく。ところが決勝が始まると、時の壁は形を変えて迫ってく
ることになる。それは、前を追う立場になれば、残り時間の壁を追いかけ、越
えることが出来るかが勝負になり、後から追われる立場になれば、残りの時間
の壁から逃げきれるかが勝負になるからだ。15分足らずの時間の中で、ギリ
ギリの攻防を終え、時の壁を乗り越えられた者だけに、勝利の女神は微笑むの
だ。
2003 06/16 17:24
Category : 日記
5日に厚生労働省が公表した人口動態統計(概数)によって、1人の女性が生涯に産
む子供の数(合計特殊出生率)が、1・32(前年1・33)で過去最低を記録した
事が分かった。つまり、また少子化が進んだ事になる。
少子化の原因としては、女性の高学歴化に寄る出産年令の高齢化、育児休業などの制
度の遅れなどいろいろと上げられている。だが、一番の原因は、日本という国が子ど
もの育てにくい国だからではないだろうか? 欧米諸国でも、少子化の進んでいる国
があり、それぞれの国で育児休業法を改定するなどの対策を取っている。その結果、
フランスは少子化に歯止めをかけることに成功した国もあるが、アメリカのように、
少子化などどこ吹く風といった国もある。それではなぜ、育児休業法の整備が同じよ
うに進んでいる国のなかで、少子化に歯止めを掛けられた国と、相変わらず進んでし
まう国があるのだろうか。
それは、それぞれの国の、育児に対しての社会の考え方が違うのだ。フランスとアメ
リカ、どちらの国も男性が育児や家事に従事することが当たり前の国であり、社会も
子どもに寛容である。しかし、「男は仕事、女は育児や家事をするものだ」という認識
が高いドイツや日本では、まだ育児や家事に従事する男性も少ない。その結果、男性
の育児休業取得が認められても、社内の目を気にしてなかなか取得する事が難しいの
が現状だ。電車などの公共の場で、子どもがぐずった時の母親の肩身の狭さは想像以
上のものがあり、ベビーカーで街を行けば立ち往生するばかりである。つまり、日本
という国は、子持ちに冷たい国なのだ。
私は、昔から子どもが好きだったので、3〜4人産もうと思っていたが、実際育てて
みて、2人育てて行くのが限度だと感じた。景気の低迷によって落ちこむ収入、それ
に反して増加する一方の教育など経済的な負担もかなりのものがあるからだ。そのた
めに子どもを預けて仕事に出る母親も多いが、ココでも子持ちの女性に対して社会は
冷たい。子どもが熱を出したり、学校などの行事がある度に仕事を休まなければなら
ないからだ。最初に「子どもが病気の時などには休んでもよい」という条件で採用し
てもらっていても、度重なれば職場の人の目が気になり、最終的に仕事を辞めざるを
得なくなることも少なくない。中には、「子どもを預けてまで働かなくても!」と、
親戚に詰め寄られた人もいる。そして、こういう場面で夫にかばってもらったという
話しもあまり聞かない。
すでに高齢化が始まっている日本の社会のシステムを、維持していくために必要な税
金や社会保険料をまかなっていくには、女性の労働力は必要不可欠なものであるはず
だ。しかし、現状のまま「育児は母親がすべきである」という社会通念を持ったまま
では、育児の負担も経済的な負担も、全て母親だけが追わざるを得ないことになる。
その結果、小さい子どもを持った女性の就労は困難を極め、それを目の当たりにした
若い女性達は、結婚や子どもを持つことを嫌がるようになるのだ。
現に私の周りでも、上記のような理由で、結婚をためらったり、子どもは一人いれば
充分だと思っている人が沢山いる。日本の社会全体で意識の改善を行わない限り、少
子化に歯止めをかけるのは難しく、将来日本は、社会のシステムを維持して事が出来
なくなるのではないだろうか。
む子供の数(合計特殊出生率)が、1・32(前年1・33)で過去最低を記録した
事が分かった。つまり、また少子化が進んだ事になる。
少子化の原因としては、女性の高学歴化に寄る出産年令の高齢化、育児休業などの制
度の遅れなどいろいろと上げられている。だが、一番の原因は、日本という国が子ど
もの育てにくい国だからではないだろうか? 欧米諸国でも、少子化の進んでいる国
があり、それぞれの国で育児休業法を改定するなどの対策を取っている。その結果、
フランスは少子化に歯止めをかけることに成功した国もあるが、アメリカのように、
少子化などどこ吹く風といった国もある。それではなぜ、育児休業法の整備が同じよ
うに進んでいる国のなかで、少子化に歯止めを掛けられた国と、相変わらず進んでし
まう国があるのだろうか。
それは、それぞれの国の、育児に対しての社会の考え方が違うのだ。フランスとアメ
リカ、どちらの国も男性が育児や家事に従事することが当たり前の国であり、社会も
子どもに寛容である。しかし、「男は仕事、女は育児や家事をするものだ」という認識
が高いドイツや日本では、まだ育児や家事に従事する男性も少ない。その結果、男性
の育児休業取得が認められても、社内の目を気にしてなかなか取得する事が難しいの
が現状だ。電車などの公共の場で、子どもがぐずった時の母親の肩身の狭さは想像以
上のものがあり、ベビーカーで街を行けば立ち往生するばかりである。つまり、日本
という国は、子持ちに冷たい国なのだ。
私は、昔から子どもが好きだったので、3〜4人産もうと思っていたが、実際育てて
みて、2人育てて行くのが限度だと感じた。景気の低迷によって落ちこむ収入、それ
に反して増加する一方の教育など経済的な負担もかなりのものがあるからだ。そのた
めに子どもを預けて仕事に出る母親も多いが、ココでも子持ちの女性に対して社会は
冷たい。子どもが熱を出したり、学校などの行事がある度に仕事を休まなければなら
ないからだ。最初に「子どもが病気の時などには休んでもよい」という条件で採用し
てもらっていても、度重なれば職場の人の目が気になり、最終的に仕事を辞めざるを
得なくなることも少なくない。中には、「子どもを預けてまで働かなくても!」と、
親戚に詰め寄られた人もいる。そして、こういう場面で夫にかばってもらったという
話しもあまり聞かない。
すでに高齢化が始まっている日本の社会のシステムを、維持していくために必要な税
金や社会保険料をまかなっていくには、女性の労働力は必要不可欠なものであるはず
だ。しかし、現状のまま「育児は母親がすべきである」という社会通念を持ったまま
では、育児の負担も経済的な負担も、全て母親だけが追わざるを得ないことになる。
その結果、小さい子どもを持った女性の就労は困難を極め、それを目の当たりにした
若い女性達は、結婚や子どもを持つことを嫌がるようになるのだ。
現に私の周りでも、上記のような理由で、結婚をためらったり、子どもは一人いれば
充分だと思っている人が沢山いる。日本の社会全体で意識の改善を行わない限り、少
子化に歯止めをかけるのは難しく、将来日本は、社会のシステムを維持して事が出来
なくなるのではないだろうか。
2003 06/14 22:24
Category : 日記
学生時代の親友のお父様が急逝した。
そして今日が告別式だった。それははからずも、旧友たちとの再会の場になった。
皆学生時代と殆ど変わらないな〜、と思っていたら。向こうに言わせたら、私もちっとも変わっていないという。彼女達と始めて会ってからもう20年近い年月が経とうとしている。
しかも、約10年ぶりの再会にもかかわらず、一言喋り始めた途端に、お互いの間に別々に流れていたはずの時間はいっきに遡り、何時の間にか、皆の顔は、あのお茶目な学生時代に戻っり、思い出話に花が咲いていた。
それぞれの道を、それぞれの思いを胸に抱いて歩いていた。お互いに仕事や育児に忙しくて、年賀状をやりとりするのがやっとという状況だったにも係わらず、いつも心のどこかに彼女達の存在があって、その存在に私も彼女達も支えられていることを知っていた。
十人十色というけれど、私の旧友達はまさにそんな感じなのだ。一人一人の洋服の趣味も、好きな音楽も皆違う。でも、皆それぞれが、それぞれのことを認め合っていて、それぞれのことを好きなのだ。だから、私達の間では、皆違っていることが当たり前で、だれも自分の趣味を他人に強制したりはしない。
それでも、なぜか皆でいるのが楽しくて、今までずっと一緒に、同じ時代を歩いてきた仲間なのだ。
この次は、急に父親を亡くした彼女を励ますために、温泉にでも行こうねと約束して皆と別れそれぞれの空の下へと帰って行った。
そして今日が告別式だった。それははからずも、旧友たちとの再会の場になった。
皆学生時代と殆ど変わらないな〜、と思っていたら。向こうに言わせたら、私もちっとも変わっていないという。彼女達と始めて会ってからもう20年近い年月が経とうとしている。
しかも、約10年ぶりの再会にもかかわらず、一言喋り始めた途端に、お互いの間に別々に流れていたはずの時間はいっきに遡り、何時の間にか、皆の顔は、あのお茶目な学生時代に戻っり、思い出話に花が咲いていた。
それぞれの道を、それぞれの思いを胸に抱いて歩いていた。お互いに仕事や育児に忙しくて、年賀状をやりとりするのがやっとという状況だったにも係わらず、いつも心のどこかに彼女達の存在があって、その存在に私も彼女達も支えられていることを知っていた。
十人十色というけれど、私の旧友達はまさにそんな感じなのだ。一人一人の洋服の趣味も、好きな音楽も皆違う。でも、皆それぞれが、それぞれのことを認め合っていて、それぞれのことを好きなのだ。だから、私達の間では、皆違っていることが当たり前で、だれも自分の趣味を他人に強制したりはしない。
それでも、なぜか皆でいるのが楽しくて、今までずっと一緒に、同じ時代を歩いてきた仲間なのだ。
この次は、急に父親を亡くした彼女を励ますために、温泉にでも行こうねと約束して皆と別れそれぞれの空の下へと帰って行った。
2003 06/13 00:43
Category : 日記
梅雨のひぬまに、ふと思い立って両親のお墓参りに行ってきた。
一週間くらいまえから、なんとなく夢の中をなくなった父の面影がちらついていたのだ
今年の春に、母の13回忌と父の7回忌を住ませたのだが、6月は父の命日と母の誕生月だった。多分、来月のお盆まで待ちきれずに、催促をしに来たのだろう。しかし、はっきりと夢に登場してこないところが、いかにも頑固者で素直なじゃない父らしい感じがした。
お花を買って、父の好きだった銘柄の煙草とお酒を買ってお寺に向かった。平日のお寺は、閑散としていて、やけにがらんと広く感じた。
せっかく来たんだからと、墓石の掃除をした。梅雨の晴れ間とは言えやはり6月、コンクリートの照り返しもあり、かなり暑い。
額や首筋から汗がポタポタと垂れてきた。ピカピカに磨きあがった御影石を見上げた時、なぜか私は「ああ、私は生きているんだな」と思った。
お線香を上げ、母が好きだったお花と父の好物
のタバコとお酒を供えて、「じゃあまた、お盆にね」といって、お墓を後にした。
一週間くらいまえから、なんとなく夢の中をなくなった父の面影がちらついていたのだ
今年の春に、母の13回忌と父の7回忌を住ませたのだが、6月は父の命日と母の誕生月だった。多分、来月のお盆まで待ちきれずに、催促をしに来たのだろう。しかし、はっきりと夢に登場してこないところが、いかにも頑固者で素直なじゃない父らしい感じがした。
お花を買って、父の好きだった銘柄の煙草とお酒を買ってお寺に向かった。平日のお寺は、閑散としていて、やけにがらんと広く感じた。
せっかく来たんだからと、墓石の掃除をした。梅雨の晴れ間とは言えやはり6月、コンクリートの照り返しもあり、かなり暑い。
額や首筋から汗がポタポタと垂れてきた。ピカピカに磨きあがった御影石を見上げた時、なぜか私は「ああ、私は生きているんだな」と思った。
お線香を上げ、母が好きだったお花と父の好物
のタバコとお酒を供えて、「じゃあまた、お盆にね」といって、お墓を後にした。
2003 06/11 21:43
Category : 日記
先日、小学5年の息子の運動会に行った時。顔見知りのお母さん達に性教育
のことや、性に関して子ども達から聞かれた事がないか等、それとなく聞い
てみた。すると殆どのお母さんが、「家の子はまだ幼いから、そう言うこと
に興味がないし、話すチャンスもない」と答えて来た。果たして性教育とは
子どもが興味を持ってから話すことなのだろうか? たぶん、性教育を性器
の名前を教えたり、避妊教育に限定して考えているのだと思う。しかしそれ
は、性教育のほんの一部分でしかない。また、本当に性の話題に触れるチャ
ンスは無いものなのだろうか?
幼稚園や小学校に上ると、子どもはトイレで用を足しそれをペーパーで拭く
という処理を一人ですることになる。女の子の場合、必ず前から後へ拭かせ
るようにしないと、ヴァギナ(*)に雑菌が入って炎症を起こす場合がある。
一人でトイレに行くようになった時。女性にはおしっこが出る尿道とウンチ
が出る肛門の間に赤ちゃんを産むための穴があり、ウンチの中のバイ菌が入
ると困るので気をつけて拭くように教える必要がある。それをきっかけに、
体の話しをすることはできるはずなのだ。
これは息子が、まだ幼稚園に上る前の事。私が生理中に子ども達とお風呂入
った事があった。私も湯船に入らねばならなかったので、私はタンポンを使
っていた。すると、タンポンの紐を見つけて「これなに?」と聞いてきた。
いい機会だと思った私は、女性の体の話しをした。ヴァギナのこと、その先
のお腹の中に赤ちゃんが育つ袋があること。その袋の壁が赤ちゃんの布団に
なっていて、月に一回新しい物に交換され、要らなくなった物が出てくるの
が生理なので、決して病気ではない事等を話して聞かせた。本当に分かって
はいないのだろうが、子ども達は頷きながら聞いていた。自分達の体の事を
親から自然に学ぶ事、これは立派な性教育なのである。
(*)ヴァギナ=膣 学校教育では、女性器の事をヴァギナと呼んでいます。
のことや、性に関して子ども達から聞かれた事がないか等、それとなく聞い
てみた。すると殆どのお母さんが、「家の子はまだ幼いから、そう言うこと
に興味がないし、話すチャンスもない」と答えて来た。果たして性教育とは
子どもが興味を持ってから話すことなのだろうか? たぶん、性教育を性器
の名前を教えたり、避妊教育に限定して考えているのだと思う。しかしそれ
は、性教育のほんの一部分でしかない。また、本当に性の話題に触れるチャ
ンスは無いものなのだろうか?
幼稚園や小学校に上ると、子どもはトイレで用を足しそれをペーパーで拭く
という処理を一人ですることになる。女の子の場合、必ず前から後へ拭かせ
るようにしないと、ヴァギナ(*)に雑菌が入って炎症を起こす場合がある。
一人でトイレに行くようになった時。女性にはおしっこが出る尿道とウンチ
が出る肛門の間に赤ちゃんを産むための穴があり、ウンチの中のバイ菌が入
ると困るので気をつけて拭くように教える必要がある。それをきっかけに、
体の話しをすることはできるはずなのだ。
これは息子が、まだ幼稚園に上る前の事。私が生理中に子ども達とお風呂入
った事があった。私も湯船に入らねばならなかったので、私はタンポンを使
っていた。すると、タンポンの紐を見つけて「これなに?」と聞いてきた。
いい機会だと思った私は、女性の体の話しをした。ヴァギナのこと、その先
のお腹の中に赤ちゃんが育つ袋があること。その袋の壁が赤ちゃんの布団に
なっていて、月に一回新しい物に交換され、要らなくなった物が出てくるの
が生理なので、決して病気ではない事等を話して聞かせた。本当に分かって
はいないのだろうが、子ども達は頷きながら聞いていた。自分達の体の事を
親から自然に学ぶ事、これは立派な性教育なのである。
(*)ヴァギナ=膣 学校教育では、女性器の事をヴァギナと呼んでいます。
2003 06/09 14:09
Category : 日記
今、「学校のトイレではウンチをしない」と言う子が増えている。中には、我慢でき
ずにもらしてしまう子もいるそうだ。それでもトイレでウンチをしないのだ。理由
は、ウンチをすると周りの子からからかわれて恥ずかしいからだ。この傾向は、女の
子よりも男の子方が多い。小便器と個室がある男子トイレでは、個室に入っただけ
で、「うんちだ、うんちだ」とからかわれてしまう。最近は、子供向けの番組などで
もこの問題を取り上げたりしてはいるが、問題はなかなか解決しない。そんな中、学
校側に新しい動きが出てきた。
5月27日発行の読売新聞の生活面の家庭と暮しのコーナーにこんな記事が掲載され
た。「小便器のない男子トイレ!」小学校でウンチをするとからかわれて恥ずかしい
という男の子達のために、個室だけのトイレを作ったという話題だった。個室だけの
トイレを作ったのは、神奈川県茅ケ崎市の小学校。天井まで完全に仕切られた個室の
みの男子トイレで、水の流れの音がする擬音装置まで付いているので、入っただけで
は大便かどうか分からなくなり、ウンチだとからかわれることも無くなり子ども達に
は好評だ。国も最近トイレの改修に補助金を出すようになった。
からかわれる原因は、やはり「ウンチ」は「汚い」「臭い」というイメージが強いか
らだろう。確かに、私が子どもの頃に比べると、街の中から「汚い物」や「臭い匂
い」が消えた気がする。昔は汲み取りトイレの匂いや、道路脇のどぶの匂いなど。生
活臭とも言えるいろいろな「臭い匂い」が、街のあちこちに漂っていた。それはあま
り気持ちのいいことではないが、有る意味必要な匂いだったのかもしれない。トイレ
は水洗に変わり、下水道が整備され、防臭剤や抗菌グッズが溢れるようになり、街や
生活の中からいわゆる「臭い匂い」が一つづつ消えて行き、逆に私達は、匂いに過敏
になってしまった気がする。
人間は動物であり、生きているのだ。生きている以上、排泄もすれば臭い匂いも発す
る。それは当たり前のことであり、からかうべきことでも恥ずかしい事でも無いはず
である。今回の試みは、「学校でウンチが出来ない子ども達」にとっては、画期的な
物だと思う。しかし子ども達は、本当にからかわれる事が無ければ、学校でウンチが
出来るようになるのだろうか? 例えば駅や会社など公共の場で、今までの学校と同
じような環境のトイレを使用する事が出来るのだろうか?
私は、家の子ども達に学校でウンチをするかどうか聞いてみた。するとやはり、息子
もからかわれたらしいのだが、「学校でウンチをして何が悪い?オマエはウンチをし
たことがないのか!」と、逆に食ってかかったので、それからからかわれなくなった
という。全てのケースが息子のような方法で解決できるとは限らないとは思う。しか
し、子どもが小さい時からの指導によって、改善できる点は多いだろう。もう一度子
ども達と、トイレについて話しをしてみる必要があるのではないだろうか。
ずにもらしてしまう子もいるそうだ。それでもトイレでウンチをしないのだ。理由
は、ウンチをすると周りの子からからかわれて恥ずかしいからだ。この傾向は、女の
子よりも男の子方が多い。小便器と個室がある男子トイレでは、個室に入っただけ
で、「うんちだ、うんちだ」とからかわれてしまう。最近は、子供向けの番組などで
もこの問題を取り上げたりしてはいるが、問題はなかなか解決しない。そんな中、学
校側に新しい動きが出てきた。
5月27日発行の読売新聞の生活面の家庭と暮しのコーナーにこんな記事が掲載され
た。「小便器のない男子トイレ!」小学校でウンチをするとからかわれて恥ずかしい
という男の子達のために、個室だけのトイレを作ったという話題だった。個室だけの
トイレを作ったのは、神奈川県茅ケ崎市の小学校。天井まで完全に仕切られた個室の
みの男子トイレで、水の流れの音がする擬音装置まで付いているので、入っただけで
は大便かどうか分からなくなり、ウンチだとからかわれることも無くなり子ども達に
は好評だ。国も最近トイレの改修に補助金を出すようになった。
からかわれる原因は、やはり「ウンチ」は「汚い」「臭い」というイメージが強いか
らだろう。確かに、私が子どもの頃に比べると、街の中から「汚い物」や「臭い匂
い」が消えた気がする。昔は汲み取りトイレの匂いや、道路脇のどぶの匂いなど。生
活臭とも言えるいろいろな「臭い匂い」が、街のあちこちに漂っていた。それはあま
り気持ちのいいことではないが、有る意味必要な匂いだったのかもしれない。トイレ
は水洗に変わり、下水道が整備され、防臭剤や抗菌グッズが溢れるようになり、街や
生活の中からいわゆる「臭い匂い」が一つづつ消えて行き、逆に私達は、匂いに過敏
になってしまった気がする。
人間は動物であり、生きているのだ。生きている以上、排泄もすれば臭い匂いも発す
る。それは当たり前のことであり、からかうべきことでも恥ずかしい事でも無いはず
である。今回の試みは、「学校でウンチが出来ない子ども達」にとっては、画期的な
物だと思う。しかし子ども達は、本当にからかわれる事が無ければ、学校でウンチが
出来るようになるのだろうか? 例えば駅や会社など公共の場で、今までの学校と同
じような環境のトイレを使用する事が出来るのだろうか?
私は、家の子ども達に学校でウンチをするかどうか聞いてみた。するとやはり、息子
もからかわれたらしいのだが、「学校でウンチをして何が悪い?オマエはウンチをし
たことがないのか!」と、逆に食ってかかったので、それからからかわれなくなった
という。全てのケースが息子のような方法で解決できるとは限らないとは思う。しか
し、子どもが小さい時からの指導によって、改善できる点は多いだろう。もう一度子
ども達と、トイレについて話しをしてみる必要があるのではないだろうか。
2003 06/09 14:04
Category : 日記
最近私は、なんだか涙もろくて仕方がない
ほんの小さな出来事にも、心が揺れて、気持ちが揺れて…、気がつくとハラハラと涙が零れ落ちている
人は涙を流す事で、脳の中にあるストレス物質を排泄して、気持ちが少し落ち付くのだという
だとしたら、私は自分でも気がつかないうちに
ストレスを抱えているのだろうか?
ほんの小さな出来事に、ユラユラと揺れる心を抱えて、それでも笑って生きている
日常って、そんなものかもしれない
誰だって皆、そんなものなのかもしれない
ほんの小さな出来事にも、心が揺れて、気持ちが揺れて…、気がつくとハラハラと涙が零れ落ちている
人は涙を流す事で、脳の中にあるストレス物質を排泄して、気持ちが少し落ち付くのだという
だとしたら、私は自分でも気がつかないうちに
ストレスを抱えているのだろうか?
ほんの小さな出来事に、ユラユラと揺れる心を抱えて、それでも笑って生きている
日常って、そんなものかもしれない
誰だって皆、そんなものなのかもしれない
2003 06/03 13:56
Category : 日記
人間が、バナナみたいだったら良かったのに。
時々そんな風に思うことがある。
顔がどうとか、肥っているとか、身長が高いとか
そんなこと全てを、バナナの皮みたいにツルンツルンとむいてしまったら
きっとどの人も、男も女も関係無く、同じような中身が出てくるんだろう
だけど中身を、かじってみると甘かったりすこし甘酸っぱかったり、渋かったり
柔らかかったり、堅かったりそれぞれ違う味がするはず
それぞれ好みが違うから、好きな味、嫌いな味があるだろう。ウマが合うとか、あわないとか。それはいろいろあるだろう。
人間は、本当は賢いはずなのに、たった一枚の薄い皮膚の下にある、ホントの中身がなかなか見えない
だから、私は人間の皮がバナナみたいだったらいいって、そんな風に思うんだ。
そうすれば、ツルンツルンと皮をむいて、本当の心も見せてあげることが出来るかもしれない
誰かの心が傷ついているのも、ちゃんと分かって上げられるかもしれないのにね?
こんなに薄い皮膚一枚かぶっただけで、こんなに違ってしまうんだろうね?
時々そんな風に思うことがある。
顔がどうとか、肥っているとか、身長が高いとか
そんなこと全てを、バナナの皮みたいにツルンツルンとむいてしまったら
きっとどの人も、男も女も関係無く、同じような中身が出てくるんだろう
だけど中身を、かじってみると甘かったりすこし甘酸っぱかったり、渋かったり
柔らかかったり、堅かったりそれぞれ違う味がするはず
それぞれ好みが違うから、好きな味、嫌いな味があるだろう。ウマが合うとか、あわないとか。それはいろいろあるだろう。
人間は、本当は賢いはずなのに、たった一枚の薄い皮膚の下にある、ホントの中身がなかなか見えない
だから、私は人間の皮がバナナみたいだったらいいって、そんな風に思うんだ。
そうすれば、ツルンツルンと皮をむいて、本当の心も見せてあげることが出来るかもしれない
誰かの心が傷ついているのも、ちゃんと分かって上げられるかもしれないのにね?
こんなに薄い皮膚一枚かぶっただけで、こんなに違ってしまうんだろうね?
2003 06/02 17:36
Category : 日記
しばらく雨が続きやっときれいな青空がが見えた。
あんまり気持ちが良かったので、そうだ布団を干そうと庭に出ると…。
ついこのあいだ草むしりをしたばかりなのに、庭じゅうどくだみが満開だった。
びっしりと庭を埋め尽くしたどくだみ畑(?)は、雨に洗われ緑がいっそう色を増し、白い花が映えていて、それはそれできれいだった。
しかし、困った事にどくだみはとても匂いがキツイ。せっかく気分がいい日なのに、こんな庭に布団を干したら、今晩、どくだみ臭い布団で寝なくてはいけなくなる。
仕方がないので、私は先に草むしりをする事にした。
どくだみは、地下茎でどんどん増える多年草だ。そのために、土の上に出ている部分だけをむしっても、またすぐに生えてきてしまうのだ。
普段なら、その根っこがなかなか抜けずに苦労するのだが、今日は雨上がりということで、土が適度に湿っていて、根っこは楽に抜く事が出来た。一本抜くと、地下茎で繋がった隣りまで、芋づるのように抜けてくる。
いつもより楽な草むしりに、私は一人で気をよくして、どくだみ根絶ローラー作戦を庭の端から展開することにしたのだ。
さほど広くない庭なのだが。びっしりと生えたどくだみの数の多さと、久々の真夏のような晴天で、汗がどんどん噴出してくる。それでも、順調に進む草むしりに、私は休憩も取らずに熱中していた。全てのどくだみを退治できたら、きれいになった庭を見ながら、冷たいアイスコーヒーを飲む事を夢見て、あえて休憩は取らずに作業していたのだ。
しばらくすると庭の隅っこのどくだみの中から、去年植えたゼラニウムを見つけ出した。すっかりどくだみに占領されていたために、肩身の狭い思いをしていたゼラニウムは、ちょっと猫背になっていた。「可愛そうに、今助けてあげるからね!」そう、私は、魔のどくだみ軍に捕まってしまった、ゼラニウム姫を見事救出することに成功したのだ!
その後も、私のどくだみ撲滅ローラー作戦は続き、殆ど野生化してしまったスイートバジルと、これも野生化し始めている朝顔の双葉の救出にも成功した。
ローラー作戦も、あともう少しで終わりに近づき、勝利宣言目前という時に、娘が学校から帰って来て、居間のサッシを開けた。
「ママ、ただい…ま…」
(お〜、すっかりきれいになった庭に感動しているんだな〜)と内心思いながら、私が
「おかえり〜、どうきれいになったでしょ!」と言うと。
「きれいになったっていうか…。なんかさ、庭じゅうはげちょろりんで、汚い感じ〜。多少どくだみ臭くても、前の方がきれいだったね」と娘。
(ガ〜ン^^^)私も、今日のローラー作戦の成果を確かめるべく、腰を上げて振り向いて見ると。確かに、庭のあちこちは耕したように掘り返され、元々芝生だったはずの庭は、見るも無残な状態だった。
きれいな庭を見ながらのコーヒータイムは…、
「この庭これからどうするの?」と子供達に攻められる時間に変わってしまった。
庭の端っこの、猫背になったゼラニウムも、よりどころを失ってしまったように、寂しげに風に吹かれて揺れていた。
あんまり気持ちが良かったので、そうだ布団を干そうと庭に出ると…。
ついこのあいだ草むしりをしたばかりなのに、庭じゅうどくだみが満開だった。
びっしりと庭を埋め尽くしたどくだみ畑(?)は、雨に洗われ緑がいっそう色を増し、白い花が映えていて、それはそれできれいだった。
しかし、困った事にどくだみはとても匂いがキツイ。せっかく気分がいい日なのに、こんな庭に布団を干したら、今晩、どくだみ臭い布団で寝なくてはいけなくなる。
仕方がないので、私は先に草むしりをする事にした。
どくだみは、地下茎でどんどん増える多年草だ。そのために、土の上に出ている部分だけをむしっても、またすぐに生えてきてしまうのだ。
普段なら、その根っこがなかなか抜けずに苦労するのだが、今日は雨上がりということで、土が適度に湿っていて、根っこは楽に抜く事が出来た。一本抜くと、地下茎で繋がった隣りまで、芋づるのように抜けてくる。
いつもより楽な草むしりに、私は一人で気をよくして、どくだみ根絶ローラー作戦を庭の端から展開することにしたのだ。
さほど広くない庭なのだが。びっしりと生えたどくだみの数の多さと、久々の真夏のような晴天で、汗がどんどん噴出してくる。それでも、順調に進む草むしりに、私は休憩も取らずに熱中していた。全てのどくだみを退治できたら、きれいになった庭を見ながら、冷たいアイスコーヒーを飲む事を夢見て、あえて休憩は取らずに作業していたのだ。
しばらくすると庭の隅っこのどくだみの中から、去年植えたゼラニウムを見つけ出した。すっかりどくだみに占領されていたために、肩身の狭い思いをしていたゼラニウムは、ちょっと猫背になっていた。「可愛そうに、今助けてあげるからね!」そう、私は、魔のどくだみ軍に捕まってしまった、ゼラニウム姫を見事救出することに成功したのだ!
その後も、私のどくだみ撲滅ローラー作戦は続き、殆ど野生化してしまったスイートバジルと、これも野生化し始めている朝顔の双葉の救出にも成功した。
ローラー作戦も、あともう少しで終わりに近づき、勝利宣言目前という時に、娘が学校から帰って来て、居間のサッシを開けた。
「ママ、ただい…ま…」
(お〜、すっかりきれいになった庭に感動しているんだな〜)と内心思いながら、私が
「おかえり〜、どうきれいになったでしょ!」と言うと。
「きれいになったっていうか…。なんかさ、庭じゅうはげちょろりんで、汚い感じ〜。多少どくだみ臭くても、前の方がきれいだったね」と娘。
(ガ〜ン^^^)私も、今日のローラー作戦の成果を確かめるべく、腰を上げて振り向いて見ると。確かに、庭のあちこちは耕したように掘り返され、元々芝生だったはずの庭は、見るも無残な状態だった。
きれいな庭を見ながらのコーヒータイムは…、
「この庭これからどうするの?」と子供達に攻められる時間に変わってしまった。
庭の端っこの、猫背になったゼラニウムも、よりどころを失ってしまったように、寂しげに風に吹かれて揺れていた。