2007年10月の記事


「散策」
> -川越-


歩行者天国となった通りを、思い思いに散策する人々。

最近は祭りの日に限らず、観光地などでは、実に多くの外国人の姿が見られるようになった。

かく言う私も、友達になった欧米人を何度か川越に案内したものである。
通常の会話と違い、様々な歴史的事実を説明するのには、かなり苦労するものである。

日本独特の風習や、催事などはそれなりに歴史やその背景を理解していないと、上手く説明出来ないのだ。

山車(float)やお面(mask)一つにしても、日本には様々な山車やお面が有るから、その違いなどを如何に分かり易く相手に説明するかは、かなりの努力が必要である。

しかし、こうして様々な国の人が、正しく日本を理解してくれるようになるのは嬉しいものである。
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「大正ロマンの店」
> -川越-


古き良き時代を髣髴とさせる珈琲専門店の店構え。

この店は私が子供の頃から有る店である。
但し昔は喫茶店ではなくレストランであった。

時代と共に、珈琲を呑みながら寛ぐ人が多くなり、数年前から、珈琲専門店になったようだ。

看板はレトロ調にしたのだろうが、建物全体は昔のままである。
川越にはこのような店がたくさん有る。

店内はウェイトレスのお嬢さんが白い割烹着を着て、大正時代にタイムスリップしたような雰囲気で応対してくれる。
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「川越祭り�G」
> -川越-


交差点での引っ曳わせ(ひっかわせ)の光景。

夕暮れが迫り、祭りも段々と熱気を帯びてくる。

山車と山車がすれ違う時、お互いに囃子と踊りの競演をし相手の方に引き込まれてしまった方が負けで、道を先に譲る所から、この名前が付いたようだ。

この時はこの2台の他に、前方からも右からも後ろからも山車が近付いて来ており、私の立っている場所は、身動きの取れない混雑であった。

もっと右に寄れば、2台の山車の競演の様が撮れるのだが、カメラを高く掲げ、モニターで画像を確かめながら撮るのが精一杯であった。

この交差点から後ろの方が、電柱の無い蔵造りの街である事が、はっきりお分かりいただけるであろう。
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「川越祭り�F」
> -川越-


昔懐かしいカルメ焼を作るおじさんの姿。

ちょっと人だかりのする露店のお店を覗いてみたら、こんな光景に出会った。

周りには甘い香りが漂って、皆が興味深く見詰めている。
戦後何も無い時期に、ザラメから作るこの素朴なお菓子は、ポン煎餅と相俟って露店の花形だった。

このおじさん、カルメ焼き一筋に生きてきたような風貌で、道具も手付きも年季が入っている。
度近眼の眼鏡に、被り慣れたハンチング、煙草はハイライトと、おじさんの半生を物語っているようだ。

まるで商売気が無いように、黙々と唯ひたすら菓子造りに専念している。
手元のザラメが溶けて、それに重曹を加えると膨らんで、右のような菓子になる。

それでも結構買う人が居るようで、造っても追い付かないようであった。
年寄りは思い出に浸り、若い人は興味を引かれて結構繁盛していた。
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「川越祭り�E」
> -川越-


駅前広場で思い思いに寛ぐ観衆の光景。

西武線本川越駅前の広場は、祭りの日になると、ご覧のように老若男女で埋め尽くされる。

この一家は親子三代で祭り見物に来たのだろうか。
家族それぞれが、思い思いの行動をとっているのが面白い。

若いお父さんは、花より団子で食べる事に余念が無く、ママの方は赤ちゃんを露店で買ったおもちゃであやしている。
おばあちゃんは、近くに居る子供達と談笑しているようだ。

この場所は、道路に山車や神輿や囃子などが終結しており、居ながらにして祭りの雰囲気が楽しめるから、人が集まるようである。
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「川越祭り�D」
> -川越-


こちらは同じ肉でも昔から馴染みの日本の串焼き店である。

イケメンだがちょっと怖い感じのするお兄さんが、手際良く作業をしている。

数え切れぬほどの同じような店が街中に溢れているが、果たして一日にどれくらい売れるのだろうか。

毎年このお祭りの時は来ている私だが、年々店が増えるようだし、お客も増え続けているようだ。

しかし面白いのは、去年と同じ場所に同じ露店が出ていると言う事である。
矢張りそれぞれ縄張りが有るようである。

祭りの楽しさを盛り上げる脇役である様々な露店の姿をちょっと続けて見たいと思う。
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「川越祭り�C」
> -川越-


大きな肉の塊をあぶりながら売る若者の姿。

祭りの楽しさを盛り上げる脇役である様々な露店の姿をちょっと続けて見たいと思う。

このケバブを売る店は、少なくとも街のあちこちで6店位は見たような気がする。

皆一応に売っているのは中東から来た外人である。
このイケメンのお兄ちゃんも、人の良さそうな感じで私が写真を撮ったら、にこっと頭を下げていた。

良く観察すると、どうやらこの肉は、大きな塊ではなく、何枚もの肉を串に重ねて刺した物であることが分かった。

だから大きな包丁で切ると、細かい肉の切れ端になるのだ。

残念ながらどんな味がするのか、まだ食べた事が無い。
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「川越祭り�B」
> -川越-


提灯を飾った店先の光景。

祭礼の日はこうして街中が店先に提灯を下げて祝日を祝うのは何処の街でも同じであろう。

この店先を見て急に寿司が食べたくなったが、我慢してカメラを向けただけで通り過ぎた。

店の脇では、誰かと待ち合わせをしているようなご婦人が2人、道行く人を見詰めていた。

灯の点った昼間の提灯もちょっと粋なものである。
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「川越祭り�A」
> -川越-


可愛い稚児達の先導で街に繰り出した山車の行列。

川越にはこのような山車(だし)が全部で29台有る。
各町が大切に保存しており、重要文化財に指定されている物も少なくない。

人形を乗せている台が三層にも競り上がり、かなり高くなるので、このような電線のある通りでは高く出来ないのだ。

市役所前に全ての山車が勢揃いした後、思い思いに各街並みを引き回すのである。
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「川越祭り」
> -川越-


旧川越街道を行く、山車の光景。

1年振りの川越祭りの掲載である。
好天に恵まれた昨日今日の川越祭りは100万人以上の見物客で賑わうと予想される。

氷川神社の例大祭として始まったこの祭りは、400年以上の歴史を持ち、当時の城主松平伊豆守によって江戸時代初期に開催されたとされる。

これは大手町の天のうずめの山車である。

この祭りは、国指定重要無形民俗文化財に指定されている事でも知られている。

しばらくの間、トルコシリーズをお休みして、我が故郷川越の街角を載せて見ようと思う。
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「あるアングル」
> -イスタンブール-


「あるアングル」

ランチを食べたレストランからの窓越しの光景。

外の日差しは暑そうである。
エアコンの効いた部屋から見ても白日が眩しい。

流石にこの暑さだと、オープンテラスでランチを摂るお客さんは居ないようである。

トルコでも、カッパドキア辺りは、晴れていても冷気を感じたものだが、日本同様、地方によって大分気温の差が有る。

雰囲気のある窓のフレームにはめ込まれたガラスが気に入って、撮ってみた一枚である。
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「トルコ・コーヒー
> -イスタンブール-


コーヒーを飲み終った跡に出た模様。

ランチを摂った食後にトルコ・コーヒーを飲んだ。

トルコ独特のこのドロッとしたコーヒーは、飲んだ跡のコーヒーの模様で占いが出来るのだという。

吉か凶かが必ず模様に出るのだというから面白い。
私のコーヒーカップにはこんな模様が出ていた。

これを見てアルズさんは、吉だと言った。
理由は、私の苗字の頭が「ふな」だから魚の「鮒」の絵が出たのだという。

だからきっとその内、目の複視が治りますよと言うのだ。
その時は半信半疑だったが、帰国後2ヶ月で元に戻ったのだから、一応この占いを信じるとしようか。

それにしても、コーヒーが二度味わえるとは面白い習慣が有るものである。
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「シーフード・ランチ」
> -イスタンブール-


前出のレストランで食べたメインディシュのシーフード料理。

何の魚の肉か忘れてしまったが、シチュー風に煮込んだこの料理はとても美味しかった事だけ憶えている。

これがまた地元のハウスワインと実に良く合って、今でもその感触が舌に残っている。

港町だから、新鮮な魚介類が豊富なせいも有るだろうが、煮付け方の絶妙さやトッピングなどの取り合わせが良いのかもしれない。

料理の名前が何だったか忘れてしまったのが残念である。
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「レストラン街」
> -イスタンブール-


昼食を摂ったレストラン街の一角。

イスタンブールの街に入って先ず最初に行ったのが、レストランであった。

私が撮影した反対側には海峡が開けている。
ずっと続くレストランの光景は、まるでフランスかイタリアのような雰囲気である。

直ぐ右側が、我々の入ったレストランであるが、此処で食べた魚料理のグラタンは滅茶苦茶に美味かった。

オープンテラスでの食事も快適そうだがいささか暑く、店の中のエアコンの効いた部屋で食事をしたのが印象に残っている。

アスファルトでない、レンガを敷き詰めた歩道が粋で、歴史を感じさせたものだった。
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「ボスフォラス海峡�C」
> -イスタンブール-


車窓から見る海峡の対岸の光景。

ボスフォラス大橋を渡り切る寸前に撮影したものだが、対岸は今まで8日間長旅をして来たアジアサイドである。

此処の橋を渡ればヨーロッパサイド。
アジアとヨーロッパがこの海峡によって分かれていると言うのも、トルコならではの光景であろう。

さてこれからいよいよ、イスタンブールの街中に入るわけだが、これからどんな触れ合いが有るのか、旅の最後を飾る二日間が楽しみであった。
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「ボスフォラス海峡�B」
> -イスタンブール-


車窓から見るボスフォラス海峡の光景。

アジア・サイドから入ったボスフォラス大橋の上から見る海峡の様子である。

この光景はヨーロッパサイドの光景であるが、猫の額ほどの小さな島に、びっしりと建物が建っているのがヴェネチアのようで面白い。

小さな遊覧船が青い海に航跡を残して走っていくのがのどかである。

前方の海峡を抜けると広々とした黒海に出るのである。
黒海とマルマラ海を結ぶこの海峡は、更にその先の地中海へと広がる貿易の要衝でもある。

イスタンブールに始まりイスタンブールに終わるこの旅の企画は、最後にこの街でもう一泊出来るので、選んだのであった。
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「ボスフォラス海峡」
> -イスタンブール-


車窓から見るボスフォラス海峡の光景。

此処はアジア・サイドから入ったボスフォラス大橋の上から見る海峡の様子である。

残念ながら、どうしてもバスのフロントの影が入ってしまう。

前方に広がるのは黒海である。
黒海とマルマラ海を結ぶこの海峡は、更にその先の地中海へと広がる貿易の要衝でもある。

手前にはオスマン帝国の迎賓館として使われた、壮麗なべイレルベイ宮殿が見える。

イスタンブールに始まりイスタンブールに終わるこの旅の企画は、最後にこの街でもう一泊出来るので、選んだのであった。
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「車窓から�D」
> -イスタンブール-


イスタンブールが見えて来た。

アンカラから8時間のバスの長旅を経て、やっとイスタンブールの街並みが見えてきた時の感動は、ひとしおである。

手前のアジアサイドからボスフォラス海峡を経て、前方にヨーロッパサイドの街並みが開けている。

イスタンブールは、正にこの海峡を境にして、アジアとヨーロッパの双方に跨っているのだ。

東西貿易の中継点、要衝と言われる所以である。

10日間に亘るトルコの旅は、イスタンブールのヨーロッパサイドから出発し、そしてトルコの主要都市を一周して、アジアサイドから再び此処に戻ろうとしている。

これからはイスタンブールの街を、思う存分堪能していただきたいと思う。
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「車窓から�B」
> -イスタンブール郊外-


イスタンブール近郊の車窓の風景。

いよいよ旧市街に近付いて来た。
建物の様子も、今までの均一的なマンション群や戸建て住宅と違い、古くから有る様々な形のマンションが多くなってきた。

やがてはこれらの古いマンションも建替えられる時が来るかも知れない。

町の中心部に近い利便性を取るか、遠くの郊外でも近代的な設備を備えた快適な住環境を取るかは、迷う所であろう。

この現象は日本の現状でも、同じ事が言えるのではないだろうか。
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「車窓から�A」
> -イスタンブール郊外-


イスタンブール郊外の車窓の風景。

徐々にイスタンブールに近付いてくると、矢張り郊外はご覧のような新築ラッシュのようである。

旧市街は、もう新しく家を建てる余地が無いから、日本と同様どんどん住宅地が近郊に広がっていくのだろう。

面白いのは、手前に戸建て住宅が建ち並び、丘の上にはマンション群が聳えている事だろうか。

日本と異なるのは、同じような形の家が林立している事であろう。
発展途上国のトルコは、日本と違いまだまだ人口が増え続けているようである。
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「車窓から」
> -アンカラ-


車窓から見るある村の風景。

どんな小さな村にもイスラムの信仰を支えるモスクが存在する。

トルコに住む人々にとって、これらは生活に欠かせない存在なのであろう。
それは我々日本人の宗教感とはちょっとは異質の存在のようである。

揺れて車窓を流れさる風景を撮るのは結構難しい。
バスが揺れるから、真横の光景を水平に撮る事が出来ず画像が曲がってしまう。

当然手前の景色は流れる事になる。
それでも異国の光景を、カメラに収める事を止められない私である。
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「山間の村」
> -アンカラ-


車窓から見る山間に点在する村の光景。

再び山を越えてのバスの長旅である。
眠い目をこすりながら、刻々と変化する車窓の風景を眺めていた。

ミナレット(モスクの塔)が無ければトルコだと言う事が分からない光景かもしれない。

おとぎ話にでも出てくるような、山あり川ありののどかな山村風景だが、石造りの家と赤い屋根が日本と違う所だろう。

このバスは山裾に伸びる白い道を辿って行くのだろうか。

此処に住む人たちは不便ではあろうが、自然に恵まれてのんびりと暮らしている事だろう。
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「新興住宅地」
> -アンカラ-


アンカラ郊外はマンションラッシュだ。

同じような形状のマンションがびっしりと建ち並んでいる。
これが皆即座に完売され、順番待ちだというから驚く。

同じような光景を中国でも見た。
大連の空港近くにびっしりと建ち並んだ新興住宅の家々だ。
街の中心地からかなり離れているのに、空港が近いというので、ビジネスマンが住んでいるのだと聞いた。

と言う事は、此処もアンカラの空港から近い所に有るのだろうか。

人口が減りつつある日本とは違い、トルコも中国も、益々人口が増えつつある発展途上国なのであろう。

日本の将来は一体どうなるのだろうかと、ふと思ったものである。
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「アンカラ出発」
> -アンカラ-


いよいよアンカラを出てイスタンブールの街に向かうハイウェーの光景。

こうしてみると、流石アンカラはトルコの首都だけあり、高層ビルが林立している。

ハイウェーの料金所も、入る時はドライブスルーで、出る時に料金を取られるシステムのようだ。

都市名を挙げなければ、アメリカか何処かの、地方都市と言われても見分けが付かないようである。

流石にEU加盟を希望するだけの発展途上国であると感じたものである。
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