叔母の死
昨年の秋、遠縁に当たるM(男)から電話があり、K叔母さんの見舞いに行かないかという。
叔母が病院通いをしていることは知っていたし、もうかなり高齢になるので、その事自体に異存はなかった。
しかし、私にはちょっと心にひっかかることがあった。

もう十年ほど前のことになるが、その頃は叔母も元気で法事などで顔を合わせたり、電話で話をしたりで、それなりの交流はあったのだ。

叔母は私の母の弟の嫁さんである。
母も母の弟も故人である。したがって、叔母は若くして寡婦となり女手ひとつで三人の子供を育てたのだ。
都内の綺麗どころで、雇われ女将をしていただけあって姿は良く気性もさっぱりとしていて、苦労人らしく酸いも甘いも分かる人だった。

仕事を引退してからは、近郊に家も建て子供はみな独立して、自適の生活をしていた。
「T(私のこと)ちゃん、遊びにいらっしゃい」
と、よく言われていた。
そのうちにね・・・ と言いつつ実現しないまま時が経った。

七年ほど前、法事で顔を合わせた折
「叔母さん。今度遊びに行くからね」
私は、今までの不義理の言い訳ぐらいのつもりで言ったのだった。
だが、叔母の言葉は意外だった。
「家は、女所帯だから・・・」

私は絶句した。
叔母甥の仲ではないか。
歳のせいか、体調のせいか(通院していると言っていた)
それにしても、叔母の言葉とも思えないと訝しかった。

「心にひっかかること」とは、そのことだったのである。

Mのこともあったので久し振りに声を聴いてみよう、と思い立って電話をしてみたのだが、夕方だというのに不在のようだった。
なんとなく胸騒ぎのようなものを覚えたので、叔母の家の近くに母方の従姉妹が住んでいるので、様子を聞いてみようと電話をすると
「さぁ・・・ 最近わたしも行ってないし・・・ いま、いちばん下の娘さんが一緒に住んでいるのよね。その娘さんが神経質で気難しくてね・・・」

そうか・・・
だから『女所帯』だったのか――
叔母の存在が、途轍もなく遠いものに感じられた。

私は行けない旨をMに伝えた。
君が行かないなら、と彼も諦めたようだった。

年が明けて、松が取れて成人式も終わった頃、Mから電話があった。
「叔母さんが亡くなったんだって」
――しかも、昨年の六月に・・・・・・

あの電話をかけた秋の夕方、叔母は不在だったのではなく、もう、この世の人ではなかったのだった。


夢の貌華やかなりしか虚しきか

春の如艷やかな想い天に消え

胸に在る想い酔うほどに重くなり

編集 十六夜 : こんにちは。以前は気にもかけなかったこの記事が、今日は繰り返し読んでいます。さぞやお美しかった叔母様のご冥福をわたくしもお祈りいたします。
編集 tomo : 人には「胸騒ぎ」とか「むしの知らせ」とかありますね。叔母様のご冥福をお祈りします。