戦争の記憶・・・
「人類に恐るべき悲劇をもたらした」と原爆投下命令の地に記念碑 独ポツダムの広場
2007.11.6 20:48
 第二次大戦の戦後処理を協議したポツダム会談の期間中、広島と長崎への原爆投下を命じたトルーマン米大統領(当時)の宿舎、通称「リトル・ホワイトハウス」前の広場に、原爆の悲劇を訴える記念碑の設置が計画され、「歴史を記憶する広場」に生まれ変わることになった。

 ポツダムの市民運動団体が手掛けるプロジェクトで、16歳の時に広島で被爆した、ベルリン在住の外林秀人元ベルリン工科大教授(78)も協力。原爆投下から65年に当たる2010年までの完成を目指している。

 指揮を執る緑の党主体の「ポツダム90年連合」のウウェ・フレーリヒ氏によると、ポツダムは投下から60年の05年、宿舎前の敷地を「ヒロシマ・プラッツ」(広島広場)と命名。記念碑には日独英の3カ国語で「原爆の破壊的威力で何十万人もが死亡し、人類に恐るべき悲劇をもたらした」と刻まれる予定で、広場全体のデザインは日本とドイツから公募する。

 同氏は「被爆生存者も減っている。ポツダムが原爆投下に関係したとの歴史的事実を若者にも伝えたい」と話している。

 ポツダム会談は1945年7〜8月、トルーマン、チャーチル、スターリンの米、英、ソ連の首脳がドイツの戦後処理や対日戦争の終結策などを協議。日本に降伏を迫った「ポツダム宣言」を採択したことで知られる。

 本国での核実験成功の知らせを受け、トルーマンは7月24日、リトル・ホワイトハウスで広島、長崎への原爆投下を命令したとされる。

 外林さんは「原爆投下決定の場所は意外と知られておらず、悲劇を伝える活動を続けたい」と話している。(共同)