酔いしれて
村下孝蔵


1983年、村下 孝蔵(むらした こうぞう、1953年2月28日 - 1999年6月24日)は、日本のシンガーソングライター。『初恋』『踊り子』『ゆうこ』『陽だまり』などのヒットで知られる。熊本県水俣市出身。水俣市立水俣第一小学校、水俣市立水俣第一中学校、鎮西高等学校、日本デザイナー学院広島校インテリアデザイン科卒業。

30歳にして発表した5枚目のシングル「初恋」は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなる。『初恋』は村下がバラードとして作ったものを編曲家の水谷公生がテンポを上げてポップ系に編曲し、村下がそれを受け入れたことで完成をみた楽曲であった。水谷はかねてから須藤晃に「もうフォークにこだわらなくてもいいんじゃないか」と進言していた。水谷は村下を、「でっかい人だった。人にゆだねる強さがあった」と評している。村下の元マネージャー嶋田富士彦によると、村下の楽曲は有線で強く支持され、地方では演歌に似たチャート変動を示した。嶋田によると、村下の楽曲はフォークテイストでありながらもベンチャーズに由来する「切れ味の良いロック感覚」も持ち合わせていたが、音楽業界の中でもレトロな印象を抱く者の方が多かったという。

『初恋』発売の前後に村下は肝炎を患い、『初恋』がヒットしてもテレビ番組にはほとんど出演できなかった。また、肝炎が原因で広島と東京の往復が出来なくなり、1984年末に生活の拠点を東京に移した。同年秋から全国ツアーを開始したが翌1985年に再び体調が悪化し、入退院を繰り返した。この時期に、広島から定年退職したばかりの父親も東京で暮らし始めた。1987年に全国ツアーを再開。この年に催した七夕コンサートは毎年の恒例行事となった。1988年、神奈川県川崎市のCLUB CITTA'で行われたベンチャーズのライブにゲストとして出演。ベンチャーズと一緒に演奏するという夢を叶えた。

1989年、アルバム『野菊よ 僕は…』を発売。須藤晃によるとこの頃アルバムの売れ行きが落ち込みを見せ、村下にも須藤自身にも焦りが生じたという。1992年発売のシングル『ロマンスカー』は「これが売れなきゃおかしい」という思いで制作し、完成時に村下が「やっと納得する作品が出来た!」と語った渾身の作品であったが売れず、須藤は「時代が違ってきたんだ」と感じたという。この時期の村下は試行錯誤の末、「自分には"初恋"を越える曲はできんかもしれん」「時代は追いかけるものではなく、巡りくるもの。向こうからやってくるのよ」という境地に至った。


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前川清も同盟の曲を歌っていますが、
「初恋」という曲と一緒に
歌謡曲編のおススメ音楽動画としてお聴きください。(#  ̄ー ̄)〇♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦