古代イスラエルと天皇家は関係があるかも。
西アジアの菊花紋章を皇室が採用した理由
西アジアで用いられていた家紋が、いかにして日本に伝播され、皇室の紋章として用いられるようになったのでしょうか。家紋を選別する際、西アジアの中心的な大都市であるシュメールの文化圏にて用いられたデザインが天皇家の家紋として取り入れられたのは、皇室のルーツが西アジアルーツに関連していたからではないでしょうか。

もしかすると、歌を詠まれることに没頭した後鳥羽上皇は、古代のさまざまな文献に目を通している際に、この菊花紋章のデザインが描かれている記録を見つけ、それが西アジアでは王家のシンボルであることを知り、そのデザインの導入を決めたのかもしれません。また、それ以前から皇室において使われていた可能性もあります。いずれにしても、歴代の天皇が有無を問わず、その家紋を大切にしてきたことは、皇室と西アジアの関係を探るうえでも重要な史実となります。

シュメールに由来するイスラエル末裔が日本に渡来?
紀元前2000年ごろに歴史から消え去ったシュメールにルーツを持つイスラエルの末裔が、前7世紀に国家を失った後、日本に渡来して皇族の歴史が始まったと仮定するならば、シュメールとイスラエル、そして日本の皇室が「菊の御紋」を共有している事実が、単なる偶然ではなくなります。古代日本の歴史を刻んだ大和の民のルーツが、イスラエル、さらにはシュメール文化に由来していたからこそ、「菊の御紋」が厳選されたのではないでしょうか。

紀元前722年、北イスラエル王国の10部族は国家を失い、離散した民の行方はわからなくなりました。直後、イスラエルのエルサレム神殿がある南ユダ王国の滅亡も預言者によって再三指摘され、預言者イザヤに導かれた南ユダ王国の王族と祭祀らは、神の契約の箱とともに、密かに国家を脱出したと想定されます。そして預言によって示された「東の島々」を求めて旅立ち、アジア大陸の沿岸を船で東方へと移動しました。最終的に大陸より南西諸島へと渡り、琉球を経由して日本に到達したと考えることにより、菊花紋のルーツが紐解かれていきます。

天皇家の出自を証する菊花紋章
菊の御紋、菊花紋が広く用いられていることは、天皇家が自らの出自を証しているように思えてなりません。いずれにしても、菊花紋章のデザインは古代、シュメールをはじめ、中近東の地域で使われていた王家の紋章に酷似していることから、そのデザインは日本国内における創作の産物ではなく、海外に由来した可能性が高いと言えます。

(まとめ)
北イスラエル王国が滅びてからおよそ60年後の紀元前660年、南ユダ王国が崩壊の危機に直面している最中、時を同じくして広大なアジア大陸の東の果てに浮かぶ日の出ずる島々では、倭国の歴史が幕を開けます。国生みの神々は、高天原を経由して日本列島に降臨したと日本書紀や古事記は伝えています。もしその主人公がイスラエルから渡来したイザヤ一行であったとするならば、菊花紋章のルーツも理解しやすくなります。

イスラエルと日本の文化には多くの共通点が見受けられますが、それが単なる偶然とは言えない根拠の原点が、この暦の接点にあります。北イスラエル民族が歴史から消え去り、南ユダ王国の崩壊が始まった直後、遠い東の新天地で倭国の歴史が始まった事実を見逃すことはできません。その象徴が、菊の御紋だったのです。
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古代イスラエルの支族が日本に辿り着き(天津神)、
「国譲り」で出雲の大国主神が天津神に地上の支配権を委譲したことで、その子孫である天孫が地上(葦原中国)を治める正当性を得ました。

続く「神武東征」は、その正当性を背景に初代・神武天皇が日向(宮崎県)から大和(奈良県)へ東方へ進軍し、日本を平定して建国する物語です。
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「研究資料」として保存しておきます。 浪漫です。

編集 sakura1205 : 私事ですが二人が来なくなってから、ログが少なくなりました。15回行っても動かないので困ったわ。