2005年05月の記事


結局行ってませんが
昨日の、早く帰ってきた理由が分かった。
今朝、先生に電話して(午前中行きそうに無かったので)聞いてみたら、娘以外の子は全員ケータイを持っているんですと。
で、小学生の子なんかが、目の前でメールしてたりするのを見て、午後中機嫌が悪くなり、突然帰ってしまったんだそうな。
仲間はずれな気分になったってことかな。
そういえば、一昨日ぐらいに、しつこくケータイが欲しいとか言ってたっけ。
なんと、子供っぽい^^;
先生も言ってたけど、ケータイについては、それぞれの家庭の方針があることだから、このことで買ってやるとか、そんな必要は無いと思う。
家の方針は、中3になって、受験とかで必要になったら、買うということ。
ここで、わがままに屈してはいかんと思うのですよ。
だってね、結局メールしたいだけなんだから。おもちゃってことだよね。おもちゃであの値段はちょっとね;
買ってもさ、結局そんなに使わなかったりするらしいしねー。
パソのメールはやってるけど、娘の分は、半分ぐらいはチェーンメールとかだし。
それにケータイにはどうしても不安が尽きない。
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また切れてしまった
今日は、フレンド教室からいつもより1時間ほど早く帰ってきました。
何かあったの?と聞いても、うつむいたまま。
そのまま部屋に引っ込んでしまった。
出てきたと思ったら、「明日はフレンドに行かない」とか、6月にあるキャンプには行かないと言い出す。
キャンプは、朝も「行かないから」と言っていたけど、フレンドのほうに行かないなんて・・・。
理由を聞いても言わないし。
そのくせ、「私の気持ちなんかぜんぜんわかってくれない」とか言うし。
こっちは、話を聞こうとしてるじゃないか。
話したくないなら話さなくてもいいさ。でも、話さない限り、「分かってくれない」なんて、言って欲しくない。
どうしろって言うのさ?
甘えるのもいい加減にしろ。

嫌だから、休む。そんなことばかりさせてて良いんだろうか?そんなに娘の思うようにしてやらなければならないの?
そんなの、私が子供のころは、許されることじゃなかったのに・・・。
これって、不登校の子の扱い方に対する、すごく基本的な疑問。
がんばるって、そんなに不必要?
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今日も行かない
今日も、検診かなにか、学校であったらしいです。
それで、昨日から、行きたくないと言ってました。
何言ってんの、そんなもんさっと行ってさっと帰ってくればいいじゃないの!と言いたいけど。
そんなこと言ったら、反発されちゃう。
学校へ行けないなら行かなくてもいいから、フレンドだけは行こうよと言っておきました。できるだけ感情を押さえて。

フレンドの女の子たちは、どうやら結構早く来てるらしく、フレンドが始まる9時30分よりずっと前、8時30ぐらいから来てるそうな。
普通の中学校なら、ごく普通の早くもなんとも無い時間ですけどね^^;
それで、明日からは8時に家を出るとか言い出しました。
最近自転車通学を始めたんですが、ほおっておくと、10時近くにやっと出て行くこともあるし、結局車で送っていく事になってしまったり。
友達っていいね。友達のおかげで、8時に家を出ようという気になるんだから。でも、どうかな、続くかな。
結局今日も、家を出たのは9時過ぎだったし(それも車で送ったしーー;
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中間テスト
今日から中間テストです。
娘らは、教室に入らず、別室でテストを受けられるんですが。
休みました。
フレンドの方にも、多分今日は行かないんだろうな。
夫が、出勤時間ぎりぎりまで話をしてくれたんですが、だめ。
私も少し話したけど、あまえた態度でした。
甘えるのがだめってわけじゃなく、それは、まだ自分は幼いから、見逃して欲しいという気持ちの現われ、つまり、幼児退行してるようです。
まあ、今更甘えるなよって気分にはなるけど、でもそれが今のあの子には必要なんでしょう。
闇雲に行った方がいいよと言っても、なおさらかたくなになるだけで効果ないし。

ところで、昨日、制服もってF教室行ったんです。後で聞いたら、クラス写真撮影の日だったのだとか。
でも、結局行かなかったそう。
丸い窓の中に入ってクラス写真に載っちゃうねと言ったら、なんだか、休んだ人はそのままいない状態の写真になるらしいです。
なんか、それは、凄く寂しい。
今日、中間テストに出れなかったことより、ずっと寂しい。
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明け方に
今日のように、明け方にトイレに立って、布団に戻った時に、どうしようもないざらざらした挫折感を感じる事がある。
原因は、寝る前にちょっと飲みすぎたとかなんだけど。だから、飲まなければいいんだけど。

挫折感の中身は、たいていその時見ていた夢から引きずってきてるようだ。
どんな夢だったかはすぐに分からなくなるんだけど、挫折感だけは凄い大きなざらつきとして残ってしまう。
早く布団に戻ろうと、階段を駆け上がるので、息苦しくなる、それも原因の一つかもしれない。
だか、一番の原因は、その挫折感が心の奥に動かしようも無くあるからだろう。

挫折感、それは、当たり前のことが出来なかったということ。

私は、大学へ行かなかった。
それは、「行かない」という意思のためではなく、受験に失敗したからだ。それも、一生懸命勉強しなかったからで、結果として当たり前のように落ちた。
普段は、学歴なんて、社会に出てしまえばほとんど関係ない、とか思ってるわけだが、どうやら私は、学歴に対して消す事のできないコンプレックスがある、らしい。
落ちたとしても、浪人でもしてまた入る事はできたかもしれないが、その時点で、浪人して来年受けることは、自分には無理だと分かっていた。
当たり前のこと・・・普通に勉強して大学にはいる・・・ということができなかったわけだから。

大学に入って、勉強したい事があったり、大学に行かないとなれない職業にあこがれてたわけではない。
私にとって、「大学生」というのは、ピカピカした綺麗な飾り。はっきり言って、どんな「大学」でも構わない。「大学生」というものになりたかったんだね。
「大学生」として、きらきらした2年~4年間を過ごしたかったわけ。
そんなわけだから、今から大学を受験して、入るのは、あんまり意味がない。キラキラした時間は、18歳の自分じゃないと、意味が無いのだ。
だいたい、勉強したい事があるわけじゃなく、『大学生になりたい』という低い志で今から大学を受けようとするのは、凄く不謹慎な気もする。
そう、勉強はしたくないのだ。
したいのは、キラキラ、きゃらきゃらした、「大学生」。
こんな風に書くと、「そんな浮ついたものじゃない!」って、大学へ行ってた人は憤慨するでしょうね。
でも、私はそれがしたかったの。
いけなかった大学の代わりに行ってた専門学校は、文字通り「きゃらきゃら」した学生は多かったけど、それは、「大学生」という名札が無いだけで、ただの堕落にしか見えなかったの。

あんまりレベルの高くない大学へ行ってた人が「お恥ずかしい」とか、「一応なんとかひっかかって」みたいな感じで出身大学を語ることがあるけど、それも私にとっては、劣等感、挫折感を余計に感じる。
あなたが一応できたことが、私にはできなかったの。自分ってレベル低い・・・・。

というような、他の人にとっては、取るに足らないであろうことが、明け方には、実に重苦しくのしかかってくるのだ。もう取り返しの付かないことなんで、多分どうしようもない。
今充実してれば、ひょっとしたらもっと軽くなるのかもしれないけど、充実・・・・してないね。

娘のことも、「当たり前のことが出来ない」という気持ちを助長しているのは明らか。娘の事を自分にひきつけて考えるのは、間違っているんだけど・・・・。でも、当たり前のことが出来ない子供にしてしまったという、「親としてレベルが低いのだ、失敗した」という気持ちがどうしても湧いてしまう。

娘よ、ゴメン。
私はまだ、娘のためを思うより、自分の気持ちを優先してしまいそうだ。
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