2005 05/11 05:13
Category : 日記
今日のように、明け方にトイレに立って、布団に戻った時に、どうしようもないざらざらした挫折感を感じる事がある。
原因は、寝る前にちょっと飲みすぎたとかなんだけど。だから、飲まなければいいんだけど。
挫折感の中身は、たいていその時見ていた夢から引きずってきてるようだ。
どんな夢だったかはすぐに分からなくなるんだけど、挫折感だけは凄い大きなざらつきとして残ってしまう。
早く布団に戻ろうと、階段を駆け上がるので、息苦しくなる、それも原因の一つかもしれない。
だか、一番の原因は、その挫折感が心の奥に動かしようも無くあるからだろう。
挫折感、それは、当たり前のことが出来なかったということ。
私は、大学へ行かなかった。
それは、「行かない」という意思のためではなく、受験に失敗したからだ。それも、一生懸命勉強しなかったからで、結果として当たり前のように落ちた。
普段は、学歴なんて、社会に出てしまえばほとんど関係ない、とか思ってるわけだが、どうやら私は、学歴に対して消す事のできないコンプレックスがある、らしい。
落ちたとしても、浪人でもしてまた入る事はできたかもしれないが、その時点で、浪人して来年受けることは、自分には無理だと分かっていた。
当たり前のこと・・・普通に勉強して大学にはいる・・・ということができなかったわけだから。
大学に入って、勉強したい事があったり、大学に行かないとなれない職業にあこがれてたわけではない。
私にとって、「大学生」というのは、ピカピカした綺麗な飾り。はっきり言って、どんな「大学」でも構わない。「大学生」というものになりたかったんだね。
「大学生」として、きらきらした2年~4年間を過ごしたかったわけ。
そんなわけだから、今から大学を受験して、入るのは、あんまり意味がない。キラキラした時間は、18歳の自分じゃないと、意味が無いのだ。
だいたい、勉強したい事があるわけじゃなく、『大学生になりたい』という低い志で今から大学を受けようとするのは、凄く不謹慎な気もする。
そう、勉強はしたくないのだ。
したいのは、キラキラ、きゃらきゃらした、「大学生」。
こんな風に書くと、「そんな浮ついたものじゃない!」って、大学へ行ってた人は憤慨するでしょうね。
でも、私はそれがしたかったの。
いけなかった大学の代わりに行ってた専門学校は、文字通り「きゃらきゃら」した学生は多かったけど、それは、「大学生」という名札が無いだけで、ただの堕落にしか見えなかったの。
あんまりレベルの高くない大学へ行ってた人が「お恥ずかしい」とか、「一応なんとかひっかかって」みたいな感じで出身大学を語ることがあるけど、それも私にとっては、劣等感、挫折感を余計に感じる。
あなたが一応できたことが、私にはできなかったの。自分ってレベル低い・・・・。
というような、他の人にとっては、取るに足らないであろうことが、明け方には、実に重苦しくのしかかってくるのだ。もう取り返しの付かないことなんで、多分どうしようもない。
今充実してれば、ひょっとしたらもっと軽くなるのかもしれないけど、充実・・・・してないね。
娘のことも、「当たり前のことが出来ない」という気持ちを助長しているのは明らか。娘の事を自分にひきつけて考えるのは、間違っているんだけど・・・・。でも、当たり前のことが出来ない子供にしてしまったという、「親としてレベルが低いのだ、失敗した」という気持ちがどうしても湧いてしまう。
娘よ、ゴメン。
私はまだ、娘のためを思うより、自分の気持ちを優先してしまいそうだ。
原因は、寝る前にちょっと飲みすぎたとかなんだけど。だから、飲まなければいいんだけど。
挫折感の中身は、たいていその時見ていた夢から引きずってきてるようだ。
どんな夢だったかはすぐに分からなくなるんだけど、挫折感だけは凄い大きなざらつきとして残ってしまう。
早く布団に戻ろうと、階段を駆け上がるので、息苦しくなる、それも原因の一つかもしれない。
だか、一番の原因は、その挫折感が心の奥に動かしようも無くあるからだろう。
挫折感、それは、当たり前のことが出来なかったということ。
私は、大学へ行かなかった。
それは、「行かない」という意思のためではなく、受験に失敗したからだ。それも、一生懸命勉強しなかったからで、結果として当たり前のように落ちた。
普段は、学歴なんて、社会に出てしまえばほとんど関係ない、とか思ってるわけだが、どうやら私は、学歴に対して消す事のできないコンプレックスがある、らしい。
落ちたとしても、浪人でもしてまた入る事はできたかもしれないが、その時点で、浪人して来年受けることは、自分には無理だと分かっていた。
当たり前のこと・・・普通に勉強して大学にはいる・・・ということができなかったわけだから。
大学に入って、勉強したい事があったり、大学に行かないとなれない職業にあこがれてたわけではない。
私にとって、「大学生」というのは、ピカピカした綺麗な飾り。はっきり言って、どんな「大学」でも構わない。「大学生」というものになりたかったんだね。
「大学生」として、きらきらした2年~4年間を過ごしたかったわけ。
そんなわけだから、今から大学を受験して、入るのは、あんまり意味がない。キラキラした時間は、18歳の自分じゃないと、意味が無いのだ。
だいたい、勉強したい事があるわけじゃなく、『大学生になりたい』という低い志で今から大学を受けようとするのは、凄く不謹慎な気もする。
そう、勉強はしたくないのだ。
したいのは、キラキラ、きゃらきゃらした、「大学生」。
こんな風に書くと、「そんな浮ついたものじゃない!」って、大学へ行ってた人は憤慨するでしょうね。
でも、私はそれがしたかったの。
いけなかった大学の代わりに行ってた専門学校は、文字通り「きゃらきゃら」した学生は多かったけど、それは、「大学生」という名札が無いだけで、ただの堕落にしか見えなかったの。
あんまりレベルの高くない大学へ行ってた人が「お恥ずかしい」とか、「一応なんとかひっかかって」みたいな感じで出身大学を語ることがあるけど、それも私にとっては、劣等感、挫折感を余計に感じる。
あなたが一応できたことが、私にはできなかったの。自分ってレベル低い・・・・。
というような、他の人にとっては、取るに足らないであろうことが、明け方には、実に重苦しくのしかかってくるのだ。もう取り返しの付かないことなんで、多分どうしようもない。
今充実してれば、ひょっとしたらもっと軽くなるのかもしれないけど、充実・・・・してないね。
娘のことも、「当たり前のことが出来ない」という気持ちを助長しているのは明らか。娘の事を自分にひきつけて考えるのは、間違っているんだけど・・・・。でも、当たり前のことが出来ない子供にしてしまったという、「親としてレベルが低いのだ、失敗した」という気持ちがどうしても湧いてしまう。
娘よ、ゴメン。
私はまだ、娘のためを思うより、自分の気持ちを優先してしまいそうだ。