明け方に
今日のように、明け方にトイレに立って、布団に戻った時に、どうしようもないざらざらした挫折感を感じる事がある。
原因は、寝る前にちょっと飲みすぎたとかなんだけど。だから、飲まなければいいんだけど。

挫折感の中身は、たいていその時見ていた夢から引きずってきてるようだ。
どんな夢だったかはすぐに分からなくなるんだけど、挫折感だけは凄い大きなざらつきとして残ってしまう。
早く布団に戻ろうと、階段を駆け上がるので、息苦しくなる、それも原因の一つかもしれない。
だか、一番の原因は、その挫折感が心の奥に動かしようも無くあるからだろう。

挫折感、それは、当たり前のことが出来なかったということ。

私は、大学へ行かなかった。
それは、「行かない」という意思のためではなく、受験に失敗したからだ。それも、一生懸命勉強しなかったからで、結果として当たり前のように落ちた。
普段は、学歴なんて、社会に出てしまえばほとんど関係ない、とか思ってるわけだが、どうやら私は、学歴に対して消す事のできないコンプレックスがある、らしい。
落ちたとしても、浪人でもしてまた入る事はできたかもしれないが、その時点で、浪人して来年受けることは、自分には無理だと分かっていた。
当たり前のこと・・・普通に勉強して大学にはいる・・・ということができなかったわけだから。

大学に入って、勉強したい事があったり、大学に行かないとなれない職業にあこがれてたわけではない。
私にとって、「大学生」というのは、ピカピカした綺麗な飾り。はっきり言って、どんな「大学」でも構わない。「大学生」というものになりたかったんだね。
「大学生」として、きらきらした2年~4年間を過ごしたかったわけ。
そんなわけだから、今から大学を受験して、入るのは、あんまり意味がない。キラキラした時間は、18歳の自分じゃないと、意味が無いのだ。
だいたい、勉強したい事があるわけじゃなく、『大学生になりたい』という低い志で今から大学を受けようとするのは、凄く不謹慎な気もする。
そう、勉強はしたくないのだ。
したいのは、キラキラ、きゃらきゃらした、「大学生」。
こんな風に書くと、「そんな浮ついたものじゃない!」って、大学へ行ってた人は憤慨するでしょうね。
でも、私はそれがしたかったの。
いけなかった大学の代わりに行ってた専門学校は、文字通り「きゃらきゃら」した学生は多かったけど、それは、「大学生」という名札が無いだけで、ただの堕落にしか見えなかったの。

あんまりレベルの高くない大学へ行ってた人が「お恥ずかしい」とか、「一応なんとかひっかかって」みたいな感じで出身大学を語ることがあるけど、それも私にとっては、劣等感、挫折感を余計に感じる。
あなたが一応できたことが、私にはできなかったの。自分ってレベル低い・・・・。

というような、他の人にとっては、取るに足らないであろうことが、明け方には、実に重苦しくのしかかってくるのだ。もう取り返しの付かないことなんで、多分どうしようもない。
今充実してれば、ひょっとしたらもっと軽くなるのかもしれないけど、充実・・・・してないね。

娘のことも、「当たり前のことが出来ない」という気持ちを助長しているのは明らか。娘の事を自分にひきつけて考えるのは、間違っているんだけど・・・・。でも、当たり前のことが出来ない子供にしてしまったという、「親としてレベルが低いのだ、失敗した」という気持ちがどうしても湧いてしまう。

娘よ、ゴメン。
私はまだ、娘のためを思うより、自分の気持ちを優先してしまいそうだ。

編集 ぴよこ : 楠さん、e.t.さん、コメントありがとう^^。お二人のように自分の中でちゃんと折り合いがつけば良いんですけどね。いつもは、ランクをつけるなんてくだらないなんて言ったりしてる自分が、実は凄くランクにこだわってるということが、時々浮かび上がってきて、『私ってくだらないなあ』って思いながらおちこんじゃうんですよ、ははは。
編集 e.t. : 私も専門学校卒業ですが、特にそれで困ったことも引け目も感じないですねえ。妻の方が短大卒だから高学歴?でも特に引け目ないし。でも、大卒の人の中では、さらにどの大学というので引け目を感じている方けっこういましたし、人間はランクをつけないと気がすまないんでしょうね。
編集 : 私は親に「大学行かせる金が無い」って言われました~。その頃家を買ったし弟もいたからね。学費の安い看護学校を受けてみたけど、受験勉強はしてなかったから当然落ちたけど、後になって(医療事務で病院で働きだして)落ちて良かったと思いました。私には勤まりそうもなかった。