大東亜会議
大東亜会議は1943年11月5日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議。
翌日11月6日に大東亜共同宣言が行われ11月7日に大東亜結集国民大会が行われた。
出席者は日本(東条英機)、中華民国(南京国民政府=代表汪兆銘)、タイ(ピブン首相は欠席、代理が出席)、満州国、フィリピン(ラウレル大統領)、ビルマ(バーモウ首相)の6ヵ国。 インドネシアは戦争中であったことや独立していなかったので参加していないが、インドからオブザーバーとして自由インド仮政府の代表(チャンドラ=ボース)が参加した。
同盟国であるがアジアに位置しないドイツやイタリアの代表は参加しなかった。
日本の東條英機内閣総理大臣が自由インドへの強い支援を会議で表明、大東亜会議は閉会した。
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「補足」大東亜会議直後の11月10日から17日間にわたって当時ジャワの政治指導者であったスカルノ(のちのインドネシア初大統領)ハッタ(同副大統領)らが日本政府によって招かれていて二人は国賓待遇で天皇陛下にも拝謁している。
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左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東條英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース