生きる意味
朝、いつもの様に出勤して今日の担当を見てみると
サブリーダー?! 
焦りました・・・朝の準備が多いから^^;
まぁ、何とか無事に準備も終えて
後はいつものように忙しい1日でした。

夜、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」という番組で
福島智(東京大学先端科学技術研究センター)教授が
出演されていました。
タイトルは「私は ここに いる」(再放送のようです)

彼は9歳で失明、18歳で聴覚を失い
光も音もない世界で、孤独と絶望にさいなまれてきました。
その後、指先を点字タイプライターのキーに見立てて打つ
“指点字”という方法を母親とともに考案し、
他者とのコミュニケーションを取りもどし社会とつながっています。
日本のヘレンケラーと言われ、メディアにも取り上げられたようですが
恥ずかしながら私は知りませんでした。

福島教授の専門は「障害学」。
従来、医療や福祉、教育の視点で語られてきた障害に関する課題を、
“社会”という視点からとらえ直していく新しい学問です。

放送では「何が障害で、誰が障害者なのか」「人間の生きる意味とは何か」
などをテーマに、論議されていました。

そもそも障害とは、近代になって生み出された概念であり
産業革命のころ社会は大量生産を可能にする均質な労働力を求めました。
それは一定程度の労働に耐えうる身体条件を備えた
均質な労働者を必要とする社会でもあり
そこからこぼれ落ちる生産能力の低い人間を
“障害者”とひとくくりにしたのだと福島教授は話していました。

何が幸福か不幸か、もちろん人によっていろいろあるけれど、
凄いしんどい経験をした時に、辛さ、苦悩というのも何か意味がある。
「絶望=苦悩-意味」 という公式があり
“-意味”を移行したら 「絶望+意味=苦悩」 になる。
意味がない苦悩が絶望である。
苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、
意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではない。
新しい豊かな人生が見つかるかも分からない。
しかしそのことと、具体的に社会としてどんな取り組みをするか
っていう話と分けながら議論をして
その関係を考えていくことが大事かなとも言われてました。

「何をもって障害とするのか」
福島教授の言葉に深く考えさせられました。


この後うたた寝をしてしまい、さっき目が覚めたので
これは夜更かしではなく早起きです(笑)

編集 orfe : そう、自己新を目指すでよいと思います。
編集 gonch : 体力や知力だけで障害を位置づけているのが社会です。その中で認められるには高いクオリティが求められます。じゃあ、それ以外の人は認められないのか?個人の価値は序列化されるものじゃないと思うのですが。
編集 gonch : 生きる意味のない人はいないんですよねぇ。じゃあ、自分が生きている意味は?と問われると また考えさせられてしまいます。
編集 orfe : 早起きの更新でよかったです^^ さて、「何をもって障害とするのか」 これは「何を目指すか」と「どの程度のクオリティを求めるか」によって答えも変わってきますね。対象を制限されてもクオリティを追究できればまぁ満足かな?なんて思ってみたりもして...
編集 ペン : この番組よく見ています♪今こうしているのは生かされているって事なんだって思うと無駄な時間はないよなぁ・・・転寝は風邪の元です。お気をつけて~~