亡き友人との会話(幸せとは)
昨年辺りか一昨年辺りに今は亡き友人と飯を食った時の話ですが。
その友人と話が少し進んでいくうちに

・オレ「今、仕事は何してるのですか?」
・友人「フーテンの寅さんかな(爆」

・オレ「いいですね、、遊んで暮らせるだけ金を残したのでしょう?」
・友人「人間いつ逝くかはわからん、金は目先の判る分だけでいいから。」

・オレ「それでは不安ではないですか?」
・友人「最初は不安だったけれど慣れた(笑
幸せって個人差があって、最低でも息ができていて、さらに目が見える今に感謝できれば、それ以上がとても自分が幸せに思えるのさ〜」

・オレ「奥さんは何も言いませんか?」
・友人「何も言わないが、、姉も話していたことがあった、、「余程○○ちゃんはお前が好きなんだわ〜 そうでないと辛抱できない」って、、、」

・オレ「幸せって何ですか?」
・友人「今、話したろう〜 個人差はあっても普遍、つまり、共通した幸せがあるだろう?」
※(まだまだ友人の話は続きます)
病気をしてみて健康の有り難みを痛感したり、喉が乾いたら水の有り難みを知り、つまり、人は幸せに気づかないで不平不満を垂れ流して暮らしている事が大半だってこと。
和三も歳をとれば解る時がくるさ〜♪
(ココで友人がドヤ顔(^^)♪)

・オレ「ネットはされていますか?」
・友人「あぁ、くだらない内容で今朝は何を食ったとか、今夜は何を食ったとか、足跡に残している(笑」

・オレ「どうして、そんな事を?」
・友人「幸せは何処にも転がっていて普段の生活に在るものだと知ってほしいからさ。 小さな幸せでも毎日続けば御多幸。 幸せ多き人生だろう〜♪
逆に数年に一度の旅行のために金を貯めて旅行して旨い物を食っても僅か数日間の幸せで終わってしまうし、金を貯めるのに日々辛抱したら人生の大半を犠牲にしている事だと思わないか? まぁ、そこら辺が個人差である理由なんだけれどね?
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このような会話でしたが、一字一句正確ではありません。
----- この話の中の友人は翔盟さんです。-----