《大東亜戦争とは》マッカーサーサー証言【日本は自衛戦争】
『大東亜戦争とは』(太平洋戦争)

【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】

時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。
欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、
第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本が人種差別撤廃条項を提案、何とか採決にこぎつけて、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。
植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項などは邪魔でした。
とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。

【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】

日本は国際連盟から抜けてブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。
しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルトは戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。

ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認されています。

日本が相手にした連合国側は、コチラを参照

(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

《ポツダム宣言受諾》(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)

ここからお話は一気に省略で飛んで、皆さんがご存知の通りで広島も長崎も原爆を投下されてしまいました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。

《極東国際軍事裁判》(1946年5月3日〜1948年11月12日)

(東京裁判のことで判事同士の談合と事後法で戦勝国に裁かれたリンチ裁判)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。
東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきの談合リンチ裁判での判決でした。 
(大切な部分のお話は下に続きます。)
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【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。 東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。
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■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■

「日本は自衛戦争」マッカーサー証言、都立高教材に/対訳

◎昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答で、マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。

◎マッカーサー「東京裁判が誤りだったと発言」
■マッカーサーは上院の軍事外交合同委員会という最も公式の場で、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語ったのです。
それは、GHQ最高司令官として日本を統治してみて、そして朝鮮戦争を肌で感じ、共産主義国の脅威に、日本が晒されている立場に気づいたのだと思います。 日本が戦争へ突き進んだのは安全保障上からの自衛戦争だと言うことにです。
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《お話のまとめ》
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。
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