私の敗戦後の記憶
今日の朝日新聞の「声」欄に私と同じような戦後を歩いた人の投書が載っていた。まあ、同じような目にあった人がいるものだ、、、
私も敗戦をソウルで迎えた。
引き上げ後、兄が結核で死んだ。

終戦の翌日からソウルの市場にはモノが溢れた。
よくもまあ、こんなにたくさんのモノが、どこにあったの?
華やかに、とりどりの色が溢れた。
戦争中は何もなかったのに!

街中はまったく平和で(もともとソウルに空襲はなかった)私は友達や兄弟と市場見物して歩いた。売り場の中には北朝鮮や満州からの坊主頭の人たちも饅頭などを売っていた。

異変は私たち一家が日本へ引き上げる前日に起こった。
ドヤドヤと朝鮮人の家族、3家族くらいが一軒の私の家へ家財道具を持って入ってきた(平和的に)
私たち一家は明日日本へ持ち帰る荷物と一つ部屋で寝た。

父が不要になる家だから使え、と言ったかどうかは知らない。
引き上げを嗅ぎ付けて先着順とばかりに入ってきたのか?
日本人の家の方が広いし設備も家具も整っている。

引き上げ後、兄は一家(兄を頭に子供6人)を支えるため学業を断念し小学校の代用教員になった。まもなく結核に罹患、教員保養所へ入る。そのまま帰らぬ人となった。
せめてもの慰めは、兄が戦場でなく病院のベットの上で母の手厚い看護を受けて死んだ事。
私は、二十歳で死んだ兄も戦争の犠牲者だと思っている。

編集 みち子 : エーちゃん、コメントありがとう。子供心にそうつらいと思った記憶はないのですが兄の事を思うとつらいです。
編集 エーちゃん : ご免!途中で送ってしまった! 私の家族その者は出兵などしていませんが、親父はミシンの修理販売で、平城ゴム?等と取引が在り、良くその話を聞かされました。 戦争は何も生みません。平和が一番ですよね!^^
編集 エーちゃん : 辛い青春時代だったんですね~!ーー;