回想/宇和島市合併
もう4年になるのか、旧宇和島市が相手先を巡り大揺れしたのは・・・

 迷走する合併問題は2004年4月、石橋寛久・宇和島市長が津島町への不信感から、吉田、三間、津島3町とでつくる法定合併協議会からの離脱を唐突に表明。津島町長は公約の「4市町合併」が困難になったとして6月に辞職し、出直し町長選で4市町合併を掲げた前助役の赤松伝雄氏が当選した。

 その後周りの歩み寄りもあり、旧宇和島市は合併協議会に復帰したが、今度は合併期日を巡って紛糾した。10月の合併協で、津島町側などが来年2月1日を、宇和島市側が同8月以降を主張。浅野修一・吉田町長が「遅い期日を望まれる方々に合わさざるを得ないかなと思う」と発言し、ほぼ勝負あった。2日後の合併協で「目標は来年8月1日」が確認され、実際に2005年8月1日に合併した。

 なぜ、旧宇和島市は合併協議会からの離脱をしたのか?
 その理由を愛媛新聞は「課増設・財政調整基金残高100万円… 津島町にはがっかりした 宇和島市長が記者会見」と報じた。
 また、南海放送の報道では、津島における建設事業が影響しているのではないかとも報じた。

 財政調整基金100万円とは当初予算での数字であり、年度末には不要額が積み上げられ数億になるというからくりであったが、疑心暗鬼に陥っての合併離脱という顛末だったのか?

 合併後2年半経過した今、これらの問題は全くない。問題と言えば「宇和島市の実質赤字比率県内最悪」ということか。これは決算で黒字の割合が最も少ないということ。

 今後宇和島病院の処分が行われる。財政逼迫の主因にならないように祈るのみ。