2003年12月の記事


オリーブニュース:Lサイド「“未来”の社会」
毎年、財団法人日本漢字能力検定協会から「今年の世相をあらわす漢字」が発表され
る。今年の漢字は「虎」だった。阪神タイガースの優勝に沸いた一年であったこと
や、イラクへの自衛隊派遣を「虎穴に入る」と例えた人もいたという。2位以下に
は、「戦」「乱」「冷」「選」「星」と続いた。「戦」はイラク戦争や、総選挙が
あった年ということを表わし。「乱」は、イラク問題やSARSなど。「冷」は、今
年の冷夏などをそれぞれ表わしている。

早いもので、21世紀になってから丸2年が過ぎてしまった。2003年は、鉄腕アトムが
誕生する年でもあったのだ。そのせいか、子どもの頃の21世紀のイメージは、明るく
楽しく希望に満ちたものだった。しかし、実際は前述の漢字があらわすように。明る
いイメージよりも、暗く不安に満ちたものばかりが目に付く。連日のように流され
る、幼児虐待などのニュースにも目や耳を覆いたくなり、私達が子どもの頃描いてい
たような、楽しい未来への希望を、今の子ども達に持たせるにはどうしたら良いのだ
ろうか、と考えてしまうような出来事が続いている。

いつからこんなに未来に希望が持てない世の中になってしまったのだろうか。若者達
の無気力も、こんなところから来ているのかもしれない。しかし、私達が子どもの頃
に持っていた明るい未来のイメージも、今考えてみるとかなり無責任なものだったよ
うな気がする。例えば、科学が進歩して生活が便利になるとか、どんな病気でも治る
ようになるとか。それは理想に近いもので、誰かがそうしてくれるのではないか。と
思っていたような気がする。しかし、現実はそんなに甘くなかった。確かに、科学技
術や医療は各段に進歩を遂げた。だからといって、人々が幸せに暮らしているかとい
ったらそうではない。

流行語になり、星野監督が言った「勝ちたいんや!」という言葉のしめすように。自
分で未来に対して目標を定め、その目標に向って、自分達の手で変えていかないとい
けないのだろう。そうする事によって気力や希望が産まれ、自然と未来も変わってい
くことになるのだろう。

ドラえもんが誕生する22世紀は、マンガそのままとは言わないまでも、少しは明るく
希望の持てる世界になっていて欲しいと思う。それには、今の私達の努力が必要なの
だろう。来年こそは、いい年だったといえる一年になって欲しいと思う。
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オリーブニュース:Lサイド「サンタはどこにいる」
先日友人が、子ども達にいつサンタは実在しないのだという話しをしたかと聞かれ
た。彼女には小学3年生の男の子がいる。その子の友達が遊びに来ていた時のこと。
友人の子どもは、「サンタはいる」と言ったのだが、サンタなんかいないといわれて
ケンカになったらしい。友人の息子は、「ママはいるって言ってたもん」と主張して
いるのを聞いて、友人は心が痛んだという。

そう言えば、私も小さい頃サンタがいると信じていて騒動を起こしたことがあった。
確かあれは私が小学1年の時だった。クリスマスまで一週間余りのある日、サンタが
入ってくるための煙突が我家にもあるか?と探したことがあったのだ。だが、唯一見
つけた煙突は、風呂釜だった。これではサンタが焼け死んでしまう!そう思ってしま
ってからクリスマスイブまで間、私の勝手な取り越し苦労が始まった。誰に話す事が
出来ないまま、一人で対策を練っていた。結局、クリスマスイブには、サンタが来る
時間にお風呂に入らなければいいんだと、結論を出し実行した。しかしその夜、物音
で目を覚ました私は驚いた。夜遅く帰宅した父がお風呂に入っていたのだ。それを見
て、私は父がサンタを焼き殺してしまったと勘違いをした。ずっと私の心の中にあっ
た心配が的中してしまったことや、サンタはもう居ないというショックなど、私の勝
手な取り越し苦労は大きな泣き声になって出た。なんで泣いているのか理解できなか
った両親も、切れ切れにわけを話す私の言葉を聞き、一所懸命私をなだめてくれたら
しい。たぶん、サンタは実在しないのだという話しもその時聞いたのだと思う。

我家の子ども達の時は、長女が小学2年生の時だった。娘が希望したおもちゃが、い
つ手に入るのか目処が立たなかった。下の息子にだけ先に渡そうかとも考えたのだ
が。娘が、サンタが自分にだけプレゼントを持って来なかったと傷ついてしまっても
困るということになり、夫が子ども達に打ち明ける事にした。サンタが居なくても、
プレゼントはもらえると分かったせいか、子ども達の反応は結構あっさりしていた。
当時保育園の息子は、「毎年いろんなデパートの包み紙だったから、変だと思ってた
んだ」と言ってた。友人にその話しをすると、「うちもそろそろカナ〜」と、ちょっ
と寂しげに言った。

サンタクロースとは、4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの主教、キリスト教の教父聖
ニコラウスを起源としている。ある日ニコラウスは、貧しくて娘を嫁に出せない家が
あるのを知り、その家の窓に金貨を投げた。この金貨で娘は嫁に行くことができたと
いう伝説が残されており「奇跡の奉仕者」とも呼ばれていた。この時、金貨が暖炉の
そばに干してあった靴下に入ったことから、吊るした靴下にプレゼントを入れる風習
ができたとされている。ニコラウスは、教会では聖人として列聖されているため、聖
(セント)・ニコラウスと呼ばれ、これが北欧の訛りで、サンタクロースになったと
いう。またあの赤い服も、司教服の色に由来し、コカ・コーラ社が宣伝に用いるため
に赤い服を着せたものが広まったのだ。

だが、なぜ日本人はクリスマスに熱心なのだろう。特にサンタは、小さい子を持つほ
とんどの家庭では、実在することになっている。一つには、子どもにプレゼントをあ
げるという事に対して照れのような物を感じる日本人が、サンタという架空の人物か
らのプレゼントという事で、それをスムーズに行う事が出来たからかもしれない。そ
れと、親が自分の子どもの、子どもらしさや純粋さを親が測る一つの目処に、サンタ
を利用しているような気がする。「ママが(パパが)そう言ったんだから」と親の言
うことを信じる子どもの心を、サンタの存在を使って確認しているようにも見える。
だが、サンタはプレゼントを運ぶ宅配屋でも便利屋でもない。そして、そんな事で子
どもの本質を確認する事もないだろう。

受け継がれるべきは、ニコラウスが持っていた気持ちの優しさである。サンタが物語
の中だけの人になってしまっても。誰かが誰かのことを思い、その人の望む物やその
人のためになにかをプレゼントする。サンタはそんな、優しい思いや心の中に居るの
である。
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ただ、それだけ。ただ、それだけ
ほんの一言、ただ「ごちそう様」が聞きたかった。

そう、ほんのキモチで良かったから、
「ありがとう」が聞きたかった。

「お疲れ様」の言葉が欲しかった。
ただ、それだけだったのに。

それを望むのはいけないのだろうか。
そんなことを、一生懸命説明して、
理解してもらわなければならないのだろうか?

暮らしていくって、そんなもの。
日常なんてそんなもの。
そう思って諦め続けなくちゃいけないのだろうか?

最初は小さかった、そんな思いは。
私の心のあちこちに、チクチク刺さっていた棘に触って、
だんだん大きくなって来た。
そして、それが一粒零れ落ちてしまったら

もう、抑えることが出来なくなった。
いつまでもいつまでも、止めど無く流れては落ちる小さな雫に
色々な思いが溶けている。

だけど、私以外の誰の目にも
その思いは見えないンだ

なんか、そう思ったら、
また雫が溢れて来た

なんでこんなに寂しくて
なんでこんなに切ないんだろう

私の思いって、なんなんだろう
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「抱きしめる、という会話。」
先日、信じられないような事件が報道された。父親が、わずか生後4ヶ月の次女に、
電極を当てたり、殴ったりしたというものだ。逮捕された父親は、「気がついたら次
女が息をしていなかったので、応急処置をした」と答えたという。事件の真相はまだ
明らかにはなっていないが。普通4ヶ月の乳児が息をしていなかったら、すぐに救急
車を呼ぶだろう。いきなり電気ショックで応急処置をしようなどは、思い付かないと
思う。しかし、この事件に限らず、毎日のように幼児虐待のニュースは流れてくる。

最近、自分の子どもの愛し方を知らない若い親が多いのだという。まさか、そんな
…。と思われる方も多いかもしれない。しかし現実に、確実にそういう人が増えてい
るのだ。

その事実を受けて、公共広告機構が「抱きしめる、という会話」というCMを流して
いるのをご存知だろうか?画面には、親子らしい女性と女の子の姿が映し出される。
そして、「自分の子どもなのに、愛し方がわかない。まず、子どもを抱きしめてあげ
てください」というナレーションとともに、女性が女の子を抱きしめるというもの
だ。

このCMは、公共広告機構の2003年から2004年にかけての全国キャンペーンとして流
されているものである。公共広告機構が発行する、「ACリポート」の中で紹介され
ている記事には、「子ども達が親の愛情に見守られながらすくすくと育っていく。そ
れが社会の基本です。しかし、今の日本は、育児放棄や幼児虐待など、親子の関係が
とても危うくなっています。わが子とどう接すればいいのか分からない。そんな若い
親たちも増えています。そこで、もっともシンプルな、けれど言葉以上に雄弁なコ
ミュニケーションとして「抱っこ」を取り上げました。「抱きしめる」という、誰に
でも出きる愛情行為を通して、親世代の子育てに対する意識を喚起していくのです。
」とある。

このCMの製作者である博報堂の島崎氏がこのCMを作るにあたっての思いがも、A
Cリポートの中に綴られている。このCMを作ろうと思ったキッカケは、島崎氏の手
元にあった一枚の新聞記事切りぬきだったらしい。そこには“抱きしめる〜すべてを
包み込む愛”とかかれていた。島崎氏は、親子の問題に限らず、公共マナーや、日本
・日本人なども含めた大きな視点で、このテーマをCMとして打ち出すことにしたの
だという。今、目の前で起こっている、現実の事件は想像を超え、あまりにも救いが
ない。だからこそ、今の日本には「抱きしめる、という会話。」のような原点帰りが
必要だと思った。とコメントしている。私がはじめてこのCMを目にした時。まさし
く、島崎氏の言うように、原点に気付かされたような気になり、胸の奥深い所でなに
かがうずくような気持ちがした。

母性本能という言葉がある。もし、この言葉のとおり母性が本能から来るものである
としたら。頭の中で、どうやって子どもを愛したらいいか?と悩む前に、もっと原点
での部分で、子どものぬくもりを感じ、子どもにぬくもりを伝えていくべきなのだ。
そのためには、抱きしめるという行為は、とても自然な行為だと思う。頭よりも、
もっと本能に近い体や肌で感じて行くことからはじめて行くことが、とても大事なこ
とだと思う。

前述の父親に、なにか虐待のような事実があったとしても、ぐったりとした子どもの
姿を見た時に、応急処置で子どもを蘇らせるというような、自分のしてしまった行為
の後始末のための行動ではなく。思わずかけよって抱きしめる、という行為をして欲
しかった。もしかしたら、そのことによって、その父親も、我が子の命のぬくもり
を、感じられたかもしれない。そして、もっと違う行動を起こすことができたかもし
れないのだ。

抱きしめること。それがやがて、愛しいと思う気持ちに変わる日がきっと来る。もし
今、子どもの愛し方で悩んでいる人がいるのなら、勇気をだして一歩を踏み出し、ま
ず抱きしめて、体や肌で子ども達のぬくもりを感じて欲しいと思う.
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ゆとり教育の弊害
先日、私立中学の説明会に行った友人と話す機会があった。友人が行ったのは、すべ
り止めといわれる中堅の私立の女子校である。

まず、学校の施設が充実していることに驚いた。その次に、学校の勉強だけでも、セ
ンター試験の8割は行ける。という校長の言葉にも驚いた。中高一貫教育と言うこと
で、高校2年生までには、高校までの教育課程を終えてしまい、高校3年生は、受験
勉強に専念出来るようにカリキュラムを組んであると言う。これは、私達が中学生の
ころにも、私立の学校では良く言われていたことだが。東大などの合格率が何位と言
われるような学校ではなく、一地方の女子高の校長先生から出た言葉であるというと
ころに驚きを隠せなかった。

そのためには、現在一般的に使われている教科書では、教材として不足なので、各教
科において、独自の教材を作成して授業に使っているのだと言う。また、中学のうち
から、放課後や夏休みなどの長期休暇に、補習授業も行なっているという。つまり、
予備校に通わなくても、大学受験まで学校で面倒を見るシステムになっているという
のだ。私は、彼女の話しを聞きながら、少し前の読売新聞の投稿欄に掲載された、女
子高校生の投稿を思い出していた。

彼女は現在公立高校に通いながら、大学受験のために勉強をしている。しかし、ゆと
り教育の導入で、学校の授業では、教科書が最後まで終わらないこともしばしばあり、
行事以外は土曜日も休みなので、自分で勉強しなくてはならない。しかし、私立高校
に通う人達は、土曜日も授業があり基本的に学校で教えてもらえることが多いので、
有利だという。公立高校でも、受験用のシステムを導入してもらえないのだろうか。
という訴えだった。私はこれを読んで、高校とは予備校の代わりに通うところではな
いのではないか、と思ったのだが。説明会ではっきりと明言する学校がある程、現実
には高校が予備校化してきているのだと実感した。

確かに、これから少子化が加速する時代を迎えて、いかに生徒を確保していくか、と
言うことは、私立の学校にすれば経営上絶対にクリアしなければならない問題である
だろう。それには、生徒やその保護者が望むように、高校を予備校化して、一人でも
多くの卒業生を、国公立や有名大学に合格させることが必須であるのかも知れない。
逆に言えば、そのために高い授業料を払って私立の学校に行かせるのかもしれない。
だが、高校は大学の予備校として存在するのではないはずであり、それを全面に打ち
出してしまうこともあまり良いこととは言えないのではないかと思う。

ゆとり教育を実施して、確かに小学生は夏休みの宿題が減り、土曜日も休みになり時
間的なゆとりができたのかも知れない。しかし、中学の先生からは、小学校で基本的
なことがきちんと学習できていないことからくる、子ども達の学力レベルの低下には
めに余るものがある、との声が上がっているのも事実だ。

中学では、休みになった土曜日は、びっしりと部活動の予定が入っていることが多
い。小学校での学力不足を補うためか、夏休みの宿題もかなりの量が出るところが多
い。しかも、公立中学では、殆どの子どもが高校受験をしなくてはならず、中学校に
入ったとたんに、その現実を目の前につきつけられる。そのため、子ども達はその
ギャップに振りまわされているように見える。ゆとり教育のゆとりとは、本当に子ど
も達にゆとりを与えているとは思えないのは、私だけでは無いだろう。

長引く不況で、大学に進学しなくては、なかなか定職につくこともままならないとい
う状況で、国公立ばかりではなく私立の多くの大学までセンター試験の結果によって
合否を決めてしまっている現実がある。子ども達にゆとりを与えたいのだとしたら、
一番上に漬物石のように重たくのしかかっている、大学受験や高校受験の方法を根本
から見なおすことの方が先ではないのだろうか。
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ニューバージョンヘルメットの画像UPしました。
娘のニューバージョンヘルメットの画像をUPしました。

メニューのギャラリーから見られます。
本当は、パワーポイントでアニメーションで
作ったんですけど、アップロードができなくて…。
やむなく、いろんな角度から撮った写真を一覧にしました。
良かったら見てくださいね!
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新しいヘルメット完成!
夫は、子供達がカートを始めてからずっと、
子ども達が被るヘルメットをオリジナルで塗装してきた。

少しづつ道具を買いたし、いろいろなサイトをみたりして、最近では一見するとプロの人が
塗装したみたいな、グラデーションを入れられるようにもなった。

そして、今回。来年に向けて、娘の7バージョン目の新しいデザインの塗装が今日仕上がった。

前に塗ったものを全ておとして、下地から仕上げたのだが、素人なので、ペンキの相性などが良く分からず、上塗りをしたらいきなりひび割れてきてしまったりとアクシデントが続き、なかなか作業がはかどらなかった。

それでも、明日のレースに間にあわそうと、
徹夜で作業を進めて、やっと今日完成した。

どんな仕上がりになったのかは、明日のレースで
撮った写真をアップする予定なので、それを見てください。

でも、せっかくのニューバージョンなのに、
明日は雨が降るらしい。
雨が得意な娘にとっては、雨が降ったほうが良いのかも知れないが
新しいヘルメットを下ろすと思うと、晴れてほしいような気もする。

夫は、いったいいつまで娘のヘルメットを塗る事ができるだろうか?

できあがったヘルメットを見ながら。
私はふと、そんなことを思っていた。
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明日はレースです
明日は、新東京サーキットで、WEEKENDレースの最終戦が行なわれます。
どうも天気は雨のようです。
先週、フレッシュマンレースの前日、雨の中で練習した娘は、結構いいタイムで走れていたようです。(私は息子の都合で、練習について行かれなかったのですが)

もともと雨が得意な娘なんで、できればいい結果を出してくれたらと思っています。
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14回目の結婚記念日
今日は、14回目の結婚記念日だった。

夫が、一緒に御飯でも食べようか?と言ったので、私はてっきり夕飯を食べに行くのだと思ったら、なんか二人でゆっくりランチを食べに行くつもりだったらしい。

でも、今娘が試験中で、お昼前に帰ってくる
私も午前中出掛けなくてはいけなかったので
その計画は無しになった。

そこで、安売りだったけどステーキ用のお肉を買って帰り、夕飯はステーキでお祝いをした。

そう、今日は私達の結婚記念日だけど、
私達家族の誕生日でもあるんだもん。

いままで本当にいろいろあって、
本気で夫と離婚してやる〜〜!!って
思ったこともあった。

でも、ある時ふと考えた。
私一人が空回りしているだけなんじゃないか?って
だから私は、一人で頑張ることをやめた。
そして、少しづつでも家族に頼って、皆で頑張っていくことにしたんだ。

離婚をして、一人で歩き出す勇気が無かっただけだという人もいるかもしれない。
でも、私は私の意志で、続けていく努力を惜しまずに、家族で歩いて行くという道を選んだんだ。

もう、私とあまり体格が変わらなくなってきた娘。
最近ちょっと男臭くなってきた息子。
14年前にには思いもしなかった光景が、今は日常の風景になっている。

結婚してから、あまり変わらないと思っていた夫も
いつの間にか髪の毛には、少し白いものが混ざるようになってきた。

こうしてこれからも、少しづつ形や見た目は変わっていくのだろう。

でも、きっとこれから先も、ケンカしながらも一緒に歩いて行くのだと思う。
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少子化時代のこどもと社会:「幼児虐待の傷跡」
最近、幼児虐待によって子ども達が命を落としてしまったというニュースをよく耳に
する。特に先日は、母親だけではなくその子の祖母までもが虐待を加えていたという
報道まであり、これには本当に驚いた。

私は、この幼児虐待という言葉を聞くと、ある少女の事を思い出す。
その少女と会ったのは、もう20年以上も前の事だった。その頃私は学生で、ある団
体に所属していた。その団体は、ボランティア年に数回で養護施設を訪問し、様々な
由で親と一緒に暮らすことができなくなってしまった子ども達に、手作りの紙芝居を
見せたり、一緒に遊んだりしていた。

その少女に始めて出会ったのは、冬の初めの丁度今ぐらいの季節だった。私達は、ク
リスマスにちなんだ話の手作り紙芝居を上演し、その後で子ども達と一緒に色画用紙
に折り紙を貼りつけてクリスマスの飾り作りを企画した。そして当日、集会室で紙芝
居を上演している時の事。私は、誰かが入口からそっと覗きこんでいるのに気がつい
た。紙芝居が始まってしまって、入りづらいのかな?と思った私が廊下に出てみる
と、5〜6歳くらいの少女が立っていた。少女は、大きな目で上目遣いにじっと私を
見ていたのだが、私が近づいていくと、おびえたような顔をしてズリズリと後ずさり
をした。

良くみると、片手で妹らしい子の手を握り締めていた。そして、その少女の上唇の上
には、くっきりと紫色の筋がついていた。後ずさりをした彼女は、その筋の上に下唇
を重ねてかみ締めて、グッとあごを引いてさらに上目遣いで私のことを見て来た。慣
れない人がいきなり近づいて来て恐かったのだろう。そう思った私は、部屋に引き返
して、見本用に作って来たクリスマスの飾りを2つ持ってまた、廊下に出た。少女
は、またドアから中の様子を覗き込もうとしているところだった。

彼女は、私が差し出した飾りを見てまた後ずさりをしたが、妹の方が手を出してきた
ので、私は「後でこういうのを作るから、良かったら作りにおいでね」と言った。彼
女は慌てて、妹の手を引きを自分の後ろに隠すようにした。私は、彼女が抱えていた
熊の人形に持たせるようにしてその飾りを渡した「クマちゃんが欲しいって言うか
ら、これはこの子に上げるから、あなたも後で作りに来てね」するとまた、彼女は後
ずさりをし、妹の手を引いてどこかへ去ってしまった。

紙芝居が終わり、飾り作りが始まってしばらくしてから、彼女は施設の職員さんと一
緒に部屋に現れ、飾りを作る輪に加わっていた。他の職員の方が、彼女達が母親から
虐待を受けていて、ここに来たばかりなのだということを教えてくれた。あんな小さ
な体で、ずっと妹のことをかばいながら過ごして来たのだろう。彼女はあの大きな目
でなにを見て来たのだろうか? 辛い思いをしながら、ずっとずっと上唇をかみ締め
て耐えて来たのだろう。そう思っただけで、私は切なくて涙があふれて来そうだっ
た。

飾り作りも盛況のうちに終わり、私達が後片づけを終えて帰ろうと思った時。施設の
子ども達や職員の方々が、玄関まで見送りに出てくれた。その中に、あの少女の姿が
あった。すると、職員の人に付き添われてその彼女が私の前に歩いて来た。そして、
なんと、自分でさっき作った飾りを、私に向って差し出して来た。「あなたにもらっ
て欲しいそうです」職員の方が、ニッコリ笑って私にそう言った。多分、私が上げた
飾りの代わりのつもりなのだろう。私は、最初驚いて声が出ず、彼女の前にしゃがみ
こんで、彼女を抱きしめて「ありがとう」と言うのがやっとだった。すると彼女は、
コックリと頷いてくれた。その時、上唇はかみ締めてはいなかった。

翌年私は、卒業して就職してしまい、その団体も辞めてしまったので、それから彼女
に会うことはなかった。あれから、彼女に優しく平穏な日々が訪れていることを、陰
ながら願うしだけだった。親からの虐待によって命をおとしてしまった子は元より、
虐待を受け心に傷を負ってしまった子もまた切ない。彼女のような子どもが、これか
らさき現れることが無いように、心から願わずにはいられない。
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