2003 12/17 11:24
Category : 日記
先日、信じられないような事件が報道された。父親が、わずか生後4ヶ月の次女に、
電極を当てたり、殴ったりしたというものだ。逮捕された父親は、「気がついたら次
女が息をしていなかったので、応急処置をした」と答えたという。事件の真相はまだ
明らかにはなっていないが。普通4ヶ月の乳児が息をしていなかったら、すぐに救急
車を呼ぶだろう。いきなり電気ショックで応急処置をしようなどは、思い付かないと
思う。しかし、この事件に限らず、毎日のように幼児虐待のニュースは流れてくる。
最近、自分の子どもの愛し方を知らない若い親が多いのだという。まさか、そんな
…。と思われる方も多いかもしれない。しかし現実に、確実にそういう人が増えてい
るのだ。
その事実を受けて、公共広告機構が「抱きしめる、という会話」というCMを流して
いるのをご存知だろうか?画面には、親子らしい女性と女の子の姿が映し出される。
そして、「自分の子どもなのに、愛し方がわかない。まず、子どもを抱きしめてあげ
てください」というナレーションとともに、女性が女の子を抱きしめるというもの
だ。
このCMは、公共広告機構の2003年から2004年にかけての全国キャンペーンとして流
されているものである。公共広告機構が発行する、「ACリポート」の中で紹介され
ている記事には、「子ども達が親の愛情に見守られながらすくすくと育っていく。そ
れが社会の基本です。しかし、今の日本は、育児放棄や幼児虐待など、親子の関係が
とても危うくなっています。わが子とどう接すればいいのか分からない。そんな若い
親たちも増えています。そこで、もっともシンプルな、けれど言葉以上に雄弁なコ
ミュニケーションとして「抱っこ」を取り上げました。「抱きしめる」という、誰に
でも出きる愛情行為を通して、親世代の子育てに対する意識を喚起していくのです。
」とある。
このCMの製作者である博報堂の島崎氏がこのCMを作るにあたっての思いがも、A
Cリポートの中に綴られている。このCMを作ろうと思ったキッカケは、島崎氏の手
元にあった一枚の新聞記事切りぬきだったらしい。そこには“抱きしめる〜すべてを
包み込む愛”とかかれていた。島崎氏は、親子の問題に限らず、公共マナーや、日本
・日本人なども含めた大きな視点で、このテーマをCMとして打ち出すことにしたの
だという。今、目の前で起こっている、現実の事件は想像を超え、あまりにも救いが
ない。だからこそ、今の日本には「抱きしめる、という会話。」のような原点帰りが
必要だと思った。とコメントしている。私がはじめてこのCMを目にした時。まさし
く、島崎氏の言うように、原点に気付かされたような気になり、胸の奥深い所でなに
かがうずくような気持ちがした。
母性本能という言葉がある。もし、この言葉のとおり母性が本能から来るものである
としたら。頭の中で、どうやって子どもを愛したらいいか?と悩む前に、もっと原点
での部分で、子どものぬくもりを感じ、子どもにぬくもりを伝えていくべきなのだ。
そのためには、抱きしめるという行為は、とても自然な行為だと思う。頭よりも、
もっと本能に近い体や肌で感じて行くことからはじめて行くことが、とても大事なこ
とだと思う。
前述の父親に、なにか虐待のような事実があったとしても、ぐったりとした子どもの
姿を見た時に、応急処置で子どもを蘇らせるというような、自分のしてしまった行為
の後始末のための行動ではなく。思わずかけよって抱きしめる、という行為をして欲
しかった。もしかしたら、そのことによって、その父親も、我が子の命のぬくもり
を、感じられたかもしれない。そして、もっと違う行動を起こすことができたかもし
れないのだ。
抱きしめること。それがやがて、愛しいと思う気持ちに変わる日がきっと来る。もし
今、子どもの愛し方で悩んでいる人がいるのなら、勇気をだして一歩を踏み出し、ま
ず抱きしめて、体や肌で子ども達のぬくもりを感じて欲しいと思う.
電極を当てたり、殴ったりしたというものだ。逮捕された父親は、「気がついたら次
女が息をしていなかったので、応急処置をした」と答えたという。事件の真相はまだ
明らかにはなっていないが。普通4ヶ月の乳児が息をしていなかったら、すぐに救急
車を呼ぶだろう。いきなり電気ショックで応急処置をしようなどは、思い付かないと
思う。しかし、この事件に限らず、毎日のように幼児虐待のニュースは流れてくる。
最近、自分の子どもの愛し方を知らない若い親が多いのだという。まさか、そんな
…。と思われる方も多いかもしれない。しかし現実に、確実にそういう人が増えてい
るのだ。
その事実を受けて、公共広告機構が「抱きしめる、という会話」というCMを流して
いるのをご存知だろうか?画面には、親子らしい女性と女の子の姿が映し出される。
そして、「自分の子どもなのに、愛し方がわかない。まず、子どもを抱きしめてあげ
てください」というナレーションとともに、女性が女の子を抱きしめるというもの
だ。
このCMは、公共広告機構の2003年から2004年にかけての全国キャンペーンとして流
されているものである。公共広告機構が発行する、「ACリポート」の中で紹介され
ている記事には、「子ども達が親の愛情に見守られながらすくすくと育っていく。そ
れが社会の基本です。しかし、今の日本は、育児放棄や幼児虐待など、親子の関係が
とても危うくなっています。わが子とどう接すればいいのか分からない。そんな若い
親たちも増えています。そこで、もっともシンプルな、けれど言葉以上に雄弁なコ
ミュニケーションとして「抱っこ」を取り上げました。「抱きしめる」という、誰に
でも出きる愛情行為を通して、親世代の子育てに対する意識を喚起していくのです。
」とある。
このCMの製作者である博報堂の島崎氏がこのCMを作るにあたっての思いがも、A
Cリポートの中に綴られている。このCMを作ろうと思ったキッカケは、島崎氏の手
元にあった一枚の新聞記事切りぬきだったらしい。そこには“抱きしめる〜すべてを
包み込む愛”とかかれていた。島崎氏は、親子の問題に限らず、公共マナーや、日本
・日本人なども含めた大きな視点で、このテーマをCMとして打ち出すことにしたの
だという。今、目の前で起こっている、現実の事件は想像を超え、あまりにも救いが
ない。だからこそ、今の日本には「抱きしめる、という会話。」のような原点帰りが
必要だと思った。とコメントしている。私がはじめてこのCMを目にした時。まさし
く、島崎氏の言うように、原点に気付かされたような気になり、胸の奥深い所でなに
かがうずくような気持ちがした。
母性本能という言葉がある。もし、この言葉のとおり母性が本能から来るものである
としたら。頭の中で、どうやって子どもを愛したらいいか?と悩む前に、もっと原点
での部分で、子どものぬくもりを感じ、子どもにぬくもりを伝えていくべきなのだ。
そのためには、抱きしめるという行為は、とても自然な行為だと思う。頭よりも、
もっと本能に近い体や肌で感じて行くことからはじめて行くことが、とても大事なこ
とだと思う。
前述の父親に、なにか虐待のような事実があったとしても、ぐったりとした子どもの
姿を見た時に、応急処置で子どもを蘇らせるというような、自分のしてしまった行為
の後始末のための行動ではなく。思わずかけよって抱きしめる、という行為をして欲
しかった。もしかしたら、そのことによって、その父親も、我が子の命のぬくもり
を、感じられたかもしれない。そして、もっと違う行動を起こすことができたかもし
れないのだ。
抱きしめること。それがやがて、愛しいと思う気持ちに変わる日がきっと来る。もし
今、子どもの愛し方で悩んでいる人がいるのなら、勇気をだして一歩を踏み出し、ま
ず抱きしめて、体や肌で子ども達のぬくもりを感じて欲しいと思う.