2003年09月の記事


少子化時代のこどもと社会:「近頃の部活事情」
今年公立中学に入った娘は、吹奏楽部に入部した。娘の中学の吹奏楽部は、毎年のよ
うに市や県の代表になっていた。それだけに練習もキツイ。娘は、1学期中も夏休み
も、土日も殆ど休み無く、毎日朝からお弁当を持って部活へ出掛けていた。

そんな忙しい日が続いた夏休みのある日、娘が私に「2000円頂戴」と言ってきた。何
に使うのか聞いてみたところ、翌日開催される吹奏楽の市大会に出場するに当たって
の入場料とパンフレット代だという。市の教育委員会や吹奏楽連盟が主催する大会に、
市立の学校が出場するのだが、その出場者の生徒からも入場料を取るというのだ。そ
の金額が合わせて約2000円なのだった。公的な大会で、市内の小学校から社会人まで
が出場するのだが、参加人数はかなりの数に上るはずである。その人達から、子ども
1200円大人2000円の入場料を取るという。

大会の全ての出場者が演奏し終わった後に、表彰式が行なわれるのだが、入場料を払
って客席に入らないと、表彰式までいるところがないのだ。まあ、他の学校の演奏を
勉強のために聴くという意味合いもあるようだった。お金のことで細かいことを言う
のは嫌だが、それでも公的な大会で1200円もの入場料を取ることはいかがなものだろ
うかと思った。

そしてその日の夜、帰って来た娘が持って来たパンフレットを見て、飽きれてしまっ
た。全市の団体が出場する大会は数日にかけて行なわれるのだが、その全ての日程の
学校の名前と演奏曲目などを印刷しただけのものだったのだ。しかも、同じ県内の違
う会場で開かれている、他の市大会の分まで全て載っていた。なぜこれを500円も出
して購入しなくてはいけないのか?まったく意味がわからなかった。

パンフレットには、協賛の団体や楽器メーカーの広告も載っていた。アマチュアの大
会の入場料やパンフレット代に、映画などの興業など以上の値段を出さなければなら
ないのだろうか?公的な大会で、収益事業なのだろうか?会場代くらいしかかからな
いはずだ。その日出場する人数に単純に、入場料をかけて算出すると1日で120万円
にもなった。これはもう完全に収益事業として行なっているとしか考えられない。し
かも、県大会や地方大会でも同じ事が起こった。確かに私立の学校も参加はしている
が、青少年育成のための大会である。なにか市からの援助などがあるのではないか?
疑問は頭から離れなかった。

この話しをクラスメートのお母さんにすると。サッカー部でも同じようなことがある
のだと逆にこぼされてしまった。中学の名前入りのジャージをお揃いで購入させられ
たのだが、その金額が5万円なのだという。中学の名前が入っているので、学校側で
備品として揃えて貸し出せば済むことだと思うのだが、なぜ購入しなくてはいけない
のだろう。

このご時世でも、教育に関連した事柄になら親はホイホイお金を出すと思っているの
だろうか?それとも、貧乏人の子は部活をやる資格がないということなのだろうか?
なんとも後味の悪い思いを残した、夏休みの出来事だった。
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少子化時代のこどもと社会:「体育祭に、もう少し配慮を」
先日、娘の中学で体育祭が行なわれた。その日は、朝から雲一つ無い快晴で、体育祭
が始まる時間には、すでにかなり気温がかなり高くなっていた。

小学校からするとかなり広い中学校の校庭には殆ど日陰の部分が無かった。一周200
mのトラックを囲んで、本部席や保護者用の観覧席などが配置されていたが、校舎の
反対側に配置された生徒用の応援席は、陽射しをさえぎってくれるものは何もなく、
特に暑そうに見えた。

体育祭が始まり改めてプログラムに目を通して驚いた。準備体操や応援合戦なども含
めた全17プログラムの内、実に7プログラムが徒競走やリレーなどの「走る」競技で
構成されていたのだ。まさに炎天下といえるこの気候の中では、いかに元気な中学生
と言えども体力的にキツイのではないかと、容易に察しがついた。

だが、実際にリレーが始まってみて、私は更に驚いた。徒競走などは、トラックを半
周分の100mで争われるのだが、一人リレーに関しては200mを走り、なんとアンカー
に至っては1周半走るのだ。つまり300mを全力疾走することになる。大人顔負けの
体格と体力で走る子ども達は、驚くほど足の早い子ばかりだった。しかし、さすがに
一周を過ぎて最後のコーナーに差し掛かったあたりで、疲れが来るのだろう。皆その
辺りでガクンとペースが落ちる。残りの数十mはかなり辛そうで、歩いているような
ペースに落ちてしまう子が何人もいた。

しかし、それも抜き抜かれつの競り合いになると様子が変わってくる。走ることに集
中しているので、ペースが余り落ちないのだ。レースとしては、その方が盛りあがり
面白いのかも知れないが、私はあまりにも無茶なのではないか?とハラハラしながら
見守っていた。

すると、予感は当たってしまった。組対抗リレーのアンカーの選手が、ゴール直前で
倒れ込んでしまったのだ。何かに躓いて転倒したのではない、余りに頑張って走りす
ぎて、貧血を起こして倒れ込んでしまったのだ。遠目で見た感じでは、意識が無いよ
うに見えた。しかし、競技中だからだろうか?先生も誰もその生徒に駆け寄ろうとは
しなかった。2位を競り合っていた彼は、倒れているうちに、かなり離していた後続
のチームに抜かれてしまったが、起き上がることができなかった。半周以上離してい
た、最後のチームがゴールした頃ようやく意識を取り戻し、フラフラと起きあがって
歩きだし、倒れ込むようにしてゴールした。

私はその一部始終を見ていて、あんなにまでして走らせる必要があるのだろうか?と
思った。いくら普段は体力が自慢の生徒だとしても、緊急事態が起こらない保障はな
い。せめて、倒れ込んでしまった時に先生が駆けよって、本人の状態を確かめるくら
いのことはしてもいいのではないだろうか?

その日の夕方、各地の高校などの体育祭で熱中症で沢山の生徒が倒れたというニュー
スが流れた。私は、昼間娘の体育祭で見た光景が重なって、背筋が寒くなる気がし
た。学校側が生徒の体力を過信しているのか、当日の状況判断がきちんとできないの
か、いずれにしても、もう少し学校側に配慮があるべきだろうと私は思う。
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これからは、できるだけ月1回は配信したいと思っていますので、これからも宜しくお願いします
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少子化時代のこどもと社会:「新しい授業参観」
新学期に入り、子ども達の学校では授業参観が開かれた。
もう30年くらい前のことになるが、私が小学生の頃の授業参観といえば、普段より
少しめかし込んだ母親達が教室の後や廊下に並び、いつもよりかなり緊張して張り詰
めた空気が流れる教室で行なわれる授業を見るという感じだったと思う。しかし、最
近の授業参観は少し様子が違う。

私が子どもの頃は、参観が行なわれる授業の殆どが国語や算数など主要教科だった
が、今の子ども達の学校では、音楽や体育など幅広い教科で行なわれている。そして
今日、私は小学5年生の息子の授業参観に行って来た。

今回は体育で、プールで行なう水泳大会を参観するのだという。水泳大会と言うの
で、25mづつ泳ぐところを見せられるのかと思っていたら、前日にプログラムが配ら
れた。水球や、宝拾い(プールの底に沈んだ宝を潜って拾ってくる)あり、25mリ
レーありと、泳ぎの技術だけを競うのではなく泳ぎが得意でない子どもにも配慮され
たプログラムになっていた。子ども達は自分で出たい種目に出場し、進行役も順番に
こなしていた。中でも一番目を引いたのは、「シンクロナイズドスイミング」。映画
やTVドラマで人気の「ウォーターボーイズ」の影響で、子ども達の間でシンクロが大
人気なのだ。

毎週楽しみにそのドラマを見ていた息子もシンクロに参加していて、一週間ほど前か
ら家でも振り付けの練習をしていた。自分たちで振りつけや構成を考えたのだという
わりには、ドラマのものをそのまま使っている部分も多く見られたので、どうなる事
やらと思っていたのだが。実際に目の前で始まると、ドラマさながらみずしぶきを上
げて行なわれる演技の迫力に、くぎ付けになってしまった。

参観している父兄の間から、自然と「シンクロ!」チャッチャッチャッと掛け声と手
拍子が起こる。子ども達は、音楽に合わせて順番にジャンプをしたり、直線から円へ
とフォーメーションを変えながら泳いだりしていた。中には、あまり泳ぎが得意では
ないのか、時々足をついて立って息継ぎをしている子もいる。それでも皆、一生懸命
気持ちを一つに合わせて頑張っているのが良くわかる。

最後に、2人一組で肩車をして円を作り、中央の子だけが下の子の肩に立ちあがって
ポーズを取って終わった。大きな拍手が子ども達を包んでいた。親ばかかもしれない
が、たった一週間の練習でここまで出来るのかと思うほど、見事な出来映えだった。
なにより、演技を終えてプールから上がってきた子ども達の顔が、ドラマのラストシ
ーンと同じようにキラキラと輝き、やり終えたという達成感と自信に満ちていたのが
印象的だった。

本来授業参観とは、学校での子どもの様子を親に知ってもらうためのだと思う。しか
し、私の子どもの頃のような形式のものばかりでは、普段の様子が出るはずはない。
それに比べ、今回の水泳大会は、授業参観の形態としてはあまり類を見ないものだ
が、子ども達の自然な姿や、一生懸命なにかに取組む姿を見ることが出来て、親の立
場からすると、とても良い試みだと思う。それと同時に、少しづつでも変わりつつあ
る学校教育の形を見せてもらったような気もした。
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娘の中学の体育祭へ行く
今日は、娘の中学で体育祭が行なわれました。

晴天!と言うよりも、朝の段階ですでに「炎天下」と言いたくなるような強い陽射しで、家を出る段階でもううんざりって感じ。

学校に着くと、台風の影響でスゴイ風!
だって、校庭を吹き抜けた風が巻きあげた砂埃が、塀を越えて黄砂のように高く舞いあがっているのが、遠くからでも良く見えるほど…。

プログラムの進行が予定より早かったらしく、私が着いた時には、娘が最初にやる競技の100m走は終わってしまっていました。

まいっか?そんなに足速いわけじゃないし〜。なんて変ないい訳を自分にしてたら、友達のお母さんに「お姉ちゃん、速かったね〜!」だって。ン?って私が聞き返したら。
「やだ、見てなかったの?1位だったんだよ!」だって。うそ〜〜^^^、まさかそんなことが起きるなんて!

それから、いろいろな種目が行なわれたんだけど…。男女混合リレー、色(紅白ではなく、赤・黄・橙・緑・青の5色に分かれてる)対抗リレー、男子100m走、400mリレー(女子のみ)、800mリレー(男子のみ)???準備体操や、応援合戦、部活動紹介までいれての17種目中、7種目が走る競技。なんか走ってばっかりの運動会だった。

そして、全ての競技が終わって表彰式になった。

待ってました!
そうですこの体育祭が、吹奏楽部のレギュラーとしての娘のデビューなんです。

遠くからしか見られ無かったので、チビな娘は上級生に隠れて、頭の先しか見えなかったけど、でもちゃんと表彰式のバックに流れる曲でトロンボーンを吹いていました。
横から見ても、上級生の子と動きが合っていたので、それなりに吹けていたんだと思う。

なんか、ちょっと感動の運動会でした!
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少子化時代のこどもと社会:「子どもと共に学ぶ」
子どもは、なにか分からない事があると「あれはなに?」とか、「どうして?」と聞
いてくる。我家の小学5年生になった息子も、度ある毎に色々と聞いてくる。私もな
んでも知っているわけではないので、時々答えるのが面倒な事もあるのだが、分から
ないことは出来るだけインターネットなどで調べて、それを息子にも理解できるよう
に説明しながら、答えるようにして来た。

息子の最近の関心は、「北朝鮮」について。六カ国協議が行われたり、万景峰号の入
港騒ぎあったりと近頃多く報道されているので、息子なりに気になるのだろう。しか
し、北朝鮮の動向に対して関心を持っているのは息子だけではないらしい。

これは今年の春の事だが、北朝鮮がテポドンなどのミサイルを日本に向けて発射する
のではないか、という報道がなされた時。息子は帰宅するなり私のところに飛んで来
て、「ねえねえ、オレ達、あと3日で死んじゃうんでしょ?」と聞いて来たことが
あった。息子の小学校で、ミサイルが打ちこまれるので、後3日で皆死んでしまうん
だ」という噂が流れていたのだ。きっと、ミサイルに関しての報道を見た大人が、子
ども達の誰かに「ミサイルが〜…」の話しをしたのだろう。それを学校で言ったらし
いのだ。

息子の不安そうな顔を見た時、私は一瞬答えに詰まってしまった。こんな小さな子ど
も達までもがそんな噂をするようになってしまった事に、驚きを隠せなかったのだ。
それと同時に、子ども達の1番身近にいる大人として、無責任なことは言えないと実
感した事柄でもあった。事実、私はつい最近まで万景峰号が行き来していることを知
らなかった。なぜなら、学校で日本と北朝鮮は国交を断絶していると教えられていた
ので、まさか不定期にしろ貨客船が行き来しているとは思っていなかったからだ。

万景峰号は、当初在日朝鮮人の帰国事業のために建造された。いまは在日朝鮮人の祖
国訪問や修学旅行、帰国した家族への物資の輸送に利用されている。しかし、ご存知
のように、現在は様々な疑惑が浮上し、正常に航海するために必要な機器の整備不良
などの指摘もあり、入港拒否などが起こり話題に上った。しかし、これらのことを全
て踏まえなくては息子の疑問に答えることは出来ず、当然「なぜ日本に北朝鮮の人達
が暮らしているのか」という事まで遡って説明する必要も出てくる。

忙しく日常を送っていると、「あれ?」と思う事柄があっても、聞き流してしまった
り、何度もその言葉を聞いているうちに、意味が分かったような気になってしまう事
が多い。だが、そうしてうやむやにしてしまう事が、結果的に子ども達に無責任なこ
とを伝えてしまう事になってしまう気がしたので、出来るだけきちんと調べて、自分
でも確認しながら、息子に説明をしていった。

北朝鮮の問題は、調べてみても、まだ原因が解明されていなかったり、きちんと答え
が出ていない事柄も多く、北朝鮮という国の動向も読めないことから、子どもにどう
説明したら良いのか随分悩む事も多かった。しかし、それはそれで子ども達にありの
ままを伝え、善悪だけでは判断できない部分も出来るだけ理解してもらえるように努
力した。しかし、そうして行くことで私自身もかなり色々な事を再確認した。

しかし、現在報道されているニュースの大半は「どうやって子どもに説明したら良い
だろう?」と悩むような事件ばかりだった。どうしてそうなってしまうのか?という
部分が、私自身が納得できるような答えが見つけられないものが多かった。これも、
今の世情の複雑さを反映しているのだろう。出きればこれからは、説明するのに困る
ような、難解な事件が起こって欲しくないと切に願うのだった。
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少子化時代のこどもと社会:「神経質で無神経」
先日、中学1年の娘が友人と翌日の部活へ行くための打ち合わせの電話をしていた。
教室を使える時間がまちまちで、毎日のように登校時間が変わるのだ。1年生は、部
活を始めるための準備をしなくてはいけないので、開始時間より少し早めに行かねば
ならないのだという。電話を終えた娘が、「明日は7時半に家を出るから」と告げに
来た。

娘の学校までは歩いて15分もあれば着くのだが、娘が告げて来た時間は部活開始時
刻より1時間以上も早かった。「なんでそんな早い時間にいくのよ?」と私が聞くと、
娘は言いにくそうにしながら「だって友達が、準備があるし間に合わないと困るから
って言うんだもん…」のんびり屋の娘とは違って、友達は少し神経質らしい。しかし、
いくらなんでも早過ぎるだろうと思い「そんなに早く行っても、学校開いてないんじ
ゃない?」と聞くと、「うん、実はね今日も早過ぎて開いてなかったんだ」と娘。「だ
ったら…」と言いかける私を制して「とにかく、皆がその時間に行くっていうんだか
ら、お弁当お願い!」娘はそう言い残して自分の部屋に行ってしまった。

その日の夕方、部活から帰った娘に話しを聞くと。やはり学校は閉まっていて、30分
近く校門の前で待っていたらしい。そして、またその日の夜も友人から同じように翌
日の登校時間の打ち合わせの電話が掛かってきた。娘は友人に「今日も30分も待っ
たんだから、明日はもう少し遅く行こうよ」と話をしているようだが、友人の「間に
合わなかったら困るでしょ!」という言葉に押しきられて、また同じような時刻に出
掛ける事になったと言いに来た。

「ねえ、遅刻したらまずいけど、早く行き過ぎるのも迷惑だと思うけど?」と私が娘
に言うと、娘は「朝早くにお弁当作らせることになってゴメンね」と言った。やはり
気がついていなかった。「そうじゃなくて、学校の近所の人達の迷惑も考えなくちゃ
いけないって言ってるの」「学校の周りの人たち?」自分達の都合ばかりを考えて行
動することで、周りにどんな影響を及ぼすのか?という事までは考えが及んでいない
のだ。時間をキッチリ守ろうとする行動は、一見大人びた行動に思える。しかし、そ
れも「過ぎたるは及ばざるが如し」で、行き過ぎれば逆効果になることもある。私の
話しを納得したらしい娘は、友人に電話を掛け直して待ち合わせの時間を調整しなお
していた。

その様子を見ていて、私は以前勤めていた会社の若い人達を思い出した。彼らは、自
分の机の上などはきちんと整理をして、いつもきれいにしていた。しかし、職場の人
達が共通で使う書類などは、使いっぱなしだったり、元のところに戻さなかったりす
ることが多かった。つまり、自分のテリトリー内や、自分自身に係わる事に関して
は、異常なほどに神経質で、それを侵される事も異常なほど嫌う。しかし、それが他
人のテリトリーであったり、物になると、途端にずさんになり無神経としか言い様の
ない行動を取る事が多いのだ。

視野が狭く、自分本意な考え方しか出来ないわがままな人間なのだ。と言い放ってし
まえばそれまでのことなのかも知れない。しかし、それはただ彼らが、周りに迷惑を
かけないという事が具体的にどういう事なのかを理解していないだけなのではないか
と私は思う。自分のことだけ出来ていれば「いい子」と扱われ、それ以外の事はみな
親任せで育って来てしまった結果なのだと思うのだ。

口でいくら「周りに迷惑をかけるな」と言って聞かせても、子どもが理解していなけ
れば意味が無いのだ。少しづつ社会に出ていく子ども達に、一つ周りと自分との距離
や関係を学ばせて行くように、具体的に指導していくことが必要なのだと思う。
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