2003 09/15 10:34
Category : 日記
新学期に入り、子ども達の学校では授業参観が開かれた。
もう30年くらい前のことになるが、私が小学生の頃の授業参観といえば、普段より
少しめかし込んだ母親達が教室の後や廊下に並び、いつもよりかなり緊張して張り詰
めた空気が流れる教室で行なわれる授業を見るという感じだったと思う。しかし、最
近の授業参観は少し様子が違う。
私が子どもの頃は、参観が行なわれる授業の殆どが国語や算数など主要教科だった
が、今の子ども達の学校では、音楽や体育など幅広い教科で行なわれている。そして
今日、私は小学5年生の息子の授業参観に行って来た。
今回は体育で、プールで行なう水泳大会を参観するのだという。水泳大会と言うの
で、25mづつ泳ぐところを見せられるのかと思っていたら、前日にプログラムが配ら
れた。水球や、宝拾い(プールの底に沈んだ宝を潜って拾ってくる)あり、25mリ
レーありと、泳ぎの技術だけを競うのではなく泳ぎが得意でない子どもにも配慮され
たプログラムになっていた。子ども達は自分で出たい種目に出場し、進行役も順番に
こなしていた。中でも一番目を引いたのは、「シンクロナイズドスイミング」。映画
やTVドラマで人気の「ウォーターボーイズ」の影響で、子ども達の間でシンクロが大
人気なのだ。
毎週楽しみにそのドラマを見ていた息子もシンクロに参加していて、一週間ほど前か
ら家でも振り付けの練習をしていた。自分たちで振りつけや構成を考えたのだという
わりには、ドラマのものをそのまま使っている部分も多く見られたので、どうなる事
やらと思っていたのだが。実際に目の前で始まると、ドラマさながらみずしぶきを上
げて行なわれる演技の迫力に、くぎ付けになってしまった。
参観している父兄の間から、自然と「シンクロ!」チャッチャッチャッと掛け声と手
拍子が起こる。子ども達は、音楽に合わせて順番にジャンプをしたり、直線から円へ
とフォーメーションを変えながら泳いだりしていた。中には、あまり泳ぎが得意では
ないのか、時々足をついて立って息継ぎをしている子もいる。それでも皆、一生懸命
気持ちを一つに合わせて頑張っているのが良くわかる。
最後に、2人一組で肩車をして円を作り、中央の子だけが下の子の肩に立ちあがって
ポーズを取って終わった。大きな拍手が子ども達を包んでいた。親ばかかもしれない
が、たった一週間の練習でここまで出来るのかと思うほど、見事な出来映えだった。
なにより、演技を終えてプールから上がってきた子ども達の顔が、ドラマのラストシ
ーンと同じようにキラキラと輝き、やり終えたという達成感と自信に満ちていたのが
印象的だった。
本来授業参観とは、学校での子どもの様子を親に知ってもらうためのだと思う。しか
し、私の子どもの頃のような形式のものばかりでは、普段の様子が出るはずはない。
それに比べ、今回の水泳大会は、授業参観の形態としてはあまり類を見ないものだ
が、子ども達の自然な姿や、一生懸命なにかに取組む姿を見ることが出来て、親の立
場からすると、とても良い試みだと思う。それと同時に、少しづつでも変わりつつあ
る学校教育の形を見せてもらったような気もした。
もう30年くらい前のことになるが、私が小学生の頃の授業参観といえば、普段より
少しめかし込んだ母親達が教室の後や廊下に並び、いつもよりかなり緊張して張り詰
めた空気が流れる教室で行なわれる授業を見るという感じだったと思う。しかし、最
近の授業参観は少し様子が違う。
私が子どもの頃は、参観が行なわれる授業の殆どが国語や算数など主要教科だった
が、今の子ども達の学校では、音楽や体育など幅広い教科で行なわれている。そして
今日、私は小学5年生の息子の授業参観に行って来た。
今回は体育で、プールで行なう水泳大会を参観するのだという。水泳大会と言うの
で、25mづつ泳ぐところを見せられるのかと思っていたら、前日にプログラムが配ら
れた。水球や、宝拾い(プールの底に沈んだ宝を潜って拾ってくる)あり、25mリ
レーありと、泳ぎの技術だけを競うのではなく泳ぎが得意でない子どもにも配慮され
たプログラムになっていた。子ども達は自分で出たい種目に出場し、進行役も順番に
こなしていた。中でも一番目を引いたのは、「シンクロナイズドスイミング」。映画
やTVドラマで人気の「ウォーターボーイズ」の影響で、子ども達の間でシンクロが大
人気なのだ。
毎週楽しみにそのドラマを見ていた息子もシンクロに参加していて、一週間ほど前か
ら家でも振り付けの練習をしていた。自分たちで振りつけや構成を考えたのだという
わりには、ドラマのものをそのまま使っている部分も多く見られたので、どうなる事
やらと思っていたのだが。実際に目の前で始まると、ドラマさながらみずしぶきを上
げて行なわれる演技の迫力に、くぎ付けになってしまった。
参観している父兄の間から、自然と「シンクロ!」チャッチャッチャッと掛け声と手
拍子が起こる。子ども達は、音楽に合わせて順番にジャンプをしたり、直線から円へ
とフォーメーションを変えながら泳いだりしていた。中には、あまり泳ぎが得意では
ないのか、時々足をついて立って息継ぎをしている子もいる。それでも皆、一生懸命
気持ちを一つに合わせて頑張っているのが良くわかる。
最後に、2人一組で肩車をして円を作り、中央の子だけが下の子の肩に立ちあがって
ポーズを取って終わった。大きな拍手が子ども達を包んでいた。親ばかかもしれない
が、たった一週間の練習でここまで出来るのかと思うほど、見事な出来映えだった。
なにより、演技を終えてプールから上がってきた子ども達の顔が、ドラマのラストシ
ーンと同じようにキラキラと輝き、やり終えたという達成感と自信に満ちていたのが
印象的だった。
本来授業参観とは、学校での子どもの様子を親に知ってもらうためのだと思う。しか
し、私の子どもの頃のような形式のものばかりでは、普段の様子が出るはずはない。
それに比べ、今回の水泳大会は、授業参観の形態としてはあまり類を見ないものだ
が、子ども達の自然な姿や、一生懸命なにかに取組む姿を見ることが出来て、親の立
場からすると、とても良い試みだと思う。それと同時に、少しづつでも変わりつつあ
る学校教育の形を見せてもらったような気もした。