666は剥げおやじにはない
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ヨハネの黙示録 13 章 11 節 ~ 18 節

去年の秋、とあるところから年齢もよくわからない人と知り合いになった。
最初のうちは彼の言い分が時折怖くてなぜ話したいと思ったのかわからなくなるときがあった。
でも段々、怖さはまっすぐさからくるものだとわかってきて、いまでは仲良しのお友達だなと思える。
そんな彼はクリスチャン。
数字のなぞを話すなかに、今年は1 並びが不思議なんだというのがあった。
そのついでで聖書の666 についても話したのだけども、黙示録のなかにある「そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。その刻印とはあの獣の名、あるいはその名に数字である。」がバーコードをさしているのではないかという説を教わった。でも、額がわからないから、時はまだ満ちていないのかもしれないとも。
もし今後識別番号が頭部に埋め込まれることが世界的に是認されたらそのときが近づくのかもしれない。

そう考えてしまうとバーコード頭なんてかわいいもんね。うそやごまかし、まぎらわしいものは美しくないので愛せない点は申し訳なく思うけれど。

あと111だけれど。
あなたの生まれた西暦年の下2桁をとって、今年なるあなたの年齢を足してみよう。
111になるはずだ。
http://icke.seesaa.net/article/182005375.html
これは21世紀生まれの私の親戚は該当せず。
数字はそれっぽくいうと遊びの域を超えがちで面白いわね(棒読み