フレキシブルだから?
昔から「一休さん」のようななぞ掛けっぽい会話が好きだった。
なので、なんだかんだで辞典を暇さえあれば眺める事も多かった。
間違えた言い回しを聞くと、いかにして正しい事を教えて差し上げるべきかもひそかな悩みになっていたほど。
web での通信を始めるまでは……。

いわゆるチャットといわれるものに首を突っ込んでみるとわかる、使われる言葉の流動さ。
それって違うんじゃない?と思うことがspeedy な会話では当たり前のよう受け入れられる。
基本的に楽をしたいのは私も共感できるので、いつしか何でもありかな、と思いつつあった。
そんな私に今日のチャットで質問が飛ぶ
「為す、教ふってなんて読むの?古文で習ったけどわかんない」。
かなりの時間を割いて「なすをしふかな」と答えてみたものの、はたと疑問が浮かぶ。
なぜ、こんな時代なのに古文や漢文まで学校で習うのだろうか、と。

それで色々回り道をしてみて見つけたサイトふたつで目が留まる。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/
サイト名はそのまま「言葉の世界」
http://www.nishikawa-issei.com/nituki/nitukiyomimono.html
こちらは福井県知事:西川一誠後援会のサイトの一部。
つらつらと読み進めると、なんとなく「為す」や「教ふ」のイメージがすとんと心に収まった。
言葉の奥深さを知る漢文や古文の授業は、人生を豊かにするためにあってよいものかもしれない。
今学生をしている人たちには奇麗事に聞こえるかもしれないけれど。