2006年10月の記事


心理学の
ふと子供の頃の事を思い出した。

小学校で、「今日遊ぼう」と言われると即答できなかった。
親にお伺いを立ててから返事をする。
遊んでばかりいないでお勉強しなさい
と言われるかもしれないと思っていた。
「今日遊びに行っていい?」と聞かれると
いつも即答で答えた「駄目」「なんで?」
「急にお友達家に呼んだら部屋だって片付いてないし」
母親がきっとそう言うと思っていた。

親から「お習字とか、公文とか習い事したい?」と言われても
「なんにもやりたくない」と答えていた。
習い事をすれば月謝がかかって
親に迷惑がかかるんじゃないかと思っていた。

「将来は何になりたいんだ?」と父親に聞かれれば
「医者になりたい」と答えた。
もちろん、全く興味はなかったが
理系は頭が良い、文系は頭が悪いという
偏見をもった父親の喜びそうな答えは分っていた。

いつも、こう答えたら喜ばれるというのが解っていて
模範解答に近い答えをしていた。
だから反抗期もなく、大人しくていわゆる優等生。
自分の気持ちをストレートに話した事など1度もない。
というか、自分の意思とか意見さえもなかった。

いつも、こうしたい、というのではなく
こうした方が良い、という意思で動き
あとは惰性で流れるままに流されてきた。
だから相手の様子を見て
模範解答が想定できない事態に遭遇すると答えが出せなくなる。

自分の意見を言わない子供は
そのまま大人になった。
アイデンティティーはいまだに確立できていない。

大学時代心理学の勉強をしたかった私はある授業でこんな話を聞いた。

「アイデンティティー」=自我同一性(ego-identity)
リク・エリクソン(E・H・Erikson、1902年- 1994年)による言葉

20代前半から後半にかけて、まず親密性をいかに発揮するかが大切だ。
自分の中にきちんとした確固たる自己ができていれば、
周りの人に安心して近づくことができる。自分探しの
終わっていないひとが結婚や就職で、他者と親密な関係を
構築しようとすると、難しくなり、自分が周りに対して親密性を
発揮するには、その前に自分の自我同一性(アイデンティティ)が
きちんと確立されていることが前提になる。
最近の若者は高学歴化によって
30歳くらいまでアイデンティティーが確立しない。

悪く思われないように。
相手の期待を裏切らないように。
もしも、こんな事をしたら、相手がどう思うだろうとか
こんな事をするのは社会一般常識的にどうなんだろうとか
で、結局自分はどうしたいのか?と考えると
そこに不一致が起こる。どうしたら、この葛藤から抜け出すことができるだろうか・・・


自我同一性

各々の同一性は,個人が役割取得の過程で次々に獲得したものである。
この同一性の獲得は,社会的経験を深めるごとに累積的に行なわれ,
職業人としての自分,退職者としての自分,親としての自分,老人としての自分
などの役割を取得するように, 生涯継続する。
例えば,子どもから大人への移行期である青年期は,
自我がこれら多数の同一性の中から,
成人した自分にふさわしいもの、自分のものとして肯定しうるものを,
あらためて自覚し選択しなおす時期である。
すなわち,青年期の自我は,
彼が生まれ育った環境,その時代・社会が提供する
価値や規範,役割,行為,権威のなかから
自分の自我同一性と適合するものを意識的に選択し,独自の体系化を行なう。
この自己選択と,幼児期以来,無意識的に獲得していた同一性をいかに統合するかが,
彼の重要課題となり,これが青年期の自我の自覚であり,個々に自我の危機が生じる。
そして,自分にふさわしい「・・・としての自分」(同一性)を選択する青年期は,
自己の内部に沈潜するモラトリアムの時期である。
それはさまざまに自己選択と自己定義を模索し苦悩する修行期間であるから,
社会の側が一人前の大人としての社会的責任や義務を一時的に猶予する時期として位置付けられる

自我

自我は意識層の中心の機能で、イドからの要求と超自我からの自己の規制を受け取り、感情を現実に適応させる機能である。

イド(エス)

イドは無意識層の中心の機能で、感情、欲求、衝動をそのまま自我に伝える機能である。イドは視床下部のはたらきと関係があると思われる。

超自我

超自我は上の二つの層をまたいだ機能で、ルール、道徳観、倫理感、自己の規制を自我に伝える機能を持つ。この機能がイドや自我を強く押し付けているとき、自我がエスの要求を通すことができずに防衛機制を働かせることがある。超自我は前頭葉のはたらきと関係があると思われる。
コメント (2)

見放される
運気の流れが変わった。
勝てない。
というか士気が上がらない。
勝とうという意欲がない。
5連敗
もう駄目かも・・・
5日で12万負け。

もうねスロ打ちたくないんですけど?
麻雀格闘倶楽部のほうが面白いんですけど?

プレステ3じゃオンラインも出来るらしーじゃないですか
家でゲームなんてやりたくないんで
まぁ買うことはないでしょうが・・・

いろんな意味で疲れてます。
なんだろね、この倦怠感。

風邪か?
そういや喉が痛いし
微熱がある。

なんか疲れるね。
癒されたい・・
南国のリゾートとかでw
コメント (0)

オーラの泉的な何か
特定の宗教とかは全く信じてないんだけど
守護霊とか前世とかオーラとか
ものすごく興味がある。

いわゆる霊感みたいなものはゼロなんだけど・・・

以前外出先で指輪が手のむくみできつくなった時
指輪が抜けなくなったと思った瞬間
具合が悪くなって、というか気が動転して
発車直前の電車から降りて
すぐに自販機の水と旅行用に持っていた石鹸で
泡を立ててはずした事があった。
それ以来指輪がはずれないと想像すると
ものすごい恐怖感が襲ってくる。

それから、例えば誘拐された人が
トランクの中で身動きがとれずに居るのとか
想像すると、本当に想像だけで
ワーーーーッと発狂しそうになる。
死よりも遥かに恐怖だし苦痛だと思う。

狭い場所で立っているのはokだけど
天井が低い所で仰向けに横になったりするのは
恐怖以外のなにものでもなく。
寝返りが打てないくらい狭い所に入ったら
発狂して死んでしまいそうだと思う。

以前韓国のエステで
すごい狭くてアツいかまくら型のサウナがあって
腰をかがめないといけないくらい
小さな扉をくぐった瞬間 
もう、テンパッってしまい5秒で飛び出しました。

あとは上を向いて息が出来ない事が恐怖で
風邪を引いて鼻が詰まってたりすると
寝ることが恐ろしくなります。

他にもあるんですが
・狭いところで(光が当たらないような)
・頭が動かせない
・仰向けで息が苦しい
という状況に反応しているようで
想像してしまうと精神状態が普通ではなくなるようで

たぶん、
前世に収容所などでヒドイ拷問を受けていたか
ピラミッドの中に王と一緒に生きたまま
棺おけに入れられ埋められたか
どちらかなんじゃないかと思っていた。


これが、
最近突然
想像しても全くと言っていいほど
なんともなくなってしまったんだな。
とても良い事だよね。

もしかしたら
悲しい最後を遂げた人の霊が
無事成仏して去って行ったのでは?
なんて思うわけだが

その真相は分らず。
前世ってあるんだろうか?
コメント (0)

昼寝
最近全くスロットを打つ気が起きない。
あれほど毎日打っていたのにね
打っても全く勝てる気がしない。
ずっと勝ち続けてたのにね。

昨晩7時間も睡眠をとったのに
朝起きたらすごい眠かった。
昼間も眠い。

そんな時はこっそりトイレで仮眠を取る。
腕を組んで足を組んで10分くらい
目を閉じてウトウトしていたら
足を組んだのがあだとなり
痺れて立ち上がることが出来なくなった。
恐る恐る立ち上がったら
生まれたての子鹿みたいになっていた。

危うし。
寝不足は駄目だよね。
プライベートの生活を支えているのは
仕事なんだから
仕事がんばらなくちゃね。
コメント (0)

持つべきものは
困ったときとか
悩んだときとか
あまり人に相談はしないけれど
辛いときに誰かに話を聞いてほしいときもあって
そんな時に、友達って大事だなぁと思った。

いつも彼氏が出来ると友達付き合いがすごく悪くなる
友達って減るけれどなかなか増えないもので
親友と呼べる友達はたぶん4人かなぁと思う
そのうち3人は結婚してしまって
なかなか電話もしづらいものがある。

今回なにかある毎に友達にメールやら
電話やらをしていた友達。
こうすべきだと、具体的なアドバイスは
もらわなかったけれど
話を聞いてもらって救われたなぁと思う

前途は多難だけれど
頑張っていこうと思っている。



そんな友達が今かなり落ち込んでいるようだ。
励ましのメールの文章が
何度書いてもそれが上辺だけの軽い言葉のようで
書いては消して書いては消しての繰り返し

自分がしてあげられる事って何だろう?
6年付き合ってて初めて彼女を紹介してくれたのになぁ。

他人の痛みの分る人になりたい。
コメント (6)

どうしてよいものか
長く生きてきて、それほど悩む事もなく
順風満帆だったけれど
たぶん今自分の人生にとって
ものすごく大きな岐路に立たされている。

迷いがある。
どうするべきか?
選択肢は二つ。
いや、三つ?

惰性で生きてきた自分を変えるチャンスかもしれない。
でも、後悔するかもしれない。

誰かが私の進むべき道の前に
大きく手を広げて迎え入れてくれれば
そこに躊躇なく飛び込んでいけるのにと
思ってみたり。
でも、それじゃいけないんだな。
自分で決めなければ・・・・

どうしよう?私。
コメント (6)