心理学の
ふと子供の頃の事を思い出した。

小学校で、「今日遊ぼう」と言われると即答できなかった。
親にお伺いを立ててから返事をする。
遊んでばかりいないでお勉強しなさい
と言われるかもしれないと思っていた。
「今日遊びに行っていい?」と聞かれると
いつも即答で答えた「駄目」「なんで?」
「急にお友達家に呼んだら部屋だって片付いてないし」
母親がきっとそう言うと思っていた。

親から「お習字とか、公文とか習い事したい?」と言われても
「なんにもやりたくない」と答えていた。
習い事をすれば月謝がかかって
親に迷惑がかかるんじゃないかと思っていた。

「将来は何になりたいんだ?」と父親に聞かれれば
「医者になりたい」と答えた。
もちろん、全く興味はなかったが
理系は頭が良い、文系は頭が悪いという
偏見をもった父親の喜びそうな答えは分っていた。

いつも、こう答えたら喜ばれるというのが解っていて
模範解答に近い答えをしていた。
だから反抗期もなく、大人しくていわゆる優等生。
自分の気持ちをストレートに話した事など1度もない。
というか、自分の意思とか意見さえもなかった。

いつも、こうしたい、というのではなく
こうした方が良い、という意思で動き
あとは惰性で流れるままに流されてきた。
だから相手の様子を見て
模範解答が想定できない事態に遭遇すると答えが出せなくなる。

自分の意見を言わない子供は
そのまま大人になった。
アイデンティティーはいまだに確立できていない。

大学時代心理学の勉強をしたかった私はある授業でこんな話を聞いた。

「アイデンティティー」=自我同一性(ego-identity)
リク・エリクソン(E・H・Erikson、1902年- 1994年)による言葉

20代前半から後半にかけて、まず親密性をいかに発揮するかが大切だ。
自分の中にきちんとした確固たる自己ができていれば、
周りの人に安心して近づくことができる。自分探しの
終わっていないひとが結婚や就職で、他者と親密な関係を
構築しようとすると、難しくなり、自分が周りに対して親密性を
発揮するには、その前に自分の自我同一性(アイデンティティ)が
きちんと確立されていることが前提になる。
最近の若者は高学歴化によって
30歳くらいまでアイデンティティーが確立しない。

悪く思われないように。
相手の期待を裏切らないように。
もしも、こんな事をしたら、相手がどう思うだろうとか
こんな事をするのは社会一般常識的にどうなんだろうとか
で、結局自分はどうしたいのか?と考えると
そこに不一致が起こる。どうしたら、この葛藤から抜け出すことができるだろうか・・・


自我同一性

各々の同一性は,個人が役割取得の過程で次々に獲得したものである。
この同一性の獲得は,社会的経験を深めるごとに累積的に行なわれ,
職業人としての自分,退職者としての自分,親としての自分,老人としての自分
などの役割を取得するように, 生涯継続する。
例えば,子どもから大人への移行期である青年期は,
自我がこれら多数の同一性の中から,
成人した自分にふさわしいもの、自分のものとして肯定しうるものを,
あらためて自覚し選択しなおす時期である。
すなわち,青年期の自我は,
彼が生まれ育った環境,その時代・社会が提供する
価値や規範,役割,行為,権威のなかから
自分の自我同一性と適合するものを意識的に選択し,独自の体系化を行なう。
この自己選択と,幼児期以来,無意識的に獲得していた同一性をいかに統合するかが,
彼の重要課題となり,これが青年期の自我の自覚であり,個々に自我の危機が生じる。
そして,自分にふさわしい「・・・としての自分」(同一性)を選択する青年期は,
自己の内部に沈潜するモラトリアムの時期である。
それはさまざまに自己選択と自己定義を模索し苦悩する修行期間であるから,
社会の側が一人前の大人としての社会的責任や義務を一時的に猶予する時期として位置付けられる

自我

自我は意識層の中心の機能で、イドからの要求と超自我からの自己の規制を受け取り、感情を現実に適応させる機能である。

イド(エス)

イドは無意識層の中心の機能で、感情、欲求、衝動をそのまま自我に伝える機能である。イドは視床下部のはたらきと関係があると思われる。

超自我

超自我は上の二つの層をまたいだ機能で、ルール、道徳観、倫理感、自己の規制を自我に伝える機能を持つ。この機能がイドや自我を強く押し付けているとき、自我がエスの要求を通すことができずに防衛機制を働かせることがある。超自我は前頭葉のはたらきと関係があると思われる。

編集 e.t. : 説明不足ですね。させる側、親とか、先生とか、上司とかが言うことよく聞く逆らわないのがよいと思っているのが鈍感だと。
編集 e.t. : 大人にしろ、子供にしろ、相手の思うままにすることや、従っている状態がおかしいと感じないのは鈍感だと思います。その点では、娘はちゃんと親の言うことをちっとも聞かない、ちゃんと成長しています。これからは自分で判断して自分でやってくれと言ってます。