子どもの空間:/10止 昼間、働きたい 待っていてくれた「母の味」
北国の空港から車で約1時間。町は中心部もひっそりしている。郊外の家に母親(51)と3姉妹は暮らす。廊下には三女(18)が椅子を振りかぶって開けた穴が、4年前のまま残っている。

 兆しは小学6年の5月ごろ。三女は保健室で養護教諭に切り出した。「先生は相談の係なんでしょ。話しておいた方がいいと思って」。喫煙していることを告げた。校舎裏のスキー山の上で、これ見よがしにたばこを吸ったこともあった。

 「誰かに怒られてみたかった」と三女は当時の胸の内を明かす。

 中卒の父親は関東の工事現場で出稼ぎをしていた。仕送りは月十数万円。帰省は年4回。「まるで他人って感じ」。すぐに妻や娘たちに暴力を振るう。母親は介護ヘルパーとして働いた。子どもたちは犬を飼って、母の帰りを待つようになった。晩秋、帰省していた父親は粗相をした犬を保健所に連れていった。慌てて姉妹は犬を引き取りに行き、震えながらバス停で夜を明かした。

 荒れていく三女が母は気がかりだったが、仕事で疲れ、しかる気になれなかった。そんな母を、三女は「私のことをあきらめている」と思った。

 三女の中学進学を機に、母は夜勤もある正職員になった。父親はその年の盆の帰省を最後に消息を絶った。母の月収約13万円の大半が、築20年の戸建てのローンに消えた。非番の日にもヘルパーのアルバイトをして生計を支えた。「親が働く姿を見せないと子どもはだめになる」と思った。お年寄りの笑顔も好きだった。しかし、今になってみると「職場に逃げ場を求めたのかも」と思う。

 三女は、中学1年の1学期末から学校に行かなくなった。自室で遊び仲間とゲームに興じた。母や姉の視線を避け、自分の部屋に南京錠をかけた。家族が寝静まった夜や不在の日中、三女は台所で冷蔵庫や鍋の中をのぞいた。ゴボウを三枚肉で巻いた煮物、豆腐のみそ汁……。母の味だった。ひき肉と野菜とシラタキを甘辛く炒めて卵でふんわり包んだ特製オムレツは、フライパンに丸ごと一つあった。「きっと食べたいだろう」と母が三女のためにいつも作り置いたものだった。

 中学を卒業すると家出もしたが、交際相手の暴力に耐えかねて、昨春家に戻ってきた。その夜も、変わらないみそ汁の味が、遠回りした三女を待っていた。

 昨秋、初めて家族旅行をした。母子4人で北海道・函館の露天風呂につかった。「私も結婚後も働く。子どもを喜ばせてあげたい」と三女は言う。だが昨年、県内のハローワークに寄せられた求人で、「中卒可」はゼロだった。

 今の仕事はホステス。携帯電話代ほしさで16歳から始めた。週3回勤務で、母親とほぼ同額の月収がある。でも愛想笑いは苦手。「昼間の仕事に就きたい。母さんを見ていると仕事が楽しそうだから」。照れ笑いに、ラメ入りの付けまつ毛が揺れた。【望月麻紀】=おわり

 ◇中卒、毎年10万人

 高校進学率は98%に上るが、高校中退者も合わせ毎年新たに10万人の中卒の若者が誕生している。「金の卵」と呼ばれ、積極採用された時代もあったが、今や採用条件のほとんどが高卒以上。しかも労働市場の地域格差は激しく、求人の少ない地方都市では違法ながら深夜の飲食店で働く18歳未満は珍しくない。

==============

 ご意見をお寄せ下さい。〒100-8051(住所不要)毎日新聞「子どもの空間」

t.shakaibu@mbx.mainichi.co.jp ファクス03・3212・0635

毎日新聞 2007年1月11日 東京朝刊