オースミダイナー物語 第1回
オースミダイナー物語 第1回
 「名馬」。それは、人々に期待以上の感動を与えられる馬のことを言うのかも知れない。
 エトワール賞でのオースミダイナーのパフォーマンスは、まさに名馬のそれだった。
 「何とか勝ってほしいけど」「でも、さすがにトシだし……」「い
や、まだまだ頑張れるはず」。
1番人気に推された赤レンガ記念、2番人気のステイヤーズカップで本来の走りを見せられなかったダイナーへの評価は、否定したくとも前2走の結果が突き付ける現実と、それでも募るほのかな期待が入り混じるなかで、確実に下がっていた。
昨年、最高齢重賞勝ちという離れ業をやってのけた「北海道スプリントカップ(統一GⅢ)」と同じ1000mという得意距離なのに、8頭立て5番人気。その事実がファ ンの偽らざる気持ちを表現していた。
 でも、やはり看板役者は違った。直線を向くとアッサリ前を捕らえ、Vロードを驀進。最後は手綱を抑える完勝ぶりで、勝ち時 計の59秒7も今年の旭川開催での圧倒的1番時計。札幌との馬場差を考えると、昨年のスプリントカップ時点から衰えるどころか、さらにスピードに磨きがかかったのかと思わせる勝ちっぷり。涼しい顔で「衰え」の懸念を払拭してしまった。
 ゴールの瞬間、スタンドから拍手と感嘆の声が沸き起こった。実況の声にも力が入った。みんなが待っていた勝利だった。

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 腫れたまま固まった屈腱。右前脚の球節は肥大化し、痛々しくも見える。昨年あたりから血膨れも出てきた。バンテージをとった脚元には、スピード豊かな走りの影に隠れた歴戦の傷痕が残っている。
 オースミダイナーの競走生活は、まさに脚部不安との闘いだった。
 4冠馬トウカイテイオーと同期生。JRA・小林稔厩舎でデビュー後、休み休み使われながらダートで6戦5勝という戦績を残した。1度使うと不安が出るといった繰り返しで、「重賞でも」と感じさせた能力を全快させることはできなかった。結局、5勝目を挙げた後、長期休養に入り、平成6年夏、そのままホッカイドウ競馬・若松平厩舎に移籍した。
 右ひざの状態が思わしくないということで転厩してきたオースミダイナーだが、レースを使えるような状態までは良化しないまま、2年以上の月日が過ぎた。潜在能力に期待した若松師はそれでも焦らず、じっくりと時を待った。そして、使えそうな状態までようやく回復した平成8年10月24日、帯広の1200mで能力検査を受けた。タイムは1分15秒0。1分20秒を切ればまずまず、と言われた馬場での好時計に、厩舎サイドの期待も高まった。
 復帰戦は11月10日の帯広短距離特別。538キロと太目の造りではあったが、佐々木明美騎手を背に楽々と3番手を追走、直線ではビュンと一伸びし、能検と同タイムで快勝。若松師は「これはオープンでも通用しそうだ」との感触を得た。返す刀で、11月24日の十勝川特別(帯広ダ1800
m)に柳沢好美騎手で出走、「2、3番手で折り合っていけば」という師の考えをよそに、2コーナー からハナを奪う積極果敢な競馬でそのまま押し切ってしまった。「来年は道営記念を獲れる」。師の期待は一気に高まった。
 しかし、この期待感が、オースミダイナーに再び回り道をさせる引き金となる。
 冬休みに入り、連戦の疲れを癒してあげたいとの親心から、楽をさせた。すると、ダイナーの馬体重はみるみる増え、年明けに量 ってみると560キロ手前まで増えてしまっていた。「これは重過ぎる」。そう判断した若松師は、急きょ、運動量を増やした。
 3月には時計も出せるようになったが、寒さもこたえて左前脚に軽い屈腱炎を発症してしまった。浅屈腱の内側が断裂し、熱と腫れが出た。が、外側半分は正常な状態だった。冷却するなど陣営の懸命な努力があり、それ以上の悪化にはいたらずに済んだ。
 春シーズンは、ブリスターをかけたり食事面での調整で馬体を増やさないようにしながら、その年の8月9日に何とか復帰緒戦を迎えることができた。3着に終わったが、希望の光は見えた。その後も満足な乗り込みができない状況は続いたが、2走目、8月24日の「ネプチューン特別」で何とか勝つことができた。10月19日の更別特別(5着)を最後にシーズンを終えたが、若松師は今でも 「この年の3走が一番辛かった」と振り返る。
 「けがの功名」とはよく言ったものだ。この一年間、ずっと脚元との相談という状態が続く中で、若松師はじめ厩舎スタッフは独特の調教スタイルを確立したのだった。ラスト2Fはビシッと追い、その後はゆっくりと再び3角まで流す。そしてまたラスト2Fに来たらゴーサインを出す追い切り。直線2本追われる、いわゆるインターバル調教をすることにより、心肺機能を高める。この馬には、通常の追い切りのような、半マイルの時計などはない。この調整法は今も続けられている。オースミダイナーの息の長い競走生活、そしてJRAのオープン馬にも引けを取らない競走能力を維持できている秘密の一端はこの調教法にある。
 もう一つ、オースミダイナーの競走能力の高さを支えている秘密がある。「繋の柔らかさ」がそれだ。通常、競走馬は年を取るにつれて繋が硬くなっていく。が、オースミダイナーの繋は柔らかさを保ち続けている。昨年の北海道スプリントカップ出走時には、 前脚の着地部分に擦り傷が出来てしまったほどだという。また、左の腰が少し甘く、右前脚により力がかかるようで、替えたばかりの右前の蹄鉄の鉄唇(てつしん)が擦り減り、完全になくなることもある。 「とにかく柔らかくて前が沈むようになる。前のクモズレっていうのも変なんですけど(笑)。オースミが今でも健在なのは、そんな所にも理由があると思うんです」(若松師)。芝馬だけではない、ダートの世界でも繋の柔らかさは求められるのである。


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 9月19日の瑞穂賞で「同一重賞5連覇」の偉業に挑む現役最高齢馬・オースミダイナー。13歳の今まで、一線級の競走能力を維持することができた背景には、自らの運動能力・身体機能のレベルの高さもさることながら、それらを衰えさせなかった厩舎関係者の 人知れない努力の数々がある。人間にすれば50歳を超える中年に相当するオースミダイナーが、今でも若駒たちを圧倒する能力を発揮できる秘密などを、エピソードを交えながら紹介していきたいと考えています。ぜひ、お楽しみに。
 なお、本連載はJRDB・古谷剛彦(ふるや・たけひこ)および北海道競馬運営改善対策室・神谷健介(かみや・けんすけ)が担当します。