2004年09月の記事
2004 09/29 08:38
Category : 日記
今我が家の息子がはまっているゲームに「実況パワフルプロ野球11」というのがあ
る。テレビゲームには、ドラゴンクエストなどのように、冒険の旅をするロールプレイ
ング。テトリスなどのようなパズルや、銃など撃って点数を稼ぐシューティングなど
のいろいろなものがあるが、このパワプロと呼ばれる息子がはまっているゲームは、
シミュレーションと呼ばれる育成ゲームで、実在のプロ野球のチームや選手のデータ
が入ったこのゲームでは、ゲームのプレーヤーが、大学野球の選手となって練習など
で技術を上げてプロ入りを目指すモードや、プロ野球選手になって、引退するまで試
合をするモードと、実在の球団や、自分のオリジナルの球団のオーナーとなって、チ
ームを率いて、日本一を目指すモードがある。昔の野球板とテレビゲームが合体した
ようなものだ。
近鉄とオリックスの合併問題で球界がゆれていた先日までは、息子達は近鉄を率い
てゲームを進めていた。友達と作った野球チームの練習が終わってから、数人の友達
を我が家に呼んでは、ゲームの中の近鉄でどう戦うかをみんなで相談していた。そし
て、見事日本一にしたとうれしそうに私のところに報告に来た。
昨日も、野球の練習を終えてからそのまま数人の友達を我が家に呼び、今度は野球
のゲームに熱中していた。よく聞いてみると、みんなで「頑張れライブドアーズ!」
と声援を送っている。「ライブドアーズ?」と私が聞くと、息子達は振り返り「う
ん、ライブドアの野球チームを作ったんだ」と答えた。息子達が言うには、ライブド
アの野球チームに「ライブドアーズ」と名前をつけてゲームをして、堀江社長の応援
をしているのだという。普通この手のゲームでは、オーナーの名前は自分達の名前を
つけるものなのだが、なんとオーナーの名前まで、堀江さんになっていた。
近鉄とオリックスの合併問題に端を発し、合併を強行するというオーナー側と、絶
対に阻止したいという選手会側の主張が折り合わずに、とうとうストライキにまで発
展してしまったプロ野球。結局、オーナー側が、来期の新規参入を積極に検討すると
いう形で一応の解決をみたわけだが。その解決の糸口になったのは、合併問題が浮上
した当初から、新規参入に真っ先に手を上げたライブドアの堀江社長の勇気ある行動
だろう。
その後、皆さんもご存知のとおり、堀江社長はプロ野球のオーナー達から、「知ら
ない人だ」というだけで門前払いのような扱いを受ける。しかし、そのたびにくじけ
ることなく、仙台球場を本拠地にした新規球団の設立を申請した。その姿が、息子達
の目から見ると、大人の手を借りずに自分達でチームを組み、練習場所から練習メ
ニューまで、全てを自分達だけでやっている自分達と重なって見えたのだろう。つい
この前まで、「金メダリストの北島選手に会ってみたい!」と話していたのだが、
「おれ絶対堀江社長に会ってみたい!」と言い出すまでになった。その理由は、堀江
社長が「新規参入したチームは、初めは弱いかもしれないけど、いつかは優勝を狙え
るチームにしたい」と話していたからだという。つまり、今自分達が熱中している
ゲームと同じ事を、実践しようとしている堀江社長に共感したのかもしれない。
ところがそこへ、急に同じIT企業の楽天市場の三木谷社長が同じ仙台を本拠地にし
て新規参入すると名乗りを上げて来た。楽天といえば、IT業界でも最高峰に位置する
企業だ。子ども達に、「なんで今頃あんなこと言って来るの?」と息子に聞かれた
が、私には答えようが無かった。新しいアイデアと独自性が売り物のIT業界のトップ
といっても良いような三木谷さんが、まるで他人のふんどしで相撲を取るようなこと
をなぜするのか、私には理解ができないからだ。それが経営というもので、勝算が無
ければ参入はしてこないのかもしれない。また、そのような経営手腕があったからこ
そ、今日の楽天があるのかもしれない。逆に言えば、先に仙台を本拠地にと言った堀
江社長のプランは正しかったということなのかもしれない。
テレビのニュースなどで会社の資産額の違いを報じているので、経済のことに詳し
くない子ども達でも、ライブドアと楽天の会社の大きさの違いはわかるのだろう。そ
の結果息子達は、自分達のヒーローである堀江社長のことを少しでも応援したいと思
ったのらしい。しかし、ライブドアという会社は、世間一般の企業から見たら、決し
て引けを取るような企業ではないと思う。
楽天の三木谷さんは、今のプロ野球のオーナー達とも面識があるという、経営のた
めのアドバイザーとしてもそうそうたる面々をそろえているという。しかしそれで、
旧態然とした今のプロ野球界を改革することが出来るのだろうか。今まで、有名だか
らというような、表面的な部分や肩書きなどだけでオーナーを決め、なあなあでやっ
てきた結果が、今のプロ野球界の現状を作ってしまったはずである。三木谷さんは、
今までのオーナー達と同じ事をしようとは思っていないとは思うが、新しい一歩を踏
み出そうとするならば、もっと新しい視点やプランをもって行動できる新しい風を入
れなくてはいけないのではないだろうか。そういう意味では、堀江社長の率いる新し
いチームは、今のプロ野球界に必要なチームではないかと私は思う。
息子達が率いたライブドアーズは、見事日本一に輝いたらしい。来期、本当にライ
ブドアーズの活躍が見られることを祈って、息子達は次のシーズンも優勝させるべ
く、チームのみんなと頑張っている。
る。テレビゲームには、ドラゴンクエストなどのように、冒険の旅をするロールプレイ
ング。テトリスなどのようなパズルや、銃など撃って点数を稼ぐシューティングなど
のいろいろなものがあるが、このパワプロと呼ばれる息子がはまっているゲームは、
シミュレーションと呼ばれる育成ゲームで、実在のプロ野球のチームや選手のデータ
が入ったこのゲームでは、ゲームのプレーヤーが、大学野球の選手となって練習など
で技術を上げてプロ入りを目指すモードや、プロ野球選手になって、引退するまで試
合をするモードと、実在の球団や、自分のオリジナルの球団のオーナーとなって、チ
ームを率いて、日本一を目指すモードがある。昔の野球板とテレビゲームが合体した
ようなものだ。
近鉄とオリックスの合併問題で球界がゆれていた先日までは、息子達は近鉄を率い
てゲームを進めていた。友達と作った野球チームの練習が終わってから、数人の友達
を我が家に呼んでは、ゲームの中の近鉄でどう戦うかをみんなで相談していた。そし
て、見事日本一にしたとうれしそうに私のところに報告に来た。
昨日も、野球の練習を終えてからそのまま数人の友達を我が家に呼び、今度は野球
のゲームに熱中していた。よく聞いてみると、みんなで「頑張れライブドアーズ!」
と声援を送っている。「ライブドアーズ?」と私が聞くと、息子達は振り返り「う
ん、ライブドアの野球チームを作ったんだ」と答えた。息子達が言うには、ライブド
アの野球チームに「ライブドアーズ」と名前をつけてゲームをして、堀江社長の応援
をしているのだという。普通この手のゲームでは、オーナーの名前は自分達の名前を
つけるものなのだが、なんとオーナーの名前まで、堀江さんになっていた。
近鉄とオリックスの合併問題に端を発し、合併を強行するというオーナー側と、絶
対に阻止したいという選手会側の主張が折り合わずに、とうとうストライキにまで発
展してしまったプロ野球。結局、オーナー側が、来期の新規参入を積極に検討すると
いう形で一応の解決をみたわけだが。その解決の糸口になったのは、合併問題が浮上
した当初から、新規参入に真っ先に手を上げたライブドアの堀江社長の勇気ある行動
だろう。
その後、皆さんもご存知のとおり、堀江社長はプロ野球のオーナー達から、「知ら
ない人だ」というだけで門前払いのような扱いを受ける。しかし、そのたびにくじけ
ることなく、仙台球場を本拠地にした新規球団の設立を申請した。その姿が、息子達
の目から見ると、大人の手を借りずに自分達でチームを組み、練習場所から練習メ
ニューまで、全てを自分達だけでやっている自分達と重なって見えたのだろう。つい
この前まで、「金メダリストの北島選手に会ってみたい!」と話していたのだが、
「おれ絶対堀江社長に会ってみたい!」と言い出すまでになった。その理由は、堀江
社長が「新規参入したチームは、初めは弱いかもしれないけど、いつかは優勝を狙え
るチームにしたい」と話していたからだという。つまり、今自分達が熱中している
ゲームと同じ事を、実践しようとしている堀江社長に共感したのかもしれない。
ところがそこへ、急に同じIT企業の楽天市場の三木谷社長が同じ仙台を本拠地にし
て新規参入すると名乗りを上げて来た。楽天といえば、IT業界でも最高峰に位置する
企業だ。子ども達に、「なんで今頃あんなこと言って来るの?」と息子に聞かれた
が、私には答えようが無かった。新しいアイデアと独自性が売り物のIT業界のトップ
といっても良いような三木谷さんが、まるで他人のふんどしで相撲を取るようなこと
をなぜするのか、私には理解ができないからだ。それが経営というもので、勝算が無
ければ参入はしてこないのかもしれない。また、そのような経営手腕があったからこ
そ、今日の楽天があるのかもしれない。逆に言えば、先に仙台を本拠地にと言った堀
江社長のプランは正しかったということなのかもしれない。
テレビのニュースなどで会社の資産額の違いを報じているので、経済のことに詳し
くない子ども達でも、ライブドアと楽天の会社の大きさの違いはわかるのだろう。そ
の結果息子達は、自分達のヒーローである堀江社長のことを少しでも応援したいと思
ったのらしい。しかし、ライブドアという会社は、世間一般の企業から見たら、決し
て引けを取るような企業ではないと思う。
楽天の三木谷さんは、今のプロ野球のオーナー達とも面識があるという、経営のた
めのアドバイザーとしてもそうそうたる面々をそろえているという。しかしそれで、
旧態然とした今のプロ野球界を改革することが出来るのだろうか。今まで、有名だか
らというような、表面的な部分や肩書きなどだけでオーナーを決め、なあなあでやっ
てきた結果が、今のプロ野球界の現状を作ってしまったはずである。三木谷さんは、
今までのオーナー達と同じ事をしようとは思っていないとは思うが、新しい一歩を踏
み出そうとするならば、もっと新しい視点やプランをもって行動できる新しい風を入
れなくてはいけないのではないだろうか。そういう意味では、堀江社長の率いる新し
いチームは、今のプロ野球界に必要なチームではないかと私は思う。
息子達が率いたライブドアーズは、見事日本一に輝いたらしい。来期、本当にライ
ブドアーズの活躍が見られることを祈って、息子達は次のシーズンも優勝させるべ
く、チームのみんなと頑張っている。
2004 09/22 05:13
Category : 日記
9月11日に行方不明になっていた幼い兄弟が、同居していた男性から虐待を受け挙
句の果てに、生きたまま川に投げ込まれて命を絶たれてしまったという事件を聞い
て、ショックを受けた人は多かったと思う。捜査が進み、事件の概要が明らかになっ
ていくとともに、この幼児達が同居をしていた男に連れ出され、殺害されたことがわ
かった。普段から虐待を受けていたということや、加害者は犯行時に覚せい剤をして
いたという情報も流れている。
この事件を受けて、被害者の父親は15日に会見を開いて、同居の経緯や加害者が子
ども達に虐待をしていたことを以前から知っていたことなどを話し、「自分が気をつ
けていれば虐待は防げると思った、自分の考えが甘かった」と言い、「加害者は許せ
ない、目の前にいたら殺してやりたい」と言った。たしかに、いくら被害者の幼児達
の父親が、自分の先輩にあたるために、なにも文句が言えないというストレスを感じ
ていたとしても、たかが3歳と4歳の男の子に対し虐待を繰り返して挙句の果てに殺害
してしまうという加害者の行為は、到底許されるはずは無いものだ。しかし、その原
因を作ってしまったのは、自らも認めてはいるが、やはり被害者の父親だと言えると
思う。
二人の兄弟は数年前に父親が離婚をしてから、施設に預けられたりしたこともあ
り、今年の6月下旬から加害者家族と同居するようになった。その後虐待が発覚し
て、児童相談所や祖父母宅へ引き取られた時期もあったという。ことのほか仲が良く
お互いを思いやっていたという二人は、ほんの数年しかなかった人生の中で、普通の
大人では体験したことが無いほどの辛い思いをし、お互いを思いやり、かばい合いな
がら生きて来たのだろう。そんな健気な幼い子ども達のことを思うと、余計にやるせ
ない思いがした。
この事件が、まだ単なる行方不明事件として扱われていた時から、兄弟が住んでい
たアパートの映像が何度か画面に映し出されていた。その映像を目にしたとき、狭い
ベランダいっぱいに、とても丁寧にきちんと洗濯物干されていたのがとても印象的
だった。事件の背景を知らなかった当初は、「ああ、几帳面でまめなお母さんのお子
さんなんだな、小さい子が二人も行方不明さぞ心配だろう」と思っていたのだが、実
際にはここの家には、離婚をした父親達が子ども達と暮らしていて、11歳になる加害
者の長女が、掃除や洗濯など全てをやっていたのだというのを聞いて驚いた。つま
り、私が目にしたあの几帳面に干された洗濯物は、その長女が干したものだったの
だ。もし加害者の長女が、幼い兄弟達にあまりいい感情を持っていないとしたら、幼
児達の小さな洋服を、一枚一枚丁寧にハンガーにかけて干すようなことが出来ただろ
うか。
Asahi.com栃木によると事件当日のことを幼児達の父親はこう話している。「朝8
時半に仮眠を取るつもりで横になったとき、下山が出かけるのを見た。その後、下山
の娘が『流しそうめんに行くんだけど、一斗と隼人、連れてっていいかな』と言うの
で、『お願いね』と送り出して寝た。」11歳の長女の何気ない面倒見のよさは、幼児
達の父親とのやり取りにも、あの洗濯物の扱いにも現れているように私には思える。
しかし、加害者が幼児を殺害した時、加害者の長女と長男は車の中にいたのだ。しか
も一部の報道では、その長女は加害者が幼児を殺害したと思われる時、自分が寝てい
た車の外から二人の幼児の激しい鳴き声を聞いたと話しているという。自分が面倒を
見てきた幼児達を、自分の父親が殺害する現場に居合わせてしまった彼女は、今どん
な気持ちでいるだろうか?
またAsahi.com栃木によると、「長女が下山容疑者の娘と同級生で仲良しだったと
いう会社員の女性(38)は、自分の長女が最近、夜に眠れないことを悩んでいる。
「娘は事件にものすごいショックを受け、涙を流している」という。大人達の無責任
な行為によって運命を翻弄されたり、心に傷を負ってしまった子ども達。この事件の
被害者は命を奪われてしまった幼い子ども達だけではないのではないかと私は思う。
(記事参照:asahi.com 栃木 http://mytown.asahi.com/tochigi/)
句の果てに、生きたまま川に投げ込まれて命を絶たれてしまったという事件を聞い
て、ショックを受けた人は多かったと思う。捜査が進み、事件の概要が明らかになっ
ていくとともに、この幼児達が同居をしていた男に連れ出され、殺害されたことがわ
かった。普段から虐待を受けていたということや、加害者は犯行時に覚せい剤をして
いたという情報も流れている。
この事件を受けて、被害者の父親は15日に会見を開いて、同居の経緯や加害者が子
ども達に虐待をしていたことを以前から知っていたことなどを話し、「自分が気をつ
けていれば虐待は防げると思った、自分の考えが甘かった」と言い、「加害者は許せ
ない、目の前にいたら殺してやりたい」と言った。たしかに、いくら被害者の幼児達
の父親が、自分の先輩にあたるために、なにも文句が言えないというストレスを感じ
ていたとしても、たかが3歳と4歳の男の子に対し虐待を繰り返して挙句の果てに殺害
してしまうという加害者の行為は、到底許されるはずは無いものだ。しかし、その原
因を作ってしまったのは、自らも認めてはいるが、やはり被害者の父親だと言えると
思う。
二人の兄弟は数年前に父親が離婚をしてから、施設に預けられたりしたこともあ
り、今年の6月下旬から加害者家族と同居するようになった。その後虐待が発覚し
て、児童相談所や祖父母宅へ引き取られた時期もあったという。ことのほか仲が良く
お互いを思いやっていたという二人は、ほんの数年しかなかった人生の中で、普通の
大人では体験したことが無いほどの辛い思いをし、お互いを思いやり、かばい合いな
がら生きて来たのだろう。そんな健気な幼い子ども達のことを思うと、余計にやるせ
ない思いがした。
この事件が、まだ単なる行方不明事件として扱われていた時から、兄弟が住んでい
たアパートの映像が何度か画面に映し出されていた。その映像を目にしたとき、狭い
ベランダいっぱいに、とても丁寧にきちんと洗濯物干されていたのがとても印象的
だった。事件の背景を知らなかった当初は、「ああ、几帳面でまめなお母さんのお子
さんなんだな、小さい子が二人も行方不明さぞ心配だろう」と思っていたのだが、実
際にはここの家には、離婚をした父親達が子ども達と暮らしていて、11歳になる加害
者の長女が、掃除や洗濯など全てをやっていたのだというのを聞いて驚いた。つま
り、私が目にしたあの几帳面に干された洗濯物は、その長女が干したものだったの
だ。もし加害者の長女が、幼い兄弟達にあまりいい感情を持っていないとしたら、幼
児達の小さな洋服を、一枚一枚丁寧にハンガーにかけて干すようなことが出来ただろ
うか。
Asahi.com栃木によると事件当日のことを幼児達の父親はこう話している。「朝8
時半に仮眠を取るつもりで横になったとき、下山が出かけるのを見た。その後、下山
の娘が『流しそうめんに行くんだけど、一斗と隼人、連れてっていいかな』と言うの
で、『お願いね』と送り出して寝た。」11歳の長女の何気ない面倒見のよさは、幼児
達の父親とのやり取りにも、あの洗濯物の扱いにも現れているように私には思える。
しかし、加害者が幼児を殺害した時、加害者の長女と長男は車の中にいたのだ。しか
も一部の報道では、その長女は加害者が幼児を殺害したと思われる時、自分が寝てい
た車の外から二人の幼児の激しい鳴き声を聞いたと話しているという。自分が面倒を
見てきた幼児達を、自分の父親が殺害する現場に居合わせてしまった彼女は、今どん
な気持ちでいるだろうか?
またAsahi.com栃木によると、「長女が下山容疑者の娘と同級生で仲良しだったと
いう会社員の女性(38)は、自分の長女が最近、夜に眠れないことを悩んでいる。
「娘は事件にものすごいショックを受け、涙を流している」という。大人達の無責任
な行為によって運命を翻弄されたり、心に傷を負ってしまった子ども達。この事件の
被害者は命を奪われてしまった幼い子ども達だけではないのではないかと私は思う。
(記事参照:asahi.com 栃木 http://mytown.asahi.com/tochigi/)
2004 09/15 09:21
Category : 日記
先日、親友のママ友と買い物に行った先で、知人の女性に偶然会った。彼女夫婦と
は、我が家とも親友一家とも家族ぐるみでお付き合いをしている。そのときは、レジ
で清算している親友を、私が少し離れたところで待っていた。そのすぐ横を、彼女が
通りかかったのだ。私が声をかけると、彼女は立ち止まりしばしの立ち話が始まっ
た。「今日も暑いね」などという当たり障りの無い会話をしているところへ、友人が
会計を終えてやってきたのを見て、「待ち合わせだったんですね、それじゃあまた」
と彼女は軽く会釈をしてその場を去ろうとした。その彼女の横顔がすこしやつれてみ
えた。私は彼女の背中に越しに、「なんかやつれたみたいだけど大丈夫、毎日暑いか
ら無理しないでね」と声をかけた。すると・・・、彼女は立ち止まり、そこにしゃが
みこんでしまった。貧血でも起こしたのかと、私と親友で駆け寄ってみると、ハンカ
チで顔を押さえて泣いていた。事情のわからない私たちは、とりあえず落ち着けると
ころに場所を移して彼女と話をすることにした。
彼女は結婚して5年になるが、まだ子どもはいない。子どものことで、お姑さんか
ら毎日のように電話があり、催促をされるのだという。今朝も、年金法案の出生率が
予定より低くなっていたという話を持ち出して、「早く子どもを作った方がいい」と
長々と話をされたのだという。「子どもを産めばいいのかもしれないけれど」と彼女
は、遠い目をしながらボソッとつぶやいた。彼女達に夫婦に子どもが欲しいという気
持ちはあるのだ。私は、その言葉を聞いて「それは違うと思うよ」と言った。「子は
かすがいというけどね、子どものことが原因で喧嘩している夫婦は多いよ。子どもの
叱り方が気に入らないとか、教育方針がどうだとかって」。親友も「うんうん」と頷
いていた。それを聞いて彼女は「そうかもしれない」と言った。年金法案の話まで持
ち出すお姑さんにも絶句したが、それをまともに受け止めて傷ついてしまうほど、彼
女が疲れているのかと思ったら、私はやるせない気持ちがした。
彼女のご主人は、結婚を機に独立し自分で仕事を始めた。その仕事の関係で、我が
家とも、親友の家とも知り合い付き合いを始めるようになったのだ。独立から5年が
経ち、周りから見たこの不景気にもかかわらず、頑張って順調にやっているように見
えたのだが、内情はすこし違うらしい。独立したことで、ご主人はお休みの日でも
ずっと仕事をしているのだという。そのために、彼女にいわゆる新婚生活のようなも
のは無かったらしい。まあ、新婚早々ご主人は夜中にならないと帰宅をしないという
ご家庭は他にもあるかもしれないが、彼女のご主人の場合は、私たちが知っている温
厚な外見とは違い、内弁慶で仕事でのストレスを彼女にぶつけてしまうことがあるの
だ。
そのために彼女は、離婚を考えた時期もあったらしい。ただ、原因の一部が彼女に
あることも彼女自身は認めていた。それは、几帳面な性格の彼女はささいな事でヒス
テリーを起こして、ご主人が口を開く間もないほどの勢いで攻め立ててしまうらしい
のだ。そのために、普段無口なご主人は、仕事のストレスなどの影響もあり、手が出
てしまうこともあるらしい。彼女の話を聞いていると、お互いに大人として成熟して
いない部分を持った男女が結婚して、お互いのわがままをぶつけ合ってしまっている
ように見えた。しかもそこへ、お姑さんや世間から「結婚しているのに子どもを産ま
ないとは何事だ!」というプレッシャーを与えられる。しかし、夫婦としてやってい
かれるのかという部分で悩んでいる彼女に、「社会のために子どもを産め」と言って
も、それは無理な話だろう。そして、そのプレッシャーによって彼女は体調を崩し、
顔面神経痛になってしまったことすらあったという。
話をしているうちに、彼女の中に今の社会全般に対しても、不安を持っていること
がわかった。混迷し迷走しているとしか言いようのない、国会と日本という国のゆく
へ。世界中から毎日のように流れてくるテロのニュース。その一つ一つが、真面目で
几帳面な性格の彼女の中に、一つ一つ不安の要素として積み上げられていく。しか
し、周りからは「子どもを産めと矢の催促がくる。結婚して5年が経っても、自分達
夫婦の未来も見えないままの状態で、彼女は何を信じていいのかもわからないほど困
惑し、衰弱していく。そして、唯一彼女の中の母性本能だけが「こんな状態で子ども
は産めない」と声にならない声で叫んでいるようだった。
私と親友は、子どものことは気にせずに、夫婦としての時間を大切にすることから
始めたらと話をした。そして、私たちでよければいつでも話を聞くから、一人で抱え
こまないようにと言った。帰り際、彼女は少しだけホッとしたような穏やかな顔つき
で、「またお茶しましょうね」と笑顔を見せてくれた。彼女と同じような想いを抱え
た女性はどのくらいいるだろう。少子化は決して彼女達だけのせいではないというこ
とを、伝えてあげたいと思った。
は、我が家とも親友一家とも家族ぐるみでお付き合いをしている。そのときは、レジ
で清算している親友を、私が少し離れたところで待っていた。そのすぐ横を、彼女が
通りかかったのだ。私が声をかけると、彼女は立ち止まりしばしの立ち話が始まっ
た。「今日も暑いね」などという当たり障りの無い会話をしているところへ、友人が
会計を終えてやってきたのを見て、「待ち合わせだったんですね、それじゃあまた」
と彼女は軽く会釈をしてその場を去ろうとした。その彼女の横顔がすこしやつれてみ
えた。私は彼女の背中に越しに、「なんかやつれたみたいだけど大丈夫、毎日暑いか
ら無理しないでね」と声をかけた。すると・・・、彼女は立ち止まり、そこにしゃが
みこんでしまった。貧血でも起こしたのかと、私と親友で駆け寄ってみると、ハンカ
チで顔を押さえて泣いていた。事情のわからない私たちは、とりあえず落ち着けると
ころに場所を移して彼女と話をすることにした。
彼女は結婚して5年になるが、まだ子どもはいない。子どものことで、お姑さんか
ら毎日のように電話があり、催促をされるのだという。今朝も、年金法案の出生率が
予定より低くなっていたという話を持ち出して、「早く子どもを作った方がいい」と
長々と話をされたのだという。「子どもを産めばいいのかもしれないけれど」と彼女
は、遠い目をしながらボソッとつぶやいた。彼女達に夫婦に子どもが欲しいという気
持ちはあるのだ。私は、その言葉を聞いて「それは違うと思うよ」と言った。「子は
かすがいというけどね、子どものことが原因で喧嘩している夫婦は多いよ。子どもの
叱り方が気に入らないとか、教育方針がどうだとかって」。親友も「うんうん」と頷
いていた。それを聞いて彼女は「そうかもしれない」と言った。年金法案の話まで持
ち出すお姑さんにも絶句したが、それをまともに受け止めて傷ついてしまうほど、彼
女が疲れているのかと思ったら、私はやるせない気持ちがした。
彼女のご主人は、結婚を機に独立し自分で仕事を始めた。その仕事の関係で、我が
家とも、親友の家とも知り合い付き合いを始めるようになったのだ。独立から5年が
経ち、周りから見たこの不景気にもかかわらず、頑張って順調にやっているように見
えたのだが、内情はすこし違うらしい。独立したことで、ご主人はお休みの日でも
ずっと仕事をしているのだという。そのために、彼女にいわゆる新婚生活のようなも
のは無かったらしい。まあ、新婚早々ご主人は夜中にならないと帰宅をしないという
ご家庭は他にもあるかもしれないが、彼女のご主人の場合は、私たちが知っている温
厚な外見とは違い、内弁慶で仕事でのストレスを彼女にぶつけてしまうことがあるの
だ。
そのために彼女は、離婚を考えた時期もあったらしい。ただ、原因の一部が彼女に
あることも彼女自身は認めていた。それは、几帳面な性格の彼女はささいな事でヒス
テリーを起こして、ご主人が口を開く間もないほどの勢いで攻め立ててしまうらしい
のだ。そのために、普段無口なご主人は、仕事のストレスなどの影響もあり、手が出
てしまうこともあるらしい。彼女の話を聞いていると、お互いに大人として成熟して
いない部分を持った男女が結婚して、お互いのわがままをぶつけ合ってしまっている
ように見えた。しかもそこへ、お姑さんや世間から「結婚しているのに子どもを産ま
ないとは何事だ!」というプレッシャーを与えられる。しかし、夫婦としてやってい
かれるのかという部分で悩んでいる彼女に、「社会のために子どもを産め」と言って
も、それは無理な話だろう。そして、そのプレッシャーによって彼女は体調を崩し、
顔面神経痛になってしまったことすらあったという。
話をしているうちに、彼女の中に今の社会全般に対しても、不安を持っていること
がわかった。混迷し迷走しているとしか言いようのない、国会と日本という国のゆく
へ。世界中から毎日のように流れてくるテロのニュース。その一つ一つが、真面目で
几帳面な性格の彼女の中に、一つ一つ不安の要素として積み上げられていく。しか
し、周りからは「子どもを産めと矢の催促がくる。結婚して5年が経っても、自分達
夫婦の未来も見えないままの状態で、彼女は何を信じていいのかもわからないほど困
惑し、衰弱していく。そして、唯一彼女の中の母性本能だけが「こんな状態で子ども
は産めない」と声にならない声で叫んでいるようだった。
私と親友は、子どものことは気にせずに、夫婦としての時間を大切にすることから
始めたらと話をした。そして、私たちでよければいつでも話を聞くから、一人で抱え
こまないようにと言った。帰り際、彼女は少しだけホッとしたような穏やかな顔つき
で、「またお茶しましょうね」と笑顔を見せてくれた。彼女と同じような想いを抱え
た女性はどのくらいいるだろう。少子化は決して彼女達だけのせいではないというこ
とを、伝えてあげたいと思った。
2004 09/08 15:01
Category : 日記
9月1日に、ロシア南部・北オセチア共和国のベスランで武装集団が学校を占拠して
立てこもるというテロ事件が発生した。3日間にも及んだ犯行の結末は、多くの幼い
命を奪い終結した。この報道を見ていた我が家の子供たちが、「なんであんなことを
するの?」と泣きそうな顔をして私に聞いて来た。私は言葉に詰まってしまったが、
「戦争だから」とだけ答えた。
事件当日、学校では入学式が行われていたために、人質の中には生徒や先生だけで
はなく、入学式に同席していた生徒の家族も含まれていた。そのために、乳幼児まで
もが人質として身柄を拘束されていた。世話焼きで小さい子が大好きな長女は、「な
んであんな小さな子まで人質にするの!」とまるで自分のことのように怒っていた。
事件発生から3日目に入り、突然銃撃戦が始まった。その銃口の先には逃げ惑う幼い
子ども達の背中があった。その映像を目にしたとき、もう娘も息子もただ唖然として
いた。それから、悲しい顔つきでじっと画面を見つめていた。
ここのところ、世界各地でテロ事件が多発している。また、アメリカで9月11日に
起きた大規模なテロ事件から、もうすぐ3年になるせいか、そのときの映像も目にす
る機会が多い。どのテロ事件現場の映像も、目をそむけたくなるような悲惨なものば
かりだ。3年前にアメリカで5000人以上もの犠牲者を出したテロ事件が発生した時、
私は我が家の子ども達とテロや戦争について話をした覚えがある。しかし、今回の事
件ほど子ども達にとってインパクトが大きかったものはないかもしれない。それは、
3年前にはまだ小学校の低学年だった子ども達には、どんなに私が事の重大さを話し
て聞かしても、とても大変なことが起きたという認識くらいしか出来なかったのだろ
う。
しかし、今は中学生2年生と小学6年生になり、その当時より少しは色々なことを理
解できるようにもなってきたこと。しかも今回犠牲になった人の大半が自分達と殆ど
年齢の変わらない子ども達だったということだというも、大きなショックを受けるこ
とになったのかもしれない。「戦争だから」と答えた私に向って、息子は「あれはテ
ロなんでしょ?」とまた聞いて来た。すると「テロも戦争だよ!」とムッとした顔の
娘が息子に向って答えた。私も頷いて「そうだよ、テロっていうのは、方法の呼び名
みたいなものだから、戦争には変わりないんだよ」と言った。息子は神妙な顔をして
黙り込んでしまった。
しばらくして息子がまた私のところに来た、そして困ったような顔をしてこう言っ
た。
「オレのクラスに、戦争・・・っていうか軍隊に憧れているやつがいるんだよ」驚い
て何か言おうとして私を制して、息子は言葉を続けた「でね、そいつが。『日本にも
アメリカみたいに軍隊を作れば良いんだ。だめなら、アメリカ軍に入れてもらえばい
いのに』って言うんだよ」私は一瞬なんと言っていいのかわからなかった。続けて息
子に話を聞いてみると、そのクラスメートはロボットの戦争もののアニメに憧れてい
るのだという。そして、そのアニメへの憧れからか、軍隊があればいいと言い、軍隊
があれば自分達の国も護る事ができるんだと主張していたらしい。
連日の報道で、日本もテロの標的に入っていることは子ども達も知っている。だか
らこそ、自分達で護らなくちゃいけないのだという部分と、戦争の兵器の外見的な
カッコよさに惹かれている部分とが、そのクラスメートの中ではごっちゃになってい
て、そんなことを言い出したのだろう。私は息子に静かに「あなたはどう思う?」と
聞いた。息子は少し考えて「自分達のことは自分達で護らなきゃいけないのかもしれ
ないけど、でも戦争絶対よくないことだし、アメリカ軍にいれてもらうっていうのも
違う気がする」と言った。そして「明日また、そいつと話をしてみる。やっぱり戦争
はしちゃいけないと思うから」と言った。
立てこもるというテロ事件が発生した。3日間にも及んだ犯行の結末は、多くの幼い
命を奪い終結した。この報道を見ていた我が家の子供たちが、「なんであんなことを
するの?」と泣きそうな顔をして私に聞いて来た。私は言葉に詰まってしまったが、
「戦争だから」とだけ答えた。
事件当日、学校では入学式が行われていたために、人質の中には生徒や先生だけで
はなく、入学式に同席していた生徒の家族も含まれていた。そのために、乳幼児まで
もが人質として身柄を拘束されていた。世話焼きで小さい子が大好きな長女は、「な
んであんな小さな子まで人質にするの!」とまるで自分のことのように怒っていた。
事件発生から3日目に入り、突然銃撃戦が始まった。その銃口の先には逃げ惑う幼い
子ども達の背中があった。その映像を目にしたとき、もう娘も息子もただ唖然として
いた。それから、悲しい顔つきでじっと画面を見つめていた。
ここのところ、世界各地でテロ事件が多発している。また、アメリカで9月11日に
起きた大規模なテロ事件から、もうすぐ3年になるせいか、そのときの映像も目にす
る機会が多い。どのテロ事件現場の映像も、目をそむけたくなるような悲惨なものば
かりだ。3年前にアメリカで5000人以上もの犠牲者を出したテロ事件が発生した時、
私は我が家の子ども達とテロや戦争について話をした覚えがある。しかし、今回の事
件ほど子ども達にとってインパクトが大きかったものはないかもしれない。それは、
3年前にはまだ小学校の低学年だった子ども達には、どんなに私が事の重大さを話し
て聞かしても、とても大変なことが起きたという認識くらいしか出来なかったのだろ
う。
しかし、今は中学生2年生と小学6年生になり、その当時より少しは色々なことを理
解できるようにもなってきたこと。しかも今回犠牲になった人の大半が自分達と殆ど
年齢の変わらない子ども達だったということだというも、大きなショックを受けるこ
とになったのかもしれない。「戦争だから」と答えた私に向って、息子は「あれはテ
ロなんでしょ?」とまた聞いて来た。すると「テロも戦争だよ!」とムッとした顔の
娘が息子に向って答えた。私も頷いて「そうだよ、テロっていうのは、方法の呼び名
みたいなものだから、戦争には変わりないんだよ」と言った。息子は神妙な顔をして
黙り込んでしまった。
しばらくして息子がまた私のところに来た、そして困ったような顔をしてこう言っ
た。
「オレのクラスに、戦争・・・っていうか軍隊に憧れているやつがいるんだよ」驚い
て何か言おうとして私を制して、息子は言葉を続けた「でね、そいつが。『日本にも
アメリカみたいに軍隊を作れば良いんだ。だめなら、アメリカ軍に入れてもらえばい
いのに』って言うんだよ」私は一瞬なんと言っていいのかわからなかった。続けて息
子に話を聞いてみると、そのクラスメートはロボットの戦争もののアニメに憧れてい
るのだという。そして、そのアニメへの憧れからか、軍隊があればいいと言い、軍隊
があれば自分達の国も護る事ができるんだと主張していたらしい。
連日の報道で、日本もテロの標的に入っていることは子ども達も知っている。だか
らこそ、自分達で護らなくちゃいけないのだという部分と、戦争の兵器の外見的な
カッコよさに惹かれている部分とが、そのクラスメートの中ではごっちゃになってい
て、そんなことを言い出したのだろう。私は息子に静かに「あなたはどう思う?」と
聞いた。息子は少し考えて「自分達のことは自分達で護らなきゃいけないのかもしれ
ないけど、でも戦争絶対よくないことだし、アメリカ軍にいれてもらうっていうのも
違う気がする」と言った。そして「明日また、そいつと話をしてみる。やっぱり戦争
はしちゃいけないと思うから」と言った。
2004 09/01 08:38
Category : 日記
17日間に渡って、熱戦が繰り広げられたアテネオリンピックが終わった。金メダル
16個を含む、史上初の37個のメダルを獲得したことをはじめ、日本選手団の活躍に連
日深夜まで声援を送った人も多いと思う。
そのなかで、解説の方や試合を終えた選手の方が、よく口にしていた言葉があっ
た。それは、「自分の柔道(泳ぎ)ができたので勝てました」とか、「自分の試合が
できなかったので負けました」という言葉だった。つまり、自分の持つ実力の全て出
すことが、試合に勝つことができたということだ。これは、日本の各選手が欧米の選
手達に引けを取らない実力を身につけるようになっているということなのだと思う。
そして、その自分の実力を、自分が信じることで、冷静に試合に臨むことができ、結
果的に勝利を導くことができたのだと思う。
4年に一度開催されるオリンピックという、世界の頂点に位置する大会で、自分ら
しい試合をするということは、並大抵のことではできないだろうということは簡単に
想像できる。それを可能にする、ために必要な「自分を信じるということ」これは、
それぞれの選手が、苦しくつらい練習をひたむきにこなして、自分の中に積み重ねて
きたものなのだと思う。ある選手は「今まで泳いできた距離が、自分を信じる力にな
りました」と語っていた。
たとえ、結果的にメダルを獲得することができなかったとしても、自分のもてるも
のの全てを、オリンピックという舞台で出し切ることができた選手の表情は、とても
すがすがしく輝いて見えた。それは、それまでひたむきに努力し、打ち込んできた自
分を信じることができた者だけが、見せることのできる笑顔なのだと思う。
ドーピングの問題で、最後までバタバタとしたハンマー投げは、結局、室伏選手が
繰り上がり金メダルを獲得することになった。その室伏選手が、会見でメダルの裏に
書いてあったという古代ギリシャ語の日本語訳を報道陣に配った。
詩は「真実の母オリンピアよ あなたの子供達が 競技で勝利を勝ちえた時 永遠
の栄誉(黄金)をあたえよ それを証明できるのは 真実の母オリンピア 古代詩人
ピンダロス」。
室伏選手は詩を読み上げた後、「金メダルを期待していただくのは本当にうれし
い。でも、金メダルよりも重要なものがほかにもたくさんあるんじゃないか。スポー
ツ、オリンピックを別の角度から見ることができるのでは。(この詩の)真実という
のが印象に残った」と切々と語ったという。会見の冒頭、笑顔はなく、「本当は、メ
ダルを直接、表彰台で受け取りたかったのが本音」と明かした。だが、すぐに「本当
に大切なのは、メダルへ向けて努力していくことだと、今も思っている」と、7日前
に手にしたメダルの色に十分満足していた気持ちを改めて強調した。
つい私たちは、メダルという結果ばかりを追い求めてしまいがちなってしまう。ド
ーピングという違反行為も、結局、自分の力を信じきることができず、結果ばかりを
求めてしまったことから起きてしまうのだろう。しかし、室伏選手が言うように、何
かの目標に向かって努力し、自分の中にその努力の結果を積み重ねていくことが一番
大切なのだと思う。
そしてこれは、私たちの日々の生活の中でも、いえることなのではないかと思っ
た。オリンピックに参加した、各選手の方々、そしてその関係者の方々、本当にお疲
れ様でした。そして、私たちに、熱い感動と本当に大切なものの存在を教えてくれて
ありがとう。
16個を含む、史上初の37個のメダルを獲得したことをはじめ、日本選手団の活躍に連
日深夜まで声援を送った人も多いと思う。
そのなかで、解説の方や試合を終えた選手の方が、よく口にしていた言葉があっ
た。それは、「自分の柔道(泳ぎ)ができたので勝てました」とか、「自分の試合が
できなかったので負けました」という言葉だった。つまり、自分の持つ実力の全て出
すことが、試合に勝つことができたということだ。これは、日本の各選手が欧米の選
手達に引けを取らない実力を身につけるようになっているということなのだと思う。
そして、その自分の実力を、自分が信じることで、冷静に試合に臨むことができ、結
果的に勝利を導くことができたのだと思う。
4年に一度開催されるオリンピックという、世界の頂点に位置する大会で、自分ら
しい試合をするということは、並大抵のことではできないだろうということは簡単に
想像できる。それを可能にする、ために必要な「自分を信じるということ」これは、
それぞれの選手が、苦しくつらい練習をひたむきにこなして、自分の中に積み重ねて
きたものなのだと思う。ある選手は「今まで泳いできた距離が、自分を信じる力にな
りました」と語っていた。
たとえ、結果的にメダルを獲得することができなかったとしても、自分のもてるも
のの全てを、オリンピックという舞台で出し切ることができた選手の表情は、とても
すがすがしく輝いて見えた。それは、それまでひたむきに努力し、打ち込んできた自
分を信じることができた者だけが、見せることのできる笑顔なのだと思う。
ドーピングの問題で、最後までバタバタとしたハンマー投げは、結局、室伏選手が
繰り上がり金メダルを獲得することになった。その室伏選手が、会見でメダルの裏に
書いてあったという古代ギリシャ語の日本語訳を報道陣に配った。
詩は「真実の母オリンピアよ あなたの子供達が 競技で勝利を勝ちえた時 永遠
の栄誉(黄金)をあたえよ それを証明できるのは 真実の母オリンピア 古代詩人
ピンダロス」。
室伏選手は詩を読み上げた後、「金メダルを期待していただくのは本当にうれし
い。でも、金メダルよりも重要なものがほかにもたくさんあるんじゃないか。スポー
ツ、オリンピックを別の角度から見ることができるのでは。(この詩の)真実という
のが印象に残った」と切々と語ったという。会見の冒頭、笑顔はなく、「本当は、メ
ダルを直接、表彰台で受け取りたかったのが本音」と明かした。だが、すぐに「本当
に大切なのは、メダルへ向けて努力していくことだと、今も思っている」と、7日前
に手にしたメダルの色に十分満足していた気持ちを改めて強調した。
つい私たちは、メダルという結果ばかりを追い求めてしまいがちなってしまう。ド
ーピングという違反行為も、結局、自分の力を信じきることができず、結果ばかりを
求めてしまったことから起きてしまうのだろう。しかし、室伏選手が言うように、何
かの目標に向かって努力し、自分の中にその努力の結果を積み重ねていくことが一番
大切なのだと思う。
そしてこれは、私たちの日々の生活の中でも、いえることなのではないかと思っ
た。オリンピックに参加した、各選手の方々、そしてその関係者の方々、本当にお疲
れ様でした。そして、私たちに、熱い感動と本当に大切なものの存在を教えてくれて
ありがとう。