美浜原発事故に思う
 美浜原発の事故の一報が入った時、私は慌ててエアコンのスイッチを切り、窓を開
けた。我が家が住んでいるのは関東地方なので、関西電力から電力を供給されている
わけではないのだが、とっさに電気を好きなように使っていることに罪悪感のような
ものを感じたのだ。

 我が家のようにマンションに住んでいると、入り口がオートロックになっていると
ころが多いと思うが、電気がなければ家に入ることもできないのだ。特に最近多く
なっている高層マンションでは、オール電化といって、台所でもガスを一切使ってい
ないところも多い。家電製品の省電力化が進んではいるが、生活の全般を電気に頼っ
ている家庭は多いだろう。一般家庭へのエアコンの普及が多くなったこともあり、特
に夏場は、電力供給量が消費量に追いつかなくなるのではないか?という懸念があ
る。そのために、電力会社では、「でんき予報」を出して、予想される最大電力消費
量と電力需給力を知らせるということもしているのをご存知の方も多いと思う。

 さて、事故後、美浜原発の事故についての報道を見ると、27年間も点検がされてい
なかったことなどが指摘され、「起こるべきして起きた事故であると」事故ではなく
人災ではないかという報道が多くされている。しかし、私はもっと根本的な部分で事
故は起きてしまったのではないかと思う。それは、点検をする際になぜ原発の運転を
停止していなかったということだ。普通、何かの機械を点検する際には、機械の運転
を停止して行うべきだと思う。しかし、原発や溶鉱炉のような、高温で稼動するもの
は、一度停止してしまうと、運転再開までにかなりの時間を要することになるので、
できるだけ停止したくなかったのだろう。しかも、今年は猛暑が続き、電力の消費量
がうなぎ昇りである中では、長い期間運転を停止するのは難しかったのかもしれな
い。

 8月11日のasahi.comにも、そのことがふれてあった。
「原発11基を持つ関電は、発電量全体に占める原子力の割合が約56%(03年度
実績)と全電力の中で最も高い。美浜3号機を除いても約1割の供給余力があるが、
原発停止が広がれば、電力需要の多い夏場に供給不安を抱えることになる。その場
合、関電は、休止中の火力発電所の再開やほかの電力会社から緊急に融通してもらう
ことなどで、供給力確保に動くと見られるだが、それはコスト上昇にはね返る。関電
は原発の稼働率が1%下がると、火力発電の代替などでコストが年間37億円上昇す
るとしている。原発が1基停止すると1日当たり約1億円のコスト増ともいわれ、事
故の影響が長引くほど収益を圧迫することになりそうだ。」

 一般的に考えて、もし今回の事故が起きなかったとしても、たかが10mmの鉄板の
向こうに140度にもなる高温の蒸気が走っているような場所に、人間が出入りするこ
とは、尋常ではない。しかし、asahi.comによると、「関西電力美浜原発3号機で蒸
気噴出事故があったタービン建屋は、行政関係者らを対象にした見学コースに組み込
まれており、今年4月から事故が起きるまでに34回、計約300人が訪れていた。
以前は子供会や自治会、教職員ら一般の見学者も立ち入ることができたが、01年9
月の米同時多発テロ以降、保安上の理由から取りやめにした。」(8/11)という。

 これらのことを考えてみても、安全ということに対しての感覚がどこか麻痺してい
たのではないか?と感じられて仕方が無い。また定期点検中に、原発を停止すること
で、他に電力供給を求めなければならず、そのことで多大なコストがかかるのだとし
たら、なぜ電力需要が高まる夏場に点検を行うのだろうか?14日からの点検予定だっ
たということから推測すると、多分工場がお盆休みに入り、少しでも電力需要が下が
る時期に点検を実施しようとしたのかもしれない。しかし、それならば、全体的な電
力消費量があまり高くなく、しかも工場の多くが休みになる、ゴールデンウイークの
時期に行うなどの方法を検討できたはずである。

 今回の事故で、貴重な資源だけではなく、尊い人命の犠牲という危うい土台の上
に、私たちの快適な生活が載っているのだということを、改めて思い知らされた。電
力を供給する側も、消費する側も、もう一度身の回りのことを見直すことが必要なの
ではないかと感じた。