お仕置きと虐待
最近、幼児虐待のニュースが流れるたびに、私は自分の小さい頃の事を思い出す。先
日のコラムでも書いたが、わたしはかなりのおてんばだった。私の父は、元軍人だっ
た事もあり、普段は無口で無愛想な人だったが、子どもを叱る時には、これ以上無い
というほどの大きな声で「ばか者!」と怒鳴った。そして、言い訳もなにもする暇も
なく、有無をいわせずゲンコツをガツンと一発食らわせて、「反省しろ!」と一言言
うと、さっさと自分の部屋へ行ってしまった。しかし、その「ばか者!」の迫力とゲ
ンコツは、今思い出しても震えあがってしまうほど恐くて痛いもので、私にとって
は、父に怒られるという事への恐怖は並大抵のものではなかった。

それに引き換え母は、ふだんから小言が耐えず、何かというと私を板の間に正座をさ
せては説教をした。そして、返事のしかたが悪いとか、反省の色が見えないといって
は、竹のものさしでピシャリッと足やお尻を叩いて来た。子ども心に、「なにも、も
のさしで叩かなくても…」という思いはあったが、不思議と虐待されているというよ
うな感覚は無かった。

幼馴染のガキ大将も、いたずらをしたとか、誰かを泣かしたといっては、叱られて、
ゲンコツをもらったりお尻を打たれたりしていた。時々、道端で母親に捕まり、お仕
置きをされている事もあったが、それを見ている近所の人達も。「またお母さんに叱
られるような事をして、ダメじゃないか〜」等というだけで、誰も虐待をしていると
いう見方はしていなかったと思う。それは、「お尻を叩く」という行為が、お仕置き
(子どもを懲らしめるための行為)として行われている事を、母親も子どもも近所の
人も皆が知っていたからだと思う。

そんなある日、私はまた学校でおてんばをして男の子を泣かせてしまった。散々廊下
に立たされた挙句に、親が学校に呼び出された。放課後の廊下で、数人のワルガキに
混ざってたたされながら、私はどんなに叱られるかと内心ビクビクしながら、親たち
と先生との話しが終わるのを待っていた。

教室から出てきた母は、無言のまま私のランドセルを持って家路についた。私の少し
前を歩きながら、決して振り向かない母の背中に、私は母の怒りの大きさを感じた気
がした。そして家に着くと、いつものようにまた板の間に正座をさせられた。私は当
然ものさしが出てくるものと覚悟していたのだが、母はいきなり大粒の涙を流して、
手のひらでピシャピシャと私の膝小僧を叩きながら、「なんで何回言ってもわからな
いの」と一言言った。

私は、突然の事に驚いて、ただ「ゴメンナサイ」というしか出来なかった。母に叩か
れた膝は、痛くもなんとも無かったが、心が痛くて仕方が無かった。戦前生まれの母
にすれば、男の子より活発なおてんば娘の行く末を、本当に心から案じていたのだろ
う。そして、その子を思う愛情やぬくもりは、母の竹のものさしからも、ピシャピ
シャと叩かれた膝小僧からも、そして死ぬほど痛かった父のゲンコツからも、私に伝
わっていた。

お仕置きとは、何かに悪いことをした時に、それをこらしめるための行為であり、怒
るのではなく叱るための行動で、そこが虐待とは根本的に違うところなのだと思う。
体罰が良いとは決して思わないが、その当時の私にとっては、ものさしもゲンコツ
も、スキンシップの一部であったのかもしれない。