2004 05/26 20:35
Category : 日記
幼い頃、私の遊び相手は男の子ばかりで、幼馴染はガキ大将だった。私の両親は、昭
和1ケタの生まれだったせいか、そんな私に対して、スカートを履いて木登りをした
と言っては「お行儀が悪い」、いたずらをしたと言っては「お行儀が悪い」と叱っ
た。つまり、私がなにかしでかすとすぐに「お行儀が悪い!」と言って叱ったのだ。
この「行儀が悪い」という言葉は親にしてみると実に便利な言葉である。素行全般あ
らゆる事に対して通用する広い意味を持っているからだ。そのため当時の私は、なに
かをしている最中に「行儀が悪い」と母親に言われると、とりあえず動きを止めて、
声を掛けて来た母が私のところへ来るまでの間、いったい自分の行動の何に対して
「行儀が悪い」といわれたのかを考えざるを得なかった。しかし、当時近所でも有名
なおてんば娘だった私には、「行儀が悪い」とたしなめられるような心当たりは山ほ
どあった。
母は私の目の前に立つといつも、「なんで叱られてるのかわかる?」と聞いて来た。
仕方がなく私は、思い当たる“悪行”を白状することになる。時には余計なことまで
暴露してしまい、大目玉を食らってしまう事もしばしばだった。そのために、当時私
は「『お行儀が悪い』という叱り方をする親はずるい」と思っていた。しかし、時が
経ち自分が親になってみると、この言葉の便利さは魅力だった。
これは先日、我家の近くの古くからある商店街の、私が小さい時からあるお味噌屋さ
んでのことだ。今でも、お味噌を量り売りしてくれるそのお店で、息子がお店の秤に
いたずらをした。受け皿のところを上から指でグイッと押し込んだのだ。私は間髪い
れずに「お行儀が悪い」と叱りつけた。我家の息子も、幼い頃の私同様、慌てて秤か
ら手を離して身を固くした。
私はゆっくり息子の所に行って「なんで叱られたかわかる?」と聞いた。すると息子
は小さな声で「秤を触ったから?」と言った。「そうよ。お店の物とか、人様の物に
勝手に触ったりしちゃダメでしょう?特に、お店で使う秤は絶対いじっちゃダメよ。
お仕事ができなくなってしまうでしょう」と言った。すると息子は「なんで、ちょっ
と触っただけジャン」と言い返す。「あのね、お商売で使う秤は、ちゃんと狂ってい
ないか毎年検査を受けるのよ。もし壊れてしまっていたら、おばさんの所はお商売が
できなくなってしまうでしょ?だから絶対触ってはだめ」と説明すると、息子はまじ
まじとその秤を見ていた。すると、いきなりお店のおばさんが大声で笑い出してこう
言った。「いまどき、お店の物を触って『行儀が悪い』って叱られてる子がいるなん
てねぇ〜」
おばさんの話では、秤だけではなくお店の商売物でさえ、勝手に子どもが触っても注
意をする親は少ないと言う。例え、「だめよ」と注意しても、なぜダメなのかを説明
すれる親御さんも少ないらしい。秤を触った息子に対して、私がいきなり「行儀が悪
い」と叱りつけたことは、おばさんには新鮮にみえたらしい。「昔は良く『行儀が悪
い』って叱られたよね〜?最近は行儀なんてものはどうでもいいのかと思ってたよ」
そう言ってまたおばさんは笑った。
行儀という言葉を辞書で引くと「1.作法にかなうかどうかという点から見た立ち居
振る舞い。2.おこない。しわざ。したこと。」(大辞林より)とある。作法にかな
うという観点は、あまりにも古臭いと思うかも知れないが、人間が暮らしていくため
に必要なルールの一つが作法であるなら、それにかなう行動を取ることを子どもに教
えて行くことは、古い新しいということではなく、普遍的に必要な事だと思う。周り
の人から、「古臭い母親だ」と思われるかもしれないが、多分私はこれから先も、子
どもに「行儀が悪い」と叱りつづけていくと思う。
和1ケタの生まれだったせいか、そんな私に対して、スカートを履いて木登りをした
と言っては「お行儀が悪い」、いたずらをしたと言っては「お行儀が悪い」と叱っ
た。つまり、私がなにかしでかすとすぐに「お行儀が悪い!」と言って叱ったのだ。
この「行儀が悪い」という言葉は親にしてみると実に便利な言葉である。素行全般あ
らゆる事に対して通用する広い意味を持っているからだ。そのため当時の私は、なに
かをしている最中に「行儀が悪い」と母親に言われると、とりあえず動きを止めて、
声を掛けて来た母が私のところへ来るまでの間、いったい自分の行動の何に対して
「行儀が悪い」といわれたのかを考えざるを得なかった。しかし、当時近所でも有名
なおてんば娘だった私には、「行儀が悪い」とたしなめられるような心当たりは山ほ
どあった。
母は私の目の前に立つといつも、「なんで叱られてるのかわかる?」と聞いて来た。
仕方がなく私は、思い当たる“悪行”を白状することになる。時には余計なことまで
暴露してしまい、大目玉を食らってしまう事もしばしばだった。そのために、当時私
は「『お行儀が悪い』という叱り方をする親はずるい」と思っていた。しかし、時が
経ち自分が親になってみると、この言葉の便利さは魅力だった。
これは先日、我家の近くの古くからある商店街の、私が小さい時からあるお味噌屋さ
んでのことだ。今でも、お味噌を量り売りしてくれるそのお店で、息子がお店の秤に
いたずらをした。受け皿のところを上から指でグイッと押し込んだのだ。私は間髪い
れずに「お行儀が悪い」と叱りつけた。我家の息子も、幼い頃の私同様、慌てて秤か
ら手を離して身を固くした。
私はゆっくり息子の所に行って「なんで叱られたかわかる?」と聞いた。すると息子
は小さな声で「秤を触ったから?」と言った。「そうよ。お店の物とか、人様の物に
勝手に触ったりしちゃダメでしょう?特に、お店で使う秤は絶対いじっちゃダメよ。
お仕事ができなくなってしまうでしょう」と言った。すると息子は「なんで、ちょっ
と触っただけジャン」と言い返す。「あのね、お商売で使う秤は、ちゃんと狂ってい
ないか毎年検査を受けるのよ。もし壊れてしまっていたら、おばさんの所はお商売が
できなくなってしまうでしょ?だから絶対触ってはだめ」と説明すると、息子はまじ
まじとその秤を見ていた。すると、いきなりお店のおばさんが大声で笑い出してこう
言った。「いまどき、お店の物を触って『行儀が悪い』って叱られてる子がいるなん
てねぇ〜」
おばさんの話では、秤だけではなくお店の商売物でさえ、勝手に子どもが触っても注
意をする親は少ないと言う。例え、「だめよ」と注意しても、なぜダメなのかを説明
すれる親御さんも少ないらしい。秤を触った息子に対して、私がいきなり「行儀が悪
い」と叱りつけたことは、おばさんには新鮮にみえたらしい。「昔は良く『行儀が悪
い』って叱られたよね〜?最近は行儀なんてものはどうでもいいのかと思ってたよ」
そう言ってまたおばさんは笑った。
行儀という言葉を辞書で引くと「1.作法にかなうかどうかという点から見た立ち居
振る舞い。2.おこない。しわざ。したこと。」(大辞林より)とある。作法にかな
うという観点は、あまりにも古臭いと思うかも知れないが、人間が暮らしていくため
に必要なルールの一つが作法であるなら、それにかなう行動を取ることを子どもに教
えて行くことは、古い新しいということではなく、普遍的に必要な事だと思う。周り
の人から、「古臭い母親だ」と思われるかもしれないが、多分私はこれから先も、子
どもに「行儀が悪い」と叱りつづけていくと思う。